凌雲を掴むまで


 呉候が孫権の台座の前に、臣下が立ち並ぶ。傍には大都督である呂蒙が立ち、後ろには護衛である周泰が控えていた。

「これより魏軍を迎撃する。先鋒を務めたい者はおるか!」

 高らかな声が室内に響く。武将らが目配せを始めようとした時には、もう甘寧が一歩踏み出していた。

「俺が突っ込んで、奴らを吹っ飛ばします!」
「俺に任せて下さい」

 その甘寧を通り過ぎ、少し前に立った凌統が宣言した。

「突っ込む奴の尻拭いは、飽きたっての」
「お前、まだんな突っかかり方しやがって」

 台座の孫権は両者を眺め、すぐに決断した。

「よし、此度は凌統に任せよう。甘寧の働きに負けぬ功を立ててみよ」

 おお、と感嘆の声が響いた。先の合肥で一軍を壊滅に陥らせた凌統を、孫権が如何ほど信頼し、期待しているかが明らかになった。凌統は正面からその意思を受け止め、丁寧に礼を施す。凌統は己の高い闘志。孫権に対してだけではなく、呉軍の皆に――己を掬い上げた甘寧にも、届くようにじっくりと拱手を続けた。

 軍議が終わるとすぐ甘寧が凌統の肩を叩いてくる。周囲は昨夜の秘密の会食など露知らず緊張を走らせた。軍内では、二人は犬猿の仲である。

「おい凌統、ヘマすんなよ」
「あんたこそ、船でお得意ぶってると足元掬われるぜ」
「ああん? お前はいちいちよぉ」
「とにかく、先鋒は俺だ。あんたは攪乱に精を出すことだね」
「お前ら! 殿の御前であるぞ! 喧嘩はよせ!」

 ごん、と頭に拳骨が落ち、凌統は痛みに呻いた。呂蒙こそ言葉での𠮟責に留めればいいものを、と思うものの口には出さなかった。だが、呂蒙の少し乱暴なまでの行動で、周囲の緊張は静かに解れていった。


***


 砂埃の立つ地を踏みしめる。天候は曇りでやや風がある。弓兵は苦戦するかもしれない。凌操は口癖のように戦況を見よと言っていた。戦況というものは、地形、兵達の陣形、戦法だけでなく、気候や体調、心理状況にも大きく左右される。凌統は改めて新しく授かった自軍に向き合った。

「いいかい、相手が強大でも、怯んだもん負けだ。地に足付けて、着実に進もう。俺が先導する」

 おお、と迫力のある返事が来て、凌統は安心して頷いた。威勢の良さは甘寧の影響がありそうな気がしたものの、こと戦場においては悪くないように思えた。

「さて、久々の先鋒だ。張り切っていこうか。良いとこ見せないとね」

 今回の武器は三節棍を選んでいる。曹魏の兵力に対抗するため、動きが読まれづらい武器と動きを特訓してきた。
(あいつは、鎖鎌だったな)
 甘寧は意外なことに、刀だけでなく鎖分銅や鎖鎌を振り回すのも上手い。興味本位で一度触れたことがあるが、重量があって操るのは至難の業だった。甘寧の体躯あってこその武器だ。南郡の夷陵城奪取と言い、奇襲の度にぶんぶんと振り回して騒いでいるのを思い出して、凌統はほんの少しだけ口角を上げた。

「さ、行ってみようか」

 鏑矢が放たれ、銅鑼が鳴り響いてから、凌統軍は一斉に駆け出した。
 まずは重要拠点を押さえるよう呂蒙から命じられており、凌統は忠実にその命に従った。西、中央、東と順に制圧を終えると、呂蒙らは策があると言って一度引っ込んだ。その隙をつくようにして、黒馬で駆け出してくる一軍が見えた。

「一番槍を任されたからには、あなたを通すわけには行きません」
「へえ、あんた、真面目な良い人そうだ。そういう奴はしっかり叩いておかないとね!」

 金属と金属のぶつかる音がして、火花が散った。楽進の武器は双鞭。凌統の目から見ても物騒な重みのある武器を、軽々と使いこなしている。背丈は低くとも、鍛え上げられた体と実直なまでに綺麗な型で打ち込んでくるのを、暫く一方的に防ぐのみとなった。楽進の武術は隙がなく、視線誘導などの姑息な手段にも乗ってこない。
(ちぇ。相性悪いっつの)
 ただ、それは楽進も同意だったろう。凌統は防御から一転し、三節棍の先を小手に当てて隙を作ると、両脚を軸にして素早く節棍を操った。目にも止まらぬ速さで繰り出す攻撃は相手の気を削ぐ。凌統の得意とする素早さと変則さを前に、楽進も顔を歪めていた。
 いつの間にか、歩兵達は戦いを止めて円状に集まっており、一騎討ちの形となった。節棍を振り回し、跳躍して手足を入れたりするが、楽進との決着はなかなかつかない。
 五十合を越えた頃、ふと凌統の耳は風の音を捉えた。一歩後退し、防御の構えを取って目を瞑った。急な引きに楽進は付いて来ない。動揺しているのかもしれなかった。びゅうと突風が吹いて、砂埃を巻き上げて行った。辺りは困惑の声に満ちている。

「今だっ」

 凌統は風が収まったのを見計らって目を開け、しっかりと節棍を握って飛び出した。楽進は目に砂が入ったのか、武器の頭を下げて目を擦っている。

「らあっ」

 遠慮なくそこへ打ち込んだ。直撃した拍子に楽進が武器を落とし、尻もちを着いた。

「ここは、退くしかありません。うう、悔しいです!」
「敵将! 討ち取ったよ」

 わあ、と歓声が上がった。凌統軍の兵らが手を叩いて喜び合う。一方、楽進軍の者たちは肩を落とし、楽進を抱えて撤退していった。

「深追いは止めておこう。この先は、呂蒙殿に考えがあるらしいからね」

 上がった息を隠しながら指示を出す。緊張がやっと解れてくると、滝のような汗が流れてきて、凌統はつどそれを拭った。雲があるからか、じめっとした空気が息苦しい。風は強いというのに体温は一向に下がらなかった。

「凌統様、これを」
「ああ、ありがとう」

 新しい副将は凌統と同世代で、真面目な男だった。周泰がしばらく面倒を見てくれたようで、寡黙さが少し似ていた。竹筒に入った水を受け取り、喉を潤す。

「見事な打ち合いでした」
「周泰殿の下にいたあんたに褒められるのは、嬉しいね」
「凌統様のお噂はかねがね聞いておりました。孫権様を単騎で守り抜いた英雄だと、周泰様が」

 思わず口に含んだ水を吹き出しそうになったが、貴重なものだと必死に飲み込んだ。気管に入ってむせ、胸をどんどん叩きながら声を絞り出す。

「あの人、そんなこと言うのかい?」
「ええ。気に入った方には特に厚く期待されております」
「……そりゃあまた、えらい重圧だねえ」

 照れ隠しのように呟いて頭を掻く。副将は静かに拱手するのみだ。凌統はゆっくりと深呼吸して、体の酸素を入れ替えた。貰った言葉が励みになって、手に力が入る。

「伝令申し上げます! 呂蒙様の落石策が成功! 敵軍は足止めされています」
「さっすが呂蒙殿。さて、じきに奇襲部隊も離岸する頃だろ。挟撃めがけて進もうか!」

 自軍が武器を掲げて呼応する。野太い声と鼓舞するための楽器の振動を背に受けながら駆け出した。


***


 突貫工事で増やした船に甘寧が乗り込む。速度重視で軽く、基本の操舵は簡単だが、波の影響は受けやすい。見つかった時に石でも投げられると危険だ。とにかく見つかる前に、着岸する。それが奇襲隊の目標だった。

「よし、用意はいいな! あいつらの横っ面、ぶっ叩いてやろうぜ!」

 応と部下の返事が一斉にあり、甘寧は腕を組んで頷いた。素早く乗船を終えると、陸にいる兵に出発の狼煙を上げさせる。

「おっし、死ぬ気で漕げよ! 気付かれる前に乗り込むぜ。舵も気ぃ抜くな! 横波で簡単にひっくり返るぞ!」

 揃った返事にもう一度喝を入れてから、甘寧は先端に屈んだ。自身の戦装束は敵を驚かせ、慄かせるためのものだ。奇襲の時は鳴りを潜める必要があったので、むしろを被って目線だけを水上に向けた。
 この戦は凌統が先鋒である。さきがけを走れる気持ちよさを知っている以上、役割を取られた残念感はあるが、それが凌統であるなら譲る気になった。凌統の実力を期待しているのが自分だけでなく、孫権や呂蒙も同じかと思うと胸が躍った。一部のところでは、凌統への悪評や反対意見があったようだが、それを一切無視して凌統に託した孫権を、甘寧はますます気に入っていた。

「死ぬんじゃねえぞ、凌統」

 無意識の呟きは船が波間を掻い潜る流水音でかき消された。


 曹魏軍の陸が見え、甘寧は相手のやぐらに見つからぬよう細々と指示を飛ばした。きっちりと付いてくる部下が頼もしい。無事に死角に船を着けると、速やかに武器を持たせ、陸地に上がってすぐ駆け出した。水上移動の直後に真っ直ぐ走れるのは並大抵のことではない。甘寧軍の練習の賜物である。

「おらおらおらぁ! 鈴の甘寧っ、暴れるぜえ!」
「うっ、うわあああ! 後ろから、孫呉が!?」

 びりびりと肌が痺れ、体温が一気に上昇した。急に視界が冴えて、どんな敵も緩慢に見える。そこに向かって鎖鎌を振ると一斉に倒れて行った。先駆けの楽しさは譲ったが、奇襲が成功した時の高揚はまた格別である。日頃の鍛錬の時よりも全身の筋肉が柔らかく動き、全方位の光景が見えるような錯覚に陥った。

「血が滾ってきたぜぇー!」

 甘寧が鎌を振り回しながら走ると、次々に兵が倒れ、道が開かれた。

「ピンとは来てたが、こんな嫌な予感が当たっちまうとはね、俺」

 開かれた道の先に、刀を構えた男が立っている。青い装束に特徴的なうねった髪。垂れた目が、別の男を想起させた。

「予感的中お手の物、李曼成とは俺のこと! あんたが噂の鈴の甘寧だな。随分なところからやってきたもんだ」
「へへ、孫呉イチ格好いい男って噂か? ぜひ聞いてみてえなっ!」

 鎖鎌を一度引き、振り回してからその顔面目掛けて下す。しっかりと防がれて、甘寧は自然と口角を上げた。いつだって将との対決は愉しいものだ。何度か打ち合いを続けながら観察を続ける内に、甘寧はふと気が付いた。

「お前、ただの武将じゃねえな?」
「おっ、勘が良い。それともやっぱ、分かるもんか?」
「ああ。俺の知ってる奴らは皆もっとギラついてて、暴れたくてたまんねえって顔してるからな」

 李典が甘寧の猛攻を防ぎながら笑った。武に特化していないとはいえ、さすがは戦場に立つ者だ。甘寧の攻撃を凌げる力があるだけで、そこらの雑兵よりよほど長けている。

「俺の知ってる野郎も、確かに目がギラついてる。名前聞いただけで赤子が泣く、なんてな!」
「おっ。なぁんかその話聞いたことあるぜ。ムカつくちょび髭してねえか、そいつ」
「ああ、してる!」

 激しく金属音を立てながら両者はせせら笑っていた。甘寧は相手が智将だろうと手を抜くことはない。呂蒙も昔は武一辺倒であったし、ひ弱に見える陸遜も自身の動き方をよく分かっていて、対峙するとなかなか手ごわい。今対立している李典も、日頃は策を練る方なのかもしれないが、偃月刀を操っている以上それなりの実力があると踏み、遠慮なく全力を出していた。打ち合いを続けると、李典の余裕そうな表情が崩れて来て、汗が多くなってきたことが分かった。分が悪いと思ったのか、李典が一度距離を取る。

「俺はあの男とは折り合いが悪い。けどな、実力は認めてる。張文遠を前に無事でいられる人間はそういない」
「そうかよ。俺んとこの垂れ目は生きて帰って、今そいつぶん殴りに行ってるぜ」
「――ピンときた。さっきから違和感があると思ってたんだ。あんたと、凌統は仇敵の間柄だろ? 仲が悪いもんだと聞いていたが……そうでもない、ってことね」

 凌統の名が出ると、甘寧の頭がすっと冷めた。あんなにも楽しく喧嘩していたのが嘘のように気が落ち、静かな怒りが湧いてくる。

「ま、乱世じゃ色々ある。凌統の判断は賢い。けど、いち男としちゃ、親族の仇が討てないってのはどうにも」
「あいつを知らねえ奴が、ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ」

 李典が目を丸くし、隙が生まれたのが分かった。偃月刀は重量があり、支えるには両手で持つのが基本姿勢となる。観察して捉えた利手ではない方へ鎌先を打ち込むと武器を持つ力が弱まった。仕上げに柄に蹴りを入れ、吹っ飛ばす。甘寧は元々得物のない喧嘩ばかりしてきた。ここ数年は武器で遊んできたが、殴打も足蹴もそれなりに得意な方だ。ただ、戦での動きに足を入れようと思ったのは、凌統の動きに影響されたからだ。戦い方だけでなく、距離感や交わしてきた言葉、触れて知った温度――凌統の全てに惚れている。あの男の覚悟を知っているからこそ、上辺の情報で決めつけてくる李典が許せなかった。

「まだやるか?」
「……どうしようもねえな、俺」

 武器を落としたことにより、李典は敗北を認めて両手を挙げ、降参の意を示した。これまでの甘寧であれば、声も掛けずに切っていただろう。しかし、部下らの戦況は思わしくない。逃がす代わりにこれ以上の損害を防ぎたかった。

「……名前が出ただけで、随分怖い顔になったもんだ」
「あ?」
「いや。さ、撤退撤退」

 そそくさと李典軍が退いていくのを、甘寧は面白くない顔つきで眺めていた。周辺に敵が消えてから、一度自軍の様子を確認する。曹魏の軍は将だけでなく、歩兵や弓兵まで強い。武器や動きが良く、甘寧の自慢の手下も随分と失った。守り切れなかった悔しさが迫り上ってくる。

「兄貴、俺たちは、行けますぜ」

 最も長く共にいる男が今は副将だ。荒い息で血走った目をしながら告げてくるのを見て、甘寧は一度補給を受け、自軍を休ませることを決めた。

「お前ら、一旦止まって気合い入れ直しとけ!」

 雄叫びが上がる。補給隊に船からの荷下ろしを指示し、必要最低限の治療を開始した。怪我の対処はいつも勘頼りだったところ、孫呉に来てから格段に知識が増えた。甘寧は、自身が変わったとは思っていない。ただ、国という大きい勢力の喧嘩の仕方を、ひとつ覚えただけなのだ。

「凌統、俺が行くまで、踏ん張ってろよ」

 ぽつりと零した言葉は強風に流されて、やはり誰の耳にも届かなかった。

  
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