五章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
鏡像は増殖をやめなかった。
一つ斬れば、隣の面から同じ顔が滑り出す。
さらに奥の面がわずかに遅れて“こちら”をなぞり、数拍置いてまた一体。
息を吸うごとに、刃の数が増していく。
名前も綾斗も次第に呼吸が荒くなり、刃の軌跡が乱れ始める。
「っ……きりがない!名前ちゃん!一旦逃げよう!血鬼術持ちなんて……聞いてないし!!」
綾斗が背後から迫る自分の鏡像を振り払い、必死に名前に叫び、引き離された距離を詰める。
だが名前は答えず、鏡像の“ 名前”と連撃を交わしながらも、奥の鏡に立つ鬼から視線を外さなかった。
あれだけは、こちらを見て笑っている。鏡越しに。
鏡の名前が、音なく踏み込み、鋭い一文字を打ち下ろす。
名前はその刃に真正面からは触れない。
《雫の呼吸・漆ノ型 水輪の残響》
吐息と共に、身体がふっと沈む。
輪を描くように重なった足さばきが、鏡像の間合いと刃筋を“外側へ”撓ませる。
受けない。躱さない。ただ、流して抜ける。
鏡像の無数の斬撃の間をすり抜け、名前は水底を進むように駆けた。
乱反射の海の中――ただ一つ、音も気配もない“静寂の芯”が瞬いている。
それを目指して踏み込み、刃を引き絞る。
あと一息。首に届く――
「――無駄なことを」
「……っ!?」
足首から腰まで、見えない鎖を掛けられたように動きが止まった。
床の鏡に映る名前の影――その上へ、細く白い足が重なっていた。
影が軋み、全身の力が奪われていく。
(……灯り……!?)
動けないまま視線だけで確認すると、広間を照らす角灯が、影を長く伸ばしている。
そこに立つ鬼は、薄く笑みを浮かべた。
鏡像の鬼に似た顔立ちだが、痩せこけ、目は夜虫のように濁っている。
「……終わりだ」
目の前の鏡から、鬼が滑り出る。
刃のように尖らせた手刀が、名前の首筋へ振り下ろされ――
「させるかぁっ!!」
綾斗の声が割り込んだ。
横薙ぎの一閃が鬼の腕を弾き、同時に脇の角灯を叩き割る。
ぱん、と炎が弾け、広間に火の粉が散る。
瞬間、名前の影が解けた。
拘束が消え、肺に空気が戻る。
「名前ちゃん!大丈夫!?」
(……危なかった)
名前が体勢を立て直すと、背後の鏡から、影を踏んでいた鬼がゆっくり姿を現した。
「クク……兄者、危うい所だったな」
「フン、取るに足らん。だが、助力には感謝しよう……弟よ」
初めて聞く声。
鏡の鬼とそっくりな顔をした、左の額に角を生やした、もう一体の鬼。
鏡の間に並び立ち、名前と綾斗を鋭く見据える。
「我は鏡影ノ兄、“写”」
「我は鏡影ノ弟、“踏”……影を奪い、命を縫う者」
名乗りと同時、鏡の奥にまた無数の像が揺らぎ始めた。
二人の鬼の間に、冷たい殺気が満ちる。
名前は刀を構え直し、短く息を吐いた。
隣の綾斗は、緊張で額に汗を滲ませながらも、名前の横に並んだ。
「に、二体……!」
「…何体相手だろうと、関係ない」
兄弟の影が、広間いっぱいに広がっていった。
***
鏡面がざわりと波打ち、四方の面から影が滑り出た。
刃を構えたそれは、名前と綾斗の姿をしている。
「っ……!」
綾斗は反射的に自分そっくりの鏡像の一撃を受け止め、火花を散らす。
視界いっぱいに刃が閃き、額に冷や汗がにじむ。
その一瞬の隙――足元の鏡面がゆらりと揺れ、影が蛇のように伸びてきた。
背後から“踏”が灯りの下を歩み、綾斗と名前の足元へ影を重ねてくる。
「っ、足元!」
綾斗の叫びに、名前はわずかに身を引き、影を踏まれる寸前でかわした。
だが、回避の動きは鏡像に狙いを与える。
背後から名前そっくりの鏡像が刃を振り下ろしてきた。
「くっ……」
名前は寸での所で腰を沈めて斬撃を流す。
影を踏もうとする“踏”の足運びと、鏡像の殺到――二つの圧力が同時に迫り、間合いを保つのが難しくなる。
「……っ、!名前ちゃん!これ……勝てる相手じゃないって!」
綾斗は背後から迫る“自分”を振り払い、必死に名前へ距離を詰める。
「二体だぞ!? しかも両方血鬼術持ちだ! 逃げるなら今しかないよ!」
「ククク……そうだなぁ、逃げた方が良いだろうなぁ?」
「もっとも……逃げようと背を向けた時が――最も殺しやすい」
「うわっ!?っ、―― 名前ちゃん!!」
名前は答えなかった。それが答えだった。
“写”は口の端を歪め、さらに奥の鏡を指先でなぞる。
それに応じて鏡像の数が倍になった。
剣戟の音が広間を満たし、足元では“踏”の作る影が不気味に揺れる。
名前は、鏡像の間合いを半歩外して身を滑らせる。
《雫の呼吸・弐ノ型 垂香》
ふっと気配を散らすと、狙いがわずかに逸れ、刃は空を切った。
だが、次の鏡像がすぐに間合いを詰める。
「くそっ……全然減らない……!」
(本物じゃないとは言え、自分を斬るのってなんかめちゃくちゃ嫌なんですけど…!)
綾斗は背後から迫る“自分”の鏡像を斬り捨てるが、すぐ別の鏡から新たな鏡像が生まれるのを見て、背筋に冷たい汗が伝った。
その時、足元の影がすっと伸びる。
「っ!」
名前は咄嗟に身を跳ね上げ、影を踏まれる寸前にかわした。
床の鏡面を揺らすように“踏”が歩み寄ってくる。
「逃げ場はないぞ?」
低く湿った声が響き、灯りの下に影が広がった。
「名前ちゃん! もういいだろ! 俺たち二人とも死ぬぞ!」
「……逃げたければ、綾斗一人で逃げて」
「は、はぁ!?」
その言葉と同時、名前は正面から迫る鏡像を斬り裂き、さらに奥へ踏み込んだ。
だが、鏡像は波のように押し寄せ、間合いを奪い返す。
綾斗は必死に名前の背を守るが、相手は人間ではない。
鏡像は刃を振るい、鏡はまた新たな鏡像を生み続ける――広間は、二人を押し潰すために脈打っているかのようだった。
***
鏡像の刃が交差するたび、名前と綾斗の立ち位置は微妙にずれ、互いの動きが噛み合わなくなっていった。
名前が間合いを詰めようと踏み込めば、綾斗の退路と重なり、綾斗が下がれば名前の横薙ぎの軌道を遮る。
「わっ…!ごめん名前ちゃん!」
「……もっと周りを見て」
「そ、そうは言ったって…!名前ちゃんの写し、超強いんだもん!!俺の写しは名前ちゃんからしたら弱くて良いかもだけどさぁ!!」
「そんなこと言ってない。それなりに邪魔」
「ひどっ!!いや褒められてる!?」
そんなやり取りの間にも、四方から迫る影が二人の間を断ち切り、呼吸を乱していく。
名前の頬をかすめた一閃が、白い肌に赤い筋を刻んだ。
綾斗の肩口にも浅くない斬撃が入り、袖が裂けて血が滲む。
《雫の呼吸・壱ノ型 たゆたう面影》―― 名前が正面の鏡像の狙いを逸らす。
だが、その瞬間、綾斗の背後から迫っていた“ 名前”の影が刃を振りかざした。
「くっ……!」
綾斗はぎりぎりで受け止めるも、火花が散った勢いで手の皮が裂け、血が柄を濡らす。
「クク……お互いに邪魔をし合っておるな。見苦しい」
鏡の奥から“写”が鼻で笑い、指先で鏡面を軽く叩く。
その振動に応じて、鏡像の数がさらに増え、広間を覆い尽くした。
「兄者、このまま潰すか?」
「いや……もう少し遊ぶ。恐怖と焦りで足を絡めた方が、斬りやすい」
“踏”が湿った声で付け足し、灯りの下をゆっくり歩く。影が長く伸び、名前と綾斗の足元を這った。
「……っ!」
名前は跳ねるように間合いを外し、影を踏まれるのを避ける。
だが、その回避が綾斗の進路を塞ぎ、綾斗は正面から鏡像の連撃を受け、腕や脇腹に新たな切創を負った。
「ぐぅっ……いっ…たぁ…っ!」
「綾斗っ!!」
「痛いよー!もうヤダ!」
体勢を崩した綾斗に襲いかかる鏡像を名前が薙ぎ払う。
しかし、取りこぼした自らの鏡像の一太刀を左腕に喰らってしまった。
呼吸のたびに、鉄臭い匂いが二人の間に濃く漂う。
「くそっ…もう、いい加減にしてくれよ……っ!」
「背を向ければ楽になれるぞ? 今なら……逃がしてやらんこともない」
踏の言葉は、底冷えするような冗談めいた響きを持っていた。
名前はそれを聞き流し、奥の本体へ視線を定めるが、押し寄せる影の群れに阻まれて一歩も踏み込めない。
剣戟の音、荒い呼吸、そして滴る血――それらが混じり合い、広間はまるで血を啜る心臓のように脈打っていた。
腕の震えが止まらなくなっていた。
名前の頬を伝う血が顎で滴り、袖は裂け、握る柄には汗と血が滲んでいる。
綾斗もまた肩口に深い傷を負い、左腕は半ば痺れ、足元は割れた鏡片で赤く染まっていた。
「……はぁ……っ、はぁ……!」
綾斗は背を鏡の縁にぶつけ、息を荒げた。
四方の鏡面から、名前と綾斗の鏡像が次々と這い出す。
斬れば消えるが、その刹那には別の鏡から同じ顔が滑り出す。
じりじりと間合いを削られ、二人の背中は壁際まで押し込まれた。
「っ……!本当に……死ぬ、死ぬぞ、これ!!死ぬ!!」
青ざめた綾斗が叫び、名前の横に駆け寄る。
「名前ちゃん、もう退こう!お願いだから!!俺達みたいな下っ端が適う相手じゃないって!!戻って応援呼ばないと!!」
「だめ。今、ここで、倒す」
名前は短く言い捨て、迫る鏡像を一刀で払う。
「無理だって!現にあいつらにかすり傷すら付けられてないし、そもそも近づけもしないし!!いい加減意地張ってる場合じゃないんだってば!!分かるだろ!?このままじゃ共倒れだよ!!」
「分からない。共倒れなんかしない」
「……っ、なんだよそれ!死ぬのは俺だけってこと!?」
綾斗の声が荒くなる。
「我儘も大概にしてよ!!名前ちゃんに付き合って、こんな所で、あんな奴らに殺されるのなんか……」
「俺は、絶対ヤダからね!!」
「――綾、」
綾斗の名は、最後まで言えなかった。
剣戟の音が二人の間の空気を切り裂く。
次の瞬間、綾斗は背を離すように横合いへ身を滑らせた。
刀を握ったまま、影の間をすり抜け、広間の隅――闇の奥へと遠ざかっていく。
“写”の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……逃げた」
「ほぅ……とうとう仲間を見捨てたか」
“踏”が鼻で笑う。
「だが構わん。逃げた小僧など後でいくらでも殺せる」
「うむ……先に残った方を潰す。こちらの方が骨がありそうだ」
「片方を欠けば、残りは獲物にもならぬ。弱ったところを、ゆっくり喰らえばいい」
二人の声が、影のざわめきに混じって広間を満たす。
「哀れな女よ……背を預ける者も、肩を並べる者も、もういない」
「孤立した獲物ほど、斬り裂くには好都合だ」
名前の周囲で、鏡面がざわりと揺れた。
四方八方から名前の姿をした影が這い出し、じわじわと円を描くように囲み込む。
その数は十を超え、刃を構えた動きは全て名前を映した鏡のごとく淀みがない。
“写”がわざと間を取って、声を落とす。
「……女。貴様は先程我が首を斬ろうとしたな。その償い、楽には済ませぬぞ」
“踏”が影を揺らし、灯りの下へと滲み寄る。
「動け、女。お前の足掻きが止まった瞬間……影ごと縫い止めてやる」
刃の煌めきが一斉に揺れ、殺気が押し寄せた。
灯りの下、黒い影が名前の足元へ這い寄る。
「さぁ……地獄の責め苦の中、もがき足掻き、死ね!!」
影と刃が、名前めがけて同時に跳ねた――。
一つ斬れば、隣の面から同じ顔が滑り出す。
さらに奥の面がわずかに遅れて“こちら”をなぞり、数拍置いてまた一体。
息を吸うごとに、刃の数が増していく。
名前も綾斗も次第に呼吸が荒くなり、刃の軌跡が乱れ始める。
「っ……きりがない!名前ちゃん!一旦逃げよう!血鬼術持ちなんて……聞いてないし!!」
綾斗が背後から迫る自分の鏡像を振り払い、必死に名前に叫び、引き離された距離を詰める。
だが名前は答えず、鏡像の“ 名前”と連撃を交わしながらも、奥の鏡に立つ鬼から視線を外さなかった。
あれだけは、こちらを見て笑っている。鏡越しに。
鏡の名前が、音なく踏み込み、鋭い一文字を打ち下ろす。
名前はその刃に真正面からは触れない。
《雫の呼吸・漆ノ型 水輪の残響》
吐息と共に、身体がふっと沈む。
輪を描くように重なった足さばきが、鏡像の間合いと刃筋を“外側へ”撓ませる。
受けない。躱さない。ただ、流して抜ける。
鏡像の無数の斬撃の間をすり抜け、名前は水底を進むように駆けた。
乱反射の海の中――ただ一つ、音も気配もない“静寂の芯”が瞬いている。
それを目指して踏み込み、刃を引き絞る。
あと一息。首に届く――
「――無駄なことを」
「……っ!?」
足首から腰まで、見えない鎖を掛けられたように動きが止まった。
床の鏡に映る名前の影――その上へ、細く白い足が重なっていた。
影が軋み、全身の力が奪われていく。
(……灯り……!?)
動けないまま視線だけで確認すると、広間を照らす角灯が、影を長く伸ばしている。
そこに立つ鬼は、薄く笑みを浮かべた。
鏡像の鬼に似た顔立ちだが、痩せこけ、目は夜虫のように濁っている。
「……終わりだ」
目の前の鏡から、鬼が滑り出る。
刃のように尖らせた手刀が、名前の首筋へ振り下ろされ――
「させるかぁっ!!」
綾斗の声が割り込んだ。
横薙ぎの一閃が鬼の腕を弾き、同時に脇の角灯を叩き割る。
ぱん、と炎が弾け、広間に火の粉が散る。
瞬間、名前の影が解けた。
拘束が消え、肺に空気が戻る。
「名前ちゃん!大丈夫!?」
(……危なかった)
名前が体勢を立て直すと、背後の鏡から、影を踏んでいた鬼がゆっくり姿を現した。
「クク……兄者、危うい所だったな」
「フン、取るに足らん。だが、助力には感謝しよう……弟よ」
初めて聞く声。
鏡の鬼とそっくりな顔をした、左の額に角を生やした、もう一体の鬼。
鏡の間に並び立ち、名前と綾斗を鋭く見据える。
「我は鏡影ノ兄、“写”」
「我は鏡影ノ弟、“踏”……影を奪い、命を縫う者」
名乗りと同時、鏡の奥にまた無数の像が揺らぎ始めた。
二人の鬼の間に、冷たい殺気が満ちる。
名前は刀を構え直し、短く息を吐いた。
隣の綾斗は、緊張で額に汗を滲ませながらも、名前の横に並んだ。
「に、二体……!」
「…何体相手だろうと、関係ない」
兄弟の影が、広間いっぱいに広がっていった。
***
鏡面がざわりと波打ち、四方の面から影が滑り出た。
刃を構えたそれは、名前と綾斗の姿をしている。
「っ……!」
綾斗は反射的に自分そっくりの鏡像の一撃を受け止め、火花を散らす。
視界いっぱいに刃が閃き、額に冷や汗がにじむ。
その一瞬の隙――足元の鏡面がゆらりと揺れ、影が蛇のように伸びてきた。
背後から“踏”が灯りの下を歩み、綾斗と名前の足元へ影を重ねてくる。
「っ、足元!」
綾斗の叫びに、名前はわずかに身を引き、影を踏まれる寸前でかわした。
だが、回避の動きは鏡像に狙いを与える。
背後から名前そっくりの鏡像が刃を振り下ろしてきた。
「くっ……」
名前は寸での所で腰を沈めて斬撃を流す。
影を踏もうとする“踏”の足運びと、鏡像の殺到――二つの圧力が同時に迫り、間合いを保つのが難しくなる。
「……っ、!名前ちゃん!これ……勝てる相手じゃないって!」
綾斗は背後から迫る“自分”を振り払い、必死に名前へ距離を詰める。
「二体だぞ!? しかも両方血鬼術持ちだ! 逃げるなら今しかないよ!」
「ククク……そうだなぁ、逃げた方が良いだろうなぁ?」
「もっとも……逃げようと背を向けた時が――最も殺しやすい」
「うわっ!?っ、―― 名前ちゃん!!」
名前は答えなかった。それが答えだった。
“写”は口の端を歪め、さらに奥の鏡を指先でなぞる。
それに応じて鏡像の数が倍になった。
剣戟の音が広間を満たし、足元では“踏”の作る影が不気味に揺れる。
名前は、鏡像の間合いを半歩外して身を滑らせる。
《雫の呼吸・弐ノ型 垂香》
ふっと気配を散らすと、狙いがわずかに逸れ、刃は空を切った。
だが、次の鏡像がすぐに間合いを詰める。
「くそっ……全然減らない……!」
(本物じゃないとは言え、自分を斬るのってなんかめちゃくちゃ嫌なんですけど…!)
綾斗は背後から迫る“自分”の鏡像を斬り捨てるが、すぐ別の鏡から新たな鏡像が生まれるのを見て、背筋に冷たい汗が伝った。
その時、足元の影がすっと伸びる。
「っ!」
名前は咄嗟に身を跳ね上げ、影を踏まれる寸前にかわした。
床の鏡面を揺らすように“踏”が歩み寄ってくる。
「逃げ場はないぞ?」
低く湿った声が響き、灯りの下に影が広がった。
「名前ちゃん! もういいだろ! 俺たち二人とも死ぬぞ!」
「……逃げたければ、綾斗一人で逃げて」
「は、はぁ!?」
その言葉と同時、名前は正面から迫る鏡像を斬り裂き、さらに奥へ踏み込んだ。
だが、鏡像は波のように押し寄せ、間合いを奪い返す。
綾斗は必死に名前の背を守るが、相手は人間ではない。
鏡像は刃を振るい、鏡はまた新たな鏡像を生み続ける――広間は、二人を押し潰すために脈打っているかのようだった。
***
鏡像の刃が交差するたび、名前と綾斗の立ち位置は微妙にずれ、互いの動きが噛み合わなくなっていった。
名前が間合いを詰めようと踏み込めば、綾斗の退路と重なり、綾斗が下がれば名前の横薙ぎの軌道を遮る。
「わっ…!ごめん名前ちゃん!」
「……もっと周りを見て」
「そ、そうは言ったって…!名前ちゃんの写し、超強いんだもん!!俺の写しは名前ちゃんからしたら弱くて良いかもだけどさぁ!!」
「そんなこと言ってない。それなりに邪魔」
「ひどっ!!いや褒められてる!?」
そんなやり取りの間にも、四方から迫る影が二人の間を断ち切り、呼吸を乱していく。
名前の頬をかすめた一閃が、白い肌に赤い筋を刻んだ。
綾斗の肩口にも浅くない斬撃が入り、袖が裂けて血が滲む。
《雫の呼吸・壱ノ型 たゆたう面影》―― 名前が正面の鏡像の狙いを逸らす。
だが、その瞬間、綾斗の背後から迫っていた“ 名前”の影が刃を振りかざした。
「くっ……!」
綾斗はぎりぎりで受け止めるも、火花が散った勢いで手の皮が裂け、血が柄を濡らす。
「クク……お互いに邪魔をし合っておるな。見苦しい」
鏡の奥から“写”が鼻で笑い、指先で鏡面を軽く叩く。
その振動に応じて、鏡像の数がさらに増え、広間を覆い尽くした。
「兄者、このまま潰すか?」
「いや……もう少し遊ぶ。恐怖と焦りで足を絡めた方が、斬りやすい」
“踏”が湿った声で付け足し、灯りの下をゆっくり歩く。影が長く伸び、名前と綾斗の足元を這った。
「……っ!」
名前は跳ねるように間合いを外し、影を踏まれるのを避ける。
だが、その回避が綾斗の進路を塞ぎ、綾斗は正面から鏡像の連撃を受け、腕や脇腹に新たな切創を負った。
「ぐぅっ……いっ…たぁ…っ!」
「綾斗っ!!」
「痛いよー!もうヤダ!」
体勢を崩した綾斗に襲いかかる鏡像を名前が薙ぎ払う。
しかし、取りこぼした自らの鏡像の一太刀を左腕に喰らってしまった。
呼吸のたびに、鉄臭い匂いが二人の間に濃く漂う。
「くそっ…もう、いい加減にしてくれよ……っ!」
「背を向ければ楽になれるぞ? 今なら……逃がしてやらんこともない」
踏の言葉は、底冷えするような冗談めいた響きを持っていた。
名前はそれを聞き流し、奥の本体へ視線を定めるが、押し寄せる影の群れに阻まれて一歩も踏み込めない。
剣戟の音、荒い呼吸、そして滴る血――それらが混じり合い、広間はまるで血を啜る心臓のように脈打っていた。
腕の震えが止まらなくなっていた。
名前の頬を伝う血が顎で滴り、袖は裂け、握る柄には汗と血が滲んでいる。
綾斗もまた肩口に深い傷を負い、左腕は半ば痺れ、足元は割れた鏡片で赤く染まっていた。
「……はぁ……っ、はぁ……!」
綾斗は背を鏡の縁にぶつけ、息を荒げた。
四方の鏡面から、名前と綾斗の鏡像が次々と這い出す。
斬れば消えるが、その刹那には別の鏡から同じ顔が滑り出す。
じりじりと間合いを削られ、二人の背中は壁際まで押し込まれた。
「っ……!本当に……死ぬ、死ぬぞ、これ!!死ぬ!!」
青ざめた綾斗が叫び、名前の横に駆け寄る。
「名前ちゃん、もう退こう!お願いだから!!俺達みたいな下っ端が適う相手じゃないって!!戻って応援呼ばないと!!」
「だめ。今、ここで、倒す」
名前は短く言い捨て、迫る鏡像を一刀で払う。
「無理だって!現にあいつらにかすり傷すら付けられてないし、そもそも近づけもしないし!!いい加減意地張ってる場合じゃないんだってば!!分かるだろ!?このままじゃ共倒れだよ!!」
「分からない。共倒れなんかしない」
「……っ、なんだよそれ!死ぬのは俺だけってこと!?」
綾斗の声が荒くなる。
「我儘も大概にしてよ!!名前ちゃんに付き合って、こんな所で、あんな奴らに殺されるのなんか……」
「俺は、絶対ヤダからね!!」
「――綾、」
綾斗の名は、最後まで言えなかった。
剣戟の音が二人の間の空気を切り裂く。
次の瞬間、綾斗は背を離すように横合いへ身を滑らせた。
刀を握ったまま、影の間をすり抜け、広間の隅――闇の奥へと遠ざかっていく。
“写”の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……逃げた」
「ほぅ……とうとう仲間を見捨てたか」
“踏”が鼻で笑う。
「だが構わん。逃げた小僧など後でいくらでも殺せる」
「うむ……先に残った方を潰す。こちらの方が骨がありそうだ」
「片方を欠けば、残りは獲物にもならぬ。弱ったところを、ゆっくり喰らえばいい」
二人の声が、影のざわめきに混じって広間を満たす。
「哀れな女よ……背を預ける者も、肩を並べる者も、もういない」
「孤立した獲物ほど、斬り裂くには好都合だ」
名前の周囲で、鏡面がざわりと揺れた。
四方八方から名前の姿をした影が這い出し、じわじわと円を描くように囲み込む。
その数は十を超え、刃を構えた動きは全て名前を映した鏡のごとく淀みがない。
“写”がわざと間を取って、声を落とす。
「……女。貴様は先程我が首を斬ろうとしたな。その償い、楽には済ませぬぞ」
“踏”が影を揺らし、灯りの下へと滲み寄る。
「動け、女。お前の足掻きが止まった瞬間……影ごと縫い止めてやる」
刃の煌めきが一斉に揺れ、殺気が押し寄せた。
灯りの下、黒い影が名前の足元へ這い寄る。
「さぁ……地獄の責め苦の中、もがき足掻き、死ね!!」
影と刃が、名前めがけて同時に跳ねた――。