SSまとめ(健全)

 模擬戦を終えた甘寧は手持ち無沙汰で歩いていた。戦の真似事はどこか物足りない。鍛練場でもう少し動くか、と角を曲がったところに、一人の男が忍び寄ってきた。文を渡すなりすぐに消える。とりあえず目を通し、見覚えのある筆跡と覚えのない呼び出し場所に首を傾げた。

 何かがおかしい。暇潰しに来てみたが、林道に着いてまもなく違和感に気付いた。ぽっかりとした空間は休憩に最適で、甘寧も思わず足を止めて汗を拭う。
「ご苦労さん」
 赤い胴着の男が木に寄りかかり、腕と長い脚をそれぞれ組んでいる。嘲笑い立っているのは予想通り凌統だった。甘寧はつられて眉を寄せる。
「んだよ凌統。ありゃ恋文か?」
 甘寧は煽りつつ気配を探る。凌統と似た匂いが他にもいる。更に、人間ではない何かもいる。甘寧は腰元の柄を握った。
「どういうつもりだ?」
「凶悪なツラ。本性丸出しだね」
 薄ら笑いで鎌の先端を眺め、得意の口上である。凌統自身に構える様子はないが、仇討ちには最適の状況だ。涼しい顔を睨み上げながら甘寧は観察と煽動を続ける。
「ご丁寧に三人も忍ばせてどうしたよ」
「人数までお分かりとは、さすがだね」
「殿に無許可で私闘ってのはやばいんじゃねえの?」
 目の前の皮肉屋はこれでいて忠孝心が篤い。主の名を出せば顔が崩れるかと目論んだ甘寧は、あっさりと予想を覆された。
「あんたをここに呼んだのは殿の命令だぜ」
 ずしっと重いものが甘寧の腹に当たった。現実には何も起きていない。そんな錯覚がしたのだ。孫呉に尽くすとまでは言えないが、滾る喧嘩を自由にさせてもらえることに恩義を感じて、甘寧なりに返してきたつもりだった。まさか、このような形で排除されようとは。
 グルル、と地を這うような音がした。獣の吐息だ。用意周到さに甘寧は呆れ、諦めて、怒った。得物を構えて鎖を張る。それでも凌統は素手のまま立っていた。その余裕ぶりに苛立つ。
「黙って狩られるわけねぇだろ!」
 開けた場所だが、少し動けば木々が立ち並んでいる。凌統は反撃せず、幹に隠れて振り回された鎌を避け続けた。いきり立った甘寧は立ち回りが大きくなっていくことに気付かず、怒りに任せて武器を振るった。いくつかは凌統の脇腹や腿を掠めたが、決定的な打撃にはならなかった。
「そろそろ、おしまいにしようか」
 凌統が屈むと、刃先が背後の幹に刺さって抜けなくなった。一瞬の隙をついて凌統が鎖を掴んで引くと、甘寧の体勢が崩れる。そのまま足技を決められ、地に沈み、甘寧は覚悟を決めた。
味方ダチだと思ってた奴に命取られるたぁ情けねえな……最期に熱い喧嘩ができたのは、悪くなかったか)
 しかし、いつまで経ってもとどめが来ない。何故か腰元をまさぐられている。眉間に皺を寄せた甘寧が薄目を開けると、何やら凌統が必死な表情で紐を弄っていた。甘寧が疑念の声を上げる。
「くそっ、解けない。ろくに着てねぇんだから紐も簡単にしとけっての」
「そういう趣味だったか?」
 煽ったつもりはなく、単純に思ったことを尋ねた甘寧は思い切り睨み付けられて少し怯む。先程の喧嘩では向けられなかった強い視線だ。
「取れた! 借りるぜ。後は黙っててくれ」
 凌統が組紐と鈴の連なりを盗んで立ち上がる。甘寧は呆気に取られたまま体を起こし、あぐらをかいて動向を見守った。何が起きているのか理解が追いつかない。
 凌統は甘寧の鈴を空虚に向かって振った。澄んだ音が響き渡る。風が揺らす木々のざわめきに乗って奏でられる音色に、甘寧はふと安心させられた。
「怖くないぜ。ほら、この音、綺麗だろ?」
 凌統の声がやけに優しい。鈴を振る手付きも穏やかだ。甘寧の腰元で踊る時より、鈴たちも高らかに鳴いている気がした。
 ぐる。一鳴きしてから、のそのそと何かが出てきた。甘寧は目を細めてその正体を確かめる。――虎だ。しかし、凌統は恐れもせず、それどころかしゃがんで獣が近寄るのを待っている。鈴の音を止めずに接近を誘い、目の前に来ると抱きついて獣の頭を撫で回した。
「出て来てくれて嬉しいよ。もう怒ってないって。だから帰ろうか」
 虎も嬉しそうな声を出して、凌統の腕にすり寄っている。そこにようやく、伏兵の如く隠れていた部下三人が現れた。首輪に縄を繋ぎ、慣れた手付きで餌をやり、あれよこれよという間に虎は連れていかれた。甘寧が唖然とし続けていると、突然鈴を投げ返される。どうにか受け止めたが、即座に立って詰め寄った。
「テメェ、説明なしに俺のもんぞんざいにすんじゃねえ」
「丁寧に扱ったろ」
「ぶん投げただろうが!」
「受け止め損ねたならあんたの非でしょ。ちゃんと胴に投げたっつの」
 一向に譲らない凌統に腹を立てつつ、甘寧は腰紐を結び直した。鈴が定位置に戻り、木漏れ日を反射してきらめく。凌統がふいに近寄り、それを爪先で弾いた。鈍い音が鳴る。甘寧は何度も混乱させられて疲労を感じた。
「何がしてぇんだよ、お前」
 甘寧がぼやいて頭をかくのを見て、凌統は少し笑った。
「あれは殿の虎でさ。喧嘩して逃げ出しちまったんだと」
「は?」
「で、運悪く全容を知った俺に、どうにかしろってご命令だ。ったく勘弁してほしいよ」
 甘寧の頭には依然として疑問が湧き続ける。説明されても分かったような、分からなかったような。凌統は腕を頭上に伸ばして体をほぐした。刃先が捉えた脇腹から、血が滲んでいる。
「あの虎は笛や琴の音色が好きでね。俺には出来ないって逃げようとしたんだけど」
 一応、全て伝える気はあるらしい。甘寧は己の頭を整理出来ていないこともあり、黙って聞くことにした。
「そしたら、あんたを頼れってさ。あいつ、あんたにゃ懐いてねえし、ご一緒したってわけ。まあ助かったよ」
 勝手に話を終了し、手を振って帰ろうとした長身の肩を、甘寧がしっかり掴んだ。無理やり振り向かされた顔はこれでもかとしかめられている。
「言えよ!」
「うるっせ……何だっつの」
「いや、お前、普通に鈴貸してくれって言えば良くねぇか!? 呼び出すにしても、普通説明すんだろ!」
 甘寧が噛みついて話すのを、凌統は片耳を隠して流し聞いた。鬱陶しさ全開の表情がまた甘寧の怒りを呼ぶ。
「物騒な顔で立たれて、あげく伏兵伏獣で仇討ちかと思うじゃねえか!」
 真っ当な意見に凌統がようやく眉間の皺を消し、二度まばたきしてから甘寧を見る。
「なにあんた、俺に……孫呉に裏切られたと思ったのかい?」
 それは図星だったが、素直に認められず甘寧は言葉を詰まらせた。その顔を見て凌統が口元を緩める。目尻を下げて笑われるが、いつもの馬鹿にした表情ではなかった。
「あんたに頼みごとなんざ癪だと思ってたけど、片輪に話通さないで勝手に走ったのは、悪かったよ」
 予定外に、それも満足げに謝罪されて、甘寧の脳内は混乱を極めた。凌統の考えは理解が及ばない。思考回路が違いすぎる。それなのに、戦で互いの動きは手に取るように分かる。合うところと合わないところのちぐはぐさは、今後も解消しそうにない。
「でもあんた、模擬戦じゃ動き足りねえだろ」
「勝手に知った気になってんじゃねえよ」
「騙されて拗ねなさんなって」
「本気でうぜえ」
 甘寧が激昂すると凌統の機嫌が良くなる。鼻唄でも歌ってしまいそうな程にこやかに、凌統が口を開いた。
味方ダチは討たない、ってね」
 思い返してみると殺気のない行動ではあった。明示されたのは初めてで、同じ言葉を使われると甘寧の怒りが強制的に削ぎ落とされていく。
「無様に死んでもらっちゃ困るぜ。まだ、あんたに酒代のツケ払ってもらってないしね」
「今日のでだいぶチャラだろ」
「お頭がちっせえことで」
 差し出された拳に、甘寧は観念したように同じく拳を出してぶつけた。皮肉屋にはっきり仲間だと認められて悪い気はしない。しれっと鈴の音を褒められたことも喜ばしい。
 孫呉の両輪は歪な信頼を交わしながら、これからも同じ轍を生んでいくのだった。
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