SSまとめ(健全)

 戦場での動き方や走り方は体が覚えている。考えなくていい。楽しく喧嘩してりゃ、効率よく最後まで駆け抜けられる。
 それが今はどうだ。みっともなく息を切らし、走りすぎて足がもつれてきている。筋肉が痙攣し、腹がひきつり、顔は熱く震えて、喉からは血の味が上がってくる。効率もくそもない。すげぇしんどい。とっとと切り上げて寝転がりてぇ。正面を睨み付け、怒りをぶつける。
「凌統! いつまで、逃げてやがる!」
 少し前を走る長身の男は、振り向かない。肩が上がってるとこみると、こいつも相当バテてるはずだ。
「いい加減! 観念、しやがれ! おい、この、頑固野郎! 臆病者!」
 逆上させて向かせる作戦は、余りに頭が働かず、大した暴言も出せずに終わった。待て落ち着け一旦話を聞け、という説得の言葉は序盤に使い果たした。
 凌統は頑なに俺を見ようともせず、ただひたすら走っていた。ムカつく場面でも、走行姿勢がきれいだな、とかしなやかな筋肉がつく背中が良い、とかアホなことばかりが浮かんだ。人間、ここまで疲れると本能だけが生き残るらしい。
 だが、自慢じゃねえが俺は気が短い。いつまでも不毛な追いかけっこに付き合う趣味はねぇ。
 あいつは馬鹿だ。散々そう言って馬鹿にしてきたけど、いざ本当にそうだと分かると、俺は恐ろしくなって逃げ出した。
『お前は特別だ。一緒にいて心が凪ぐわけでも気が休まる訳でもねぇ。けどよ、俺の大事なもんはお前に預けてぇと思った』
『だからお前も、俺に預けてみねぇか?』
 酒を酌み交わすようになって、時々浴びていた熱視線の意味が、甘寧の言葉で急にはっきりした。正確に言うとそれだけじゃない。告白より先に、既に何度か触れられている。
 執務室で、回廊で、幕舎で、宴の裏で時々される口付け。あれは、一体何なんだ? 深く考えると頭がおかしくなりそうで、ずっと、何でもない振りをしてきた。
 それなのに、ついに馬鹿は馬鹿なことを言ってきた。俺が、甘寧に、親仇に、何を預けるんだ。もうずっと、あんたのことばかり考えてるってのに。
 相当長い時間を走り回った。戦より疲れていて全身が痺れている。後ろの気配がないのでようやく振り向くと、甘寧は追走を止めていた。傍にあった木にしがみつくようにして足を止める。吐く息が制御できず、心臓が壊れそうなくらい跳ねている。
「へっ。俺の、勝ちだね。根性、なし」
 無理やり放った嫌味は誰にも届かず消えた。

「誰が、根性なしだ、クソ垂れ目」
 瞳が落ちそうなくらい見開かれている。判断能力が落ちていたのかもう何周も同じ場所を走っている。先回りも潜む地点も、さっきの周回で決めた。
 途端に逃げ腰になった凌統の肩を掴み、大木に押し付ける。瞑った瞼を見て、吸い込まれるように口付けた。
 触れて離れるだけの、笑えるほど幼稚な接吻を何度かしてきた。凌統はいつも無反応を貫いた。驚きも嫌がりもしない。耳が赤くなっているのは無自覚だろう。
「っは、はっ、はっ、この、人殺し」
 回想する内にくっつけただけの唇は互いの息を止めていたようだ。滝のように汗を流しながら必死に呼吸する凌統を見て、情欲に支配されそうになるのを抑え込む。
「ったく、逃げ回るこた、ねぇだろ。犯すとは言ってねえぞ」
「ほぼ、そう、聞こえた、もんで」
「その気はあるが……そうじゃねぇ。分かるだろ。好きだっつてんだよ」
「それを聞きたくねえっつってんだよ!」
 一息にぶちまけてまた肩で息をした凌統は、手で頬を隠した。先程よりも耳が赤い。
「自覚しちまったら、戻れないっつの……」
 ずるずると木に寄りかかってしゃがみこむ頭を、強引に撫で回した。
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