二章
夢小説設定
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「……っ、くそッ……!」
縄鬼の裂かれた腕が怒りに蠢いた。
けれど、鬼はすぐにそれを引っ込めた。
楽しげな笑みのまま、動かずにそこに立つ。
「なるほどなァ……小僧も、ただの餌じゃなかったか。まあいい。逃げても、すぐ見つけて喰ってやるよ。たっぷり時間をかけてなァ……!」
その声を背に、名前は綾斗の手を引いていた。
言葉もなく、走る。
怒りを抱えたままでは、勝てない。
雫の呼吸は、“静寂”の中でこそ力を発揮する。
木々の間をすり抜け、苔むす岩場の影に身を潜めた。
ようやく足を止めたその瞬間、綾斗が膝をついた。
「は、はあっ……ひぃ……ひいっ……」
肩で大きく息をするその背を、名前は一瞥し、そっと目を伏せる。
そして、自分の胸に手を当てた。
(……怒って、乱れた。剣の芯も、気配も、全部潰えた)
(あれでは、駄目だ。斬れない)
小さく深呼吸をひとつ。
暗がりに溶けるように、名前の気配が落ち着いていく。
その様子を、ようやく綾斗が見上げた。
「あ、あの……ごめん……っ、つい、体が勝手に……」
「でも……」
「俺、どうしてもあんなの許せなくて……っ」
名前は、静かに首を振る。
「……ありがとう」
短く。それだけを言った。
綾斗は、ぽかんと目を見開いて、それから、照れたように頭を掻いた。
「えへへ……どういたしまして」
二人の間に、温かな沈黙が流れる。
だが、戦いは終わっていない。
名前は地に膝をつき、小枝で地面に線を描きはじめた。
綾斗も息を整え、腰を落とす。
「……作戦、立てよう」
「……うん」
名前の表情は、静かだった。
その瞳には、怒りも悲しみもまだ残っていた。
けれど――それらはすべて、底へと沈められている。
静水に教わった、雫の呼吸の“核”――どんな時でも、静けさを忘れないこと。
綾斗に守られたあの瞬間、ようやく名前は、その静寂を取り戻したのだった。
「……俺が、トドメを?」
綾斗は目を見開いたまま、名前を見つめた。
名前は頷き続ける。
「あいつは今までの鬼とは格が違う。私じゃ斬れない」
「む……無理無理無理っ!そんなの絶対無理だよ!さ、さっきのだって俺、どうやったか記憶ないし…!今もめっちゃ震えてるし!名前ちゃんに出来ないことが俺に出来る訳ないって!」
「……出来なきゃ、二人とも死ぬ」
名前は静かに告げた。
感情を挟まない。けれど、言葉は確かに綾斗の胸に突き刺さる。
「貴方には、帰る家がある。妹や弟を、守るための家族がいる。貴方には、生きて戻る理由がある」
「……だから、斬れる」
綾斗の呼吸が止まる。
その脳裏に、あの時の記憶がふと蘇る。
――最終選別、三日目の昼。
木々の合間で短い休憩を取っていた時のこと。
綾斗は、にこにこと笑いながら言っていた。
「……うち、七人兄弟って言ったろ?下はみんな小さくて、冬なんか布団の取り合いで毎晩戦争。なのに朝になると、俺の布団に全員潜り込んでたりしてさ。ほんと重いんだよ」
そう言いながらも、綾斗の声はどこか楽しげだった。
「でも、だから頑張れるっていうか……あいつらが風邪ひかないように、腹一杯ご飯食べられるように、俺が稼がなきゃって思うんだよね」
そう言って笑ってから、ふと首を傾げて聞いた。
「……名前ちゃんは?兄弟とか、いる?」
ほんの何気ない問いだった。
けれど、返ってきたのは――沈黙だった。
名前は、うつむいたまま、小枝で地面をなぞっていた手を止めた。
その横顔は読めなかった。
綾斗がそっと問いかける。
「……名前ちゃん?」
その時だった。
「…………もう、いない」
静かに、けれどはっきりと、名前はそう答えた。
顔は伏せたまま。
感情の色も、声には浮かばなかった。
けれど、それは確かに、彼女の“事実”だった。
綾斗は息を呑んだ。
何か言わなきゃ、と思った。けれど――言葉が出てこなかった。
名前は、俯いたまま、わずかに微笑んだような気がした。
「……ごめん」
「…大丈夫」
それきりだった。
でも今――その言葉が、綾斗の胸を、ずっと強く締めつけていた。
(あれ、全然“大丈夫”なんかじゃなかったんだ)
今、綾斗は思う。
あの時聞いた“静かな声”の裏にあったのは、きっと、語りきれない悲しみだった。
“いない”という言葉に込められた重さを、自分は全く理解できていなかった。
(俺、いつまで情けないままなんだよっ…女の子にあんな顔させたら駄目だろ…!)
名前は、視線を逸らさずに続けた。
「私が援護する。貴方に傷一つつけさせない」
「貴方の前に必ず道を作る」
「だから、お願い。あいつの首を斬って」
綾斗は、拳をぎゅっと握りしめた。
怖い。
身体はまだ震えてる。
けれど、名前の言葉が、胸の奥で熱く残っていた。
名前の瞳は、まっすぐだった。
こんな自分を信じ、命運を預けようとしてくれている。
「………分かった」
綾斗が静かに呟く様に言う。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「でも俺さ…やっぱり、怖くて。だから……お願い一つ、聞いてくれる……?」
名前は、ほんの少しだけ目を細めて綾斗を見た。
「……何?」
綾斗はうつむいたまま、ぽつりと呟くように言った。
「……俺の名前、呼んでくれないかな」
名前の眉がわずかに動く。
「ずっと、呼ばれたことなかったから。なんか……今、聞けたら……それだけで、ちゃんとやれそうな気がしてさ」
そう言って、照れ隠しのように笑った綾斗の声は、どこか震えていた。
名前は、一瞬だけ黙った。
それから、静かに一歩、綾斗に近づいた。
そして――まっすぐにその目を見て、口を開いた。
「……綾斗」
優しく。
けれど、確かに届くように。
綾斗は目を見開き、そして、泣きそうな顔で微かに笑った。
「……うん。ありがとう。行ける気がする」
名前は頷いた。
そして、二人は同時に――夜の帳へと、足を踏み出した。
「あ、でもほんと援護お願いシマス」
「………」
縄鬼の裂かれた腕が怒りに蠢いた。
けれど、鬼はすぐにそれを引っ込めた。
楽しげな笑みのまま、動かずにそこに立つ。
「なるほどなァ……小僧も、ただの餌じゃなかったか。まあいい。逃げても、すぐ見つけて喰ってやるよ。たっぷり時間をかけてなァ……!」
その声を背に、名前は綾斗の手を引いていた。
言葉もなく、走る。
怒りを抱えたままでは、勝てない。
雫の呼吸は、“静寂”の中でこそ力を発揮する。
木々の間をすり抜け、苔むす岩場の影に身を潜めた。
ようやく足を止めたその瞬間、綾斗が膝をついた。
「は、はあっ……ひぃ……ひいっ……」
肩で大きく息をするその背を、名前は一瞥し、そっと目を伏せる。
そして、自分の胸に手を当てた。
(……怒って、乱れた。剣の芯も、気配も、全部潰えた)
(あれでは、駄目だ。斬れない)
小さく深呼吸をひとつ。
暗がりに溶けるように、名前の気配が落ち着いていく。
その様子を、ようやく綾斗が見上げた。
「あ、あの……ごめん……っ、つい、体が勝手に……」
「でも……」
「俺、どうしてもあんなの許せなくて……っ」
名前は、静かに首を振る。
「……ありがとう」
短く。それだけを言った。
綾斗は、ぽかんと目を見開いて、それから、照れたように頭を掻いた。
「えへへ……どういたしまして」
二人の間に、温かな沈黙が流れる。
だが、戦いは終わっていない。
名前は地に膝をつき、小枝で地面に線を描きはじめた。
綾斗も息を整え、腰を落とす。
「……作戦、立てよう」
「……うん」
名前の表情は、静かだった。
その瞳には、怒りも悲しみもまだ残っていた。
けれど――それらはすべて、底へと沈められている。
静水に教わった、雫の呼吸の“核”――どんな時でも、静けさを忘れないこと。
綾斗に守られたあの瞬間、ようやく名前は、その静寂を取り戻したのだった。
「……俺が、トドメを?」
綾斗は目を見開いたまま、名前を見つめた。
名前は頷き続ける。
「あいつは今までの鬼とは格が違う。私じゃ斬れない」
「む……無理無理無理っ!そんなの絶対無理だよ!さ、さっきのだって俺、どうやったか記憶ないし…!今もめっちゃ震えてるし!名前ちゃんに出来ないことが俺に出来る訳ないって!」
「……出来なきゃ、二人とも死ぬ」
名前は静かに告げた。
感情を挟まない。けれど、言葉は確かに綾斗の胸に突き刺さる。
「貴方には、帰る家がある。妹や弟を、守るための家族がいる。貴方には、生きて戻る理由がある」
「……だから、斬れる」
綾斗の呼吸が止まる。
その脳裏に、あの時の記憶がふと蘇る。
――最終選別、三日目の昼。
木々の合間で短い休憩を取っていた時のこと。
綾斗は、にこにこと笑いながら言っていた。
「……うち、七人兄弟って言ったろ?下はみんな小さくて、冬なんか布団の取り合いで毎晩戦争。なのに朝になると、俺の布団に全員潜り込んでたりしてさ。ほんと重いんだよ」
そう言いながらも、綾斗の声はどこか楽しげだった。
「でも、だから頑張れるっていうか……あいつらが風邪ひかないように、腹一杯ご飯食べられるように、俺が稼がなきゃって思うんだよね」
そう言って笑ってから、ふと首を傾げて聞いた。
「……名前ちゃんは?兄弟とか、いる?」
ほんの何気ない問いだった。
けれど、返ってきたのは――沈黙だった。
名前は、うつむいたまま、小枝で地面をなぞっていた手を止めた。
その横顔は読めなかった。
綾斗がそっと問いかける。
「……名前ちゃん?」
その時だった。
「…………もう、いない」
静かに、けれどはっきりと、名前はそう答えた。
顔は伏せたまま。
感情の色も、声には浮かばなかった。
けれど、それは確かに、彼女の“事実”だった。
綾斗は息を呑んだ。
何か言わなきゃ、と思った。けれど――言葉が出てこなかった。
名前は、俯いたまま、わずかに微笑んだような気がした。
「……ごめん」
「…大丈夫」
それきりだった。
でも今――その言葉が、綾斗の胸を、ずっと強く締めつけていた。
(あれ、全然“大丈夫”なんかじゃなかったんだ)
今、綾斗は思う。
あの時聞いた“静かな声”の裏にあったのは、きっと、語りきれない悲しみだった。
“いない”という言葉に込められた重さを、自分は全く理解できていなかった。
(俺、いつまで情けないままなんだよっ…女の子にあんな顔させたら駄目だろ…!)
名前は、視線を逸らさずに続けた。
「私が援護する。貴方に傷一つつけさせない」
「貴方の前に必ず道を作る」
「だから、お願い。あいつの首を斬って」
綾斗は、拳をぎゅっと握りしめた。
怖い。
身体はまだ震えてる。
けれど、名前の言葉が、胸の奥で熱く残っていた。
名前の瞳は、まっすぐだった。
こんな自分を信じ、命運を預けようとしてくれている。
「………分かった」
綾斗が静かに呟く様に言う。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「でも俺さ…やっぱり、怖くて。だから……お願い一つ、聞いてくれる……?」
名前は、ほんの少しだけ目を細めて綾斗を見た。
「……何?」
綾斗はうつむいたまま、ぽつりと呟くように言った。
「……俺の名前、呼んでくれないかな」
名前の眉がわずかに動く。
「ずっと、呼ばれたことなかったから。なんか……今、聞けたら……それだけで、ちゃんとやれそうな気がしてさ」
そう言って、照れ隠しのように笑った綾斗の声は、どこか震えていた。
名前は、一瞬だけ黙った。
それから、静かに一歩、綾斗に近づいた。
そして――まっすぐにその目を見て、口を開いた。
「……綾斗」
優しく。
けれど、確かに届くように。
綾斗は目を見開き、そして、泣きそうな顔で微かに笑った。
「……うん。ありがとう。行ける気がする」
名前は頷いた。
そして、二人は同時に――夜の帳へと、足を踏み出した。
「あ、でもほんと援護お願いシマス」
「………」