SSまとめ(健全)

 朝議の後、甘寧は凌統の肩を叩いた。本日は晴天である。退屈な執務より体を動かした方がいいお日柄だと独断で決め、凌統を巻き込むことにした。だが、振り向いたその顔色は悪く、目つきも凶悪であった。まるで仇だと罵られていた頃のようだ。並の者なら竦み上がるその表情を間近で見た甘寧は、一瞬の間を置いてから腹を抱えて笑った。
「何お前、二日酔いかよ!? 酒くせえ!」
「……れ」
「格好つけのお前が! 二日酔い! だっせえ!」
「黙れっつの!」
 しゃがれ声で叫ばれて、甘寧は腹がつりそうになった。極悪面も目の下の隈も酒精の匂いも全部が可笑しくて仕方がない。胸倉を掴み上げられてもなお、涙を流して笑っている。
「あんたのうるせえ声と面と鈴の音今すぐ黙らせな」
「飲む時までキザ野郎の凌統様が、珍しいじゃねえか」
「おい、言葉が通じねえのかい? 黙れ。今、あんたの顔なんざ見たくねえんだよ」
 吐き捨てるように言われて、ようやく甘寧も笑みを止めた。凌統はもう一睨み利かせてから甘寧を突き飛ばし、さっさと室から出て行ってしまった。思わず舌打ちが出る。なんとなく面白くない。涼しい顔で酒を嗜む男が、自らの許容量を超えてまで飲むような会に同席していなかったことが、悔しいような気がした。

 甘寧は予定通り執務室を通り過ぎて回廊を歩いた。凌統と一騎打ちよろしく仕合でも出来ればと思っていたのに、予定が台無しである。身勝手な苛立ちを抱えるようになった時に、覚えのある男が見えた。向こうも甘寧を見つけるなり、走ってきて深々と拱手した。凌統の副将である。
「甘将軍。大変不躾ながら、若様の所在に当てはありませんか」
「ああ? 知らねえよ。二日酔いで物騒な面して消えたぜ」
「やはり具合が……あの飲まれようでは無理もありません。即刻見つけて邸に戻らせなければ」
 どうやら副将は酒宴を共にしていたらしい。自身の片眉が上がるのを自覚しながら、甘寧は口を開いた。
「あんな醜態晒してどうしたよ。勝手に飲んで潰れるタマじゃねえだろ」
「それは、その」
 明らかに副将の目が泳ぐ。後ろめたいことでもあるのか、とつい頭に血が上って、甘寧は至近距離で男を睨み付けた。今にも殺されそうな気を当てられて、副将はただちに降参した。
「どうかご内密にお願い致しますね」
「いいからとっとと言えよ」
 上官同様青い顔をした男は、気まずそうに語った。仕える将の行動を脅迫に屈して暴露する情けなさが、ますます声を小さくさせているようだ。
「か、甘将軍の悪口というか。悪評を……」
「ああ?」
「ち、違います、誤解です。恥ずかしながら軍の中にはまだ、妙な偏見を持った者がいるんです。身内の宴でしたので、最初は若様も笑って聞き流していたんですが」
 甘寧は未だ凄みのある顔のままだが、余計な口を挟まないよう唇を堅く結ぶ。
「度が過ぎた根拠のない噂を流布しているようなことを知ってから、酷く立腹されまして……気が付いたら飲み比べになっておりました」
 甘寧は瞠目した。魏に渡ろうとしているだの斥候をうろつかせているだのと雑音は耳に入っていた。その出所が身近にあったことに、本来なら甘寧こそ立腹するところである。しかし、先ほどのような憤怒は湧いてこない。それどころか、背が痒くなってきた。
「若様は甘将軍のことを随分信頼しているようです。いくら古参の発言でも、許せなかったのでしょうね」
 はっきり示されていよいよ全身が痒くなった。やっぱり不器用な男だな、と評して上腕を擦る。
「どっかでくたばってんだろ。とっ捕まえといてやるぜ」
「えっ!? いや、あの、甘将軍が行くのは逆効果では」
「あばよ! 俺もあいつも休暇にしといてくれや」
 本日は晴天である。捻くれ者を無理やり閨に沈め、酒気を吸い取って、お天道様を浴びながら寝て過ごすのも悪くない。甘寧はまたも身勝手に決断し、鈴の音を鳴らして走り出すのだった。
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