凌雲を掴むまで


 一行は建業に一度戻ることとなった。軍団の中には筆頭である孫権もいる。そのことに喜びを感じることに気が付き、甘寧は後ろ頭をかいた。誰かの無事を願うことは、孫呉の一員になるまで余りなかった。可愛い手下がやられたときは怒り、悲しんできたものの、それよりももっと己が守らなければという使命感に駆られてきた。
 馬を闊歩させながら、横目で凌統の軍団を見た。むっつりと唇を引き結び、景気の悪い顔で馬上にいる。戦明けで衣服は泥まみれだが、なぜか伸ばした髪は艶めいていて、風が吹くたびに光を反射した。凌統が生きている――甘寧の腹に再び劣情の炎が渦巻いた。
 ただ、大きい国での過ごし方を覚えた甘寧は、好機を待つことに決めた。我欲を好き勝手に満たすことは可能だが、孫呉の臣としては格好悪いことだと分かったのだ。周瑜や呂蒙への恩義、孫権への甘寧なりの忠心もある。

 建業に無事戻り、軍団へ休息と次の調練の指示を出し、大小さまざまな軍議に顔を出した。建業に戻って二週間、ようやく長身をとっ捕まえて、再び飲み処に連れ出すことに成功したのである。

「おう、乾杯しようぜ」
「はあ……なんであんたとまた」

 凌統は渋い表情を見せながらも、のろのろと杯を掲げてほんの少しぶつけてきた。それだけでもう甘寧は欲情していたが、雰囲気を壊すには早いだろうと酒を呷ってごまかした。
 卓に肘をつけ、じろじろと凌統の姿を観察する。薄桃色を主とした平服は、ざっくりと首元が開いていて実に眺めが良い。戦闘時よりも雑に縛っている長髪は、やはり艶やかに背に伸びている。髪に手を伸ばすと、隣にある肩がびくっと揺れたが、目元を赤らめて睨んでくるだけで抵抗がなかった。甘寧はその髪を弄びながら、己の理性がいつまで持つかを考え始めた。

「気合入れてきたのか? 香の良い匂いするぜ」
「めでたい頭、殴ってやろうか。俺はあんたと違っていつもちゃんとしてんだっつの」
「そういうもんか? 髪、硬えのに手触り、すげー良いなぁ。何してこうなんだよ」
「普通の櫛だよ、普通の。おい、崩れるから触るなって」

 凌統が背を壁に付けると、膝同士がぶつかった。甘寧が髪にやっていた手を下ろし、凌統の腿に置く。鼠径部に向かって滑らせ、耳元に口を寄せた。

「なあ、凌統。命の恩人に対して礼はねえのかよ」
「は、言ったろ、感謝してるって。近いんだよ、つうか、手、やめろって」

 分かりやすく狼狽える凌統に、甘寧は口の緩みが止まらない。格段に自分を受け入れていることには気が付いていたが、これはもうその次元ではない。そう期待させるほど、凌統の耳は赤く染まり、触れた体が熱くなっている。さて、どうやって崩していくか、という時に、凌統が甘寧の手を引きはがし、距離を取らせた。

「おい馬鹿、話が違う。あんたが珍しく呂蒙さんを心配するようなこと言うから、来てやったんだっつの」
「……おう」

 燃え盛ったところに水を注されたように消沈した。だが呂蒙の件は若干撒餌まきえにしたところはあれど、本心である。仕方なく凌統と拳一つ分の距離を取り、次の酒を注いでから切り出した。

「おっさんがよぉ、最近ますますくたびれてんだろ。元気がねえ」
「そりゃあねえ。あの曹魏と盟することになって、ご心労でいっぱいでしょうよ。魯粛殿だって臥せっちまったし」

 甘寧は南郡の時の魯粛の姿を思い出した。威風堂々とした立ち振る舞いで、胡散臭い笑みを浮かべて指示を出した男。凌統よりも高い背で、軍師とは思えぬ物騒な武器を持ち、戦場を静かに駆けていた。巴蜀に対して怒りを見せながらも、講和を得意として孫劉同盟の保持に献身してきた。
 その魯粛すらも、病で憔悴し、長くは持たないという話だ。施せる治療は既になく、痛みを緩やかにする措置のみが取られている。孫権始め、呂蒙や陸遜が日々見舞っていて、当の本人は横になりながらも目元に皺を作って笑っている。甘寧が室に行った時には「まさかお前が来るとは」とおどけて見せた程だ。

「……もう、だめなのかね。劉備との同盟ってやつは」
「俺ぁ国同士の喧嘩はよく分かんねえけどよ。付き合って別れるなんざよくある話だろ。大体、荊州横取りしやがったのはあっちだ。けどよ、姫さんがいるとこってのはやり辛えな」
「意外。あんたにもそういう情ってのがあんだ?」
「あ? 俺ほど情熱的な男はそういねえだろ。他でもねえお前が分かんねえなら、体で教えてやっか」

 半ば叩きつけるように中指の節を凌統の唇に当てる。酒で濡れて艶やかな皮膚を骨で擦ると、また顔を赤くして首を振っている。凌統という男は皮肉を言いたいがために、己の立場を忘れる時があるように思えてならない。脇の甘さをいつか指摘してやろうと決めた。

「まあいい。んでよ、近い内おっさんとこで飲もうぜ」
「……ははっ。呂蒙さん元気づけるのに呂蒙さんとこで、ってのがあんたらしい。いいぜ、一緒してやっても。けど、陸遜抜きで呂蒙さんとこで飲んだら、あんた燃やされるんじゃないの」
「仕方ねえ、呼ぶか。つうか、あいつやっぱぶっ飛んでるよな? 俺には当たりがきついしよ。可愛い顔して物騒なことしやがる。この間火矢の練習台にされそうになったんだぜ。勘弁しろよな」

 ふざけた甘寧の言い方に凌統が笑うと、垂れた目元が穏やかに下がり、幼く見えた。いつも肩ひじ張って堅苦しく立っているので、そうではない姿を見るとぐっと近い存在に感じる。次の瞬間には衝動的に距離を詰めて、凌統に口付けていた。

「ん、……ちょ、んんっ」

 文句を言おうとして開いたところに舌を差し込む。酒の味に混じって甘みを感じ、耐えきれず凌統の後ろ頭をがっしりと掴んで深く口付けた。角度を変えて口唇を食み、歯列をなぞり、厚みのある舌を存分に吸った。当初抵抗のために肩に置かれたであろう手は、甘寧の臙脂色の衣を必死に握っている。漏れ出る甘い息や音を至近距離で食らい、ぞくぞくと快感が全身に回った。
 かつて凌統に抱いた狂暴な欲は、形を変えて残り続けている。強引に暴いて屈服させてやりたいとは思わなくなったが、気の向くままに口説いて触れ、心ゆくまで快楽に溺れさせてやりたいと思うようになった。口付けまでは満更でもなさそうな凌統に、甘寧の期待が膨れ上がる。

「お、おい、甘寧、待てって」
「あ? 何年待ったと思ってんだ。待てねえよ」

 凌統の手を強引に引っ張って股間に押し当てると、赤い顔をして不快な表情になる。これまでの凌統の対応を見てきた甘寧だからこそ分かることがある。本当に嫌な時、凌統は殺す気で反撃するはずだ。単に不快を示すだけなら、踏み込んで良い。

「ん、む……んん」

 接近して唇を寄せると、いよいよ凌統も素直に口を開いて迎え入れるようになった。余計な言葉を求める必要はなかった。項を撫ぜながら深く口付けると、密着した体がぴくぴくと震えている。存分に吸ってから解放し、間近で目を合わせた。

「俺ぁ、お前のことを言いふらす気はないぜ」
「……は?」
「だから安心して馬鹿になれや」

 凌統はこれ以上なく顔を顰め、嫌そうな表情を全面に出してから、甘寧の首に腕を回したのだった。


***


 甘寧は己の隠れ処で目を覚ました。隣には昨晩体を堪能した相手が眠っている。あまり経験のないことをさせたからか、うつ伏せで枕を抱えるようにして目を瞑っていた。その髪を一束取り指先で弄ぶ。これまでの人生で味わったことのない充足感で満ちていた。あの凌統が従順に馬鹿になって密室に着いてきたことも、結果的に大人しく抱かれたことも想像よりずっと嬉しく、はしゃぎすぎた自覚すらある。
 初めて夏口で敵対したとき、憤怒と憎悪に満ちた目に惹かれた。孫呉に下ってからはなかなか接点がなく焦れたが、赤壁や南郡での戦を機に近づいた。最初は恨まれたままで良かった。それを強引に暴きたいとすら考えていた。だが、甘寧自身が「呉に甘寧あり」と大切に扱われ、愛情を理解し、少しずつ変えられていった。
 今は、凌統が困ったり呆れたりしてしかめっ面しているのを見ていたいと思うようになった。他者に見せるスカした顔や孫権に見せる篤実な顔ではなく、目一杯崩れた表情を、自分だけが見ていたいのだ。
 いつの間にか髪に触れる手つきが雑になっていたようで、凌統が身じろいだ。あえて手を引っ込めずにぐしゃぐしゃと頭を撫で回すと、その手を叩かれる。些細な反応が嬉しく、甘寧は口角を上げて凌統を見やった。

「おう、生きてっか」

 首を捻って顔を向けた凌統が、しっかりと不機嫌面で睨んでくる。

「……あんたを殺せそうなくらいには、元気だ」
「おっ。気力あんなぁ。んじゃ、もう一戦しけこむか」
「ふざけんなっつの! 調子に乗んな馬鹿っ……う、うう」

 拳を握って勢いよく起き上がった凌統が、うめき声を上げて再び寝台に沈んだ。

「最悪……全然起き上がれねえっての……」

 体が怠いのか強烈な違和感があるのか、もしくはそのどちらもなのかもしれないが、凌統は枕に頭を預けた状態で甘寧を鋭く睨んでいる。そんな姿が近くにあることに胸を打たれ、上から覆いかぶさって口付けた。

「やべーなぁ。マジでもう一回食っちまいてえ」
「体力馬鹿」
「くたばってるお前、妙に色気あんだよ。お前が悪くねえか?」
「鬼畜野郎」

 眉間に皺を作って憤慨する凌統に口付けるのも随分慣れてきた。なんだかんだ接吻は嫌がらずに受け入れてくれるので、甘寧はつど判断に迷うのだ。このままいっていいのか言葉の通りやめた方がいいのか。とりあえず今は、体が辛そうなところは本当らしいので、甘寧は深く凌統と唇を重ねることで勘弁してやることにした。


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