雨虎(あめふらし)



 大学のサークル活動で出会い、紆余曲折あって恋人になり、同棲に至る。そう珍しくもない人生を経た男、凌統は、窓の外を睨み付けていた。ぼたぼた不快な音を立てて降りしきる雨は、もう一週間以上続いている。大学時代を過ごした地方でももちろん梅雨はあったが、首都圏の不快感はその比ではなかった。常にじめっとした空気が纏わりついて息苦しく、ようやく伸びて結い上げられるようになった髪はまとまりが悪い。何より、登山などのアウトドアを好む人間にとっては、計画が中止になることが痛手であった。
「ふぁ……お前、早えな」
「外、駄目だな。やむ気配がないね。山は中止」
 リビングの窓近くにいた凌統は、欠伸をしながら腹を掻いてやって来る男を流し見た。野郎を恋人にするとは、と未だに一日一回は思っているが、既に引き返せない程この男に惚れているのだから諦めるほかない。下着一枚で気怠そうにガラス越しの暗い空を見上げる甘寧を直視しないように努めた。とにかく凌統はこの男の外見に弱い。一度たりとも口にしたことはないが、鍛え上げられた肢体に気を抜くと見惚れてしまうことがある。
「あー、そうみてえだな」
「せっかく流星群も拝める予定だったのに」
「そういやそんな予報もあったな」
 気の抜けた返事を聞いた凌統の眉間に深い皺が刻まれた。甘寧が無事に就職し、同棲を果たしてからは、気軽にアクティビティを共にしてきた。わざわざ伝えてはいないが、毎度楽しみにしてきたし、中止になるとひどくつまらない。休みの日ならではの外出が潰れるのは凌統にとってショックが大きいというのに、甘寧は何でもないことらしい。それが気に食わなかった。
「……あんたにとってはそんなもんか」
「あ? なんか言ったか」
「別に何も」
 唇を尖らせながら、凌統は乱暴にソファに腰掛けた。社会人も二年目になったが、休日の予定が中止になった程度でむくれる自分のみっともなさが嫌で、項を擽る己の毛先にすら苛々していた。
「なーに拗ねてんだよ」
「だから、別に何でもないっつの」
「雨天中止にだだ捏ねてんのか?」
 甘寧がソファの後ろから凌統の肩を抱いてくる。
「独り言がでかすぎるだろ。離れろっての」
 凌統が後ろに腕を振ると、あっさり距離ができた。振り向いて誘い文句でもかませば、きっと甘い空気にできただろうが、先ほどの勝手な寂しさが尾を引いていた。
 奮発して折半で買ったテレビの電源を付け、動画配信サービスを起動して映画のラインナップを眺める。後輩である陸遜から薦められたタイトルは、思い出せそうになかった。
 適当にボタンを連打する凌統の前に甘寧が立ち、片腕をソファに付けて覆い被さる。画面が全く見えない状況で、凌統はリモコンの操作をやめず、甘寧とも目を合わせない。
「つれねえなあ、凌統」
「うるさい、退け。見えない」
「ったく、手に負えねえ野郎だぜ」
「負わなくて結構。好きに出て行きなよ」
 元々考え方の相反する二人だ。喧嘩になることも殺伐とした空気になることも多い。楽しみにしていた休日を重苦しいスタートにしたことで、どんどん息苦しさが増していた。わざとらしくため息を吐かれ、凌統の胸中にずっしりと重いモヤが広がる。
 殴ってでも距離を取ろうとした凌統だったが、不意打ちを食らって口付けられた。経験したことのない軽さで唇同士が触れ合い、むず痒さに口元を掻きむしりたくなった。
 思わず甘寧を睨み付ける。視線が絡むと、再度優しく口付けられた。宥めるようなタッチに容易に騙される己が憎らしい。凌統は拳を握って悔しさを滲ませた。
「焦んなよ。こん先、山も星も、うんざりするほど味わえるだろ」
 厳つい顔をしたがさつな男のくせに、意外と丁寧な慰めまで似合う。大学卒業後、社会経験を積んでから、ますます手ごわくなった。凌統はもう唇を尖らせ続けることでしか反抗できない。
「雨降りゃ一日台無し、なんてつまんねえよ。駅前のメガ盛り行かねえ?」
 凌統の築いた堤防など無意味とでも言うように、甘寧はあっさり乗り越えて来る。不愛想な面も突飛な提案で崩れていった。
「はあ?」
「この間職場で教えてもらったんだよ。すげえらしいぜ、大人のおこさまランチ。ハンバーグ、エビフライ、からあげ、オムライス、全部メガ盛り」
 真剣な表情で羅列したのち、からっと笑って甘寧が再度誘ってくる。
 ――あーぁ、今日も敵わない。
 凌統が素直に敗北を察して認めた。
「なんだいそれ。そんなの、挑戦するしかないっつの」
「だろぉ? 朝飯抜いてガチ勝負な」
「負ける気しないぜ」
「おうおう、言ったな?」
「食った後、ゲーセンはどうだい」
「クレーンゲーム十回勝負と行こうぜ」
 ガッツポーズで拳や腕同士をぶつけると笑いが込み上げてくる。結局甘寧の勢いに飲まれてばかりだが、この流れすら心地良いとわざわざ伝えなくても、甘寧には気付かれているのだろう。それが可笑しかった。
「たくさん食うってんなら、まず運動と行きますか」
「腹筋対決か?」
「甘いね、背筋スクワット込みのフルコース対決だっつの」
「おっしゃ、行くぜ!」
 流星群ばりに降り注ぐ甘寧との興に、凌統のモヤはいつの間にか消え去っていた。

【了】


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