SSまとめ(健全)

 石と木目のぶつかる乾いた音、酒の啜り、時々鈴の。緩やかで堕落した空間は、いつの間にか自然なものになった。仲良くお喋りするなんてことはなく、環境音ばかりが響く。静かすぎて耐えられない時は碁笥ごけの中でじゃらじゃらと軽い音を立ててやればいい。
 石の手触りを楽しんでりゃ次の手を閃くのに、なんだか今日は上手く繋がらない。長考に足を突っ込んでいるのがばれたのか、向かいの男がにやけ始めた。
「随分手詰まってんじゃねえの?」
「気の短い野郎を焦らしてんだっつの」
「ま、酒さえありゃ待ち時間に文句はねえよ」
 手を振ってむかつく顔で煽ってくる。そういえば釣りなんかも意外と上手くやる男だ。戦じゃ喧嘩だ祭だと落ち着きなく暴れ回ってばかりの割に、平時なら待てるってかい。
「お前今日余裕ぶっこいて三子置いていいとか言ってなかったかぁ?」
 危うく碁盤をひっくり返すとこだった。早急に手を打たないとこっちが切れちまう。
 しかしいつもと勝手が違い、上手く行かない。原因は判然とせず、甘寧が酒の合間に奏でる下手くそな口笛も相まって苛々させられた。口寂しいのを誤魔化そうと手を伸ばすも、饅頭があったはずの皿は空だ。ああもう、自分の調子が掴めない。
 落ち着け、と自身に言い聞かせて一呼吸し、打った手順を辿る。ここらで詰まった、と眺めた石を、急に甘寧が指差した。顔を上げると口笛を止めて笑っている。
「じじくせえ打ち方だったな?」
 そのたった一言で全てが繋がった。相手に、よりにもよって甘寧に気付かれた上、正解を導かれたことが情けなく、悔しい。つい睨み上げても、正面の男はけらけらと笑っている。こういうところに腹が立つ。
 昨日たまたま私邸の蔵を整理していて、父上の棋譜が出てきた。こんなのまめに付けてたんだと驚き、父上にはよく碁の稽古もしてもらった懐かしさもあって、つい眺めてしまった。その記憶がうっすら残っていたんだろう。
 例え肉親でも、自分の打ち方じゃないんだから迷子になるのも頷ける。このまま踏ん張って、父の打ち方を真似てこいつを殺せるならさぞ浮かばれるだろうが、親の仇は子が討つものだ。
「やっぱりあんたは俺が殺さないとね」
 人差し指と中指で挟んだ白石は、軽快な音を上げて盤面に躍り出た。碁盤から離した拳を握ると、指先にまめが触れる。この体は、他でもない凌公績が作ったものだ。思考は父から受け継いで、自ら経験を積んで押し上げてきた。微かに残る無念は、俺自身の力でこいつを捻じ伏せてこそ果たされるだろう。
「は、おま、急に物騒なこと言ったかと思えばよぉ……」
「良い手だろ」
「くそ、口挟むんじゃなかったぜ」
「鈴の甘寧さんがお情けねえ。それでコケてりゃ世話ないっつの」
「性格わっりぃ!」
「そりゃどうも」
 仇討ちってやつがほんの少しだけ愉快に感じるのはこいつのお陰だが、そんなことは死んでも口にしないよう、唇を結んで口角を上げた。
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