SSまとめ(健全)
一起
殺した将の息子と良い仲になって数月。甘寧はふと、共に遠出がしたくなった。そこでこれまでを振り返って、凌統と昼間に逢瀬をしたことがないと気が付いた。
二人は孫呉の武官であり、日々政務や鍛錬に忙しい。そうは言っても休暇はそれなりにあるし、自由もきく。流浪の身であった元敵将に対して孫権が寛大な処遇を与えていることは、甘寧自身も気が付いていた。凌統の方は、休みの日にも勝手に鍛錬だの調練だのと顔を出すので、よく強制的に街に放り出されているというのを聞いていた。私用を共にしたいと誘われたことは未だになく、日中顔を合わせるとすれば会議か調練が殆どで、偶然出会うといつも眉を寄せて景気の悪い顔を晒してきた。
――俺と日の下は歩けねえってのか?
そう思うとなんだか面白くなく、甘寧は早朝から凌統の屋敷に忍び込むことにしたのだった。
*
「遠出? 俺と、あんたが? 二人で?」
叩き起こされた凌統は始め、ひどく機嫌の悪い顔で甘寧を睨みつけていたが、覚醒すると落ち着いた様子で用件を尋ね直した。その表情は嫌がっていたり狼狽えていたりということはない。ただきょとんと、まるで考えたこともない、というような能天気さだった。
「おう。たまにゃ良いだろ。お前今急ぎの任務あるか」
「それはないけど……」
言い淀む若者の姿を、甘寧は腕を組んでじっと眺めた。寝起きで下りた髪型はいたく好みだ。健康的な肌も少し緩んだ襟元も、甘寧を煽ってくる。もっと甘寧が若ければ、無理やりにでも寝台に沈め直している。
だが今は、本来の目的を完遂するべく黙った。夜の凌統は意外と乗り気で、体を重ねることに抵抗はなくなっている。ただ、甘寧にとって凌統は単なる性のはけ口ではない。大切な想い人のつもりだ。恋人と外でゆっくりしたいと思ったことはこれまで一度もないが、凌統とは出来る限り色んな経験を共にしたかった。
「珍しいね、あんたがそういうこと誘うの」
凌統が明らかにはぐらかすので、甘寧はつい片眉を上げて目を細めた。威圧感たっぷりと評判の強面 にも凌統は怯まない。
「俺は考えたことも、なかったっつうかさ。……あんたと二人で、任務以外でお天道さんの下、歩くってのは」
「嫌なのかよ」
思わず年甲斐もなく反発すると、凌統は極めて冷静に首を振った。時々、ひよっこのはずなのに、妙に大人びて見える。それは、凌統がただならぬ人生を歩んでいる証拠だ。
「嫌っつうか、分かんないね。なんでだろうな」
そう言って目を伏せる凌統の睫毛の影が、甘寧の胸をざわつかせた。過酷な環境を幾度も経験した甘寧に、新しい感情をもたらすのはいつも凌統だ。
手入れの雑な頭を撫でた。長い髪がぐしゃぐしゃになると、凌統は眉間を寄せて嫌がり、やっと顔を上げた。そこを狙って口付けて、甘寧はなるべく優しく声をかける。
「お前はいちいち考えすぎなんだよ。やったことねえ、分かんねえってんなら、行こうぜ。なあ」
自身すらむず痒くなりそうな純粋な懇願に、凌統はやっと、こくりと頷き支度をするのだった。
***
堂々と私用だと言って門を潜る甘寧の後ろで、凌統が大丈夫だという声が聞こえた。門番が明らかに動揺していたので、補ったのだろう。年若い割に、凌統はよく人の機微に気がつく。甘寧以外に対しては、当たりはきつくないし、優しさや甘えを見せることもある。同じだけ自らに向けて欲しいとはまでは言わないが、甘寧は他者に対して嫉妬を覚えていた。だから強引なまでに逢い引きに誘ったのだ。楽しい時間となるか、先行きは不透明なままだったが。
「……で、どこ行くんだい」
「決めてねえ」
「はあ? こういうのってきっちり決めてからお誘いするもんだと思いますけどね」
嫌みったらしく敬語で睨んでくる凌統も、甘寧は好きだ。ただ、肩の力を抜いて欲しいと言ったらきっとこの若者はまた怒るだろう。想像出来る場面はそんな表情ばかりだ。
「あっちに自由に出来る馬がいるから、とりあえずそこまで歩こうぜ」
「はぁ……。やっぱ、乗るんじゃなかった」
「まあそう言うなよ。ちっとくれえ、俺らも話してもいいだろ。お前のことよく知らねえし」
砂利を踏み、そう返しながら甘寧は自ら納得した。甘寧は凌統を知りたいのだ。あの強かった男の息子であること、若くして家督を継いだこと、将来性のある武術に身長、整った見目。いくつも知っているようで、何も知らないように思う。好きな食べ物だとか、好きな過ごし方だとか、何故、甘寧に抱かれてくれるのかだとか。
「意外。あんたもそういう青臭い考えあるんだ?」
「うっせえな。せっかく口説き落とせたんだぜ、何でも知りてえに決まってんだろ」
「嫌いなのは、うるさい奴。鈴とかつけてるようなね」
「お前は嫌いな奴に股開くのかよ」
反射で飛んでくる嫌味に反射で喧嘩腰に返してしまい、甘寧は背筋を冷やした。穏やかな時間を過ごしたいと思っていたが、この青二才といては叶わない。何かしら詫びがいるか、と口を開きかけたが、予想していない笑い声に遮られた。
「ははっ、おっかしい。なあ、あんたっていつも気だるそうにして余裕こいてムカつくけどさ、俺の前では結構ガキみたいだ」
「本物のガキに言われちゃ終いだな」
「別に、いいんじゃないの。俺はあんたのこと嫌いだけど、それだけじゃなくなったから、一緒にいるつもりなんだっつの」
横に並ぶ凌統の背はいつもきちんと張っている。無名によると甘寧の参入時は曲がっていたこともあるらしいが、甘寧の前では背筋よく立っている。無茶をしているのかと思っていたが、芯のある男だと再認識した。
「お前はくそ生意気だが、格好良いとこもあるじゃねえか」
「無名に言われりゃ嬉しいのに。あんたに言われるのは、なんか腹立つ」
「何でだよ」
軽快なやりとりは甘寧を自然と微笑ませた。想像していた穏やかさとは違うが、凌統が覚悟を決めて己と共にあろうとしていることが分かって、単純なまでに嬉しくなった。
「やっぱどっか籠もって抱きてえなあ、凌統」
「俺は嫌だ。せっかくだから美味いもん期待してますぜ、甘寧殿」
「お前って妙に甘えるの上手いよな」
厄介な男を好いたと思う。今更な感想が、また甘寧の口角を上げさせた。
***
結局、二人の逢瀬はそれらしく進行した。向かった町で入手した饅頭は凌統の舌に合ったようで、甘味まで与えられると長身の男は分かりやすくご機嫌になった。女扱いと怒られるかと思いきや、髪留めに付ける翡翠の飾りもすんなりと受け取り、代わりに耳飾りを甘寧に選んでくれた。凌統という男はそつがなく、贈っても贈られても様になっている。
「なんかお前、分かっちゃいたが育ちがいいな」
「まあね。そんな俺を育てて下さった父上は、目の前の奴に斬られちまったけど」
「そういう皮肉は手前 まで傷つくだろ、やめろ」
「……つい、出ちまうんだっつの。けどまあ、胸に刻んどくよ」
「急に素直になんなよ、調子狂うぜ」
「あんたも結構面倒くさいよな」
互いに貶し合って笑う。背を叩いて、時々蹴りを入れて、肩をぶつけ合う。凌統との距離感はこれが丁度よいのだと知れた。好みの味や雑貨も。それだけで満足な報酬だった。
「帰っか?」
「ああ……。ん、やっぱ少しだけ、あっち行ってから」
凌統が顎で示したのは人気のない丘の方だった。町はずれで侘しく見える草原に、凌統はずんずん歩を進める。今まさに綱を解こうとした馬の鼻を撫で、わりい、と謝ってから、甘寧はその背を追った。
「へえ……良い眺め」
「おっ。すげえなぁ。江一望」
「あんた、この偉大な長江で暴れてたのかい?」
「昔な。あの瀬、覚えがあるぜ」
「適当言っちまって」
凌統がわざわざ地面に座るのを追うか悩んだ甘寧は、そのまま少し離れた位置で腕組みをするに留めた。なんとなく、凌統から近寄ってくるなという圧を感じた。いつも凌統の内心は複雑で、どれが本音か分からない。だから甘寧は直感に従って動いている。
「……今日、来て良かったよ」
「ん? おう。俺もだ。ありがとな、乗ってくれて」
「朝は怠すぎて後悔したけど、まあ、悪くなかった」
「可愛くねえ」
甘寧は笑って言ったが、また会話は途切れた。陽が沈んでいくのをただ黙って見守る。平服にも着けている鈴が風に揺れて、時々切ない音を上げた。もしやこのまま別れでも切り出されるのか、とすら覚悟を決める程、凌統が背は曲がって、落ち込んでいる。言葉では良い感触だったというのに。
嘆息しそうになるのをぐっと堪えて、甘寧は凌統の次を待った。組んだ腕を解くことなくどっしり構えて待った。元より凌統は考える方であり、甘寧は年の功でそれを受け入れる他ない。遙かに年下で、親仇と睨んできた過去を持つ男の考えなど、読めるはずもないのだ。
「……許せないよな」
ぽつりと零したのは、独り言でもあり、尋ねているようでもあった。甘寧は言葉を返さず、目線だけを向けた。膝まで抱えて俯く子どもの感情は不明なままだ。
「昼間っから、あんたと、楽しく過ごすなんてさ……罰当たりにも程があるっての。親不孝者で、信じられない」
凌統の声は震えていた。戦場や鍛錬の場では聞いたこともないか細さだ。内容は想像の範囲内だったが、そこまで急に鬱屈とし始めたことには驚いた。今日に限らず、ずっと凌統の中で抱えてきた葛藤なのだろう。凌統の苦悶を聞いてから、甘寧も少し考えてみる。
例えば、共に闘うことは君主命令だと言える。立場も弁えずに口説いてきた甘寧に抱かれることは、性欲発散だとも言えるし、いつか捨ててやろうという優位性を保つためとも言い張れる。
捻くれた凌統のことだ。普通の恋人らしく過ごすことの方が許せないとでも思っているんだろうと着地して、甘寧はむしろ感心した。これまでに会ったことのない、面倒で愛おしい男だ。
凌統がちらりと甘寧を見上げてくる。今にも泣きそうな、迷い子の表情。甘寧は時間を掛けて息を吐き出し、ゆっくりと隣に腰を下ろして、凌統の額に口付けた。
「ま、いくらでも悩め。付き合ってやるからよ」
「なんだよ、それ。全部あんたが悪いくせに」
「おう、そうだ。全部俺が悪い。迷子のひよっこ取っ捕まえて、離す気がねえ悪い蛮族だ」
「最低」
「だよなぁ」
徐々に距離を縮めて肩が触れ、そのまま腕を回して体を引き寄せた。凌統は拒絶してこない。少し力を込めるとすぐに顔を向けてくれて、唇をさらえた。外だと喚くこともなく、何度も触れるだけの接吻を甘受している。黙っているかわりに目も瞑らない若者が愛おしくて、甘寧は空気も読まずに笑い出しそうになった。
「なんだっつの」
「あ? わりい、お前を笑うつもりはねえんだが」
「表情に締まりがなさすぎるんだよ」
「だってよ、お前ずるいだろ。こんなん、離してやれる訳がねえ」
「意味分かんないね」
きっと凌統は、この葛藤を抱え続けるのだろう。甘寧にそれを解消してやれる術はない。ただ、悩みながらでも共にいてくれる事実があれば十分だった。
「凌統、好きだぜ」
「俺は嫌い」
「そうかよ。今日は抱かせてくれねえの?」
「さあね」
凌統の方から口付けを寄越し、甘えるように頭を擦り付けてくる。もう少し、陽が姿を隠しきったら、抱えてでも私邸に連れて帰ろう。人生で記憶にないほど穏やかな凪が、甘寧の胸中を占めていた。
殺した将の息子と良い仲になって数月。甘寧はふと、共に遠出がしたくなった。そこでこれまでを振り返って、凌統と昼間に逢瀬をしたことがないと気が付いた。
二人は孫呉の武官であり、日々政務や鍛錬に忙しい。そうは言っても休暇はそれなりにあるし、自由もきく。流浪の身であった元敵将に対して孫権が寛大な処遇を与えていることは、甘寧自身も気が付いていた。凌統の方は、休みの日にも勝手に鍛錬だの調練だのと顔を出すので、よく強制的に街に放り出されているというのを聞いていた。私用を共にしたいと誘われたことは未だになく、日中顔を合わせるとすれば会議か調練が殆どで、偶然出会うといつも眉を寄せて景気の悪い顔を晒してきた。
――俺と日の下は歩けねえってのか?
そう思うとなんだか面白くなく、甘寧は早朝から凌統の屋敷に忍び込むことにしたのだった。
*
「遠出? 俺と、あんたが? 二人で?」
叩き起こされた凌統は始め、ひどく機嫌の悪い顔で甘寧を睨みつけていたが、覚醒すると落ち着いた様子で用件を尋ね直した。その表情は嫌がっていたり狼狽えていたりということはない。ただきょとんと、まるで考えたこともない、というような能天気さだった。
「おう。たまにゃ良いだろ。お前今急ぎの任務あるか」
「それはないけど……」
言い淀む若者の姿を、甘寧は腕を組んでじっと眺めた。寝起きで下りた髪型はいたく好みだ。健康的な肌も少し緩んだ襟元も、甘寧を煽ってくる。もっと甘寧が若ければ、無理やりにでも寝台に沈め直している。
だが今は、本来の目的を完遂するべく黙った。夜の凌統は意外と乗り気で、体を重ねることに抵抗はなくなっている。ただ、甘寧にとって凌統は単なる性のはけ口ではない。大切な想い人のつもりだ。恋人と外でゆっくりしたいと思ったことはこれまで一度もないが、凌統とは出来る限り色んな経験を共にしたかった。
「珍しいね、あんたがそういうこと誘うの」
凌統が明らかにはぐらかすので、甘寧はつい片眉を上げて目を細めた。威圧感たっぷりと評判の
「俺は考えたことも、なかったっつうかさ。……あんたと二人で、任務以外でお天道さんの下、歩くってのは」
「嫌なのかよ」
思わず年甲斐もなく反発すると、凌統は極めて冷静に首を振った。時々、ひよっこのはずなのに、妙に大人びて見える。それは、凌統がただならぬ人生を歩んでいる証拠だ。
「嫌っつうか、分かんないね。なんでだろうな」
そう言って目を伏せる凌統の睫毛の影が、甘寧の胸をざわつかせた。過酷な環境を幾度も経験した甘寧に、新しい感情をもたらすのはいつも凌統だ。
手入れの雑な頭を撫でた。長い髪がぐしゃぐしゃになると、凌統は眉間を寄せて嫌がり、やっと顔を上げた。そこを狙って口付けて、甘寧はなるべく優しく声をかける。
「お前はいちいち考えすぎなんだよ。やったことねえ、分かんねえってんなら、行こうぜ。なあ」
自身すらむず痒くなりそうな純粋な懇願に、凌統はやっと、こくりと頷き支度をするのだった。
***
堂々と私用だと言って門を潜る甘寧の後ろで、凌統が大丈夫だという声が聞こえた。門番が明らかに動揺していたので、補ったのだろう。年若い割に、凌統はよく人の機微に気がつく。甘寧以外に対しては、当たりはきつくないし、優しさや甘えを見せることもある。同じだけ自らに向けて欲しいとはまでは言わないが、甘寧は他者に対して嫉妬を覚えていた。だから強引なまでに逢い引きに誘ったのだ。楽しい時間となるか、先行きは不透明なままだったが。
「……で、どこ行くんだい」
「決めてねえ」
「はあ? こういうのってきっちり決めてからお誘いするもんだと思いますけどね」
嫌みったらしく敬語で睨んでくる凌統も、甘寧は好きだ。ただ、肩の力を抜いて欲しいと言ったらきっとこの若者はまた怒るだろう。想像出来る場面はそんな表情ばかりだ。
「あっちに自由に出来る馬がいるから、とりあえずそこまで歩こうぜ」
「はぁ……。やっぱ、乗るんじゃなかった」
「まあそう言うなよ。ちっとくれえ、俺らも話してもいいだろ。お前のことよく知らねえし」
砂利を踏み、そう返しながら甘寧は自ら納得した。甘寧は凌統を知りたいのだ。あの強かった男の息子であること、若くして家督を継いだこと、将来性のある武術に身長、整った見目。いくつも知っているようで、何も知らないように思う。好きな食べ物だとか、好きな過ごし方だとか、何故、甘寧に抱かれてくれるのかだとか。
「意外。あんたもそういう青臭い考えあるんだ?」
「うっせえな。せっかく口説き落とせたんだぜ、何でも知りてえに決まってんだろ」
「嫌いなのは、うるさい奴。鈴とかつけてるようなね」
「お前は嫌いな奴に股開くのかよ」
反射で飛んでくる嫌味に反射で喧嘩腰に返してしまい、甘寧は背筋を冷やした。穏やかな時間を過ごしたいと思っていたが、この青二才といては叶わない。何かしら詫びがいるか、と口を開きかけたが、予想していない笑い声に遮られた。
「ははっ、おっかしい。なあ、あんたっていつも気だるそうにして余裕こいてムカつくけどさ、俺の前では結構ガキみたいだ」
「本物のガキに言われちゃ終いだな」
「別に、いいんじゃないの。俺はあんたのこと嫌いだけど、それだけじゃなくなったから、一緒にいるつもりなんだっつの」
横に並ぶ凌統の背はいつもきちんと張っている。無名によると甘寧の参入時は曲がっていたこともあるらしいが、甘寧の前では背筋よく立っている。無茶をしているのかと思っていたが、芯のある男だと再認識した。
「お前はくそ生意気だが、格好良いとこもあるじゃねえか」
「無名に言われりゃ嬉しいのに。あんたに言われるのは、なんか腹立つ」
「何でだよ」
軽快なやりとりは甘寧を自然と微笑ませた。想像していた穏やかさとは違うが、凌統が覚悟を決めて己と共にあろうとしていることが分かって、単純なまでに嬉しくなった。
「やっぱどっか籠もって抱きてえなあ、凌統」
「俺は嫌だ。せっかくだから美味いもん期待してますぜ、甘寧殿」
「お前って妙に甘えるの上手いよな」
厄介な男を好いたと思う。今更な感想が、また甘寧の口角を上げさせた。
***
結局、二人の逢瀬はそれらしく進行した。向かった町で入手した饅頭は凌統の舌に合ったようで、甘味まで与えられると長身の男は分かりやすくご機嫌になった。女扱いと怒られるかと思いきや、髪留めに付ける翡翠の飾りもすんなりと受け取り、代わりに耳飾りを甘寧に選んでくれた。凌統という男はそつがなく、贈っても贈られても様になっている。
「なんかお前、分かっちゃいたが育ちがいいな」
「まあね。そんな俺を育てて下さった父上は、目の前の奴に斬られちまったけど」
「そういう皮肉は
「……つい、出ちまうんだっつの。けどまあ、胸に刻んどくよ」
「急に素直になんなよ、調子狂うぜ」
「あんたも結構面倒くさいよな」
互いに貶し合って笑う。背を叩いて、時々蹴りを入れて、肩をぶつけ合う。凌統との距離感はこれが丁度よいのだと知れた。好みの味や雑貨も。それだけで満足な報酬だった。
「帰っか?」
「ああ……。ん、やっぱ少しだけ、あっち行ってから」
凌統が顎で示したのは人気のない丘の方だった。町はずれで侘しく見える草原に、凌統はずんずん歩を進める。今まさに綱を解こうとした馬の鼻を撫で、わりい、と謝ってから、甘寧はその背を追った。
「へえ……良い眺め」
「おっ。すげえなぁ。江一望」
「あんた、この偉大な長江で暴れてたのかい?」
「昔な。あの瀬、覚えがあるぜ」
「適当言っちまって」
凌統がわざわざ地面に座るのを追うか悩んだ甘寧は、そのまま少し離れた位置で腕組みをするに留めた。なんとなく、凌統から近寄ってくるなという圧を感じた。いつも凌統の内心は複雑で、どれが本音か分からない。だから甘寧は直感に従って動いている。
「……今日、来て良かったよ」
「ん? おう。俺もだ。ありがとな、乗ってくれて」
「朝は怠すぎて後悔したけど、まあ、悪くなかった」
「可愛くねえ」
甘寧は笑って言ったが、また会話は途切れた。陽が沈んでいくのをただ黙って見守る。平服にも着けている鈴が風に揺れて、時々切ない音を上げた。もしやこのまま別れでも切り出されるのか、とすら覚悟を決める程、凌統が背は曲がって、落ち込んでいる。言葉では良い感触だったというのに。
嘆息しそうになるのをぐっと堪えて、甘寧は凌統の次を待った。組んだ腕を解くことなくどっしり構えて待った。元より凌統は考える方であり、甘寧は年の功でそれを受け入れる他ない。遙かに年下で、親仇と睨んできた過去を持つ男の考えなど、読めるはずもないのだ。
「……許せないよな」
ぽつりと零したのは、独り言でもあり、尋ねているようでもあった。甘寧は言葉を返さず、目線だけを向けた。膝まで抱えて俯く子どもの感情は不明なままだ。
「昼間っから、あんたと、楽しく過ごすなんてさ……罰当たりにも程があるっての。親不孝者で、信じられない」
凌統の声は震えていた。戦場や鍛錬の場では聞いたこともないか細さだ。内容は想像の範囲内だったが、そこまで急に鬱屈とし始めたことには驚いた。今日に限らず、ずっと凌統の中で抱えてきた葛藤なのだろう。凌統の苦悶を聞いてから、甘寧も少し考えてみる。
例えば、共に闘うことは君主命令だと言える。立場も弁えずに口説いてきた甘寧に抱かれることは、性欲発散だとも言えるし、いつか捨ててやろうという優位性を保つためとも言い張れる。
捻くれた凌統のことだ。普通の恋人らしく過ごすことの方が許せないとでも思っているんだろうと着地して、甘寧はむしろ感心した。これまでに会ったことのない、面倒で愛おしい男だ。
凌統がちらりと甘寧を見上げてくる。今にも泣きそうな、迷い子の表情。甘寧は時間を掛けて息を吐き出し、ゆっくりと隣に腰を下ろして、凌統の額に口付けた。
「ま、いくらでも悩め。付き合ってやるからよ」
「なんだよ、それ。全部あんたが悪いくせに」
「おう、そうだ。全部俺が悪い。迷子のひよっこ取っ捕まえて、離す気がねえ悪い蛮族だ」
「最低」
「だよなぁ」
徐々に距離を縮めて肩が触れ、そのまま腕を回して体を引き寄せた。凌統は拒絶してこない。少し力を込めるとすぐに顔を向けてくれて、唇をさらえた。外だと喚くこともなく、何度も触れるだけの接吻を甘受している。黙っているかわりに目も瞑らない若者が愛おしくて、甘寧は空気も読まずに笑い出しそうになった。
「なんだっつの」
「あ? わりい、お前を笑うつもりはねえんだが」
「表情に締まりがなさすぎるんだよ」
「だってよ、お前ずるいだろ。こんなん、離してやれる訳がねえ」
「意味分かんないね」
きっと凌統は、この葛藤を抱え続けるのだろう。甘寧にそれを解消してやれる術はない。ただ、悩みながらでも共にいてくれる事実があれば十分だった。
「凌統、好きだぜ」
「俺は嫌い」
「そうかよ。今日は抱かせてくれねえの?」
「さあね」
凌統の方から口付けを寄越し、甘えるように頭を擦り付けてくる。もう少し、陽が姿を隠しきったら、抱えてでも私邸に連れて帰ろう。人生で記憶にないほど穏やかな凪が、甘寧の胸中を占めていた。
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