蒙甘
二十六歳になった。
凌統家のインターホンを押す。数秒で出てきた顔は相変わらず憎たらしい。髪が伸びていて、頭髪自由だった高校時代みてえに後ろで縛っていた。会うのはそこそこ久しぶりだが、適当な声と腕を挙げるだけの挨拶で済むのが楽だった。
「言われた通りおむつ買ってきたぜ」
「サーンキュ」
「ドラストのねーちゃんに聞いたから合ってんだろ。つーかこんなんでいいのか祝いって」
「十分助かるって。性別も生まれ月も一緒だからほとんど買い足すもんなくてさ。まぁ上がってよ」
「お邪魔しやーっす」
こいつだけの家ならこんなこと言わないが、嫁さんのことを考えて声を張ってみた。が、リビングに向かってもその姿は見えなかった。
「あれ、図書ちゃんいねぇのか」
「奥さんは産後初のお出かけだよ。マッサージと美容院とカフェと……なんだっけ、とにかくリフレッシュだ」
正直ほっとした。いなけりゃいない方が、こいつとぶっちゃけた話が出来る。いや、こいつが嫁に内緒にしたい話があんのかは知らねえが、俺はまあ、ある。ただ、振り方が分からねえ。差し支えない話題から振っていく。
「お前今育休だっけ?」
「そうそう。とりあえず三ヶ月。足りないよなぁ、一年取っちゃいたい。封可愛いもんねぇ」
そう言ってゆらゆら揺れるベッドにいる赤子を見る様は、随分大人びて見える。同い年なのに。
二十歳で結婚した凌統は、就職した年――二十二歳の時に第一子が生まれた。報告聞いて入院先まで会いに行った時は、感動してちっと泣いた。
立場が違い過ぎてあんまり話を覚えられなかったが、新卒で子育てすんのは結構大変だったらしい。思えばもうちょい色々手伝ってやりゃ良かったと思う。今は時々遊びに来ていて、長男である烈にも懐かれてる。そういや見渡す限り声がしない。
「烈は?」
「保育園。俺んとこは育休中でも十六時まで見てくれる。正直助かるよ。今あいつ利かん坊だから」
「ふーん。あいつと遊ぶの面白ぇけどな」
「あー、なんか烈もあんたのこと気に入ってるな。っていうか悪の組織みたいに思ってるね」
「んだそりゃ、訂正しとけや」
「俺は烈を応援してる」
薄ら笑いで言ってくる。相変わらずムカつく奴だぜ。
ちょっと封見てて、と言われたので大人しく転がっている赤子を見つめる。小さくてつぶらな瞳が俺を……見てねぇな。どこ見てんだこりゃ。ケツポケットから車の鍵を取り出して振る。リンリン鳴る鈴の音につられて、少し黒目が動いた。
凌統は湯を沸かして慣れた手つきでミルクとついでに俺のコーヒーをいれて持ってきた。小さい塊を愛おしげに抱いてミルクを飲ませる姿が板についていた。
「二人目は違ぇな。余裕か?」
「うーん、まぁ今のところは」
「すっかりイクメンじゃねぇか」
「あんた今それ言ったらすげぇ叩かれるぜ。ただの父親だよ」
へっ。格好いいこと言いやがって。けどこういうことをサラっと言えるようになるくらい努力していることは知っていたので、それ以上イジんのはやめた。
仕事の話、学友の話。腐れ縁なので喋んのはやっぱり楽だ。話が弾んだ。凌統は次々と話題をあげてきたが、肝心のところには触れてこねぇ。自分のとこに子が産まれ、友が続々結婚するってのに、俺のことは一切聞いてこねぇってのはどうなんだ。こいつから聞いてくれりゃ、俺だって話しやすいってのによ。
手土産のケーキも食い尽くした頃、ついに話題がなくなった。つうか、俺はあるけど、どう切り出していいか分からねぇので黙りこんでいる。
凌統がコーヒーカップを置いて深くため息をついた。
「……あのさ、俺って信用ない?」
「あ?」
「あんたのことムカつくけど、結構信頼してるつもりなんだよね、これでも」
褒めてんだか貶してんだか分かんねぇこいつの言い方こそムカつく。いつまで経っても口の減らねぇ男だ。
「ま、あんたが話したくないならいいけど。呂蒙先生と何かあった?」
カップを落としかけた。咄嗟に守り抜いたのはこいつというより嫁が怖いからだ。図書委員の時はクラスで一番目立たなかったのに、母になったらこれまた信じられないくらい気が強くなった。凌統から言わせりゃ当時からその素質はあったらしいが。
にしても、いや、そりゃこいつから切り出してくれりゃあ話せるとは思ったけどよ。んなピンポイントで聞く奴があるか。つうか知ってんのかこいつ、どこまで?
「……普通、そっちの近況はどうだとか、恋人いねぇのかとか、そういう風に聞く流れだろ」
「ダルい。俺あんたから呂蒙先生のこと話してくれんの、待ってたんだぜ。卒業前から」
「あ!?てめぇそんな前から勘づいてやがったのか!?」
「あんたみてぇに分かりやすい奴と散々一緒にいて気付かないバカいるかっつの」
涼しげにコーヒーを飲む凌統にキレそうになる。一発拳を入れてぇが、赤子がでかい黒目で見てきたのでなんとか収めてやった。
「自覚ないだろうから教えとくけど、酔っ払ったあんたから呂蒙先生への恋慕を十回は聞いてる」
「げ!?俺なんつってた!?」
「おっさんのこと好きになっちまったとか、大体その辺」
シンプルに消えてぇ。この場合、俺自身を消すべきか凌統を消すべきか。ものすごく凹みながら机に突っ伏していると、向かいから笑い声が聞こえた。俺のリアクションに笑っているんだろうが、馬鹿にした感じではない。
「だからまぁ、手っ取り早いだろ。ダルいとこなんか聞きたくないから、早速今のお悩みどうぞ」
「……そらありがとよ」
こいつの言動にいちいち腹を立てていたらきりがねぇ。一旦落ち込んだことは忘れることにした。久々に会えると分かった時、確かに俺はこいつにおっさんとのことを話そうとしてたしな。もうずっと、こいつには話しておきてぇと思って引き延ばしてきた、つもりだった。
「……おっさんと、どういう関係なのか、分かんねぇんだよ」
「その様子じゃ単なる教師と元生徒じゃないんだろ?」
「この間ようやくセックスの流れになってよ、なのに寸止めだぜ。ありえるか?」
「はっ!?」
がちゃん。凌統がコーヒーカップをソーサーに力強く置いていた。ヒビとか大丈夫かとどっかで冷静になった俺が妙な心配をする。吹っ切れたら何でも話せるような気になっていた俺は、垂れ目を丸くする凌統を見て後悔した。さすがに露骨すぎたか。
「悪ぃ。やっぱ引くか」
「今更あんたに引くも何もねぇっつの。いや、想像してたよりは進んでたっていうか」
「けどよ、寸止めだぜ?今、卒業して八年目か。すげぇ猛アタックして、あっちからのキスが三年前から。で、今これだ。気が狂いそうになんだけどよ」
「……確かに。ちなみに、寸止めってどれくらい?」
「一センチくらい入った」
途端、凌統が爆笑した。これまで色んな馬鹿をやってきたし、それなりに話もしてきたがここまで大笑いしているのは初めて見る。それが自分の情けねぇ話によるかと思うと無性に腹が立って、ダイニングテーブルの向こう側にある足を蹴った。凌統は珍しくやり返してくることもせず、むせた喉を潤すようにコーヒーを流し込んでいた。
「腹いってぇ。そりゃ、地獄だ。同情するよ」
「けっ。他人事だと思いやがって」
「いや、ほんと、あんたはまぁ頑張ってると思うよ」
浮かんだ涙を拭いながら、凌統が立ち上がる。封が泣き出したので、また優しい顔付きに戻りながら抱っこし、体を揺らしていた。電動で揺れるベッドがあるにも関わらず、きちんと抱き上げるところに愛情を感じる。
「……で?あんたは俺に何を求めてるわけ?」
「あぁ?てめぇから聞いておいてかよ」
「女みたいにただ聞いてほしいだけなのか、解決策を望んでんのか、どっちだって訊いてんだっつの」
封の顔を見つめながらそういう凌統に、一本取られた気になる。こいつのこういう優男ぶりが、モテんだろうな。高校時代もだいぶきゃあきゃあ言われていたが、それを全部無視して図書委員ちゃん一筋を貫いたこいつは、正直格好いいと思う。そして、それと同じだけ一途に一人の男を好いているのにほとんど進展がない自分が虚しくなった。子どもという目に見える幸せがあるこいつと、何もねぇ俺。
「……さぁな。解決できるもんならしてくれや」
つい、拗ねたようにそう吐き捨てる。凌統は軽いため息をついたかと思うと、突然近寄り俺に赤子を押し付けた。封が泣きそうになるので慌てて立ち上がり、父親を真似て揺れると満足そうにまた目を細めていく。寝そうだったのか。体があったけぇ。
「うまいじゃないか。そのまま寝かしつけてくれよ。いいかい、絶対大きな声出したり、急に動いたりすんなよ。まだ一ヶ月なりたてなんだから」
凌統がそう言ってテーブルの向かいに座り直し、スマホを操作した。電話をかけているようだ。少しして相手が出たのか、凌統が口を開く。
「あ、呂蒙先生?ご無沙汰してます凌統です。お変わりないですか?えぇ、そう、そうなんですよ。次男が先月。今度遊びに来て下さいね」
はっ!?こいつ、おっさんに電話かけてんのかよ!繋がってやがったのか、つうか、待て、何を話す気だ?!
止めようにも、手元に持たされた温かい人質が身動きを制限する。くそ、こいつ、狙って封渡しやがったな。
「はは、そうなんですか。じゃあそれはまた是非今度お願いしますよ。あ、要件なんですけど。今甘寧うちに来てて。すげぇ凹んでますよ。つうか先生、俺結婚報告の時言いましたよね?さっさと甘寧どうにかしろって。あん時の返事は嘘ですかい」
凌統が言った内容に、声も出なかった。
は?は?はぁぁぁ??
どういうことだ、なんだ、お前おっさんに何を吹き込んでやがった?今すぐ胸ぐら掴んで洗いざらい吐き出させたいのに、腕の中の赤子は穏やかに目を閉じている。俺は固まることもできず、ただひたすら揺れを繰り返しながら突っ立っている。
「え?道を?いや、あんたが一番甘寧のこと見てるんでしょうが。こいつが自分から選んでんだっつーの。とにかく、ちょっと手出して寸止めなんざ格好悪いですぜ。うわ、うるさ……じゃ!今からそっちに甘寧送り込むんで」
しゅっ。凌統がスマホの画面をスワイプして切電した。どう考えても会話になっていなかったと思う。それくらい一方的にまくし立てていた。
凌統がすいと俺の手から封を回収し、慣れたようにベッドに置いた。赤子はぴくりともせず、眠り続けている。俺は未だに訳も分からず揺れたままだった。凌統が後ろの棚に向かい、ごそごそ何かを漁ったと思ったら、ぽっかり空いた俺の手のひらにそれを置いた。……コンドームの箱。
「あんたらに必要なのは勢いだ。とっととやってこい。んで、十倍でかい声で好きだって言ってきな」
「……お前、ほんと、ぶん殴りたくなるくれぇ腹立つ……」
「箱ごとやるよ。お返しは肉か蟹で」
「へっ。両方同時に送りつけてやるぜ」
そりゃ困るなと楽しそうに笑う顔に親指を下げながら、車のキーを取り出す。おっさんの家はここから一時間かかる。
「お幸せに。ちゃんと報告しろよ」
「覚悟しとけ凌統。うんざりするほど語ってやる」
げっ、と声を上げて顔をしかめた凌統に、ほんの少し胸がすっとして満足し、家を後にした。 おし、待ってろよおっさん。絶対ぇ逃がさねぇぜ。意気込みそのままに車に乗り込み、エンジンをかけた。
車で走っている間中、おっさんとのことを思い出していた。
出会った高一の瞬間、色々試し行動しまくったこと、自覚してサボった時のこと、進路指導室、卒後すぐ仕掛けたキスに、就職直前のキス。
大して頭よくねえ俺がどれもハッキリ覚えている。
就職して会う日は限られたが、押しかけると入れてくれた。何度もこっちからキスして好きだと言った。二十三歳で初めておっさんからキスしてくれた。俺がどんだけ嬉しかったか、あのひげ面は分かってねえんだ。ねだりにねだってベッドまでなだれ込んだ晩、抱かれる気も準備も万端だったのに、一センチで終わるとは思わなかった。ムカつくとか呆れるとか通り越して、本気で虚しくなった。こいつとどうもならなかったら、俺どうなんだよ。呂蒙以外好きになれないって、どういう性癖だよ。誰か教えてくれよ。
そんな思考に染まって呂蒙にも会えねえでいるうちに、凌統んとこに封が生まれた。もちろんめでたい。封にも烈にも会いたくて来たが、正直に言えば俺は限界だった。凌統くらいにしかこんな話は出来ねえと思った。嫁さんがいなくて、色々ぶちまけられて、本当に良かった。まあ、バレてたっつうかてめえで言ってたのはまだ消えてえけど。
とにかく、いい感じに吹っ切れられた。長いことおっさんのことを待ちすぎて、俺までおかしくなっていたみてえだ。
俺はおっさんが好きだ。今更やめたはありえない。
そんで、おっさんももう降参する頃だろ。
気付くと見慣れた場所に着いていた。呂蒙んちのすぐ横にあったアパートが消えて、三年前から月極駐車場になった。渡りに船ってやつだ。料金は何故か呂蒙が出している。車を停めて、凌統からの手土産片手に降りると、ドアが開いて呂蒙が突っ立っていた。その顔は相変わらず渋い。
余計なこと喋ったら上手くいかない気がした。
黙って呂蒙とドアの隙間に体をねじ込み、靴を脱いで、リビングまで上がった。ぎしぎし音を立てながら俺の背後に呂蒙が立つ。振り向きざまにコンドームの箱を腹に押し付け、空いた手で首に腕を回した。けど、俺から動くのと、おっさんが動いたのは同時だった気がした。おっさんの腕は腰に回ってきて、俺たちは簡単に密着した。待ちに待って叶えたディープキスは、今はもう自然にできるようになった。互いに貪るように舌を絡めあう。
足がふらついてきた辺りでキスが終わって、おっさんに腕をひかれた。向かう先は寝室だ。俺がおっさんを降参させる気で来たのに、急にやる気を出されて拍子抜けするが、まああの垂れ目のおかげなのかもしれねえ。
転がり込んだベッドで、俺はようやく呂蒙とセックスした。出会って十年。長かった地獄の明けは、思ってたより天国だった。
夕方で外も暗くなってきたのに、電気付けるのすら億劫で出来ねえ。ベッドに転がりながら横にあったゴムの箱を覗く。袋をつまみ上げるとべろべろと繋がって出てきた。
「おっさん、まだゴムあるぜ」
「待て。そろそろ否定しづらい歳だぞこっちは」
「安心しろって。結構元気良かったぜ」
最高の笑顔で言ってやったのにチョップされた。痛え。痛えのに笑える。俺今、骨あるか?全身ふにゃふにゃになってる気がする。表情筋もゆるゆるで、多分だらしねえ顔してる。呂蒙もなんだかんだ満更でもねえらしく、ベッドから出る様子が全然ない。どんどん暗くなって、夜目の中うつ伏せでごろつく。
「呂蒙」
「俺は呂蒙では……あるな。なんだ、珍しいな」
「俺のこと好きか?」
我ながら女々しくて吐きそうだ。脳までふわついて花畑になっちまってる。
だが、俺が何べん言っても明確にその答えが返ってきたことはなかった。呂蒙からキスしてくるようになっても、寸止めの時も。
今日、こいつがセックスする気になったのは結局凌統の焚き付けかと思うと面白くねえ。だからせめて、きっちり気持ちを聞いておきてえと思った。いつも返事はこねえのでそんなに期待はしてなかったが、ああ、と返ってきてビビった。思わず凝視する。
「すまない。お前に対する感情の整理をつけてから、事に及ぶつもりだったんだが……これがまた、難解でな」
「十年かかるほどかぁ?」
「お前が高校生の時は、目が離せない生徒だった。けどまぁ、なんだろうなあ。イタズラ好きの犬のような感じだったな」
あの頭撫でてきたのは犬コロ扱いかよ。マジで面白くねえおっさんだな。
「犬にハンコやんのかよ」
「調書で誕生日に気付いて、よく懐いてきてたから、なんとなくやるかと思った」
「へえへえ。なんとなくかよ。ったく俺は夢に出るほど喜んだってのによ」
呂蒙の剛毛の腕が伸びてきて、俺の頭をぐしゃぐしゃにする。こいつの目にはまだ俺が犬にでも見えてんだろうか。
「お前が好きだと言ってきて、冗談だと思っていたが……本気だと気付いてから、だいぶ苦労したぞ。接吻してくるのが嫌じゃないのも焦ったし、教え子の将来を奪うわけにも行かんし」
「まーじでおっさんって、自分の考えに籠るタイプだな。俺が、あんたと、いてえっつってんのにどう考えたら将来うんぬんになんだよ。つうかどっちかと言えば俺がおっさんの人生奪ったようなもんだろ」
この辺でお喋りにも飽きてきた。答え合わせは十分だ。とにかく今は腹決めたんだろ。ぐだぐだ悩んだ期間があまりに長すぎて、報われたより物足りねえ感じが強い。隣にある脚に同じものを絡めて顔を寄せると、呂蒙も応えて唇が触れた。大事なのはこっから先だ。青春時代棒に振ったような気もすっけど、まだ二十六歳だ。十年もすりゃ全部笑い話になる。
「おいおっさん」
「結局それか」
「末永く幸せにしてくれや」
「お前が言うと、どうして恐喝のようになるんだろうなあ」
「照れてねえでちゃんと返事しろ」
至近距離じゃねえと見えねえ暗さで、呂蒙の目をがっちり捉える。呂蒙は顎ひげを擦ってから、もう一度俺にキスをした。
「これが愛してるってことだな。甘寧。幸せにしてやるぞ」
…………やっべ、心臓死んだ。
おっさんは笑って、俺の頭を撫でていた。
【END】