SSまとめ(健全)


 ぼひゅん、と間抜けな音がして、白い煙が立ち込めた。素直ではない恋人をどうにかその気にさせて、ようやく唇が触れようという瞬間である。ほどよく酒が入っていた甘寧は咄嗟の判断ができないままその光景を眺めていた。
 隣にいて腰を抱いていたはずの凌統がいない。正確には、何かはいるが、先ほどまでの触り心地のいい身体ではなかった。
「けほ、けほ」
「……どうなってんだよ」
 白煙が去り、露わになった姿を甘寧は呆然と見つめた。凌統の着ていた衣装をまとう男児がせきこんでいる。もちろん大きさが合わずぶかぶかだ。
「お前……誰だ」
「おれは、統。そっちこそだれ」
 まさかと思った予想が当たり、甘寧は絶望した。これまで多くのことを経験してきたが、人間が幼くなるのは初めてだ。改めてじっと見ると、輪郭は格段に丸いものの、右目の下の泣き黒子は変わらずにぽつんと存在している。間違いなく凌統だと確信できた。
「俺は、孫呉の兵だ。分かるか?」
「そんさくさまの!? じゃあ、父上とおなじだ!」
 ぱあっと笑顔が咲いて、甘寧はまた絶句した。このような全開の笑顔など当然向けられたことがない。甘寧の前の凌統といえば、むすっと眉を寄せているか、憤慨しているかのどちらかが多い。それらを取っ払った艶やかな表情をこれから見ようという時に、一体何が起きたのか。
 甘寧は頭痛を感じ、こめかみを押さえた。その間にも、子どもの姿の凌統は無邪気に部屋を見渡している。
「で、なんでここにいるの? 父上は?」
「あー、遠出したから、お守り変わってやった」
 もう、適当を言うしかない。甘寧は出任せに口を開いて立ち上がった。このような大事件、一人で抱えられるものではない。誰かにぶん投げようと戸に手を掛けた時に、背中に激痛が走る。
「痛え! てめえ、蹴りやがったな!?」
「やりい! 命中! だってあんた、さぼろうとしただろ」
「ああん!?」
「おれのお守りってんなら、きっちり遊んでもらわないとね」
 生意気な口調に凌統を感じる。甘寧は苛立ちながら幼児に向き合った。ぶかぶかの服が余りに哀れだ。一番面積の少ない麻布を適当に巻いてやる。
「いいぜ、喧嘩の仕方教えてやるよ」
 指先だけで呼ぶと男児は簡単に煽られ、すぐに手刀や蹴りを繰り出してきた。


「ちぇー、なんだよあんた、強すぎだっつの」
「何年生きてると思ってんだ、おら敬え」
 軽くいなしてやってから、甘寧は改めてその姿を見た。年齢は不明だが、動きは俊敏で才能を窺わせた。何度か入れた騙しの動きも最後には見切られたし、所々に武術の基本が成っている様子が見えた。敬えと言った命令に対し生意気に舌を出しているが、やはり根は真面目なのだと再認識する。
「おれはまだ勝てないけど、きっと父上なら、あんたなんか一撃だぜ」
 鼻高々に言う凌統に、甘寧はなんと返せばよいか分からなかった。童への声かけなど指折り数えられるくらいしかしていない。ただ、わざわざ事実を伝える必要はないと直感した。
「ああ……そうだな。お前の親父、すげえ強えからな」
「父上とも仕合したの? ずるい!」
「どこがどうずるいんだよ」
「おれ、あんたのこと知らない! おれの知らない間に、戦ってたなんて……ずるいっつの。見たかった」
 お、と甘寧が片眉を上げた。父親好きの凌統のことだから、凌操とやり合ったことに対して羨んでいるのかと思えば違うようだ。
「俺の魅力がちったぁ分かったみてえだな」
「みりょくってなに」
「格好よさだな。格好いいだろ、俺」
 笑って煽ると、いつもなら顔を赤らめ、目をつり上げて分かりやすく怒る。そんな凌統が可愛くて仕方がない甘寧は、男児の反応を心待ちにした。子供は顔色一つ変えずに見上げてくる。やがて、こくりと頷いた。
「父上が一番格好いいけど、まぁ、あんたも二番くらいにしてあげてもいいね」
「ははっ! そりゃありがてえな」
 この素直さを奪ったのも自分なのかと思うと、甘寧は背負った業の重さを改めて痛覚した。過去には戻れない。今の関係で、正しく凌統を立たせてやりたいと思う。
「なぁ、お前はどんな男が格好いいと思う?」
 小さな凌統の回りにまた煙が立ち込めた。きっと明日には忘れてしまう夢だろうと、甘寧は慌てずに見守った。子供がにっと得意げに笑う。
「そりゃ、強い奴に決まってるね」
「……おう。そうだな。俺もそう思う」
「なぁ、またおれと遊んでくれるかい?」
「いつでも来いよ」
 小さな凌統は満面の笑みを浮かべて煙に包まれた。しばらくして、けほけほと聞き慣れた低さの咳き込みが聞こえる。

「なんだっつのこれ、甘寧、火消せって」
 いつも通り可愛げのない音程で苦言を呈している。その姿に心底安堵して、甘寧は成熟した身を抱き締めた。子供扱いしてきたことはないが、改めて、きちんと発育したのだと感じる。
「な、なんだよ。え、っていうか俺なんか服着てないんだけど」
「なぁ凌統」
 顔を手でくるみ、上げさせて声をかけると、凌統は目尻をやや赤くしながら視線を合わせた。
「お前、良い男になったな」
「は、はぁ?」
「性根が真面目で努力家なのも良く分かった」
「だ、だからなんなんだって」
「改めて惚れた。抱いていいか?」
 真っ直ぐに言うと、凌統の耳から頬までが朱に染まった。触れている皮膚が熱い。いつもは立てないお伺いに困惑しているようだった。甘寧が突飛な発言をしているのは明らかだが、真剣な目線に皮肉も出てこないらしい。やや間があき、
「……いいんじゃ、ないの」
ぽつりと溢された返事に、甘寧は珍しく破顔した。幼き凌統を真似た表情は、その当人にはてきめんに効いたのだった。



【END】


蛇足おまけ絵

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