四章
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ある藤の屋敷の縁側にて。
首の鬼との戦いを終えた名前は、鎹鴉の案内の元この屋敷に赴いた。
(余談だが、道中鎹鴉は絶えず名前に話しかけ続け、それに返事をしないと怒ってつついてくるため、名前はそのせいで気を失いそうだった。)
突然現れた傷だらけの名前を、この屋敷の者達は、彼女の隊服と鎹鴉を認めると、何も言わずに迎え入れ、温かな食事と清潔な寝床、医者を呼び、丁寧な治療を提供してくれた。
そして二日程経ち、傷もまだ完全には癒えていなかった名前は、静かに湯呑みを置き、風の匂いを吸い込んだ。
その静けさを裂くように――
「カァァーー!! 通告通告ッ!!」
天から一羽の鎹鴉が舞い降りる。
名前の肩に器用に着地すると、いきなり大声で喚き始めた。
「新任務発生ッ!! 北東ノ山村ニテ不審死数件!! 二名行方不明!!」
「村民曰ク、“何カヲ見タ直後”動ケズ、身体ヲ裂カレタ!! 死体ノ傍ニハ血塗ラレタ紙片!」
名前は静かに顔を上げ、目を細める。
(……まさか)
(血鬼術という、鬼の“異能”……?)
頭をよぎったのは、ある夜、静水に聞かされた言葉だった。
*
「鬼の中には、“異能”を使う者がいます」
静水が、火を見つめながら言った声は静かだった。
「血鬼術――それは、自らの血肉を代償に、人の常識では計れぬ術を操る。姿を消す者、毒を操る者、空を裂く者……」
「そう易々とは首に刃が届かぬ敵もいます。厳しい戦いを強いられることもあるでしょう。ですが……“芯”は、必ずある」
名前は問うた。
「……“芯”?」
静水は、ふっと微笑んだ。
「命の通る筋。……貴女には、きっと見えるでしょう。それを見つければ、どれほど異形であろうと、必ず……剣は届きます」
*
(芯……)
名前は眼を伏せたまま、鎹鴉の言葉を聞き取る。
「目撃者ノ中ニ、“文”ノ様ナ赤キ光ヲ見タ者アリ!! 詳細不明!!」
鴉はぴょん、と胸を張るように翼を広げた。
「被害拡大ノ恐レアリ!! 日没マデニ出立セヨ!!」
名前は、差し出された伝令文を受け取って一瞥した。
「……了解した」
「良キ返答!! 我ハ空路ニテ先行!! 任務成功ヲ祈ル!!」
そう告げて、鴉は意気揚々と飛び立っていった。
名前は静かに腰を上げる。
体中の包帯が少しだけ揺れ、背の刀が、柔らかな音を立てた。
(血鬼術……)
(どんな鬼であろうと、首を斬る。絶対に)
風が吹き抜ける。
藤の屋敷の者達の見送りの元、少女は静かに歩き出した。
夜の奥で、次なる闇が待っていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
薄曇りの昼下がり。
山に囲まれた小さな村。
土壁の家々が肩を寄せるように立ち並び、人の気配はまばらだった。
畑のあぜ道を、名前は静かに歩く。
黒の隊服、背に帯刀。
村の空気に馴染まぬその姿に、道端の老女が眉をひそめる。
それでも名前は、まっすぐに歩み寄り、静かに頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします。少しだけ、お話を伺えますか」
女は警戒するように名前の刀に視線を落とし、しばし言葉を発しなかった。
だが、しばらくしてぽつりと呟く。
「……また、誰か来たんだね」
「前は“お役人”だった。その前は“寺の坊主”」
「皆、話だけ聞いて帰っていったよ」
「……それでも、来るだけマシか」
その声には、疲れと諦めが滲んでいた。
「……このあたりで、最近、妙なことはありませんでしたか」
「“変なこと”なんて、もう慣れたさ」
女は、石垣の上に腰を下ろし、手にした鍬の柄を撫でながら続けた。
「夜中に人がいなくなる。気づいた時には、もう遅い」
「悲鳴も、足音も、なかった……って、誰もが言う」
「あとに残るのは、血の跡と……墨の滲んだ紙きれみたいな、黒い跡だけ」
名前の眉がわずかに動く。
「黒い……跡…?」
「まるで、何か“書かれていた”みたいだって人もいたよ。筆でなぞったような、見覚えのない“文”の跡だって」
「でも、そんなもん、いつの間にか消えてる。誰も確かめようがない」
「だから、皆、黙ってるんだ。“口に出すな”“目を合わせるな”“見てないふりをしろ”……ってね」
沈黙が落ちる。
名前はしばらく黙っていたが、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。参考になりました」
そのまま踵を返そうとした名前の背に、女がぽつりとつぶやく。
「アンタ……普通じゃないね。何者なんだい」
名前は、振り返らなかった。
ただ背を向けたまま、静かに答える。
「……困った人の代わりに、戦う者です」
女は答えなかった。
だがその目は、ほんのわずかに緩んでいた。
その背に、遠くで草履の音が重なる。
納屋の前に集まっていた村人たちも、ちらりと名前を見た。
警戒よりも、どこか“淡い期待”のようなものが、その空気に混ざっていた。
“誰でもいい”――そう思ってしまうほどに、彼らは、疲れていた。
名前は、刀の重みを背に、ゆっくりと歩き出した。
――夜までに、手がかりを掴まなければならない。
そしてまた、静寂の気配が村を包み始めていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
村外れの細道を歩いていた名前は、背後からわずかな気配を感じ取っていた。
風にまぎれる足音。
だが、その音は同じ間隔で、ずっと自分を追っている。
――気づかれないと思っている、慎重な足音。
名前は立ち止まり、振り返った。
そこには、小さな影がひとつ。
まだ十にも届かないだろうか。
少女が、道の陰に立っていた。
薄い和服に、小さな風呂敷包み。
顔には泥がついていたが、まっすぐにこちらを見据える目が印象的だった。
「……何か、用?」
問いかけると、少女はわずかに身をすくませながらも、踏みとどまった。
「……あなた、刀を持ってる。さっき、村の人たちから話を聞いてた」
「……“あれ”を、退治しに来たんでしょう?」
名前は少女を見つめながら、ふと記憶を掘り起こす。
──あれは、昼過ぎのことだった。
村の古びた井戸端で、中年の女性が何人かで小声で話していた。
「……あの子。ほら、橘さん所の…可哀想にね、まだ小さいのに、親御さんがあんなことになって……」
「本当に。でも、一人で可哀想にって、遠縁の親戚が引き取るって言ってくれたみたいよ。明日には出るとかなんとか……」
「あら、そうなの?それなら良かったけど……本当に、どこ行っちゃったのかしらね。橘さん……」
(……もしかして、この子が)
名前は思案を切り上げ、少女――つぐみを見据えた。
「名前は?」
「……橘、つぐみ、って言います」
「…そう」
少女は深く頭を下げた。
「お願いです。お父さんとお母さんがいなくなって、誰も信じてくれなくて……」
「私、ずっと見てたんです。夜に……“あれ”が家の前にいて、赤い跡が……」
「でも、誰も信じなくて、“獣の仕業だ”って言われて……!」
「お願いです。お姉さん、あれを退治しに来たんでしょ…!?お父さんとお母さんを、助けてほしいんです……!」
声が震えていた。
名前は少しの間、視線を落とした。
そして――静かに口を開く。
「……親戚が、あなたを引き取ると聞いた。明日には迎えに来ると」
「今夜は、誰か他の家に泊めてもらうと良い」
「ここにいても、あなたにできることは何もない。巻き込まれるだけ」
つぐみは唇を噛み締め、拳をぎゅっと握った。
「……行く所なんて、ない……お父さんとお母さんがいない場所が、“帰る家”なんかじゃない……」
その一言に、名前の目がわずかに伏せられた。
言葉はなかった。
ただ――その痛みだけは、深く、分かってしまった。
けれど、それでも。
「……今夜、全てを終わらせると約束する」
「だから……行きなさい。今なら、間に合う」
つぐみは俯き、肩を震わせながらも――やがて、そっと踵を返した。
その小さな背中を、名前は見送る。
しばらくの間、名前の視線は、その消えていく背を捉えて離さなかった。
(誰にも、同じ思いを繰り返させない)
風が吹く。
日が沈み、夜が迫っていた。
首の鬼との戦いを終えた名前は、鎹鴉の案内の元この屋敷に赴いた。
(余談だが、道中鎹鴉は絶えず名前に話しかけ続け、それに返事をしないと怒ってつついてくるため、名前はそのせいで気を失いそうだった。)
突然現れた傷だらけの名前を、この屋敷の者達は、彼女の隊服と鎹鴉を認めると、何も言わずに迎え入れ、温かな食事と清潔な寝床、医者を呼び、丁寧な治療を提供してくれた。
そして二日程経ち、傷もまだ完全には癒えていなかった名前は、静かに湯呑みを置き、風の匂いを吸い込んだ。
その静けさを裂くように――
「カァァーー!! 通告通告ッ!!」
天から一羽の鎹鴉が舞い降りる。
名前の肩に器用に着地すると、いきなり大声で喚き始めた。
「新任務発生ッ!! 北東ノ山村ニテ不審死数件!! 二名行方不明!!」
「村民曰ク、“何カヲ見タ直後”動ケズ、身体ヲ裂カレタ!! 死体ノ傍ニハ血塗ラレタ紙片!」
名前は静かに顔を上げ、目を細める。
(……まさか)
(血鬼術という、鬼の“異能”……?)
頭をよぎったのは、ある夜、静水に聞かされた言葉だった。
*
「鬼の中には、“異能”を使う者がいます」
静水が、火を見つめながら言った声は静かだった。
「血鬼術――それは、自らの血肉を代償に、人の常識では計れぬ術を操る。姿を消す者、毒を操る者、空を裂く者……」
「そう易々とは首に刃が届かぬ敵もいます。厳しい戦いを強いられることもあるでしょう。ですが……“芯”は、必ずある」
名前は問うた。
「……“芯”?」
静水は、ふっと微笑んだ。
「命の通る筋。……貴女には、きっと見えるでしょう。それを見つければ、どれほど異形であろうと、必ず……剣は届きます」
*
(芯……)
名前は眼を伏せたまま、鎹鴉の言葉を聞き取る。
「目撃者ノ中ニ、“文”ノ様ナ赤キ光ヲ見タ者アリ!! 詳細不明!!」
鴉はぴょん、と胸を張るように翼を広げた。
「被害拡大ノ恐レアリ!! 日没マデニ出立セヨ!!」
名前は、差し出された伝令文を受け取って一瞥した。
「……了解した」
「良キ返答!! 我ハ空路ニテ先行!! 任務成功ヲ祈ル!!」
そう告げて、鴉は意気揚々と飛び立っていった。
名前は静かに腰を上げる。
体中の包帯が少しだけ揺れ、背の刀が、柔らかな音を立てた。
(血鬼術……)
(どんな鬼であろうと、首を斬る。絶対に)
風が吹き抜ける。
藤の屋敷の者達の見送りの元、少女は静かに歩き出した。
夜の奥で、次なる闇が待っていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
薄曇りの昼下がり。
山に囲まれた小さな村。
土壁の家々が肩を寄せるように立ち並び、人の気配はまばらだった。
畑のあぜ道を、名前は静かに歩く。
黒の隊服、背に帯刀。
村の空気に馴染まぬその姿に、道端の老女が眉をひそめる。
それでも名前は、まっすぐに歩み寄り、静かに頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします。少しだけ、お話を伺えますか」
女は警戒するように名前の刀に視線を落とし、しばし言葉を発しなかった。
だが、しばらくしてぽつりと呟く。
「……また、誰か来たんだね」
「前は“お役人”だった。その前は“寺の坊主”」
「皆、話だけ聞いて帰っていったよ」
「……それでも、来るだけマシか」
その声には、疲れと諦めが滲んでいた。
「……このあたりで、最近、妙なことはありませんでしたか」
「“変なこと”なんて、もう慣れたさ」
女は、石垣の上に腰を下ろし、手にした鍬の柄を撫でながら続けた。
「夜中に人がいなくなる。気づいた時には、もう遅い」
「悲鳴も、足音も、なかった……って、誰もが言う」
「あとに残るのは、血の跡と……墨の滲んだ紙きれみたいな、黒い跡だけ」
名前の眉がわずかに動く。
「黒い……跡…?」
「まるで、何か“書かれていた”みたいだって人もいたよ。筆でなぞったような、見覚えのない“文”の跡だって」
「でも、そんなもん、いつの間にか消えてる。誰も確かめようがない」
「だから、皆、黙ってるんだ。“口に出すな”“目を合わせるな”“見てないふりをしろ”……ってね」
沈黙が落ちる。
名前はしばらく黙っていたが、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。参考になりました」
そのまま踵を返そうとした名前の背に、女がぽつりとつぶやく。
「アンタ……普通じゃないね。何者なんだい」
名前は、振り返らなかった。
ただ背を向けたまま、静かに答える。
「……困った人の代わりに、戦う者です」
女は答えなかった。
だがその目は、ほんのわずかに緩んでいた。
その背に、遠くで草履の音が重なる。
納屋の前に集まっていた村人たちも、ちらりと名前を見た。
警戒よりも、どこか“淡い期待”のようなものが、その空気に混ざっていた。
“誰でもいい”――そう思ってしまうほどに、彼らは、疲れていた。
名前は、刀の重みを背に、ゆっくりと歩き出した。
――夜までに、手がかりを掴まなければならない。
そしてまた、静寂の気配が村を包み始めていた。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
村外れの細道を歩いていた名前は、背後からわずかな気配を感じ取っていた。
風にまぎれる足音。
だが、その音は同じ間隔で、ずっと自分を追っている。
――気づかれないと思っている、慎重な足音。
名前は立ち止まり、振り返った。
そこには、小さな影がひとつ。
まだ十にも届かないだろうか。
少女が、道の陰に立っていた。
薄い和服に、小さな風呂敷包み。
顔には泥がついていたが、まっすぐにこちらを見据える目が印象的だった。
「……何か、用?」
問いかけると、少女はわずかに身をすくませながらも、踏みとどまった。
「……あなた、刀を持ってる。さっき、村の人たちから話を聞いてた」
「……“あれ”を、退治しに来たんでしょう?」
名前は少女を見つめながら、ふと記憶を掘り起こす。
──あれは、昼過ぎのことだった。
村の古びた井戸端で、中年の女性が何人かで小声で話していた。
「……あの子。ほら、橘さん所の…可哀想にね、まだ小さいのに、親御さんがあんなことになって……」
「本当に。でも、一人で可哀想にって、遠縁の親戚が引き取るって言ってくれたみたいよ。明日には出るとかなんとか……」
「あら、そうなの?それなら良かったけど……本当に、どこ行っちゃったのかしらね。橘さん……」
(……もしかして、この子が)
名前は思案を切り上げ、少女――つぐみを見据えた。
「名前は?」
「……橘、つぐみ、って言います」
「…そう」
少女は深く頭を下げた。
「お願いです。お父さんとお母さんがいなくなって、誰も信じてくれなくて……」
「私、ずっと見てたんです。夜に……“あれ”が家の前にいて、赤い跡が……」
「でも、誰も信じなくて、“獣の仕業だ”って言われて……!」
「お願いです。お姉さん、あれを退治しに来たんでしょ…!?お父さんとお母さんを、助けてほしいんです……!」
声が震えていた。
名前は少しの間、視線を落とした。
そして――静かに口を開く。
「……親戚が、あなたを引き取ると聞いた。明日には迎えに来ると」
「今夜は、誰か他の家に泊めてもらうと良い」
「ここにいても、あなたにできることは何もない。巻き込まれるだけ」
つぐみは唇を噛み締め、拳をぎゅっと握った。
「……行く所なんて、ない……お父さんとお母さんがいない場所が、“帰る家”なんかじゃない……」
その一言に、名前の目がわずかに伏せられた。
言葉はなかった。
ただ――その痛みだけは、深く、分かってしまった。
けれど、それでも。
「……今夜、全てを終わらせると約束する」
「だから……行きなさい。今なら、間に合う」
つぐみは俯き、肩を震わせながらも――やがて、そっと踵を返した。
その小さな背中を、名前は見送る。
しばらくの間、名前の視線は、その消えていく背を捉えて離さなかった。
(誰にも、同じ思いを繰り返させない)
風が吹く。
日が沈み、夜が迫っていた。