SSまとめ(健全)
鈴の音で凌統は来訪者を悟った。卓上の酒器にはまだ液体が入っている。杯は勝手に戸棚から取り出すだろうと判断した。振り向くことなく卓に肘を付けたまま怠慢な動きで飲んでいると、向かいの椅子にどっかりと男が腰かけた。その手にはしっかり杯が握られている。手酌で無遠慮に注ぎ入れているのを横目で見てから、凌統はまた少しだけ杯に口を付けた。
「随分大人しいじゃねえか。熱でもあんのか?」
「そういう奴は酒やらないっつの。あぁ、あんた、熱出したことなさそうだもんな」
ただちに嫌味が返ってきて甘寧は安堵した。この男から弱音が吐かれようものなら、恐らく心配より寒気が先に来るだろう。凌統の返事に突っかからずに甘寧は観察を続けた。間違いなくいつもより落ち込んでいる。酒をあおる手つきも姿勢も、何より雰囲気が沈んでいる。辛抱し続けていると、凌統が視線を杯の中に落としたまま口を開いた。
「偲んでた」
「あ?」
「父上の追悼ってやつ。昨日夢に出たもんでね」
甘寧は眉が寄るのを抑えられなかった。嫌味なら受け流せるのに、どうやら本物らしいからだ。事実であったとしてもあえて仇に伝えるところに性格の悪さが出ている、と甘寧は心で誹 った。
乱暴に杯を空にして、二杯目を注ぎ入れる。そこに凌統の腕が伸びて来たので、なみなみと注いでやる。敵が味方に、味方が敵になる乱世でこうして親仇と酌み交わせるようになった男のことを、甘寧は認めている。常人以上の接触まで許されているのだから、多少の苦言は甘受する覚悟があった。
睫毛を伏せた顔面を眺める内に、甘寧に単純な興味が湧いた。杯を向かいに滑らせて凌統の視界に潜り込む。
「凌操のこと教えろよ」
重い瞼が少し持ち上がった。ようやくかち合った黒目に、甘寧は豪快に口角を上げる。
「……どっちだい?」
「何が」
「武将としてか、俺の父としてか」
「子育て話なんか興味ねえよ」
言い切ってから甘寧は身を起こして椅子に深く腰かけた。返し方も態度も粗暴だが、凌統は特に咎めない。記憶よりも伝聞が多い父の武将としての姿を回想し始めたからだ。
「思い切りがいい人でね。孫策様の志に惚れて付いていくと決めてからは、周囲が止めても聞かない程鍛錬に打ち込んだらしい。武器の扱いも上手かったし策略を聞く耳もあったから、かなりの戦功を上げてたってわけだ」
どことなく当てこすられているような気もしたが、甘寧は突っ込まずに耳を傾けた。凌統は杯を回すように揺らしながら続ける。
「孫策様からも信頼されて先鋒で活躍を続けた。父の武勇に触発されて志願してきた兵も結構いたみたいだ。うちんとこの育成長とかね」
「あぁ、俺のことすっげー目で睨んでくるもんなぁ」
げんなり言う甘寧に凌統が少しだけ笑った。それくらいの居心地の悪さはあるようで胸がすいた。
「黄蓋殿は酔うとよく凌操の太刀筋は迷いがないって言ってくれたぜ。嬉しいけど五十回も聞くと違う話をねだったもんだ」
「俺ぁ別の奴褒めんのにそれ聞いた。あのおっさん褒め言葉他に知らないんじゃねえか」
「うわ、知りたくなかった。あと、珍しく程普殿も父のことは認めてたみたいだな」
甘寧は渋い顔で説教してくる老将を避けて過ごしているので、程普と張昭の区別すら曖昧である。適当に頷いて流した。凌統も反応を気にせず続ける。
「豪胆で真っすぐで決めたことは曲げない。嘘もつかないし冗談も言わない方だった」
「なんで息子はこんなに捻くれちまったんだろうなぁ」
「さあてね。尊敬する父親を討たれて、その仇の首を目の前に刀を抑えろって言われたことがある奴に聞いてみたら?」
先ほどよりも皮肉の声色が弾んできた。些細な変化に気付くようになったのは、誰よりも近くにいるからだと甘寧は思っている。鼻を擦ってから次を促すと凌統が素直に従った。
「山越討伐の功で結構名が知れ渡って、俺まで誇らしかったの覚えてるよ」
「黄祖も警戒してたぜ」
「あんたは、凌操って知ってたのかい?」
「強え将がいるっつー程度だ。こっち来てから名と姿が一致したぜ。どっかの執念深い野郎のせいだな」
甘寧なりに煽ったが凌統は乗らなかった。ふうん、と短く返事だけをして杯をあおった。一気に嚥下する喉の動きを眺めていると、甘寧に劣情が滲んでくる。凌統という人間と出会って、知らぬ間に様々な影響を受けている。男に懸想した上に甘やかすような己がいたことは甘寧にとって衝撃だった。その事実が気に食わないような面白いような、いつも複雑な思いにさせた。
酒器は凌統に注いでやった分で空になった。甘寧も続いて杯を軽くし、叩き置いて立ち上がった。勝手に寝台に腰かけて凌統を待つ。
なかなか来ないので、話の感想を添えてやることにした。
「すげえ奴と喧嘩できたってのが分かって良かったぜ」
凌統はその言葉に呆れたようにため息を吐いた。苛立たしく頭を掻き、組んだ足を戻して床に叩き付けている。
黒い革が立てる軋みを聞いて甘寧は満足げに笑った。隣で黙って沓を脱ぎ捨てていく男の顔つきは、偲びを終えて開放的に見えた。
触れる直前の唇が止まって開く。
「次は」
「あん?」
「これだけお喋りしたんだ、次はあんたの夢に出るかもね」
「息子食い散らかすなってか?」
怒りか恥かで赤くなった顔にまた笑いながら、甘寧は隣の首に巻いた腕を引き寄せた。
「随分大人しいじゃねえか。熱でもあんのか?」
「そういう奴は酒やらないっつの。あぁ、あんた、熱出したことなさそうだもんな」
ただちに嫌味が返ってきて甘寧は安堵した。この男から弱音が吐かれようものなら、恐らく心配より寒気が先に来るだろう。凌統の返事に突っかからずに甘寧は観察を続けた。間違いなくいつもより落ち込んでいる。酒をあおる手つきも姿勢も、何より雰囲気が沈んでいる。辛抱し続けていると、凌統が視線を杯の中に落としたまま口を開いた。
「偲んでた」
「あ?」
「父上の追悼ってやつ。昨日夢に出たもんでね」
甘寧は眉が寄るのを抑えられなかった。嫌味なら受け流せるのに、どうやら本物らしいからだ。事実であったとしてもあえて仇に伝えるところに性格の悪さが出ている、と甘寧は心で
乱暴に杯を空にして、二杯目を注ぎ入れる。そこに凌統の腕が伸びて来たので、なみなみと注いでやる。敵が味方に、味方が敵になる乱世でこうして親仇と酌み交わせるようになった男のことを、甘寧は認めている。常人以上の接触まで許されているのだから、多少の苦言は甘受する覚悟があった。
睫毛を伏せた顔面を眺める内に、甘寧に単純な興味が湧いた。杯を向かいに滑らせて凌統の視界に潜り込む。
「凌操のこと教えろよ」
重い瞼が少し持ち上がった。ようやくかち合った黒目に、甘寧は豪快に口角を上げる。
「……どっちだい?」
「何が」
「武将としてか、俺の父としてか」
「子育て話なんか興味ねえよ」
言い切ってから甘寧は身を起こして椅子に深く腰かけた。返し方も態度も粗暴だが、凌統は特に咎めない。記憶よりも伝聞が多い父の武将としての姿を回想し始めたからだ。
「思い切りがいい人でね。孫策様の志に惚れて付いていくと決めてからは、周囲が止めても聞かない程鍛錬に打ち込んだらしい。武器の扱いも上手かったし策略を聞く耳もあったから、かなりの戦功を上げてたってわけだ」
どことなく当てこすられているような気もしたが、甘寧は突っ込まずに耳を傾けた。凌統は杯を回すように揺らしながら続ける。
「孫策様からも信頼されて先鋒で活躍を続けた。父の武勇に触発されて志願してきた兵も結構いたみたいだ。うちんとこの育成長とかね」
「あぁ、俺のことすっげー目で睨んでくるもんなぁ」
げんなり言う甘寧に凌統が少しだけ笑った。それくらいの居心地の悪さはあるようで胸がすいた。
「黄蓋殿は酔うとよく凌操の太刀筋は迷いがないって言ってくれたぜ。嬉しいけど五十回も聞くと違う話をねだったもんだ」
「俺ぁ別の奴褒めんのにそれ聞いた。あのおっさん褒め言葉他に知らないんじゃねえか」
「うわ、知りたくなかった。あと、珍しく程普殿も父のことは認めてたみたいだな」
甘寧は渋い顔で説教してくる老将を避けて過ごしているので、程普と張昭の区別すら曖昧である。適当に頷いて流した。凌統も反応を気にせず続ける。
「豪胆で真っすぐで決めたことは曲げない。嘘もつかないし冗談も言わない方だった」
「なんで息子はこんなに捻くれちまったんだろうなぁ」
「さあてね。尊敬する父親を討たれて、その仇の首を目の前に刀を抑えろって言われたことがある奴に聞いてみたら?」
先ほどよりも皮肉の声色が弾んできた。些細な変化に気付くようになったのは、誰よりも近くにいるからだと甘寧は思っている。鼻を擦ってから次を促すと凌統が素直に従った。
「山越討伐の功で結構名が知れ渡って、俺まで誇らしかったの覚えてるよ」
「黄祖も警戒してたぜ」
「あんたは、凌操って知ってたのかい?」
「強え将がいるっつー程度だ。こっち来てから名と姿が一致したぜ。どっかの執念深い野郎のせいだな」
甘寧なりに煽ったが凌統は乗らなかった。ふうん、と短く返事だけをして杯をあおった。一気に嚥下する喉の動きを眺めていると、甘寧に劣情が滲んでくる。凌統という人間と出会って、知らぬ間に様々な影響を受けている。男に懸想した上に甘やかすような己がいたことは甘寧にとって衝撃だった。その事実が気に食わないような面白いような、いつも複雑な思いにさせた。
酒器は凌統に注いでやった分で空になった。甘寧も続いて杯を軽くし、叩き置いて立ち上がった。勝手に寝台に腰かけて凌統を待つ。
なかなか来ないので、話の感想を添えてやることにした。
「すげえ奴と喧嘩できたってのが分かって良かったぜ」
凌統はその言葉に呆れたようにため息を吐いた。苛立たしく頭を掻き、組んだ足を戻して床に叩き付けている。
黒い革が立てる軋みを聞いて甘寧は満足げに笑った。隣で黙って沓を脱ぎ捨てていく男の顔つきは、偲びを終えて開放的に見えた。
触れる直前の唇が止まって開く。
「次は」
「あん?」
「これだけお喋りしたんだ、次はあんたの夢に出るかもね」
「息子食い散らかすなってか?」
怒りか恥かで赤くなった顔にまた笑いながら、甘寧は隣の首に巻いた腕を引き寄せた。