蒙甘

凌統視点





空が高くて気持ちいい。回廊を飛び出して外を歩くと暑くも寒くもない気温で、心地いい風が吹いた。天気がよくてその和やかさにつられて伸びをする。こんな時に軍議軍議と根詰めてる軍師さんや智将さん方には頭が下がる思いだ。俺なら発狂しちまうね。

休戦状態で大してやることもないし、今日はこのまま街にでも繰り出そうか。そう考えていたらリンリンと耳障りな音が聴こえてきた。思わず顔が歪む。これは反射だから仕方ない。俺の顔を認めた甘寧が、同じく顔を歪めた。

「お前よ、人の顔見てそういう表情すんの失礼にも程があるだろ」
「大丈夫、あんたにだけだ。何?用?」
「暇なら釣り行こうぜ」

はぁ? 何であんたと? と言ってばっさり断ってもよかったが、確かに暇なんだよな。俺もこいつも同じく頭筋肉製の武将、まだまだ始まりすら見えない戦の打ち合わせになど不要ということだ。一緒に括られてまったく参るね。

「いいけど」
「っしゃ、馬取って来ようぜ」
「はいよ」

こいつの言いなりになるなんて普段なら癪で絶対しないが、まぁいいかと思えるくらい今日は天気がいい。こんなほのぼのした日にいちいち突っかかるほど俺も馬鹿じゃない。

厩舎で馬を確保し、甘寧の誘導で向かう先は山のようだった。その辺の川でのんびりするのかと思ったのに、とやや面倒になるが、これもまたまぁいいかと思えるくらい暇なんだよね。

「わざわざ渓流釣りねぇ」
「涼しくていいだろ」
「もう全然暑くねぇっつの。あんた服着たら季節分かんなくなっちまうんだろ」
「お前嫌味言うときだけ生き生きしてやがんな」

闊歩しながら話す内容が下らなさすぎて、きっとあの大して明るくもない会議の場とは大違いなんだろうなと考える。
そうこうしている内にこいつのお気に入りなのだろう、程よく岩がある地点に着いた。釣具は要らないと言っていたので手ぶらで来たが、草陰から竿と餌が出てきて思わず笑う。確かにこんなところ素人は来ないだろう。

「御用達なんだ。いいとこじゃん」
「おお。ま、この時間じゃ釣れっか怪しいけどな」
「あんたから誘ったんじゃねぇか」

思わず尻を蹴ると甘寧が極悪面で睨み上げてきて振り返り様に殴りかかってくる。手で拳を受け止めて応戦しようとすると、側の木から焦ったように鳥が飛び去っていった。

「……森の平和壊してまですることじゃないか」
「おい、お前が仕掛けたんだからな」
「はいはい、さっさと釣具寄越しな」

甘寧が苛々しながら放ってきた竿に餌を付け、沢へ投げ入れる。岩場に腰かけると甘寧も少し距離をあけて同様に倣った。
さらさらと水が流れ、鳥や虫が鳴き、風が吹いて草木を揺らす。俺とこいつに似合わない恐ろしく寧静とした空気だ。なんとなく落ち着かなくて目線を水面に向けたまま言葉をこぼす。

「軍師さん方は忙しそうだね」
「おう。俺らは暇だな。体が鈍っちまうぜ」
「あんたと一緒なのは気に食わないけど、まぁ同感だね。一暴れしたいもんだ」

憂さ晴らしの討伐も鍛練も飽き飽きしている。俺たちは戦の中で育ってきた。戦いのない生活などつまらないし自分の存在意義が分からなくなってしまいそうだ。

「うるせぇジジイ共が反対してんだろうな。そのせいで延々軍議だ休戦だってのが気に食わねぇぜ!」

言っていて腹が立ったのだろう、蹴り上げた石がぼちゃぼちゃとけたたましく叫びながら沢に飛び込んだ。
うるさくて釣れるもんも釣れないっつーの。

「つうかあんた声も鈴も存在もうるさいけどさ」
「あぁ!?」
「呂蒙さんの前でだけ大人しいよな」
「んだよ、別にいいだろ。まぁ、確かに、おっさんの前じゃ足止めていい気になるけどな」

甘寧がそう言うんだからよほど落ち着ける存在なのだろう。こいつの生育環境をそこまで知らないが、忙しなく止まることがなかった羽を休められる止まり木のような存在なのかなと勝手に推測した。変わらずムカつくが、そういう存在がいるのは良いことだと思う。

「運命の出会いってやつですか」
「キザでうぜぇ」
「だって好きなんだろ?」
「……てめえに言うかよ」

随分大人しい声になったので横目に顔を見ると、可哀想なくらい赤面していた。
こりゃ、どうもご馳走さん。欲しくねぇけど。
俺呂蒙さんのことを心から尊敬する。こんな野蛮な奴を手懐けるどころかここまで心酔させるのは、多分あの人以外できないな。

「お前こそ陸遜の前で猫被りしてんだろ。デレついたお前の顔見てると同じ人間かと疑っちまうぜ」

は!?
思わずひっくり返った声が出る。焦って釣具を落としそうになり、どうにか握り直した。

「おい、何であんたが知ってんだっつの」
「あぁ? お前バレてねぇとでも思ってたのか? 知らねぇ奴いねぇだろ」

……マジか……無理……。
今度は俺が赤面する番で、その俺の顔を見る甘寧の表情は直前まで俺がしていたものだ。分かるぜ、お互い、見たくないもん見ちまったよな。すぐに忘れるに限る。多分甘寧も同じ思いなのか、頭を乱雑に掻いてから水面に視線を戻す。

「曹魏といつやり合うんだろうな」

ぎこちなく問いを投げ掛けてくる甘寧に感謝する日が来ようとは。人生誰の思い通りにもならなくて、一喜一憂させられる。それを上手く受け入れられるようになったのは最近かもしれない。

「時が来たらなんじゃないの」
「お前陸遜からそういう話聞かねぇのかよ」

そう訊かれて面白くなくなった。思わずむっとする。軍師さんのことを下に見られたような気になって腹を立てるなんて、俺も相当入れ込んでいる。

「あのさ、俺は別に情報集めたくて軍師さんと一緒にいるわけじゃないんですけどね。あんただってそうだろ」
「そりゃそうか。おっさん絶対洩らさねぇからな。陸遜なんか尚更か」
「俺はあの人のそういうとこが気に入ってんだって。公私混同しないからね」
「へぇへぇご馳走さん」

こいつ、やっぱりムカつくな。俺たちはこんなところでのんびり釣りしてまったり会話するような関係じゃないってことが証明されたようだ。一発ぶん殴ってやろう、と釣具を置こうとした瞬間にそれが震える。振動を頼りに機会を見定めて竿を引くとそこそこの大きさの岩魚が釣れた。

「俺の勝ちってね」
「まだ一匹釣れただけだろ」
「結構日が上ってきたから、いよいよ難しいんじゃないの」
「うっせぇ。暇なら付き合えや」

やけに釣りにこだわるな、と思って軽く考えを巡らせる。針から魚を外し、木箱に突っ込んだ。それごと持ち上げて少し川の水を入れてやると元気に泳ぎだす。これで新鮮なまま食べられそうだ。そこで、ふと思い至った。

「あぁ、呂蒙さん、魚好きだ」
「お前のそういうところがムカつく」
「俺はあんたの存在自体がムカつく」
「いい度胸じゃねぇか、やるか、あぁ!?」

そう言って声を荒げるので、魚が逃げるぜ、と返すと舌打ちしつつ大人しくなる甘寧に内心笑い転げた。その内呂蒙さんに教えてあげよう。あの狂暴で傍若無人と言われた鈴の甘寧さんが、一人のために殊勝にしてるなんて泣けてくるね。俺は笑ってるけど。つりそうな腹筋をどうにか黙らせてから俺もどうにか言葉をひり出す。

「いつ戦に駆り出されても、俺たちがやるこた変わらないだろ」
「そらそうだな。祭の時間を楽しむだけだぜ」

途端に声が明るくなる。楽しそうにしちゃってまぁ。こいつって単純っつうか、ノせやすくて楽な部分もあんだろうけど、落ち着きねぇから呂蒙さんも大変だろうな。思ったら即行動が過ぎるんだよ。

「好き勝手暴れるのはいいが、あんたの命はあんただけのもんじゃないってこと自覚してくれよ」
「あ?」
「殿の天下取りにあんたは必要なんだ。突っ込むだけの猪の尻拭いさせられるのは俺なんでね」
「っせぇな! だからお前に背中預けてんだろうが」
「人任せにすんなっつの。あんたに何かあったら、呂蒙さんが辛くなるんだろ。俺見てられないぜ」

あえて呂蒙さんの名前を出すと甘寧の勢いが止まる。目の前にいなくとも止まり木効果があるだなんて驚いた。鳥っていうか忠犬みたいだ。よく躾られている。何を想像したのか、甘寧が低い声でそうだな、とこぼして頷いた。

「おっさん悲しませんのは、まぁナシだな」
「ナシだよ、絶対ナシ。陸遜だって悲しむことになるんだ。俺あの人の涙には弱いんだよ」
「そら知らねぇけどよ。孫呉に来て、守りてぇもんは増えたし、俺の命を大事に想う奴がいるってのは、分かったぜ」

釣れないことを実感し始めたのか、竿の装飾をいじって甘寧が言う。よく見たら小さい鈴が付いているようだ。そんなところにまで鈴つけるなんて、徹底しすぎていて褒めたくなる。

「頼むよ本当に。まっ、あんたがそこら辺の奴に首斬られそうになったら、俺が代わりにあんたの首取ってやるぜ」
「そこは敵を斬るとこだろ」
「冗談だっつの。さ、そろそろ本当に釣れなくなってきたし、帰ろう。この魚やるから」

甘寧が苦い顔をしていたのを無視して木箱に突っ込んだ魚を指差す。二人で食うには少し物足りないだろうが、酒の当てくらいにはなるだろう。

「お前食わねぇのか?」

甘寧が気まずそうに尋ねてくる。そんなに魚が欲しかったのか。ほんと、こんな厳つい男に健気な感情をもたらした呂蒙さんてすごい。

「陸遜、没頭すると肉とか魚食わないんだよ。結構手を焼くぜ、今何なら食べてくれるんだって模索するの」
「意外と甲斐甲斐しいなお前。じゃ、貰うぜ」

甘寧は判断に迷うことがない。決めたらすぐに行動する。危なっかしい程の決断力をほんの少し羨ましく思うことがあるなんて、一生伝えるつもりはない。

立ち上がって岩場から下りる。大して釣れはしなかったが、渓流のせせらぎに当てられて気がほどけたのは良かった。今度陸遜を連れてこよう。あの綺麗な顔に刻まれた眉間のシワを少しでもなくしてやりたい。

甘寧が俺の使っていた竿を受け取り、また草陰に隠す。次はたくさん釣り上げてやれよ、と内心声をかけた。

「にしても暇だな。飯食って打ち合いすっか」
「いいぜ。あ、模擬刀な。あんたの武器受けるとすぐ棍がいっちまうんだよ」
「お前が先に節棍持ち出すんじゃねぇか!」
「そうだっけ?あんたの顔見てるとついね」
「本当に性格悪い奴だぜ」

繋いでいた馬に乗り上げながらまた下らない応酬をしてしまう。こいつとは色々あったから基本的に気に食わないけど、喋るのは楽だ。気も頭も使わなくていいし、肩肘張って武将じゃなきゃいけない時間でも言い合っている内に力が抜けるのである意味貴重な存在だと思う。

「早く軍議終わんねぇかな」
「また皆で狩りにも行きたいもんだ。あ、お二人がよければ」
「いちいち強調すんな!いいに決まってんだろ!」

顔を赤らめて噛みついてくる甘寧が面白くてついいじってしまう。やり過ぎるとしっぺ返しを食らいそうだから、程々に楽しませてもらいますか。

そうしている内に、早く軍議が終わりますように。俺も密かに同じことを願って、城へと馬を歩かせた。


【祭を待つ】
号令の合図は貴方の声で



※その頃の軍師たち〜呂蒙と陸遜編〜

「この堂々巡りの軍議、堪えられません。全て燃やし尽くしてやりたいです」
「普段冷静なお前がそこまでか」
「呂蒙殿こそ、机の下で簡バキバキにしてましたよね」
「む……気付いておったか。つい、な」
「貴重な時間がこんなに無駄な議論で費やされると思うとやりきれません。凌統殿に会いたい……癒されたいです」
「あいつが癒し枠なのか。陸遜は凄いな」
「そっくりそのままお返し致します。貴方こそ、甘寧殿が癒しだと思ってらっしゃるのでしょう?」
「甘寧は癒されるぞ。真っ直ぐで嘘がなく、案外寂しがりでな」
「そこまで知りたくもありませんでしたが……。お互いゆっくり会いたいものですね」
「そうだな」


※お帰りなさい〜呂蒙と甘寧編〜

「おう」
「甘寧。来ておったか。悪いが明日も早くてな」
「魚食え。取ってきたからよ」
「おお、悪いな。少し頂くとしよう」
「釣ったのは凌統だけどな」
「お前ら飯も一緒に食ってたと聞いたぞ。随分仲良くなったな」
「おっさん、怒ってんのか?」
「なぜだ」
「いや、何となく。おい、まさか凌統に妬いてるとか言わねぇよな?」
「だったらどうする」
「マジで勘弁してくれ! あいつとどうこうなんて冗談じゃねぇし、俺が何のためにここで待ってたと思ってんだ!? 酒も飲まねぇでよ」
「……甘寧……。悪かった、疲れているな。お前にまで余裕がなくなるとは」
「罰が必要だな」
「ん?」
「おっさん、罰が必要だっつってんだよ。明日がどれだけ早ぇか知らねぇが、構ってもらうぜ」
「……お前というやつは……」



※お帰りなさい〜陸遜と凌統編〜

「軍師さん、帰ってるのかい?」
「凌統殿。こんな夜中に……いかがなさいましたか?」
「午後に馬鹿とやり合ったら夕方寝ちまってさ。で、あんたに会いたくて来た。入ってもいい?」
「はい。お会いできて嬉しいです」
「こっちこそ。悪いね、あんたらが一生懸命働いてる中、遊び呆けてて」
「いえ、お待たせしてしまって心苦しいです。今日もなかなか、本当に全く欠片も進展がないもので」
「お疲れさん。なぁ、ちょっとだけ、抱きしめてもいいかい?」
「ふふ。勿論。訊かずとも」
「……陸遜って、あんな埃とおじさんだらけのとこに一日いても、いい匂いするね」
「凌統殿こそ。湯浴みしたんですか?」
「あぁ。さっき来る前に」
「でしたら、準備万端ですね」
「その気力はあるんだ」
「今、出ました」


  
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