蒙甘
家族には散々気味悪がられたが、家での勉強が効いて短大には余裕で合格した。自己採点的には遠くの国立も狙えそうだとおっさんに言われたが、俺は頑なに断った。誰のために近く選んだと思ってんだ。あんたに猛アタックするためだぜ。本人にゃ言えねえけどよ。腹を決めた俺の進学に、結局は呂蒙も後押ししてくれた。
卒業しても三月三十一日までは学園の生徒という扱いらしい。つうことで、俺は待った。卒業式はきっちり出たし、呂蒙にも普通に世話になったと挨拶できた。呂蒙は卒業式に号泣して余裕がなさそうで、余計な話はどうせ出来そうになかった。
四月一日。短大の入学式までは三日ある。丁度今日は日曜日で、教科書販売は明日らしい。俺は呂蒙の家に行った。住所はナイショのルートで入手した。
午前九時、さすがにいるだろうという時間を狙って行った成果もあり、呂蒙が出てきた。私服のラフな格好で、ぼさぼさの頭とひげ面で出て来てウケる。目ぇまん丸にしてんのも。
「か、甘寧!?どうした、なんだ、なんでここが」
「上がるぜ」
「ああ……って勝手に上がる奴がおるか、馬鹿者!」
がみがみ言う呂蒙を無視して上がる。リビングのドアを開けた先は、普通の男の一人暮らしって感じだ。ごてごて飾ることもなく、きっちり片付いてるってこともない。武骨な大人の男って感じの部屋に勝手に満足した。呂蒙は頭を掻きながら呆れたように小突いてくる。
「まったく、お前はいつも突発的すぎるぞ」
「おっさん女の気配がなさすぎねえ?枯れてんのか」
「余計なお世話だ」
よしよし。女は本当にいなさそうだ。一人でニヤけていると強烈なチョップがきた。ゲンコツも痛えが、チョップも痛え。
なんだかんだ上がらせてくれた呂蒙がコーヒーを入れてくれた。家にある菓子までちょっと懐かしいチョイスだ。こいつ本当に二十代か?
「おっさんがブレずにおっさんでいてくれて嬉しいぜ」
「甘寧。お前は一体何度言えば分かるんだ?俺はおっさんではない」
「おっさん春から何年生持つんだ?」
「俺は一年生を……って何しにきたんだ前は」
コーヒー片手に啜りながら、俺は妙にそわそわしていた。春ってやつはくすぐったい季節だと思う。何かを変化させたい気にさせる。
「新入生が羨ましいわ」
呂蒙がきょとんとしている。どっかで見た顔だ。ひげ面のおっさんの呆け顔が良い感じに見えるなんざ、俺の好みは本当にぶっ飛んでると思う。ま、こういうのは理屈じゃねえわな。
「俺ぁあんたが一年の時担任で良かったぜ。人生が変わった。ありがとな」
面と向かって感謝を伝えたのはこれが初めてだった。ずっと言いてえなと思って機を逃していたが、結果的にいいタイミングだったと思う。無事卒業して、生徒じゃなくなったからこそ響くってもんだろう。
おっさんは思い通りに目元を緩めて笑った。好きな表情だ。
「何かと思えば、お前らしくもない。だが、嬉しいものだな。こちらこそ礼を言おう」
「ってことで入学祝いくんね?」
「甘寧は甘寧か……」
漫画みたいに分かりやすく肩を落とした呂蒙に笑いが止まんねえ。
キョロキョロ辺りを見渡している。多分、何か寄越そうとしてくれてんだろう。本当に気の良いおっさんだと思う。もう俺なんか生徒でもなんでもない。施してもらう義理はない。
だから俺も、もう遠慮しなくていいよな?
学園のウン十周年記念マグカップを置く。立ち上がる。呂蒙のすぐ隣に膝をついて、襟を掴む。顔でも抱いた方が雰囲気出るのに、至近距離の人間には胸倉掴み上げるのが反射になっちまった。
「甘寧、」
名前の次は説教が大半だった。何言いたかったのか知らねえけど、さっさと塞いだ。コーヒーの匂いがする。触れた唇は予想通りざらざらだ。
肩を掴まれて引き剥がされた。目ん玉が零れ落ちそうなほど見開かれている。てめえで言うのもなんだが、俺ぁ観察眼はある方だ。呂蒙は驚いてはいるが、嫌がってねえ。
肩に伸びる手首を掴んで、もう一度顔を寄せた。
あの呂蒙とキスしてる。そう思っただけですげえ滾る。
調子に乗って唇を舐めてみた。すごい勢いでチョップが降ってきた。さっきより痛ぇ。
「ってえ~……空気読めよおっさん」
「なっ、おま、ば、ばかもん!」
「おっ。語彙なくすおっさん、レアだな。動画撮っときゃ良かったぜ」
おっさんは五分ほどパニックが続いて、訳分かんねえことを喚き、立ち上がっては床のものを蹴り上げ、棚に肩をぶつけていた。おっさんに抱く感情じゃねえが、ウブすぎねえか。
「おっさん、経験値足りなすぎるだろ。チュー一つで動揺するなんざ今時女でもいねえよ」
「おるわ!教え子に、ち、チュウ……接吻されてたまるか!」
「何でだよ。もう俺は生徒じゃねえぞ。成人もしてる。好きな奴とキスくらいしてえだろ」
「そういうのは好きな奴に…………ん?」
呂蒙が分かりやすく固まったので呆れた。やっぱこいつ、進路指導室のことは冗談だと思ってたんだな。拗ねるのも違えとは思うが、眉を寄せたままダサいマグカップを持ち直す。ったく、意識もしてねえのかよ。してねえから家に上げてくれたんだろうけどよ。
「お、お前、本当に、俺なのか?」
「俺はおっさんじゃねえよ」
「そうではない!お前が、本当に俺のことを?」
スマホに出てくる少女漫画の煽り広告みてえだな。現実にいんのはおっさんとヤンキーみてえな俺だけど。重くてデカいマグを置く。
「だーから言ってんじゃねえか。好きだってよ。ちゃんと卒業までは大人しくしてやったろ」
「ほ、本当だったのか」
さっきからおっさんは同じことしか言ってねえ。ま、冗談だと思ってたんならそらこうなるわな。見てるだけで面白え。おたおたしていたおっさんは急に動きを止めた。呟きが聞こえた。四月一日。
「おう、ふざけたこと抜かすんならベロチューかますぞコラ」
「だからどこのヤクザだお前は!」
「エイプリルフールなんか寒いことすっかよ。いいか、マジだからな」
「わ、分かった分かった!落ち着け甘寧」
俺が高校三年間どんだけしんどい思いしたと思ってんだ。嘘冗談じゃ済まされねえんだよ。
俺のシンシな思いが伝わったのか、呂蒙はさすがにそれ以上疑うことはして来なかった。んで、俺の見目によれば嫌がってる感じはやっぱりしねえ。なんつうか、このおっさん隙だらけな気がする。付け込めそうっつうか、ゴリ押せば行けんじゃねえ?
「とりあえず今日はもう帰るけどよ、また来るからな」
「いや待て、勝手に来るな。せめてアポを取れ」
「おっしゃ!んじゃ、連絡先教えろ」
ちゃっかり入手した連絡先にニヤけそうになる。つうか多分してた。おっさんは最後にまた一つ軽いチョップをして、また流れで俺の頭を撫でた。そのあとハッとして手を引っ込めている。これが天然ってやつか。面倒くせえな。
もう一度口付けたい気持ちをぐっと堪えて、その場を後にした。十八歳の春、青春真っ盛り、高校生での鬱憤を晴らしまくってやる。みてろや呂蒙。
そう意気込んだはずだ。甘かった。いつか凌統が寄越したパンよりパフェより、俺の考えは甘かった。
おっさんは全くチョロくなかった。観察眼があるとかゴリ押せば行けるとか言った十八歳の俺、大馬鹿野郎だぜ。
俺は割と頑張ったと思う。
強奪した連絡先にはどうでもいいことで連絡。困った時はすぐ相談。呂蒙がお人よしなのは相変わらずで、返事はまめに来た。けど、まずしばらく家に上げてくれなかった。しばらくっつうのがどれくらいかというと二年間だ。呂蒙は言う。短大生は学生だ。成人したとは言え、十代の学生を家に上げるなどと、教師の俺が許さんとの言い訳だ。腹立ったが、そんなのも待てねえほどガキだと思われるのが癪で、また辛抱した。もう待つことにゃ慣れてる。二十歳を過ぎて短大卒業すりゃいいんだな。上等じゃねえか、待ってやるよ。と、半ば意地になった。
外ではたまに会ってくれたが、健全にお茶して飯食っておしまいだ。俺はいつから生娘になったんだ。苛々し過ぎて呂蒙のことを考えるとむしろ泣けてきた。てめえが不憫すぎる。
二十歳になり、あと半年耐えりゃ短大卒業という秋に衝撃の連絡が入った。凌統が結婚した。飲み屋でその報告を受けた俺は、あの日の呂蒙みてえにウロたえた。馴染みがない言葉すぎてなかなか頭に入ってこねえ。
「まっ、マジか。そらめでてえぜ。おごってやる」
「こんな大衆居酒屋で偉そうに言われてもね」
「うっせ。え、まさか図書ちゃんか」
「他に誰がいるんだっつの」
得意げな凌統の顔はいつもムカつくが、今日ばかりは輝いて見えた。
凌統とはすんげえ喧嘩した仲だが、気遣わないのが楽なので今でも月二回は飲んでいる。こいつの国立は実家から通える位置だから、結局今でも腐れ縁が続いていた。
凌統はヘラヘラ締まりなく見えて案外潔癖几帳面で、軟派に見えて硬派なところがあり高校時代から同じ女と付き合っていた。クラスで一番地味と言われていた図書委員とだ。貫き通したのも、早々と決めたのも、なんとなく格好良く見える。
「学生結婚はすげえな。お前そんな思い切りいい奴だったか」
「まあね。ちなみにメリットもある。学費が半額」
「マジで?」
「マジで」
ちゃっかりしてやがるなと思ったが、とにかくいい報告だったので気分は上がった。飲むピッチが上がる。
「あ、でさ、来年の六月には式も挙げたいから、予定絶対空けとけよ」
「んだよ、俺も呼んでくれんのかよ」
「癪だけどあんた以外に親友代表がいないって」
こりゃ相当浮かれてやがるな。俺相手にこんなこという凌統初めてだ。気持ち悪いのに笑える。酒が入ってっからだな。
「おっしゃ任せとけ!てんとう虫のサンバでも練習しとくか」
「待ってそれ何時代の話?あと頼むから歌わないでくれ。後生だから」
「へへっ。そうか、お前が結婚なぁ。すげーわ。おめでとうな」
凌統は珍しく俺相手にも柔らかく笑って礼を言った。込み入ったことは分からねえが、多分いい家庭を築くんだろう。
乾杯を繰り返しまくって、最後は記憶が飛んだ。すげーいい夜だった。
が、翌日は地獄だった。二日酔いがつれえし、そんな日に限って就職説明会だ。ミントのタブレットを齧りまくり、マスクを厳重にしていった。頭がガンガンする中で、昨晩の報告が巡る。
凌統が結婚。それはまぁいい。なるべくしてなったと思う。問題は俺の方だ。あいつがとんとん拍子に進んでんのに、呂蒙との進展は一向にない。好きだの惚れてるだの隙あらば言ってるが、呂蒙は分かった分かったとはぐらかしてばっかだ。家は上がれねえし、時々会うっつったってド健全お食事会。堅すぎねえか。せっかく生徒じゃなくなったのに、俺のことガキ扱いしやがって。凌統見て見ろや、結婚できる年頃だぞ。舐めてんじゃねえよ。
などと、説明会の内容なんざ一ミリも聞かずに呂蒙への恨み事で頭を埋めていた。
一番ムカつくのは、こんな状況でも呂蒙が好きなままの俺自身だ。気持ち悪ぃ。誰かさっさと殴って目覚ましてくれりゃいいのによ。
辛い日々は時間が解決する。よく聞く言葉だ。俺も大体そう思う。つうか大抵寝りゃ忘れる。呂蒙のこと以外。そんなわけで俺は無事短大を卒業し、関係なく近場のガソスタに就職を決めた。
三月三十一日、ヤクザの取り立てみてえに呂蒙の家を訪れた。
渋々と言ったようにドアを開けた呂蒙の顔が面白くてやっぱり笑える。ずかずか上がって勝手に胡坐をかくと、呂蒙はまたコーヒーをいれてくれた。二年前と同じ、学園の記念品のマグカップ。おっさんは相変わらずのひげ面で、俺も見た目は大して変わってねえ。精神年齢は高校生のままだ。けど、ちゃんと待った。
二十歳の俺は前よりは落ち着いて呂蒙にキスできた。呂蒙は避けなかった。つうか地蔵みてえに固まってた。その顔があまりに面白くて、舌入れる前に笑っちまった。
「おっさん、マジでムードなさすぎるだろ」
「お前とムードを作ってどうする……」
「悪かねえだろ。な?」
強引な俺の問い掛けに、呂蒙は頷かない。ううむと唸って首を捻って傍を離れる。けっ。流されねえのはすげえけどよ、マジで堅すぎるだろ。本気で嫌ならいくらでも遠ざけれんのに、それはしない。久々のキスも逃げない。けど振り向いてもくれねえ。ここで俺がキレても仕方ねえので、一旦これで良しとするしかねえ。
十分長期戦なのにこっからも長期戦かと思うとうんざりするが、おっさんのペースに付き合うことに腹を決めた。さっきのキスで改めて思った。俺はもうおっさん以外に恋愛感情を抱けねえ。この爆発しそうな心臓、どうしてくれんだよ。
「呂蒙、好きだ」
「むむう……分かった」
「愛してんぜ」
「もうよせ。というかそれはからかってないか?」
「そういうのは分かんのかよ。俺の本気度も早く分かれよな」
呂蒙は頭を抱えた。ま、こうやってウンウン言ってる呂蒙が目の前で見れんのは結構面白ぇか。こんな気長くて器でっけえ奴いねえぞ。さっさと俺のこと見ろ。呂蒙に対してそんなことを思いながらコーヒーを啜った。