SSまとめ(健全)

狂暴




 陸遜や孫権に命じられ、甘寧の借りを返すことになった凌統は、あくまで冷静な態度を取り続けた。速やかに軍備を整え、最低限の人数で出立し、平素の姿で蛮王の元へ向かった。
 合肥戦の後に凌統の副将となった男は、その様子を緊迫した面持ちで見守っていた。甘寧に致命傷を与えた沙摩柯に、凌統がどのような感情を抱えているのか、副将には分かる余地もないからだ。
 甘寧が凌統にとって単なる親の仇ではないことは、間近で見て知っていた。二人は功を争いながら、時に共闘し孫呉を支える両輪であった。それを崩されたのだから、孫呉の将としては容赦なく戦わねばならない。だが、親の仇を討った張本人相手に、上官は何を思うのだろうか――副将は一人そんなことを考えながら戦場を駆ける赤い胴着の後を追った。


「裏切り者の東呉連中めっ、この俺が斬り捨ててやる!」

 沙摩柯は対峙して早々、そう叫んだ。恭順していたはずの五渓の民が先に謀反を起こしたくせに、と反論しかけて、副将は留まった。凌統という上官は涼しい顔をして言うことは言う。特にこういう煽りには煽り返す性質だ。痛烈な皮肉を期待して凌統を見た副将は、驚きのあまり武器を落としそうになった。目に光がなく、端整な顔つきからは何の感情も読み取れない。何を写し、何を考えているのか分からないうちに、凌統がひらりと馬を下りた。地に立つ背を眺めても、凌統の本心は見えてこない。
 声を掛けようか、と副将が口を開いた時だった。鈍い音が響き、人の声とも分からぬ雄叫びが上がった。反射的に副将は武器を握り直したが、それを振ることはなかった。その隙が、必要が、なかった。凌統が長い髪を振り回しながら、二節棍を恐ろしい速度で敵兵にぶつけていたからだ。
 人間の体はかようにも柔軟に動くのか、と圧倒される程、凌統の武は鮮やかに繰り出された。骨や筋肉を打つ鈍い音や苦痛にもがき苦しむ声が続々と生まれる中、凌統は少しの手加減もせず、武器を振るい続けた。剣や刀と違って直接的な殺傷能力に欠ける節棍は、慣れない者が使うと躊躇ってしまい中途半端な攻撃にしかならない。普段の凌統も、好んで人を殺す方ではないので、せいぜい腕や腿を狙って戦力を欠く程度にしか使っていないように見えた。
 だが、今はそうではない。無表情で、次々に、微塵の躊躇もなく敵兵の頭や胴を狙い、確実に命を刈っている。 血や脳漿や皮膚がそこらに飛び散る光景は、戦に慣れた者からしてもぞっとする程醜悪なものだった。

「ひ、ひぃ……!」

 五渓蛮の王たる沙摩柯も、これには腰を抜かして尻を着いたまま後ずさった。凌統は周囲の逃げ惑う兵を長い脚で蹴り飛ばしながら、親仇の仇に近付く。一つの言葉も発することなく、ただ黙って死体を量産しながら、着実に追い込んでいった。
 ごしゃ。
 沙摩柯の最期はあっけないものだった。詰め寄った凌統の一振りで頭が潰れた。それで十分、借りは返したことになったはずだった。その後も凌統は攻撃の手を止めない。どころか、元の形が思い出せなくなるほど執拗に節棍を振り回し続けた。敵も味方も、この様子には降参し、その場から立ち去っていく。副将は震える体を律し、なんとか留まり続けて、ようやく声を絞り出した。

「り、凌統様、もう……」

 くるりと凌統が振り向いた。やはり、その目に光はない。顔面や戦闘衣は様々な液体や汚れに塗れ、変色している。

「……十分にございます。その者は、とうに亡骸になっているかと」
「……あぁ」

 短く、凌統が返事をした。手足を下ろし、人間だったものを見下ろしている。綺麗に伸ばされた長髪もぎっとりと汚れていた。赤ではない色の正体を、副将は考えないようにして目を逸らす。

「戻りましょう。殿にご報告を」
「……そうだね」
「その前に、清拭を。馬が、汚れますよ」
「わかったよ」

 凌統の声に張りはないが、やり取りは出来ている。当たり前のことにほっとして、副将は胸を撫で下ろした。差し出した布で凌統は最低限の箇所を拭っている。預かった武器は、意匠が分からないほど血で汚れていた。凌統の代わりに、入念に拭って金具の色を呼び起こす。

「行こうか」
「……はい」

 副将は何も尋ねないことに決めた。凌統の腹の中で何か決断していたのか、それとも無意識に甘寧の仇討ちに力が入ったのか、それを副将が知るのは無粋だと思った。今はただ、沙摩柯を討ち取ったという事実を本陣に伝えればいい。

(それにしても、恐ろしい気迫だった)

 夢であったのではないか。ほとんど現実逃避のように考えた副将だったが、すぐに首を振って中断させた。自分の仕事は、凌統を無事に帰還させ、手下には凌統の行動を手柄として伝え、軍を立て直すことだ。
 気合を入れ、馬の手綱を強く握って、本陣へ向かっていった。ちらりと見た凌統は、もういつもの飄々とした姿であった。



【了】

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