凌雲を掴むまで
甘寧が企てた呂蒙を励ます会は、予定通り呂蒙邸で行われることになった。呂蒙の母が作る料理はどれも絶品で、各々舌鼓を打ち、賑やかな会となった。
「にしてもなぁ。甘寧と凌統が並んで飲むようになったとは……感慨深いなぁ」
「そうですね。随分と仲良くなられたものです」
「誰がこいつと」
「そうだぜ。こいつ、飛び出すなだの考えて動けだのうるせえんだよ。鬼嫁だな」
「誰があんたの嫁だっつってんだよ!」
以前伝えた通り、甘寧は凌統との関係を露呈する気はない。だが、からかいで使った言葉に過敏に反応する凌統のせいで、いつか気付かれるだろうと直感した。ただ、呂蒙も陸遜も距離を保つのが上手く、踏み込んで訊いてはこないだろうことも分かっていた。
「おい陸遜、おっさんは最近どうなんだ。じじいみてえなこと言ってるけどよ、元気なのか」
「甘寧殿。燃やしますよ」
きれいな笑みでいつの間にか火を手にしている。陸遜の火への執心は凄まじく、なぜかいつでも着火の材料を持ち歩いている。頭がいいらしい割に、提案する策は火計ばかりだ。甘寧も火攻めは派手で好きな方だが、陸遜には敵わない。
「まず、呂蒙殿はおっさんでもじじいでもありません。まったく、こんなにも逞しく、知識と武勇に溢れた御方はそういないというのに」
「べた惚れだねえ。俺にはちっとも靡かなかったのに」
「凌統殿はとても魅力的ですよ。ただ、私にとっては呂蒙殿が運命の方というだけです」
「はいはいごちそうさん」
陸遜は随分年若い時から呂蒙一筋だったと凌統が言っていたのを、甘寧はふと思い出した。呂蒙がいい人間なのは間違いないのだが、陸遜の趣味は理解ができない。ただ、からかいが過ぎると身が危険だということは分かってきた。
「俺のような人間にこう言って傍にいてくれる……陸遜の存在は俺にとってもかけがえのないものだ」
「呂蒙殿……」
「なあ、俺らも二人でしけこむか」
「嫌だって言いたいけど、居心地悪いのも頷けるね」
「む、そういえば先日、お前らが二人で城を出たと兵から報告があったぞ」
甘寧は内心で前言を撤回した。呂蒙は天然だ。まさか体の関係など想像もしていないだろうが、妙なところから突っ込んでくる可能性はある。甘寧は凌統の反応を待った。興味半分といざというときは適当に合わせて誤魔化してやろうという気が半分。だが、凌統は思いのほか、冷静な対応をしてみせた。
「こいつのことがムカつくのは変わりません。けどまあ、酒くらいは……背中預ける相手として、一緒してやってもいいかと思いましてね」
凌統の本心であることは間違いないだろう。この男が一時目を合わせることすら苦痛だったことを思うと、涙ぐましい進歩である。一方で、甘寧も誰かに背を託してもいいと思ったことはなかったと気が付いた。徒党は組んだが、喧嘩は一対一が最も滾ると考えていた。今は、凌統と共に騒ぎながら死地を超えていくことに、これ以上ない興奮を覚える。甘寧は腹の内で燃え盛る熱に合わせて、拳を突き出した。
「おう! 俺の背中頼むぜ、凌統」
「うわ、本気かっつの……青くさ……」
ぶつぶつ文句を言いながらごつっと拳をぶつけてくれることが嬉しく、甘寧は立ち上がって酒の入った甕を一気に飲み始めた。
「ははっ、こいつ、本物の馬鹿だね」
「甘寧殿すごい! 格好いいです!」
「陸遜、煽るな。……なんだ甘寧、据わった目でこっちに来るな、肩を組むでない!」
「おうおっさんデケェ声出るじゃねえか! 飲もうぜ、おら!」
頭から酒をかけ始めた甘寧に、呂蒙の拳骨が降ってくる。陸遜が火矢の準備をするのを、苦笑いした凌統が宥める。ほんのひと時の賑やかな会合は、夜遅くまで続いた。
翌朝、甘寧が目を覚ますと、なぜか呂蒙の部屋の床で転がっていた。この孫呉に来てから何も考えずに大量に酒を飲んだのはこれが初めてのことだった。随分警戒もなくなったもんだ、と己に笑う。やや痛む頭をがしがしと撫でながら呆けていると、室の戸が開いた。呂蒙がのっそりと入ってきて、傍の椅子に腰掛ける。
「まったく、人の部屋で寝こけおって。おかげで陸遜が帰ってしまったぞ」
「あー……いつ寝たのか覚えてねえわ」
「ふ。凌統と和解したせいか? 随分はしゃいでおったな」
甘寧は頭を掻き、大あくびをしながらぼんやりと考えた。いわゆる和解をしたことになるのだろうか。凌統が飲みに行くことを公とするならば、そういうことにしておいた方が都合がいいのかもしれない。今度はこの話を口実に連れ出してやる、と心に決めた。
ごほ、と呂蒙が何度か咳込む。昨日の酒宴も、元気そうではあったが何度か咳をしているところは見ていた。
「おっさん、体調子悪ぃのかよ」
「うるさく飲む輩がいては、寝不足にもなろう」
平然と答える姿に嘘はなさそうだ。ただ、甘寧の直感が、どことなく不穏な匂いを察知している。
「お前も喧しく飲んで遊ぶだけではいかんぞ。懸念であった凌統との関係が落ち着いた今、どうだ。孫呉に根付く気になったか」
睨みつけるように観察を続けていた甘寧だったが、呂蒙の一言で止まった。誰にも言ったことはなかったし、匂わせてもいなかったはずだが、これまで孫呉に根を張るつもりがないのを悟られていたようだ。思わず舌打ちが出る。
「おっさんにゃ敵わねえなー。おうよ。今はここが気に入ってる。殿さん守りてえと思うし、でかい喧嘩も面白え」
「では、そろそろどうだ。後継ぎをもうけるのは」
「……俺に結婚しろって言ってんのか?」
呂蒙が頷くのを見て、甘寧は天を仰いで笑った。これまでの人生でここまで踏み込んできた者はいない。あの凌統ですら、甘寧との距離を慎重に測っているように思う。だが、特に嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、呂蒙がこうして自分のことを気にかけてくれていることが嬉しかった。
「お前に嫁と子供がいれば、こんなにいいことはないだろう」
「へっ。お人よしにも程があらぁ」
甘寧は返事を明確にせず、立ち上がってさっさと室を出た。一応、このことも凌統の耳に入れておこうと脳に刻んだが、どんな反応があったとしても、甘寧の中の答えは決まっていた。
***
甘寧が南郡の功を以って与えられた隠れ処は江の傍にあり、気に入って一人で寝泊まりするのに使っていた。狩りや釣りの道具を揃え、煮炊きに必要な設備を構え、簡易的な寝台がある。女は妓楼で抱けばよかったので、ここに人を連れ込んだのは正真正銘、凌統が初であった。そんな彼は二度目の訪問に対して、まだ少し落ち着かなさそうだ。
「ったく、調練後の慌ただしいときに」
「なんだかんだ着いてきてんだから、どうにかなるってこったろ」
「合わせてやってんだっつの。つうか、あんたこそ執務溜めてんじゃねえの? 陸遜怒ってたぜ」
「あいつ頭いいくせに分かってねえのかよ。俺が座って物書きするタマか?」
凌統が口角を上げて「違いない」と笑う。得意げな表情は、二人きりの時だけは妙に可愛く見えた。油断が見えるからだろう。襟元を掴んで無理やり引き寄せると、わざとらしく目を見開いて驚いているのが可笑しかった。甘寧は初めて、人生が楽しいと思えた。
「……っ、ん」
唇が触れると、凌統はぎゅうぎゅうに眉間を寄せ、きつく目をつむっている。至近距離なので甘寧にもはっきりとは見えないが、いつもその必死さに高揚した。口唇の表面を味わう内に零れる吐息に、全身の血流が滾りだす。本能的に舌を捻じ込み、乱れた襟ぐりから手を突っ込んで肌を撫でると、びくっと体が震えた。離れろと言わんばかりに肩を押してくる。
「っう、おい、あんたが話があるって言うから、」
「おう。まあ、そう焦んなって。一発抜いてからでもいいだろ」
「んな簡単に、うっ」
ぐちぐちと口だけの抵抗をするのが鬱陶しくなり、逆手で凌統の股間を鷲掴みにする。指先だけで撫ぜてやると、より熱を持って硬化した。
「よお、お前もしっかり感じてんじゃねえか。とにかくあれだ、気ぃ抜いてろ」
強引に腕を引いて寝台に突き飛ばす。抵抗する隙を与えずに覆い被さると、凌統は皮肉と嫌味を喚きながらその身を委ねた。
密事によって汗ばんだ体も、夜になると少し冷える。甘寧は身を起こして竈に火を付け、室内を温めた。寝台にはぐったりとした様子の凌統がうつ伏せで寝そべっている。解く暇がなかったのか、高く結った髪がぐしゃぐしゃに乱れていて妖艶に見えた。隣に腰掛けて髪留めに手を伸ばして外してやると、いつも通り不機嫌そうな顔と目が合う。
「お、さすが二回目は元気そうじゃねえか」
「なあ、あんたの可愛がってる副将に教えてやろうか。お頭は目が悪くなってもう使い物になんないって」
「戦場から外されちまったら、つまんねえなあ。仕方ねえからずっとお前抱いてっか。四六時中、延々」
「死ね」
皮肉が消えて直球の悪口が来ると、勝った、と思うようになった。凌統との軽快なやり取りは飽きが来なくていい。笑いながら決心を口にする。
「おう、凌統。俺結婚するわ」
「はっ? いつ誰と」
「近々、どっかの女と」
我ながら情報がない、と嘲笑う。決定事項のみを伝えたらどうなるか、と凌統の反応を楽しみに待つ己の性格の悪さは自覚がある。罵声を浴びようが、あるかも分からない愛想が尽きようが、凌統を手放す気は甘寧にはない。ただ、それとは別に呂蒙の望みを叶えてやりたいと思ったのだ。
いくらでも待つ気でいたが、凌統はすぐに深いため息を吐いて、ころりと仰向けに転がった。先ほど解いた長い髪を手でかき上げる様を間近で見て、甘寧の喉がごくっと鳴る。
「あんたって気まますぎないかい? 嫁さんも大変だろうよ」
やれやれと呆れたように言う凌統を甘寧は凝視した。反対でも拒絶でもなく、当たり前のように甘寧の生き様を肯定している。確認も込めて、甘寧はもう少し具体的な話を続けてみることにした。
「おっさんが、俺の晴れ姿が見てえっつうもんだからよ。ガキ残してここに居座ってほしいらしいが、そもそも俺の子がここに居つくかは保証できねえよな」
「あんたの血ぃ継いだんなら、流れ者になるかもしれないね。選ぶ余地があるなら、まじめな嫁さん貰ったら?」
「そこはおっさんに任せるぜ。つうかガキこさえんのはいいけどよ、どうせ面倒な儀礼とかがあんだろ。それがだりい」
凌統が何度か目を瞬かせた。近くで見ると睫毛が長いと分かる。ゆっくり目が開いて瞳がこちらを向くと、いつでも胸が疼く。凌統こそ、女が黙ってないだろうとふと考えた。この色香に惑わされる人間が複数いるのかと思うと面白くなかったものの、今まさに別の人間と結婚を決めた甘寧が言えた立場ではなかった。
「将軍だし、婚儀はやらざるを得ないでしょ」
「だよなあ。でけえ国ってのはそういうのが面倒くせえ」
折衝将軍の位を賜った時も、やたらと重たい衣を着せられ、髪をまとめ上げて冠を載せられた。あの煩わしさを思うと、甘寧はやっぱり正攻法はやめて、どこかで適当な女を孕ませるか、とまで考えた。だが、落ち着きなく唇を指で擦る凌統がぼそぼそ言うので、思考をやめて耳を傾ける。
「まあ、あんたの正装、悪くないと思うぜ」
ぐわっと体温が上がるのが分かった。恐らく、凌統は深く考えずに言ったのだろう。甘寧が想像よりずっと凌統に執心していることなど知らずに。
「とにかく、孫呉の将兵として儀礼くらいはこなして……うわっ!?」
仰向けになっている男の両足首を掴み、強引に持ち上げて開かせる。いきり立ったものを押し付けると、意図が伝わったらしかった。
「おっ、おい、待て、なんで、えっ、ちょ……っ、あ……」
言葉で説明してやれる余裕はなかった。燃え盛った気持ちごとぶつける。苦痛に歪む顔すら恐ろしく淫靡に見えて、甘寧は我を忘れて凌統をかき抱いた。
後ろから揺すぶっている時に、ふともう一つの要件を思い出した甘寧は、背中に向かって声をかけた。
「そういや俺ら、おっさんから見ると和解したらしいぜ」
「は、は、なに、それ」
「婚儀と違ってダリいのがねえなら、そのままでいいよな? わざわざ否定すんのも面倒くせえし」
「ふざけんなっつの!」
敷布に押し付けていた頭を起こして、甘寧を睨みつけているようだ。実際には長い髪に阻まれて見えなかったので、甘寧は腰を掴んでいた手を外して、前髪を耳にかけてやった。目が合うと鋭く細めている。目尻が赤く潤んでいて迫力はあまりない。
「んだよ。すぐキレやがる。殿の前で詫びてほしいとでもいう気か?」
凌統ときれいに和解して恋仲になりたい、というわけではないが、未だに仇云々と言われるのは面白くなかった。唇を尖らせたときに、凌統が口を開いた。
「こんな時に無駄話すんなら、抜けっつってんですけど?」
「……ああん?」
「ちっ、これだから、情緒のない奴は……なんだって俺はこんな野郎に……」
凌統が舌打ちし、不快そうに顔を歪めた。遠回しだが、甘寧にも分かる。これは行為に集中しろと言っているのだ。凌統こそ、和解にはこだわっていないのかもしれない。
凌統が再び俯き、耳に掛けていた髪が滑り落ちる。その瞬間にぷつっと抑えていた糸が切れたような気がした。乱暴な程の力で逞しい腰を掴んで、凌統に貪りつく。苦しそうな嬌声がまた甘寧を煽った。
「んだぁ、凌統? 随分惚れてんじゃねえか」
「鬱陶しい、んだよ……」
ひねくれた悪口が愛おしく、甘寧は要望通りに行為に集中した。ひたすら凌統を求め、何度果てても足りない晩だった。
続く
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