恋愛最前線

パニーニの日。




「パニ?」
「パニーニ。具挟んで潰しながら焼いたやつ」
 ハンバーガーみてえなもんか。俺が納得すると、なぜか凌統はでかいため息をついてガス台に向かった。
 毎週金曜日、会社の隣のサンドイッチ屋に出向く。取り置きしてもらった昼食代を払い、ついでに色々試食させてもらうというのがここ数か月の決まりになった。
 このサンドイッチ屋とは、こいつからのヘルプで縁が出来た。すんなり困り事を解決した俺に、どうしたことかこの男が惚れたという訳だ。俺も罪な男だぜ。会社にパン売りに来て、人んとこの会議室で突然キスしてきためちゃくちゃな男だが、本当にどういう訳か俺も嫌ではなかった。ビビったしマジかとは思ったが、やられっぱなしも性に合わねえので半ば反射的に毎週押しかけると伝えて、今に至る。
 なんだかんだ俺もこいつもそれを律儀に守ってんのがウケる。つうか、毎週、本当に金払ってパン食うだけなんだけど。あり得るか、この歳で。わざと泳がせようと決めたのは俺だが、まさかこんなにじれったい思いをするとは考えてなかった。自然と睨み上げていると、ポニーテールが振り返る。
「はいよ、今日の試食。中身はハーブチキンとトマト、レタス、チーズ」
「シャレすぎてて分かんねえけど美味そう」
「熱いぜ」
 縞模様の焼き目に挟まれた具材が零れ落ちそうなほどぎっしり詰まっている。販売用よりは盛っているだろう。毎度地味なサービスに回りくどい想いを感じる。こんなままごとに俺が付き合ってるってのがテメエでも信じられねえ。
 手に持つと焼きたての熱を直に感じた。パンとチーズのいい匂いに仕事終わりの空腹も相まって待ちきれず齧りついた。焼き潰されたパンが香ばしい。一口齧り取ると生地は意外ともちもちで、溶けたチーズが糸を引いて付いてくる。生のトマトがじゅわっと弾け、しゃきしゃきのレタスと共に口の中をさっぱりさせてくれた。野菜食ってるって感じでいい。
 何より肉、肉が美味い。鶏ってこんな柔らかく、こんな味に出来るもんなのか。フライドチキンか唐揚げ以外にぱっと出ない俺からすると、未知との出会いだと思った。つらつら考えながらあっという間に食い終える。
「いくらでも食える」
「あんたの感想は毎度同じだねえ」
「美味ぇ」
「どうも。提供まで5分か。ランチタイム店舗限定で作るかな」
「お前まだ働くのかよ。やっとバイト雇って暇できたんならゆっくりすりゃいいのに」
「飲食は水物だっつの。飽きられないように工夫しないとね」
 チャラそうな見た目と商売のわりに真面目で堅物だ。あとワーカホリック。俺なんか仕事しねえで良い時間は大喜びでサボるけどな。
 俺の平らげた皿を回収した凌統の背を見る。でかい。シャツにシンプルなパンツにエプロンの姿でも分かるくらい筋肉もある。しっかり男だ。それがここまで気になるようになっちまった責任を、そろそろこいつが取るべきだろ。
「凌統」
 長身が振り向く。自分の口を指して二度叩き、その人差し指だけで呼びつける。眉間に皺を寄せて長らく固まっていたが、その目をがっちり見続けるとじわじわ頬が染まった。口や態度は素直じゃねえが、体は正直って奴だな。俺が引かないと分かったのか、しばらくすると観念したように歩み寄ってくる。座ったままの俺に覆いかぶさるように腰を折り、顔を寄せて、肩を掴んで、ゆっくり唇が触れた。呆れる。中学生かお前は。ムカついたので頭を押さえて舌をねじ込んでやった。
「んんっ!? ふ、う」
 奴が驚いて離れようとしたのを力で阻止して口内を味わう。なんの味もしない。さっき強烈に美味いものを食ったからか無味だ。だが、ねっとりとした感触がたまんねえ。
 凌統もムキになったのか負けじと舌を絡めてくるので、立つ音がやけに刺激的だった。じっくり堪能してから離れる。物欲しそうな表情が色っぽいと思う。
「お前からよろしくした割に大人しいから、試されてんのかと思ったぜ」
「……俺はがっつくタイプじゃないんでね」
「会社に押し売りに来て無理やりキスしてきた奴がよく言うぜ」
 からかうように言うと脛を蹴られた。痛ぇ。身悶えて足を押さえていると、エプロンの裾が視界に入った。ほんの少し膨れている。自分でも分かるくらい片頬が上がった。
「どっち希望だ?」
「おい、なんの話」
「お前勃って、」
「俺の店で下品なこと言うなっつの!」
 こいつ、そこんとこ考えなしに俺に告ったってのがすげえよ。積極的なとこと消極的なとこのバランスが理解不能だ。けど悪かねえ。得意げな鼻は折ってやりてえし、澄ました顔は崩してやりてえと思う。うろたえたのを何とか落ち着けた凌統がぼそぼそ呟く。
「俺から惚れたのに」
 唇を尖らせてぼやくこいつを、いつまで待ってなきゃいけねえんだ。暴走しそうな熱を抱えながら、俺はかえってうすら寒い恐怖を感じていた。
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