SSまとめ(健全)
2025七夕
凌統は珍しい光景を前に、ぐいぐいと杯を傾けた。肴はむくれた恋人の顔である。いつもなら卓上の足に文句をつけるが、今日は勘弁してやった。なにせ甘寧は今、凌統と離れるのが嫌で反抗期真っ只中なのだ。こんなにも愉快なことはないだろうと凌統は余計な口を挟まず、甘寧の眉間の皺や尖った唇を見ながら酒を呷り続けていた。
少し前に、甘寧から船旅に行くのはどうかと誘われていた。凌統は長く水の傍で暮らしてきたが、海に出たことはない。甘寧の考える大航海は断ったものの、ほんの少しのところであれば、と了承していた。甘寧はそれはもう大喜びで地図をひっくり返し、目的地を決め、黙々と執務をこなし、馬や船の手入れを行って、その日を待ち望んでいた。
しかし、直前になって、凌統に出向の命が出た。長江の支流を挟んだ領地が近頃不穏だという話で、そこに住む重鎮が厄介だった。孫家に対し長らく経済的に支援している者だ。へそを曲げると国の財政が傾く可能性がある。
巴蜀や曹魏との緊張状態が続く中、少人数で穏便に政治的解決ができる人材を、という会議において適任とされたのが凌統であり、その瞬間に船旅の計画は無期限延期が確定したのだった。
「……」
甘寧は唸り声一つあげず、腕を組んだままむすっとした表情を崩さない。それほど自分との旅行を楽しみにしていたのかと思うと、皮肉を好む凌統も口を噤むほかなかった。年下の恋人の拗ねる姿は貴重で可愛げすら覚えたが、打開策は見当たりそうにない。だから凌統は内心面白がりつつも、ひたすら静かに酒を飲み続けていた。
夜も深まり、凌統が厠から戻って来ると、甘寧は寝台にうつ伏せで転がっていた。黙って傍に腰かけると、甘寧が面白くなさそうなため息をつく。
「やっぱ俺ぁどっかに仕えんのは向いてねえ」
「おっと、そこまで飛躍したのかい」
「やりてえことやれねえなんざ、つまんねえぜ」
「まあ、奔放に生きてきたあんたには、辛そうだ」
「絶対ぇ出てやる」
「そう拗ねなさんなって」
思っていた以上に甘寧は重傷だ。放浪の身で自由にやってきた男が一つの国に収まる柄ではないのは凌統にも分かっていたが、こんなことで国を、自分をも放り出すのかと思うと焦りが出てきた。
「出向っつったって、いっても一年くらいだぜ」
「長ぇ。ふざけてやがる」
こんな風に分かりやすく拗ねる方だったとは、と驚きつつ、凌統の脳内は対応案を講じるのに必死だった。ただ、表情は涼しいままだったので、甘寧には伝わらないらしい。
「お前は平気そうだな」
「殿の命なら喜んでお受けするように、育てられたもんでね」
すらすら出る忠心からの言葉に、甘寧が鼻で笑う。どれも逆効果だ。だが、当然凌統の中に命を断る選択肢はない。甘寧の望みを叶えられない以上、説得するしかないのだが――と密かに混乱する頭で、一つの逸話が浮かび上がった。
「天にいる男女の話なんだけど」
「ああ?」
顔を上げ、並の人間なら卒倒するのではないかという睨みをきかせてくる甘寧を手でいなしながら、凌統は強引に話を続けた。
「強く結ばれた二人が、強制的にでかい川で阻まれて、会えなくなったらしい」
甘寧は引き続き凶悪な表情をしているが、凌統はあえてその目をしっかり見ながら言い聞かせるようにゆっくりと語った。
「で、年に一回だけ会うのを許されてる日があるって話だ。健気で泣けるだろ」
「お前、馬鹿にしてんのか?」
うつ伏せから起き上がった甘寧が、凌統の前髪を鷲掴みにした。このまま頭突きでもされようものなら致命的だ。むしろ甘寧なら凶行に出ても凌統を止める考えもあるのかもしれない。ぞっとしながらも、凌統は向けられる瞳の強さに惹かれていくのを自覚した。
「俺、遠泳って得意なんだよね」
「はあ?」
引っ張られた前髪の根本が痛んだが、咎めずに凌統はぐいっと顔を近づけた。酒が乾いてかさつく唇同士を擦り合わせる。
「思わないかい? 川なんざ渡ればいいって。橋がないなら、泳げばいいんだっつの」
前髪を掴む手が緩められたのを機に、凌統は甘寧の頬を掴んで再度口付け、ついでに舌まで捻じ込んだ。
凌統は逸話の男女に思い入れがある訳ではない。その二人がどうなろうとどうでもいいのだが、甘寧と一年も会えないとなると凌統こそじっとしていられないと思っていた。遠回しに、会おうと思えば会えると言ったつもりだったがどうか――と接吻を止めると、今度は甘寧が頭をがっしり掴んで深く口付けてきた。勢いがありすぎて姿勢が保てず、凌統は体を捻らせて押し倒されてやった程だ。
角度を変えて何度も互いを求め合う。この瞬間を幸福だと思うくらいには、凌統も別れを惜しんでいる。
「……とりあえず、俺に焼き付けてよ。あんたのこと」
「やっぱお前のスカしてるとこ、ムカつくぜ」
「そりゃどうも」
現地での仕事が落ち着いたら、馬をすっ飛ばして会いに来るのもいいかもしれない。凌統は浮かれた考えを内にしまって、降って来る口付けを受け入れた。
【おわり】
凌統は珍しい光景を前に、ぐいぐいと杯を傾けた。肴はむくれた恋人の顔である。いつもなら卓上の足に文句をつけるが、今日は勘弁してやった。なにせ甘寧は今、凌統と離れるのが嫌で反抗期真っ只中なのだ。こんなにも愉快なことはないだろうと凌統は余計な口を挟まず、甘寧の眉間の皺や尖った唇を見ながら酒を呷り続けていた。
少し前に、甘寧から船旅に行くのはどうかと誘われていた。凌統は長く水の傍で暮らしてきたが、海に出たことはない。甘寧の考える大航海は断ったものの、ほんの少しのところであれば、と了承していた。甘寧はそれはもう大喜びで地図をひっくり返し、目的地を決め、黙々と執務をこなし、馬や船の手入れを行って、その日を待ち望んでいた。
しかし、直前になって、凌統に出向の命が出た。長江の支流を挟んだ領地が近頃不穏だという話で、そこに住む重鎮が厄介だった。孫家に対し長らく経済的に支援している者だ。へそを曲げると国の財政が傾く可能性がある。
巴蜀や曹魏との緊張状態が続く中、少人数で穏便に政治的解決ができる人材を、という会議において適任とされたのが凌統であり、その瞬間に船旅の計画は無期限延期が確定したのだった。
「……」
甘寧は唸り声一つあげず、腕を組んだままむすっとした表情を崩さない。それほど自分との旅行を楽しみにしていたのかと思うと、皮肉を好む凌統も口を噤むほかなかった。年下の恋人の拗ねる姿は貴重で可愛げすら覚えたが、打開策は見当たりそうにない。だから凌統は内心面白がりつつも、ひたすら静かに酒を飲み続けていた。
夜も深まり、凌統が厠から戻って来ると、甘寧は寝台にうつ伏せで転がっていた。黙って傍に腰かけると、甘寧が面白くなさそうなため息をつく。
「やっぱ俺ぁどっかに仕えんのは向いてねえ」
「おっと、そこまで飛躍したのかい」
「やりてえことやれねえなんざ、つまんねえぜ」
「まあ、奔放に生きてきたあんたには、辛そうだ」
「絶対ぇ出てやる」
「そう拗ねなさんなって」
思っていた以上に甘寧は重傷だ。放浪の身で自由にやってきた男が一つの国に収まる柄ではないのは凌統にも分かっていたが、こんなことで国を、自分をも放り出すのかと思うと焦りが出てきた。
「出向っつったって、いっても一年くらいだぜ」
「長ぇ。ふざけてやがる」
こんな風に分かりやすく拗ねる方だったとは、と驚きつつ、凌統の脳内は対応案を講じるのに必死だった。ただ、表情は涼しいままだったので、甘寧には伝わらないらしい。
「お前は平気そうだな」
「殿の命なら喜んでお受けするように、育てられたもんでね」
すらすら出る忠心からの言葉に、甘寧が鼻で笑う。どれも逆効果だ。だが、当然凌統の中に命を断る選択肢はない。甘寧の望みを叶えられない以上、説得するしかないのだが――と密かに混乱する頭で、一つの逸話が浮かび上がった。
「天にいる男女の話なんだけど」
「ああ?」
顔を上げ、並の人間なら卒倒するのではないかという睨みをきかせてくる甘寧を手でいなしながら、凌統は強引に話を続けた。
「強く結ばれた二人が、強制的にでかい川で阻まれて、会えなくなったらしい」
甘寧は引き続き凶悪な表情をしているが、凌統はあえてその目をしっかり見ながら言い聞かせるようにゆっくりと語った。
「で、年に一回だけ会うのを許されてる日があるって話だ。健気で泣けるだろ」
「お前、馬鹿にしてんのか?」
うつ伏せから起き上がった甘寧が、凌統の前髪を鷲掴みにした。このまま頭突きでもされようものなら致命的だ。むしろ甘寧なら凶行に出ても凌統を止める考えもあるのかもしれない。ぞっとしながらも、凌統は向けられる瞳の強さに惹かれていくのを自覚した。
「俺、遠泳って得意なんだよね」
「はあ?」
引っ張られた前髪の根本が痛んだが、咎めずに凌統はぐいっと顔を近づけた。酒が乾いてかさつく唇同士を擦り合わせる。
「思わないかい? 川なんざ渡ればいいって。橋がないなら、泳げばいいんだっつの」
前髪を掴む手が緩められたのを機に、凌統は甘寧の頬を掴んで再度口付け、ついでに舌まで捻じ込んだ。
凌統は逸話の男女に思い入れがある訳ではない。その二人がどうなろうとどうでもいいのだが、甘寧と一年も会えないとなると凌統こそじっとしていられないと思っていた。遠回しに、会おうと思えば会えると言ったつもりだったがどうか――と接吻を止めると、今度は甘寧が頭をがっしり掴んで深く口付けてきた。勢いがありすぎて姿勢が保てず、凌統は体を捻らせて押し倒されてやった程だ。
角度を変えて何度も互いを求め合う。この瞬間を幸福だと思うくらいには、凌統も別れを惜しんでいる。
「……とりあえず、俺に焼き付けてよ。あんたのこと」
「やっぱお前のスカしてるとこ、ムカつくぜ」
「そりゃどうも」
現地での仕事が落ち着いたら、馬をすっ飛ばして会いに来るのもいいかもしれない。凌統は浮かれた考えを内にしまって、降って来る口付けを受け入れた。
【おわり】