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4 夏休み
「へへ、乾杯!」
「ようこそ陸遜。くつろいでって」
「大したもてなしはできねえが……痛って!」
「あんたん家じゃねえんだよ威張るなっつの!」
喧嘩勃発。いつもの光景を前に、陸遜はグラスがかち合わないのを察して早々と飲み始めた。来る夏休みに思いを馳せながら。
6月のOB総会をなんとか成功させた孫呉一行は、現役生の絆をより深め活動を続けていた。2~3年を中心に、陸遜と朱然を山や沢に連れて行き、日頃のトレーニングにも付き合ってくれた。その中には呂蒙や凌統はいなかった。学業や就活が多忙を極めていたからだ。
陸遜も前期試験が終わるまでは、勉学も部活も気が抜けず、過密な日々を過ごしていた。ただ、呂蒙に会えずとも密かにメッセージのやり取りは続けていた。夏休みにどこかへ行こうと呂蒙から言ってくれたことが嬉しく、宙に浮いたような気持ちが続く。
試験最終日、明日からいよいよ夏休みと言う時に、凌統が宅飲みしよう、と声を掛けてくれた。久々に会えることもあって喜んで参加の返事をした陸遜はあれこれと手土産を揃えて凌統宅に赴いていた。
さぞ賑やかだろうと思っていたので、陸遜は目を丸くした。先にいたのは甘寧だけだったからだ。凌統に聞くと太史慈にも呂蒙にも振られ、朱然は急遽孫権に連れられていったのだという。丁奉は一日早く試験を終えていたため、少しの間実家に顔を出すらしい。少ないメンバーだが、陸遜は二人に懐いている。あまり酷い喧嘩にならないことを祈りながら微炭酸のノンアルコールを飲み込んだ。
「しっかし残念だね。もっと集まるかと思ったのに」
「お前の人望がないんじゃねえの」
「そっくりそのまま返すよ。バーコン流れたんだって?可哀想だからここでお祝いしてやるって、ほら」
「あっちぃ!!食えるかこんなもん!」
コントか何かだろうか。陸遜はいつも二人の言い合いを前に首を傾げている。
凌統が用意したホットプレートのたこ焼きは、売り物かと思うほど綺麗な球体に仕上がっていた。陸遜の器には特に綺麗なものをよそって渡してくれる一方、皮肉な口上で甘寧の口元にあーんするやり取りは夫婦漫才以外の何物でもない。とりあえず無視して疑問を投げかける。
「バーコン、って何ですか?」
「バースデーコンパ。要は飲み会だよ。こいつ一昨日誕生日だったから」
「えっ、そうでしたか。おめでとうございます。メール、見落としてしまったかもしれません」
「分かった、丁奉だ、あいつが悪ぃ」
丁奉の名が出て陸遜はメールを遡った。試験期間真っ只中の7月末に一通来ている。中身を読み返してみると、『我らの要の 爆誕を 皆で喜びましょう』とあった。
「……丁奉殿なりの、試験の励ましか何かかと思っていました……」
「ほらな。訳分かんねえメール送っといて、次の日に『残念ながら集まらなかった』とかキリっと言ってきやがる。おかしいだろあいつ」
試験勉強に没頭していたので、詳細の確認を怠ってしまっていた。まさか世話になっている先輩の誕生祝いに手を挙げなかったとは、と少し後悔した。陸遜の手元のスマートフォンを覗き込んだ凌統が笑っている。
「結局二人でやったのかい?」
「野郎共も呼んで暴れた」
「ああ、あのおっかないチンピラ集団ね……いつの間に丁奉が知り合ってんの」
「気付いたら意気投合してた。たまに周泰も来るぜ」
「近寄りがた過ぎるだろ」
近寄りがたいといえば、陸遜が入部した日も孫呉に対して同様の感想を抱いていた。強面屈強長身の男達と、華やかだが一癖ありそうな女性たち。異世界だと思っていた部活動に今やすっかり馴染んできている。
「私もご一緒したかったです」
「あんた勇気あんなぁ。俺は金積まれても嫌だ」
「陸遜、お前可愛いなぁ。おう、飲め食えデカくなれ」
「無理強いしたら呂蒙さんにチクるぜ」
「とっくに釘差されてんだよ」
甘寧が見せた端末の画面を見て凌統がまた笑った。きっと呂蒙が甘寧に送ったメールを見ているのだろう。個別連絡は陸遜だって取れるようになった。今更些細なことで嫉妬などは生まれない。胸を張ってグラスを傾ける。
甲斐甲斐しくたこ焼きを生成していた凌統が口を開いた。
「陸遜って、呂蒙さん狙いでしょ。なんつーか、そういう意味で」
むせた。陸遜は勢いよくむせた。微炭酸が気道に入りかけてとても苦しい。呂蒙と焚き火を囲った新歓合宿でも、このようなことがあった。何度か咳き込んでようやく呼吸できるようになる。涙目のまま二人を見上げると、同じような含みのある笑顔を浮かべていた。こういう時ばかり気が合う二人だ。
「狙い、というのは、失礼ではありませんか……」
「なんだっけ、恩人?一目惚れしてここまで追って来たのかい?健気だねえ」
「行動力が尋常じゃねえ。結果孫呉向きだよな。おっさんも上手いこと釣ってきたもんだぜ」
バン、と大きな音を立てて陸遜が立ち上がった。睨みつける眼光は鋭く、先輩二人も思わず崩れていた姿勢が直る程だ。
「私のことはどうでも良いのですが、呂蒙殿を貶すようなことを申しましたらただでは済みませんよ」
特段貶したつもりもなかった甘寧が、降参とばかりに手を挙げ頷く。
陸遜は仕方なく許して座り直した。ふうと出てもいない汗を拭ってから、少し冷めて食べやすくなったたこ焼きを頬張る。家でたこ焼きを食べたことのない陸遜は、大学に入ってタコパという存在を知ってからいたく気に入っていた。朱然と二人でトライしてみたことがあるが、外は黒く中は半生のものが出来て肩を落としたものだ。それに比べて、凌統は巧みな手つきで形も焼き加減も完璧だった。カリカリとろとろの球体を次々味わっていく。
先輩二人は新人の堂々とした姿に圧倒されるばかりだ。
「俺らにはこんなに強いのに。ねえ」
「なあ。おっさんの前じゃ小鹿みてえだぜ」
凌統が空いたプレートの穴を拭き、油を広げて第二陣の生地を流し込む。肘でどつかれた甘寧が具材を入れ、その上から凌統がまた生地を流す。いつも喧嘩ばかりだが、動きは合っているように陸遜は思えた。
「私も早く、お二人のように仲良くなりたいものです」
言い切ると「誰がこいつと!」と声を揃えて怒っている。そういうところです、と声に出さず、ノンアルコールのグラスを空にした。空のグラスに気付いた凌統がすぐにドリンクを聞いてくれる。炭酸水に加え、様々な味のジュースやシロップが取り揃えられていて宅飲みにしては充実していた。全て凌統が集めたものだ。
「凌統殿って隙がないですよね。私も居酒屋でアルバイトしたら、そのようになれますか?」
「褒められてる?だったら嬉しいね。陸遜も卒なくこなせそうだけど、塾講師とかの方が合ってんじゃないの?」
「つか、こいつは結構隙だらけだろ。こういうのはバイトで慣れてるだけ……ってぇ!蹴んなよ!」
「おっと。脚が長いもんで」
相変わらずじゃれ合う二人を前に、陸遜は次のドリンクを手作りしてみた。凌統を真似て混ぜてみたが、出来上がった液体は泥色で味もいまいちであった。
「飲み比べすっぞ!」
「言っとくけど、就活終わって調子いいんでね。後悔すんのはあんただぜ」
何気なく出たワードに陸遜はすぐ反応した。ぱっと顔を上げて長身の先輩を見る。目が合うと緩やかに笑んでくれた。
「凌統殿、就職が決まったのですか。おめでとうございます!」
「ありがとさん。やーっと解放されたよ。これで夏合宿行き放題ってね」
「へっ。内々定だろ。口悪すぎて取り消されんじゃねえの?」
すぐさま噛みついてくる甘寧に、陸遜はふと違和感を覚えた。いつも突っかかり合っているが、ことさらトーンが低く聞こえる。
「ご心配どうも。インターン先の部長に気に入られちまってね、円満内定だよ」
「本性がばれてねえだけだな。そいつに助言してやっから連絡先寄越せ」
「あんた、俺の就活に度々食って掛かるの何なんだよ。もしかして寂しいのかい、甘寧ちゃん?」
「ガチでうぜえ。おら飲め!」
「はい乾杯」
二人が同時にグラスを傾ける。安価な甲類焼酎をスポーツドリンクで割ったものだ。酒が飲めるようになっても絶対に真似するべからずと方々から言われているが、孫呉では手っ取り早く酔えるので諸先輩らがよく飲んでいた。凌統の家には選り取り見取りの酒があるにも関わらず、甘寧とは安酒を飲む当たり嫌味が徹底している。
陸遜は凌統の指摘が当たっているような気がしていた。甘寧は凌統の就活の話題が出る度に機嫌を損ねているように見える。これだけ砕けて言い合える相手がいなくなるのは寂しいのかもしれない。
甘寧はやけになったかのようなペースで飲んであっという間に潰れた。凌統は引き続きたこ焼きの世話をしながらスマートに飲み続けている。甘寧が潰れてからは、いい酒に切り替えたようだ。
「ううん、やはり私から見ると凌統殿は隙がありません。格好いいです」
「お褒め頂き光栄だ。惚れてくれる?」
「それはないですね!」
「即答かっつの」
苦笑いした凌統が一度キッチンに引っ込んだ。といってもほぼワンルームなのでリビングにくっついていてすぐそこにいる。冷蔵庫を開けて、今度は冷たいつまみをいくつか持ってきてくれる。陸遜が礼を言ってそれらに手を伸ばした。実家に居続けていては得られなかった時間や生活がとても充実して感じる。
「呂蒙さんのどんなとこに惚れたんだい?」
先ほど話題が流れ安心していた陸遜は不意を突かれてまた少しむせた。凌統は涼しい顔で陸遜を見ているが、からかっている空気はない。言葉に迷いながら尋ねる。
「その前に、その、お嫌な気持ちにはなりませんか?」
「え?うちは部内恋愛緩いぜ。活動は真剣にやってもらわなきゃ困るけど」
凌統のあっさりした回答に陸遜は安堵した。同性云々に偏見がないらしい。頼ってもよいのであれば、これ以上ない味方のような気がした。
「改めてどこ、と考えると難しいですね」
「頼りがいあるとこ?」
「もちろんです。あとは温かい目ですとか、体格も、優しい声も、全部なんです。雰囲気とか、お話の仕方とか、考え方とか」
「分かった分かった、もういいって。すごいね、ベタ惚れだ。俺が照れちまうっつの」
「すみません、つい」
「いや、聞いたの俺なのに、なんかごめん」
凌統の頬が少し赤い。陸遜も顔が熱かった。酒を飲んだわけでもないのに、動悸がしてきて落ち着かない。呂蒙を好いていることを口に出したのが初めてだからかと少しして気が付いた。いわゆる恋バナは人生初だ。エアコンの利いた室内なのにじんわり汗が滲んでくる。
「ま、応援するよ」
「はい。ご迷惑にならない程度に、頑張ります」
「迷惑なんてことないって。呂蒙さんには恋人もいないし、狙ってる奴はあんただけだ」
「そこは、気になっていました。自分なりにリサーチしては来ましたが……真ですか?」
「多分。こいつが言うには」
凌統が伏せった甘寧を指さす。甘寧は呂蒙と仲が良い。研究室も同じで、過ごす時間は多いだろう。その甘寧が言うのだから、呂蒙に特定の相手はいなさそうだ。思わず顔が綻ぶ。
「かーわいいねえ。イケメンだし、引く手数多だろうに。呂蒙さんかぁ。ま、格好いいのは分かるけどね」
「これまで、誰かを好いたことはありませんでした。とても不思議な状態です。呂蒙殿を前にすると、冷静でいられなくなります。ですから、小鹿、と言われても反論できません」
「こいつの悪口真に受けてたら潰れちまうよ。殊勝で可愛いって意味だから、気にしなさんな」
凌統は皮肉屋と言われるが、陸遜からすると人情を感じた。後輩相手というのもあるだろうが、フォローしてくれることも多い。ふとそんな凌統のプライベートも気になった。様子を伺いながら言葉にしていく。
「凌統殿は、すごくモテますよね」
「そう?あんたみたいな正統派には負けると思うけど」
「私なんてそんな。正直なところ呂蒙殿以外眼中になく、恐らく『ナシ』と認識されています。特に、クラスのメンバーからの視線がなくなりました」
回答に対して凌統が笑う。端整な顔を遠慮なく崩して笑ってくれると、陸遜も嬉しくなった。友人とも家族とも違う先輩との距離感。凌統の人柄あってこそのそれに内心深く感謝した。
「あの、不躾ながら、凌統殿は特定のお相手は作らないのでしょうか」
「興味ないっつったら嘘になるけど、今はいいかな。つまんない話だけど、聞いていくかい?」
煽るように眉を上げる凌統に、陸遜が頭を下げた。凌統に関しては活動も人間性も尊敬している。一歩踏み込んだ話を聞いてもよいのでれば、知りたかった。凌統は改めて二人分のドリンクを作り、ホットプレートのスイッチを切ってからゆっくり言葉を紡ぎ出す。
「俺、高校の後輩と付き合ってたんだけど、ひどく言うとメンヘラみたいになってね。あれには参ったよ」
「時々聞きますけど、どういう感じなんでしょうか……?」
学問に夢中で世俗の単語には疎い。聞き覚えがあっても説明できる程の理解がなかった。
「メッセージは即レスしないと鬼電が来るし、一日でも一緒に帰れなかったら病むし、女のアドレスは全消しされた。親戚の姉ちゃんと会ってたらカッターまで出しちゃうし」
陸遜から見た凌統は、甘寧以外には優しく心が広い。付き合いも良さそうに思えるし、恋人は大事にしそうだ。そんな彼と付き合った人間が、どうしてそこまで猜疑心を抱いてしまうのか、陸遜には分からなかった。心理学の理解が浅い、と学問への意欲が燃える。
短い返事と頷きだけを表に出す陸遜を前に、凌統はグラスを揺らしながら淡々と話を続ける。
「結局家族ぐるみで話し合って別れたんだけど、俺も結構言われてさ。向こうの親からは娘を傷つけて最低とか、親からも気を付けなさいとか。ありゃほんとヘコんだよ。俺なりに彼女のことは大事にしてきたつもりだってのに」
壮絶な経験に対し凌統の語り口はあくまで軽やかで、過去を受け入れているのが伺い知れる。初恋に溺れている自分の青さが浮き彫りになるようだ。自分に同じことが起きたとして、このように強く在れるだろうか。想像もつかなかったので、その答えは出なかった。グラスをぐるぐる回して氷の音を立てていた凌統が、残りを一気にあおった。陸遜と目を合わせて、爽やかに微笑む。思わず陸遜の心臓も跳ねた。恐ろしく魅力的だった。
「……ま、そんなわけで、恋愛沙汰はしばらく遠慮。部の皆でガヤガヤやる方が性に合ってるしね」
「込み入ったことを聞いてしまって、すみません」
「いや、こういうの、飲み込んでた方が格好いいとか勘違いしてた。話したら軽くなったよ。聞いてくれてありがとな」
陸遜は以前、甘寧のようにはなれないと感じたことがある。OB総会での堂々たる立ち振る舞いの時だ。そして今、人間性では凌統に敵わないと感じた。ただ、どちらも目指す必要はない。陸遜は陸遜にしかできないことをやるだけだ。そう思わせてくれる、純粋に尊敬できる人間が何人もいる孫呉に入部できたことは、何度実感しても嬉しかった。
「難しいもんだ。思いやりってのは自分勝手らしい。自分が優しさのつもりでも、相手がどう思うかは分からない。態度だけじゃだめで、言葉ですり合わせんのが大事ってね」
「凌統殿、格好良すぎますよ」
「惚れちゃう?」
「やっぱりそれはありませんね」
「堅いねえ。ま、思ってるだけじゃ伝わらないぜ。頑張って言うこと言ってみなって」
「はい」
真っ直ぐな励ましが陸遜の背を押してくれる。そろそろ正面切って攻め入らなければならない。呂蒙への想いが勢いづいて燃え盛る。
凌統とはその後、違う話でも盛り上がって、気が付くと深夜0時をとうに超えていた。徒歩圏内に皆が集まる地方大生活ではよくあることだ。片付けすら断られてしまった陸遜が靴を履いて玄関に立つと、凌統も隣でサンダルを突っかけていた。
「送るぜ」
「えっ、そんな。いいですよ、片付けすら出来ていませんし」
「綺麗に飲み食いしてくれたから、片付けるもんなんかほぼないよ。いいから、酔い覚ましもしたいし、ね」
「ですが、甘寧殿はいいんですか?」
二人でリビングを覗き見る。うつ伏せだった寝姿は仰向けに変わっていたが、熟睡が続いていた。凌統が呆れたようにため息を吐く。
「あんなのどうでもいいって。起きりゃ帰るだろうし、帰ってもまだ寝てんなら追い出すから」
遠慮に対し引き下がる気配がないため、陸遜が折れた。礼を重ねて共に歩き出す。真夏の夜にしては湿気がなく、心地の良い風が体に当たった。隣で凌統が大きく伸びをして深呼吸している。
「結局サシ飲みみたいになっちまったね。気、遣わせたかい?」
「いえ、というか、こちらの台詞です。若輩に色々気を遣ってくださってありがとうございます」
「陸遜こそ、頭良くて顔良くて素直なんて隙がなさすぎるね」
夜空の下、街灯の控えめな明かりでも凌統の表情は見えた。機嫌が良さそうに口角を上げている。高い背の天辺で揺れるポニーテールに目を奪われる。一見女性のような髪型だが、上背のある凌統には良く似合っていた。後ろから見てもしっかりと男性の体格をしている。それに比べるとまだまだ肉付きの薄い陸遜は心配に見えるのかもしれない。
「不安にさせていらっしゃるかもしれないのですが、私も男ですし、いざとなれば結構戦えますよ」
凌統が笑う。分かってるよ、とすぐ同意が飛んできた。
「俺の勝手っていうより、ね」
濁して答えられると深堀りしたくなるのが陸遜だ。あえて何も喋らず、大きな目をただきらきらさせて凌統を凝視した。数秒続けると相手が降参する。陸遜がこれまで何度か使ってきたチワワ作戦である。
「俺から聞いたって言わないでくれよ。呂蒙さん、陸遜のことはだいぶ特別みたいだぜ。夜道を一人で歩かせるなとさ」
目を瞬かせる。予想していなかった話の流れだ。
「俺こそ生娘じゃあるまいしって断ったんだぜ。そしたらお前らはどうせマトモな時間に帰させんだろう、絶対送れ!だってさ。なんで俺まで怒られなきゃなんないんだっつーの。つうか甘寧と一緒にすんなって話」
凌統がぶつぶつ言うのを、陸遜は生返事で聞いていた。呂蒙の気配りのおかげで、傍にいなくてもいるような錯覚がする。胸がきゅっと苦しい。無性に会いたくなった。呂蒙の研究も陸遜の合宿も忙しく、出かける日までまだ少し遠い。電話を掛ければ声は聞けるが、目の前にいる幸福は何にも代えられないものだ。
凌統の愚痴を耳に入れながら、陸遜は来る日を待ち望んでいた。
「へへ、乾杯!」
「ようこそ陸遜。くつろいでって」
「大したもてなしはできねえが……痛って!」
「あんたん家じゃねえんだよ威張るなっつの!」
喧嘩勃発。いつもの光景を前に、陸遜はグラスがかち合わないのを察して早々と飲み始めた。来る夏休みに思いを馳せながら。
6月のOB総会をなんとか成功させた孫呉一行は、現役生の絆をより深め活動を続けていた。2~3年を中心に、陸遜と朱然を山や沢に連れて行き、日頃のトレーニングにも付き合ってくれた。その中には呂蒙や凌統はいなかった。学業や就活が多忙を極めていたからだ。
陸遜も前期試験が終わるまでは、勉学も部活も気が抜けず、過密な日々を過ごしていた。ただ、呂蒙に会えずとも密かにメッセージのやり取りは続けていた。夏休みにどこかへ行こうと呂蒙から言ってくれたことが嬉しく、宙に浮いたような気持ちが続く。
試験最終日、明日からいよいよ夏休みと言う時に、凌統が宅飲みしよう、と声を掛けてくれた。久々に会えることもあって喜んで参加の返事をした陸遜はあれこれと手土産を揃えて凌統宅に赴いていた。
さぞ賑やかだろうと思っていたので、陸遜は目を丸くした。先にいたのは甘寧だけだったからだ。凌統に聞くと太史慈にも呂蒙にも振られ、朱然は急遽孫権に連れられていったのだという。丁奉は一日早く試験を終えていたため、少しの間実家に顔を出すらしい。少ないメンバーだが、陸遜は二人に懐いている。あまり酷い喧嘩にならないことを祈りながら微炭酸のノンアルコールを飲み込んだ。
「しっかし残念だね。もっと集まるかと思ったのに」
「お前の人望がないんじゃねえの」
「そっくりそのまま返すよ。バーコン流れたんだって?可哀想だからここでお祝いしてやるって、ほら」
「あっちぃ!!食えるかこんなもん!」
コントか何かだろうか。陸遜はいつも二人の言い合いを前に首を傾げている。
凌統が用意したホットプレートのたこ焼きは、売り物かと思うほど綺麗な球体に仕上がっていた。陸遜の器には特に綺麗なものをよそって渡してくれる一方、皮肉な口上で甘寧の口元にあーんするやり取りは夫婦漫才以外の何物でもない。とりあえず無視して疑問を投げかける。
「バーコン、って何ですか?」
「バースデーコンパ。要は飲み会だよ。こいつ一昨日誕生日だったから」
「えっ、そうでしたか。おめでとうございます。メール、見落としてしまったかもしれません」
「分かった、丁奉だ、あいつが悪ぃ」
丁奉の名が出て陸遜はメールを遡った。試験期間真っ只中の7月末に一通来ている。中身を読み返してみると、『我らの要の 爆誕を 皆で喜びましょう』とあった。
「……丁奉殿なりの、試験の励ましか何かかと思っていました……」
「ほらな。訳分かんねえメール送っといて、次の日に『残念ながら集まらなかった』とかキリっと言ってきやがる。おかしいだろあいつ」
試験勉強に没頭していたので、詳細の確認を怠ってしまっていた。まさか世話になっている先輩の誕生祝いに手を挙げなかったとは、と少し後悔した。陸遜の手元のスマートフォンを覗き込んだ凌統が笑っている。
「結局二人でやったのかい?」
「野郎共も呼んで暴れた」
「ああ、あのおっかないチンピラ集団ね……いつの間に丁奉が知り合ってんの」
「気付いたら意気投合してた。たまに周泰も来るぜ」
「近寄りがた過ぎるだろ」
近寄りがたいといえば、陸遜が入部した日も孫呉に対して同様の感想を抱いていた。強面屈強長身の男達と、華やかだが一癖ありそうな女性たち。異世界だと思っていた部活動に今やすっかり馴染んできている。
「私もご一緒したかったです」
「あんた勇気あんなぁ。俺は金積まれても嫌だ」
「陸遜、お前可愛いなぁ。おう、飲め食えデカくなれ」
「無理強いしたら呂蒙さんにチクるぜ」
「とっくに釘差されてんだよ」
甘寧が見せた端末の画面を見て凌統がまた笑った。きっと呂蒙が甘寧に送ったメールを見ているのだろう。個別連絡は陸遜だって取れるようになった。今更些細なことで嫉妬などは生まれない。胸を張ってグラスを傾ける。
甲斐甲斐しくたこ焼きを生成していた凌統が口を開いた。
「陸遜って、呂蒙さん狙いでしょ。なんつーか、そういう意味で」
むせた。陸遜は勢いよくむせた。微炭酸が気道に入りかけてとても苦しい。呂蒙と焚き火を囲った新歓合宿でも、このようなことがあった。何度か咳き込んでようやく呼吸できるようになる。涙目のまま二人を見上げると、同じような含みのある笑顔を浮かべていた。こういう時ばかり気が合う二人だ。
「狙い、というのは、失礼ではありませんか……」
「なんだっけ、恩人?一目惚れしてここまで追って来たのかい?健気だねえ」
「行動力が尋常じゃねえ。結果孫呉向きだよな。おっさんも上手いこと釣ってきたもんだぜ」
バン、と大きな音を立てて陸遜が立ち上がった。睨みつける眼光は鋭く、先輩二人も思わず崩れていた姿勢が直る程だ。
「私のことはどうでも良いのですが、呂蒙殿を貶すようなことを申しましたらただでは済みませんよ」
特段貶したつもりもなかった甘寧が、降参とばかりに手を挙げ頷く。
陸遜は仕方なく許して座り直した。ふうと出てもいない汗を拭ってから、少し冷めて食べやすくなったたこ焼きを頬張る。家でたこ焼きを食べたことのない陸遜は、大学に入ってタコパという存在を知ってからいたく気に入っていた。朱然と二人でトライしてみたことがあるが、外は黒く中は半生のものが出来て肩を落としたものだ。それに比べて、凌統は巧みな手つきで形も焼き加減も完璧だった。カリカリとろとろの球体を次々味わっていく。
先輩二人は新人の堂々とした姿に圧倒されるばかりだ。
「俺らにはこんなに強いのに。ねえ」
「なあ。おっさんの前じゃ小鹿みてえだぜ」
凌統が空いたプレートの穴を拭き、油を広げて第二陣の生地を流し込む。肘でどつかれた甘寧が具材を入れ、その上から凌統がまた生地を流す。いつも喧嘩ばかりだが、動きは合っているように陸遜は思えた。
「私も早く、お二人のように仲良くなりたいものです」
言い切ると「誰がこいつと!」と声を揃えて怒っている。そういうところです、と声に出さず、ノンアルコールのグラスを空にした。空のグラスに気付いた凌統がすぐにドリンクを聞いてくれる。炭酸水に加え、様々な味のジュースやシロップが取り揃えられていて宅飲みにしては充実していた。全て凌統が集めたものだ。
「凌統殿って隙がないですよね。私も居酒屋でアルバイトしたら、そのようになれますか?」
「褒められてる?だったら嬉しいね。陸遜も卒なくこなせそうだけど、塾講師とかの方が合ってんじゃないの?」
「つか、こいつは結構隙だらけだろ。こういうのはバイトで慣れてるだけ……ってぇ!蹴んなよ!」
「おっと。脚が長いもんで」
相変わらずじゃれ合う二人を前に、陸遜は次のドリンクを手作りしてみた。凌統を真似て混ぜてみたが、出来上がった液体は泥色で味もいまいちであった。
「飲み比べすっぞ!」
「言っとくけど、就活終わって調子いいんでね。後悔すんのはあんただぜ」
何気なく出たワードに陸遜はすぐ反応した。ぱっと顔を上げて長身の先輩を見る。目が合うと緩やかに笑んでくれた。
「凌統殿、就職が決まったのですか。おめでとうございます!」
「ありがとさん。やーっと解放されたよ。これで夏合宿行き放題ってね」
「へっ。内々定だろ。口悪すぎて取り消されんじゃねえの?」
すぐさま噛みついてくる甘寧に、陸遜はふと違和感を覚えた。いつも突っかかり合っているが、ことさらトーンが低く聞こえる。
「ご心配どうも。インターン先の部長に気に入られちまってね、円満内定だよ」
「本性がばれてねえだけだな。そいつに助言してやっから連絡先寄越せ」
「あんた、俺の就活に度々食って掛かるの何なんだよ。もしかして寂しいのかい、甘寧ちゃん?」
「ガチでうぜえ。おら飲め!」
「はい乾杯」
二人が同時にグラスを傾ける。安価な甲類焼酎をスポーツドリンクで割ったものだ。酒が飲めるようになっても絶対に真似するべからずと方々から言われているが、孫呉では手っ取り早く酔えるので諸先輩らがよく飲んでいた。凌統の家には選り取り見取りの酒があるにも関わらず、甘寧とは安酒を飲む当たり嫌味が徹底している。
陸遜は凌統の指摘が当たっているような気がしていた。甘寧は凌統の就活の話題が出る度に機嫌を損ねているように見える。これだけ砕けて言い合える相手がいなくなるのは寂しいのかもしれない。
甘寧はやけになったかのようなペースで飲んであっという間に潰れた。凌統は引き続きたこ焼きの世話をしながらスマートに飲み続けている。甘寧が潰れてからは、いい酒に切り替えたようだ。
「ううん、やはり私から見ると凌統殿は隙がありません。格好いいです」
「お褒め頂き光栄だ。惚れてくれる?」
「それはないですね!」
「即答かっつの」
苦笑いした凌統が一度キッチンに引っ込んだ。といってもほぼワンルームなのでリビングにくっついていてすぐそこにいる。冷蔵庫を開けて、今度は冷たいつまみをいくつか持ってきてくれる。陸遜が礼を言ってそれらに手を伸ばした。実家に居続けていては得られなかった時間や生活がとても充実して感じる。
「呂蒙さんのどんなとこに惚れたんだい?」
先ほど話題が流れ安心していた陸遜は不意を突かれてまた少しむせた。凌統は涼しい顔で陸遜を見ているが、からかっている空気はない。言葉に迷いながら尋ねる。
「その前に、その、お嫌な気持ちにはなりませんか?」
「え?うちは部内恋愛緩いぜ。活動は真剣にやってもらわなきゃ困るけど」
凌統のあっさりした回答に陸遜は安堵した。同性云々に偏見がないらしい。頼ってもよいのであれば、これ以上ない味方のような気がした。
「改めてどこ、と考えると難しいですね」
「頼りがいあるとこ?」
「もちろんです。あとは温かい目ですとか、体格も、優しい声も、全部なんです。雰囲気とか、お話の仕方とか、考え方とか」
「分かった分かった、もういいって。すごいね、ベタ惚れだ。俺が照れちまうっつの」
「すみません、つい」
「いや、聞いたの俺なのに、なんかごめん」
凌統の頬が少し赤い。陸遜も顔が熱かった。酒を飲んだわけでもないのに、動悸がしてきて落ち着かない。呂蒙を好いていることを口に出したのが初めてだからかと少しして気が付いた。いわゆる恋バナは人生初だ。エアコンの利いた室内なのにじんわり汗が滲んでくる。
「ま、応援するよ」
「はい。ご迷惑にならない程度に、頑張ります」
「迷惑なんてことないって。呂蒙さんには恋人もいないし、狙ってる奴はあんただけだ」
「そこは、気になっていました。自分なりにリサーチしては来ましたが……真ですか?」
「多分。こいつが言うには」
凌統が伏せった甘寧を指さす。甘寧は呂蒙と仲が良い。研究室も同じで、過ごす時間は多いだろう。その甘寧が言うのだから、呂蒙に特定の相手はいなさそうだ。思わず顔が綻ぶ。
「かーわいいねえ。イケメンだし、引く手数多だろうに。呂蒙さんかぁ。ま、格好いいのは分かるけどね」
「これまで、誰かを好いたことはありませんでした。とても不思議な状態です。呂蒙殿を前にすると、冷静でいられなくなります。ですから、小鹿、と言われても反論できません」
「こいつの悪口真に受けてたら潰れちまうよ。殊勝で可愛いって意味だから、気にしなさんな」
凌統は皮肉屋と言われるが、陸遜からすると人情を感じた。後輩相手というのもあるだろうが、フォローしてくれることも多い。ふとそんな凌統のプライベートも気になった。様子を伺いながら言葉にしていく。
「凌統殿は、すごくモテますよね」
「そう?あんたみたいな正統派には負けると思うけど」
「私なんてそんな。正直なところ呂蒙殿以外眼中になく、恐らく『ナシ』と認識されています。特に、クラスのメンバーからの視線がなくなりました」
回答に対して凌統が笑う。端整な顔を遠慮なく崩して笑ってくれると、陸遜も嬉しくなった。友人とも家族とも違う先輩との距離感。凌統の人柄あってこそのそれに内心深く感謝した。
「あの、不躾ながら、凌統殿は特定のお相手は作らないのでしょうか」
「興味ないっつったら嘘になるけど、今はいいかな。つまんない話だけど、聞いていくかい?」
煽るように眉を上げる凌統に、陸遜が頭を下げた。凌統に関しては活動も人間性も尊敬している。一歩踏み込んだ話を聞いてもよいのでれば、知りたかった。凌統は改めて二人分のドリンクを作り、ホットプレートのスイッチを切ってからゆっくり言葉を紡ぎ出す。
「俺、高校の後輩と付き合ってたんだけど、ひどく言うとメンヘラみたいになってね。あれには参ったよ」
「時々聞きますけど、どういう感じなんでしょうか……?」
学問に夢中で世俗の単語には疎い。聞き覚えがあっても説明できる程の理解がなかった。
「メッセージは即レスしないと鬼電が来るし、一日でも一緒に帰れなかったら病むし、女のアドレスは全消しされた。親戚の姉ちゃんと会ってたらカッターまで出しちゃうし」
陸遜から見た凌統は、甘寧以外には優しく心が広い。付き合いも良さそうに思えるし、恋人は大事にしそうだ。そんな彼と付き合った人間が、どうしてそこまで猜疑心を抱いてしまうのか、陸遜には分からなかった。心理学の理解が浅い、と学問への意欲が燃える。
短い返事と頷きだけを表に出す陸遜を前に、凌統はグラスを揺らしながら淡々と話を続ける。
「結局家族ぐるみで話し合って別れたんだけど、俺も結構言われてさ。向こうの親からは娘を傷つけて最低とか、親からも気を付けなさいとか。ありゃほんとヘコんだよ。俺なりに彼女のことは大事にしてきたつもりだってのに」
壮絶な経験に対し凌統の語り口はあくまで軽やかで、過去を受け入れているのが伺い知れる。初恋に溺れている自分の青さが浮き彫りになるようだ。自分に同じことが起きたとして、このように強く在れるだろうか。想像もつかなかったので、その答えは出なかった。グラスをぐるぐる回して氷の音を立てていた凌統が、残りを一気にあおった。陸遜と目を合わせて、爽やかに微笑む。思わず陸遜の心臓も跳ねた。恐ろしく魅力的だった。
「……ま、そんなわけで、恋愛沙汰はしばらく遠慮。部の皆でガヤガヤやる方が性に合ってるしね」
「込み入ったことを聞いてしまって、すみません」
「いや、こういうの、飲み込んでた方が格好いいとか勘違いしてた。話したら軽くなったよ。聞いてくれてありがとな」
陸遜は以前、甘寧のようにはなれないと感じたことがある。OB総会での堂々たる立ち振る舞いの時だ。そして今、人間性では凌統に敵わないと感じた。ただ、どちらも目指す必要はない。陸遜は陸遜にしかできないことをやるだけだ。そう思わせてくれる、純粋に尊敬できる人間が何人もいる孫呉に入部できたことは、何度実感しても嬉しかった。
「難しいもんだ。思いやりってのは自分勝手らしい。自分が優しさのつもりでも、相手がどう思うかは分からない。態度だけじゃだめで、言葉ですり合わせんのが大事ってね」
「凌統殿、格好良すぎますよ」
「惚れちゃう?」
「やっぱりそれはありませんね」
「堅いねえ。ま、思ってるだけじゃ伝わらないぜ。頑張って言うこと言ってみなって」
「はい」
真っ直ぐな励ましが陸遜の背を押してくれる。そろそろ正面切って攻め入らなければならない。呂蒙への想いが勢いづいて燃え盛る。
凌統とはその後、違う話でも盛り上がって、気が付くと深夜0時をとうに超えていた。徒歩圏内に皆が集まる地方大生活ではよくあることだ。片付けすら断られてしまった陸遜が靴を履いて玄関に立つと、凌統も隣でサンダルを突っかけていた。
「送るぜ」
「えっ、そんな。いいですよ、片付けすら出来ていませんし」
「綺麗に飲み食いしてくれたから、片付けるもんなんかほぼないよ。いいから、酔い覚ましもしたいし、ね」
「ですが、甘寧殿はいいんですか?」
二人でリビングを覗き見る。うつ伏せだった寝姿は仰向けに変わっていたが、熟睡が続いていた。凌統が呆れたようにため息を吐く。
「あんなのどうでもいいって。起きりゃ帰るだろうし、帰ってもまだ寝てんなら追い出すから」
遠慮に対し引き下がる気配がないため、陸遜が折れた。礼を重ねて共に歩き出す。真夏の夜にしては湿気がなく、心地の良い風が体に当たった。隣で凌統が大きく伸びをして深呼吸している。
「結局サシ飲みみたいになっちまったね。気、遣わせたかい?」
「いえ、というか、こちらの台詞です。若輩に色々気を遣ってくださってありがとうございます」
「陸遜こそ、頭良くて顔良くて素直なんて隙がなさすぎるね」
夜空の下、街灯の控えめな明かりでも凌統の表情は見えた。機嫌が良さそうに口角を上げている。高い背の天辺で揺れるポニーテールに目を奪われる。一見女性のような髪型だが、上背のある凌統には良く似合っていた。後ろから見てもしっかりと男性の体格をしている。それに比べるとまだまだ肉付きの薄い陸遜は心配に見えるのかもしれない。
「不安にさせていらっしゃるかもしれないのですが、私も男ですし、いざとなれば結構戦えますよ」
凌統が笑う。分かってるよ、とすぐ同意が飛んできた。
「俺の勝手っていうより、ね」
濁して答えられると深堀りしたくなるのが陸遜だ。あえて何も喋らず、大きな目をただきらきらさせて凌統を凝視した。数秒続けると相手が降参する。陸遜がこれまで何度か使ってきたチワワ作戦である。
「俺から聞いたって言わないでくれよ。呂蒙さん、陸遜のことはだいぶ特別みたいだぜ。夜道を一人で歩かせるなとさ」
目を瞬かせる。予想していなかった話の流れだ。
「俺こそ生娘じゃあるまいしって断ったんだぜ。そしたらお前らはどうせマトモな時間に帰させんだろう、絶対送れ!だってさ。なんで俺まで怒られなきゃなんないんだっつーの。つうか甘寧と一緒にすんなって話」
凌統がぶつぶつ言うのを、陸遜は生返事で聞いていた。呂蒙の気配りのおかげで、傍にいなくてもいるような錯覚がする。胸がきゅっと苦しい。無性に会いたくなった。呂蒙の研究も陸遜の合宿も忙しく、出かける日までまだ少し遠い。電話を掛ければ声は聞けるが、目の前にいる幸福は何にも代えられないものだ。
凌統の愚痴を耳に入れながら、陸遜は来る日を待ち望んでいた。