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あっという間に夕方となった。呂蒙によると日頃の合宿では鍋物などを調理することが多いとのことだった。しかし今日は何と言っても車で来たOBがいる。午後15時、川下りの片づけを終えてキャンプ地にやってきた一行は火起こし真っ最中のバーベキューコンロに歓喜した。
「新歓合宿だからな。OB会費からも援助して、大量の肉を用意した」
「ハシャいじまおうぜ!」
「周瑜さま格好いい~!」
「孫策様も、お仕事明けのお疲れのところ、ありがとうございます」
嫁たちが口々に夫を褒め称えている。午後から姉妹二人は川を下らず、夫に付き添って買い出しやら下準備をしてくれていたようだ。他の部員同様目を輝かせていた新入生の前に孫策と周瑜が立つ。
「お前ら、よく孫呉に入ってくれた!歓迎するぜえ!」
「二人とも、良い飛び込みだった。期待しているぞ」
「はい!よろしくお願いいたします!」
「大喬殿小喬殿にはお世話になっております」
「おう!大喬も不慣れな新人担当だから加減してやってくれ!」
「小喬もだ。決して頼り過ぎないよう励んでくれ」
両者とも優しい顔つきだが、奥方のことを語るとほんの少し圧がある。陸遜も朱然もうっすらそれを感じ取った。特に朱然は、行きの車で粗相がなくてよかったと内心胸を撫で下ろす。
「新人ふたりには、お仕事があるよ~」
「こちらのお鍋で、ご飯を炊いていただきます」
釘を刺された直後である。二人は二喬の言う事を実によく聞き、米炊きをマスターした。
***
楽しいバーべキューを終え、銭湯での入浴を終えた一行はテント決めを行っていた。女性陣は専用テントがあるが、孫策と周瑜は近場の宿を抑えており二喬がそちらへ行ったため、女子テントは孫尚香と練師の楽しげな声だけとなっていた。
一方男子テントは全く決められていないようで、新入生二人はとりあえず先輩らの動向を待った。まだあまり感じていないが、少しは年功序列があるはずだ。案の定、太史慈や呂蒙といった院生が先に寝床を決めていた。呂蒙は甘寧だけはうるさいので同室になりたくないと言っている。
「けっ、野郎なんかどいつもこいつもうるせえし邪魔だろ。変わんねえよ」
「俺もあんただけは絶対一緒になりたくない。陸遜、一緒に呂蒙さんとこで寝ようぜ」
「えっ、俺は」
「朱然。俺はあんたのこと骨のある奴だと思ってる。大丈夫、丁奉もいるから任せなって」
「凌統殿、薫風の如き爽やかな顔で丸投げですか。某も甘寧殿のいびきがモーツァルトとは思い難く、遠慮したいのですが」
「マジでお前ら消すぞ」
「厨二かっつーの」
諸先輩らがわいわい盛り上がっているのをよそに、陸遜は呂蒙との同室権を得たことに舞い上がっていた。恋愛においては同性だからこそ高いハードルもあるが、かえって低い行為もある。寝食を共にすることが容易な点に深く感謝した。テントにシュラフを入れていると、呂蒙が陸遜を手で呼ぶ。
「陸遜、ちょっと抜け出すか」
他の誰もいないのにバリトンボイスで耳打ちされて、頷く以外の選択肢はなかった。
誘導されて着いた先には小さな焚き火台と薪の入った缶が置いてあった。聞くと、皆でテントを設営していたときに呂蒙がこっそり仕込んだのだという。焚きつけに着火し、アルミ素材のレジャーシートを敷いた呂蒙が、更に缶を二本取り出した。小さいリュックがまるで魔法のポケットのようだ。
「用意周到ですね」
「ははは。あのうるさい連中からお前を引き剥がすことばかり考えたぞ」
そう言って渡してくれた飲料は思いの外冷たくて落としそうになった。呂蒙は心優しい大らかな人である。期待し過ぎてはならない、と陸遜は自身に言い聞かせるが、鼓動の音が大きくてうまく入らなかった。呂蒙がアルミ缶の蓋を開け、乾杯のように差し出してくる。陸遜もプルタブを捻り、缶を差し出した。
「乾杯。ようやく果たせたな」
炎に照らされた呂蒙の顔は、とても嬉しそうだった。穏やかに目尻を下げて真っ直ぐに陸遜を見ている。胸がきゅっと締め付けられて少し苦しい。
「はい……心待ちに、しておりました」
行きの車で出た言葉とそっくり同じだということには気がつかなかった。些事を気にしている余裕はない。別荘で夜を共にしたあの日からずっと、陸遜は呂蒙と杯を合わせることを願ってきたのだ。こっそりと準備をして、陸遜だけを呼び出してくれた意図は何だろうか。もしかすると呂蒙も、自分との乾杯を楽しみにしてくれていたのだろうか。自惚れと自制の天秤が揺れる。
「まあ、俺に用意できたのがスーパーの飲料で悪いが、ノンアルの中ではおすすめだ」
缶をぶつけたというのに一口も含んでいないことに気付き、頭を下げた。その後、ぐいっとあおる。喉を刺激する炭酸が、泣いてしまいそうな程強烈だった。
「す、ごいです。炭酸が、けほっ」
「ああ、すまない、強かったか?!」
「いえ、すみません、私が急に飲み込みすぎまして、げほっ」
とんとんと背中を叩いてくれる。呂蒙は陸遜に触れるのをためらわない。嬉しい気もするし、他の人にも同様なのだろうか、と余計な詮索がよぎりもした。むせ終わってから、陸遜は邪推を笑い飛ばした。初めは笑うふりだったが、次第に本当に可笑しくなってくる。呂蒙も目を細めて笑ってくれた。
「ははっ、す、すみません。呂蒙殿の前では格好悪いところばかりで、なんだか笑えてきました」
「はははっ、そうだな、しっかりしてそうな陸遜の意外と抜けたところが見れるのは、嬉しいものだぞ」
「案外いじわるですね。けほっ、まだ、残ってる」
「わははは、いかん、笑うとビールが零れる。やめてくれ」
「もう。わざとじゃありませんよ。……んんっ」
わざとらしい咳払いにも呂蒙は天を仰いで笑っている。大口を開けた豪快な笑顔に、先ほど締め付けられた胸が温かく拍動する。今度はゆっくり缶を傾けるとオレンジとミントの風味が炭酸と混じり合い、口の中で弾けていった。人工的なべっとりした甘さが美味に感じた。
「とても美味しいです。ありがとうございます」
「お前がアルコールも飲める日を楽しみにしているぞ」
「はい。色々教えてください。お酒のことも、部活のことも、呂蒙殿のことも」
列挙すれば自然かと思ったが、どうしても名を呼ぶときに力が入ってしまう。気恥ずかしさを誤魔化すためにまた一口飲み込んだ。酸味と炭酸がとてもよく合っている。分析をしていると、頭に熱が乗った。呂蒙がまた頭を撫でてくれる。慈しみすら感じる程の優しい感触を、どうしても独り占めしたい。陸遜の強い想いが反映したように、ぱちっと音を立てて薪が爆ぜた。
「俺のことなど、いつでも教えてやろう。時間はたっぷりある」
「……はい」
「部活のこともだ。お前は可愛がられるだろうから困らんだろうが」
呂蒙の言葉は中途半端に止まったように思えた。焚き火から視線を呂蒙に向け直す。
「できることなら、あいつらに頼る前に、俺を頼ってほしい」
「しかしながら、呂蒙殿はご多忙ですよね」
「ううむ。何と言ったらいいか」
呂蒙が忙しなく頭をかき、顎髭を撫ぜる。ビールを一口飲んで、しっかりした眼差しを向けてきた。
「どんなに忙しくとも、お前には……陸遜には、俺が教えてやりたいんだ」
名指しされてぞくぞくと全身に痺れが走った。自制の釘が吹き飛ばされてしまう。こんなに強くそう言われて、期待しない人間はいないだろう。陸遜はそう決めつけて、了承の返事をした。呂蒙のそれが恋愛感情とまでは思わないが、少し特別な存在である自信がついた。特別な後輩、今はそのポジションがひどく嬉しい。
「それでは、遠慮なく頼らせていただきます。よろしくお願いいたします、呂蒙殿」
「こちらこそよろしくな」
どちらからともなくまた触れ合わせた缶が、鈍い音を立てた。
呂蒙が指さした上空には星空が広がっている。キャンプ地は強い灯りがない。美しさにため息を吐きながら、二人はぽつぽつと言葉を交わしていった。
二人が戻ったのは22時過ぎで、陸遜の予想に反し全員がテントに引っ込んでいた。夜通し移動していたこともあり、皆就寝も早かったようだ。声を潜めてジッパーを開け、忍ぶように中へ入る。凌統と徐盛が背を向け合って横になっていた。必然的に呂蒙とまた隣になることが出来て、眠れるだろうかと不安になる陸遜だった。
***
朝がやってきた。陸遜の不安をよそに、疲れていた体はすぐ熟睡態勢になったようで、はっと気づいた時には小さくかけていたアラームが鳴っていた。朝はまた米炊きの仕事が待っている。昨日二喬に教わった技術を、今度は朱然と二人で披露するのである。
テント内を起こさないように慎重に抜け出し、早朝の空気を肺に入れた。荷物のあるタープには既に人影がある。朱然と甘寧の二人だった。
「おはようございます。早いですね」
「おう、眠れたか?」
「ぐっすりです」
「陸遜、俺もだ」
「アラームで中の方々を起こしてしまわないか、ひやひやしました」
米の準備をしながら喋る。喉を揺らして甘寧が低く笑った。
「徐盛は知らねえけど、おっさんも凌統もそうそう起きねえよ。蹴ってみ?」
「絶対できませんよ、そんなこと」
「俺一回凌統にやったことあるぜ。起きねえんだこれが。けど何でか後でバレて、すっげえキレられた」
「甘寧殿にとって、凌統殿って一つ先輩ですよね?よくそのような不敬が出来ますね」
「あいつに尊敬なんざまずねえよ。俺にだけぐちぐち言ってきやがる」
険悪な発言ばかりだが、甘寧の表情はどこか楽しそうである。陸遜には分からない二人の仲だ。そこまで興味が湧かなかったので、それ以上反応せず米に集中した。ぽこぽこと沸騰の音がしてきたら、火力を落とす。朱然もそわそわしながら火を見つめていた。甘寧がまだ元気な炎に煙草の先を突っ込み、火を移して口へ持っていく。甘寧の目は、呂蒙や凌統のいるテントに向いていた。
無事に芯のないつやつやの米を炊き上げた二人は、ぞくぞくと起きてきた部員に朝食を振る舞った。簡素なフリーズドライの味噌汁もある。たったそれだけの食事が新鮮で美味しかった。ほとんどの部員が朝食にありつく中、陸遜は凌統がまだ起きていないことに気が付いた。遠慮なく男性部員がお代わりをするので、鍋の中身は減りつつある。起こすべきかと腰を浮かせようとした時に、隣の甘寧が立ち上がった。陸遜を見てニヤニヤしている。思わず眉間に皺を寄せていると、甘寧はまっすぐ陸遜たちのいたテントに向かって行った。
中に入って一分も経たないうちに、悲鳴と怒声が聞こえてくる。甘寧が大笑いしながら出てきた。逃げるように陸遜の隣に戻って来る。
「甘寧殿……蹴ったんですか?」
「ひゃーはっはっはっは!あいつやべえ、垂れ目をよぉ、こーんなに吊り上げて、キレてやがる」
「お前なぁ。凌統に怒られたくてやってるのか?」
「あんたの見たことねえ顔してたぜ、太史慈さんよ」
凌統は太史慈に懐いている。確かに怒る顔を見ることは余りなさそうだ。しかし誰だって怒った顔をわざわざ見たいとは思わない。甘寧の満足そうな爆笑は誰一人共感できなかった。髪を結い上げながら凌統がやってくる。甘寧とは一番遠い席だ。むっつりと顔を顰めながら朝食についている。
「凌統殿、怒ってますよ」
「見ごたえあるだろ?澄ました顔、ムカつくからな」
「理解できません」
凌統は隣の呂蒙に肩を叩かれ、宥められているようだった。たったそれだけなのに、陸遜はどうしても妬けた。体内の歪な炎が熱い。
「あなた方の仲が悪かろうと良かろうと、私が言えた立場ではありません。ですが、呂蒙殿にご心労かけるのだけは、ご遠慮願います」
「おっさんの嫁かよ」
甘寧が呆れたようにツッコミを入れたが、そのような存在になりたがっている陸遜は嫉妬の炎が少し落ち着くのを感じた。意外と単純である。
呂蒙を見ると、とうに凌統から手を離していて、何やら会話をしていた。昨晩の穏やかな笑みと比べると、特別な感情はなさそうだった。呂蒙の反応について、誰かと自分とを比べてしまう。その後ろめたさを、冷めてきた食事と共に飲み込んだ。
一行は合宿を無事成功させ、帰途に着いた。帰りは呂蒙と同じ車に乗れなかったが、意外なところで周泰と音楽の趣味が合うことが分かった。互いの好きなアーティストをかけながら話すのが楽しかった。陸遜がふと振り返ると、後部座席で孫権と練師が肩を寄せ合って眠っている。
「周泰殿、直球な質問なのですが、部内恋愛が多いのでしょうか」
「……多い……。だが、皆活動は真剣だ……」
公私混同がないということだろうか、と解析していると、周泰が続けてくれる。
「……活動では……テントを共にしたり……接触したりする……。それで怒る者はいない……」
「ああ、なるほど。今回は男女別でしたけど、少人数登山なんかはそうですよね。そうか、そうですよね。活動中は、色々、接することがありますよね」
陸遜は己に置き換えて考えていた。呂蒙が誰かに触れてしまうとしても当然仕方のないことだ。そして、活動さえ一緒に出来れば、自分が呂蒙に触れることも容易である。
「よく分かりました!活動が楽しみです」
「……寝取りは……斬る……」
「えっ!?まさかそんなこと、神に誓ってしませんよ」
「……ならいい……。孫権様は困らせるな」
物騒な言葉に慌てて弁解するとすぐに見えない刃が収められた。まだ部内の人間関係を把握できているわけではないが、周泰の言葉から思い返してみると、よく孫権の傍にいる。なにか強い結びつきがあるのだろうと納得した。
「孫呉はいいところですね」
「……ああ……」
「精一杯頑張ります」
「……励め……」
言葉少ない周泰の励ましが、なお一層陸遜のやる気を掻き立てていた。
【#2 新歓合宿】
〇ある二組の夫婦
「えへへ、帰りは周瑜さまと一緒に乗れて嬉しいな~!」
「すまなかった、日曜着と伝えていたが、思いの外仕事が片付いてな」
「大喬も、夜中のドライブキツかっただろ、悪かったなぁ」
「そんな……!予定より早くお会い出来て嬉しいです」
四人は高級車に乗っていた。周瑜の私物である。残る部活メンバーで3台を回せるか確認し、問題がなさそうだったので妻らを乗せて帰ることとなった。周瑜も孫策も孫呉に6年在籍し、活動してきた。ひょんなことから妻たちが後輩となり、野蛮な連中だらけで初めは心配したものだが、互いの妻を守るよう、よくよく言い聞かせた甲斐あって無事楽しく活動できているようだ。前部長である孫策は太史慈がいるなら問題ないと確信していたし、周瑜は呂蒙を高く評価していた。まだまだ後輩だと思っていた二人が、今や院生なのだから時の流れとは恐ろしいものだ。
「入ってくれた陸遜も朱然も、とーってもいい感じだよね」
「私たちのことも、よく聞いてくれますし、頑張り屋さんです」
「そうか。それは良かった。次代が賑わってくれるのは嬉しいことだな、孫策」
「ああ。けどよーやっぱ新歓合宿見てると、俺もガッツリやりたくなるぜ!」
「ふふ。6月の総会があるだろう」
「あ~!そっかあ、6月、周瑜さまと、みんなと、合宿だね!」
「OB総会、そんな時期なんですね。楽しみです」
後ろの座席で花のような笑顔を振りまく妻らを見て、夫たちは赤信号で目を見合わせた。――多分、OB総会を単純に楽しいものと考えているのは、妻たちだけだ。
「そういえば、魯粛がやけに笑顔で合宿計画を持ってきたな」
「あいつ、一番OBになっちゃいけない人種なんじゃねえか?」
「黄蓋殿が引いていたくらいだからな……まあ、新人二人には、良い試練となろう」
「そうだな」
高級車はエンジン音を立てず、流れるように道路を走っていった。