一章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
朝焼けの空が背を押していた。
名前は、振り返らなかった。
ただ、歩いた。
左足は、痛みに耐えかねて時折ふらついた。
右手は、何度も打ち付けたせいで腫れ上がり、指が動かない。
それでも剣は背から離さなかった。
名を呼ばれずとも、誇りは手放せなかった。
陽太を、見つけなければ。
そう繰り返していた。
繰り返すたびに、胸の奥に鈍い音を立てて疲れが積もっていくのがわかった。
道は険しかったわけではない。
けれど、どこまでも遠かった。
木々の合間を縫い、誰にも出会わず、誰にも助けを乞わず、ただ前へ。
いつしか、空が再び色を変え始めていた。
陽が高く昇り、また傾く。
名前の影が長く伸びるころ、とうとう足元が崩れ、膝をついた。
息が、白くなっていた。
季節は夏の終わり。
名前の身体の芯は、ずっと前から凍えていた。
目の前に、岩の裂け目があった。
それは偶然のように、彼女の道に現れた。
誰もいない、誰の声も届かない、小さな洞窟。
名前は、何も考えずそこに入った。
中は狭く、冷たく、静かだった。
風の音すら届かない。
足元に崩れた石が転がっていた。
そのひとつに背を預け、彼女はそっと、座り込んだ。
剣を横に置くことすら、ためらった。
けれど、指がもう限界だった。
がちゃり、と金属が岩に触れる音がやけに響いた。
名前は、はじめて――目を閉じた。
誰も見ていない。
誰も呼んでくれない。
誰も必要としていない。
それでも、自分が陽太を見つけなければいけないことだけは、ただひとつ、唯一の“正しさ”だと信じていた。
けれど、もう…
その正しさすら、手の中から滑り落ちていくような気がしていた。
「(…もう……歩けない……)」
そう思ったとき、初めて、涙が頬を伝った。
誰のために戦ったのか。
何のために生きてきたのか。
なぜ、救ったはずの人々から拒まれたのか。
分かっている。
私が、恐ろしかったのだ。
そんな言葉が、心の中で何度も反響した。
腕を抱えてうずくまる。
折れた手が痛んだが、もう気にする気力もなかった。
洞窟の奥、ほんの少しだけ漏れていた光が消えていく。
名前の瞳の端から、一筋の涙が伝い落ちる。
唇が、喉が、震える。
「…あ、……あ、あ……」
次の瞬間。
声が、裂けた。
「うぁ…ぁ、ああああああああっ!!!」
名前の張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた瞬間だった。
幼子の様に声を張り上げ、泣き喚いた。
拳を地面に打ちつける。
手が痛む。でも止まらない。
背中を丸め、膝を抱え、震える声を殺せず、喉を振り絞って泣いた。
「……わかんない……もう、わかんないよっ……!」
陽太のこと。
自分が何をしてきたのか。
なぜ斬って、なぜ誰にも届かないのか。
何処に行けば良いのか。
何を聞けば良いのか。
誰に頼れば良いのか。
洞窟の外で、蝉の声が遠ざかっていった。
風が吹いた。
葉が揺れた。
どれほど泣いていたのか、わからなかった。
ただ、声が枯れる頃――
名前は、岩にもたれたまま、肩で息をしていた。
目は赤く腫れ、頬は涙と汗と血にまみれていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
洞窟の奥は、
まるで時間が止まったかのように静かだった。
名前は泣き疲れていた。
目は腫れ、喉は枯れ、声は出なかった。
それでも。
彼女の手が、鞘から刃を抜いていた。
右手は震えていた。
けれど、それは恐怖ではなかった。
ただ、終わらせる覚悟に向かうための、最後の震えだった。
「……もう、何も……」
小さく呟いた。
「私には……もう、何も……ない……」
温かな家も。
大好きな家族も。
故郷も。
名前すら。
鞘を地に置き、膝を揃え、腰を落とす。
この足では、何処にも行けない。
空腹と渇きで、動くこともできない。
陽太に罪を贖わせることは、もう出来ない。
ならば、せめて己が世間様に責任を取らねばならぬ。
どうか、誰か強き者が、闇に堕ちた弟を討ち果たして下さいます様。
刀を、自らの腹に――
静かに、合わせようとした、その瞬間。
「……玖波名前様でしょうか」
その声は、静かにして、絶対に揺るがない響きを持っていた。
名前の動きが、ぴたりと止まる。
洞窟の入り口に、月明かりを背に立つ、ひとりの女の姿。
白い装束に身を包み、長い髪を静かに結い、その手には、一輪の花を抱えていた。
夢の様に、美しい女だった。
「……貴女を、探しておりました」
その声は、まるで水面に落ちた雫のように澄んでいた。
名前の手から、刀が落ちた。
カラン――と、乾いた音が洞の奥に響く。
「……なぜ……名前を……」
震える声が漏れる。
村を出てから、名前は一度も名乗らなかった。
誰にも聞かれることも無かった。
なのに、この女は、まるで当然のように「玖波名前」と言った。
女は、ゆっくりと膝をつく。
「貴女の剣の噂は、ずっと以前より聞いておりました」
「先の村では、鬼を討ち果たされましたね。呼吸も知らぬ身で…お見事にございます」
女の瞳には、恐れも哀れみもなかった。
ただ、深い敬意と慈愛があった。
名前の視界が、にじむ。
「…私、…何の、ために……私は……こんなに……戦って……」
女は、その問いに、すぐには答えなかった。
ただそっと、名前の手を握る。
「――これから、すべてをお話しします」
「貴女が今まで戦ってきたものが、何だったのか。弟君が、何に成り果てられたのか…そして、これから、どう生きられるのかを」
「貴女の命を、終わらせる前に――
どうか、一度だけ、私の話を聞いていただけませんか」
名前は、震えながら、その手を握り返した。
それは、生きると決めたわけではなかった。
ただ…失った筈の自分の“名を呼んでくれた声”に、もう少しだけ耳を傾けたいと思っただけだった。
名前は、振り返らなかった。
ただ、歩いた。
左足は、痛みに耐えかねて時折ふらついた。
右手は、何度も打ち付けたせいで腫れ上がり、指が動かない。
それでも剣は背から離さなかった。
名を呼ばれずとも、誇りは手放せなかった。
陽太を、見つけなければ。
そう繰り返していた。
繰り返すたびに、胸の奥に鈍い音を立てて疲れが積もっていくのがわかった。
道は険しかったわけではない。
けれど、どこまでも遠かった。
木々の合間を縫い、誰にも出会わず、誰にも助けを乞わず、ただ前へ。
いつしか、空が再び色を変え始めていた。
陽が高く昇り、また傾く。
名前の影が長く伸びるころ、とうとう足元が崩れ、膝をついた。
息が、白くなっていた。
季節は夏の終わり。
名前の身体の芯は、ずっと前から凍えていた。
目の前に、岩の裂け目があった。
それは偶然のように、彼女の道に現れた。
誰もいない、誰の声も届かない、小さな洞窟。
名前は、何も考えずそこに入った。
中は狭く、冷たく、静かだった。
風の音すら届かない。
足元に崩れた石が転がっていた。
そのひとつに背を預け、彼女はそっと、座り込んだ。
剣を横に置くことすら、ためらった。
けれど、指がもう限界だった。
がちゃり、と金属が岩に触れる音がやけに響いた。
名前は、はじめて――目を閉じた。
誰も見ていない。
誰も呼んでくれない。
誰も必要としていない。
それでも、自分が陽太を見つけなければいけないことだけは、ただひとつ、唯一の“正しさ”だと信じていた。
けれど、もう…
その正しさすら、手の中から滑り落ちていくような気がしていた。
「(…もう……歩けない……)」
そう思ったとき、初めて、涙が頬を伝った。
誰のために戦ったのか。
何のために生きてきたのか。
なぜ、救ったはずの人々から拒まれたのか。
分かっている。
私が、恐ろしかったのだ。
そんな言葉が、心の中で何度も反響した。
腕を抱えてうずくまる。
折れた手が痛んだが、もう気にする気力もなかった。
洞窟の奥、ほんの少しだけ漏れていた光が消えていく。
名前の瞳の端から、一筋の涙が伝い落ちる。
唇が、喉が、震える。
「…あ、……あ、あ……」
次の瞬間。
声が、裂けた。
「うぁ…ぁ、ああああああああっ!!!」
名前の張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた瞬間だった。
幼子の様に声を張り上げ、泣き喚いた。
拳を地面に打ちつける。
手が痛む。でも止まらない。
背中を丸め、膝を抱え、震える声を殺せず、喉を振り絞って泣いた。
「……わかんない……もう、わかんないよっ……!」
陽太のこと。
自分が何をしてきたのか。
なぜ斬って、なぜ誰にも届かないのか。
何処に行けば良いのか。
何を聞けば良いのか。
誰に頼れば良いのか。
洞窟の外で、蝉の声が遠ざかっていった。
風が吹いた。
葉が揺れた。
どれほど泣いていたのか、わからなかった。
ただ、声が枯れる頃――
名前は、岩にもたれたまま、肩で息をしていた。
目は赤く腫れ、頬は涙と汗と血にまみれていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
洞窟の奥は、
まるで時間が止まったかのように静かだった。
名前は泣き疲れていた。
目は腫れ、喉は枯れ、声は出なかった。
それでも。
彼女の手が、鞘から刃を抜いていた。
右手は震えていた。
けれど、それは恐怖ではなかった。
ただ、終わらせる覚悟に向かうための、最後の震えだった。
「……もう、何も……」
小さく呟いた。
「私には……もう、何も……ない……」
温かな家も。
大好きな家族も。
故郷も。
名前すら。
鞘を地に置き、膝を揃え、腰を落とす。
この足では、何処にも行けない。
空腹と渇きで、動くこともできない。
陽太に罪を贖わせることは、もう出来ない。
ならば、せめて己が世間様に責任を取らねばならぬ。
どうか、誰か強き者が、闇に堕ちた弟を討ち果たして下さいます様。
刀を、自らの腹に――
静かに、合わせようとした、その瞬間。
「……玖波名前様でしょうか」
その声は、静かにして、絶対に揺るがない響きを持っていた。
名前の動きが、ぴたりと止まる。
洞窟の入り口に、月明かりを背に立つ、ひとりの女の姿。
白い装束に身を包み、長い髪を静かに結い、その手には、一輪の花を抱えていた。
夢の様に、美しい女だった。
「……貴女を、探しておりました」
その声は、まるで水面に落ちた雫のように澄んでいた。
名前の手から、刀が落ちた。
カラン――と、乾いた音が洞の奥に響く。
「……なぜ……名前を……」
震える声が漏れる。
村を出てから、名前は一度も名乗らなかった。
誰にも聞かれることも無かった。
なのに、この女は、まるで当然のように「玖波名前」と言った。
女は、ゆっくりと膝をつく。
「貴女の剣の噂は、ずっと以前より聞いておりました」
「先の村では、鬼を討ち果たされましたね。呼吸も知らぬ身で…お見事にございます」
女の瞳には、恐れも哀れみもなかった。
ただ、深い敬意と慈愛があった。
名前の視界が、にじむ。
「…私、…何の、ために……私は……こんなに……戦って……」
女は、その問いに、すぐには答えなかった。
ただそっと、名前の手を握る。
「――これから、すべてをお話しします」
「貴女が今まで戦ってきたものが、何だったのか。弟君が、何に成り果てられたのか…そして、これから、どう生きられるのかを」
「貴女の命を、終わらせる前に――
どうか、一度だけ、私の話を聞いていただけませんか」
名前は、震えながら、その手を握り返した。
それは、生きると決めたわけではなかった。
ただ…失った筈の自分の“名を呼んでくれた声”に、もう少しだけ耳を傾けたいと思っただけだった。