SSまとめ(健全)

 右方、死角から飛んでくる矢を節棍で弾き飛ばす。その隙に胴を突こうとしてくる槍を脇に挟み、ひねって周囲の兵ごと吹き飛ばす。打撃や金属のうなり、男共の息遣いに咆哮――喧しい音の重なりの中から、凌統は確実に伝令の声を拾い、大勢を把握していた。分が悪そうだ。
 守備を命じられた時にうっすらと感じていた物足りなさは既にない。常に命を奪われそうな危機感が全身を刺してくる。肌が痺れる程の緊張を前に、凌統は努めて普段通りに口を開いた。
「敵さん大盛り上がりだ。俺らも全力でもてなすとしようか」
 傍にいた兵はその声に顔を上げた。頭の片隅にあった絶望が、上官の皮肉交じりな鼓舞で希望に変わっていく。仕兵長が声を上げると、凌統を筆頭に歩兵達が続いて咆えた。
 昂った士気に満足し頷く上官の全身を見た衛生兵は、血の気が引いた顔で声をかける。
「凌統様、腿の出血が酷くございます。本陣へお戻りに、」
 敵兵の肩を踏み台にして高く跳んだ凌統は、わざと斬り付けられた方の脚を伸ばし、見せつけるように敵兵ごと地に叩き付けた。
「何か言ったかい?」
 得意げに振り返る顔を見上げて、衛生兵はただ首を振った。多くの傷を見てきた彼からすると、立っているだけで感服ものである。それどころか恐ろしい威力を加える武将の矜持に、ただ畏怖の念を覚えた。
「殿に無駄な情報与えんなっつの」
 衛生兵の奥で走ろうとしていた伝令兵は、言葉と視線で負傷の伝達を制され踏み留まった。それを認めた凌統は、高く結った尾を揺らして再び敵兵の海に飛び込んでいった。

 戦況報告を受けていた孫権は、幕をめくって現れた長身の帰還に目を細めて喜んだ。腰を折って恭しく拱手する凌統を笑顔で労う。
「凌統。よくぞ戻った。お前のおかげで奇襲があったことも分からなかったぞ」
「盛り上がりすぎると殿が寂しくなって出てきちまうって、ひやひやしたもんです」
「……派手にやったみたいだな」
 二人の目が泥や血に塗れた全身を頭から追い、痛ましい状態の腿を捉えた。眉をひそめる大将と軍師に、皮肉屋はただ冷笑する。
「盾が傷んだくらいで気を揉んでちゃ、持ちませんよ」
 不躾な言い草に肝を冷やす軍師に対し、孫権は動じていない。その目はひたすら凌統を案じている。忠義に篤い臣下はすぐその意図を察知し、息を吐き、諸手を挙げて降参した。
「はいはい。ちゃんと手当ては受けますって」
「それでよい。お前がいるから、私はここに立っていられるのだ」
 心地よい声色に、凌統は心の底から湧く敬意に自然と手を組んだ。頭が下がった拍子に揺れた尾の先を、碧眼が穏やかに見つめる。
「殿のお気遣い、痛み入りますよ」
 地に向かって低い声で呟かれた言葉は、ゆっくりと孫権の鼓膜を揺らした。明言せずとも君主に尽くす立場を喜ぶ凌統と、彼の全てを信頼する孫権――二人の強い結びつきを、若き軍師は眩しく眺めていた。
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