恋愛最前線


会社の隣にサンドイッチ屋ができた。最近この手の専門店は流行りらしいがすぐに潰れるだろうと同僚とからかってたら、二月経っても繁盛しているようだ。
右下にサンドイッチのイラストが入った赤色の紙袋からそれを取り出し、頬張る隣の同僚を見ていると気がついたのか目が合う。

「甘寧さん、サンドイッチ欲しいんですか?」
「俺はいらねぇよ。腹膨れねぇだろ」
「でも、ここのは結構ボリューミーですよ。一口いかがですか?」
「いや、いい。ありがとな」

同僚の女が少し照れたように笑うのは可愛いなとアホなことを思いながら、俺は焼肉弁当の残りをかき込んだ。


***

退勤する頃には大体そのサンドイッチ屋は閉まっている。昼のみの営業なのか用意した分が完売しているのかは分からないが、今日も店の前を通って最寄りの駅に向かおうとしていた。

「あ、ねぇ、そこのあんた」
「あ?俺か?」
「今あんた以外にいないだろ。ちょっと手伝ってくれない?」

なんだこいつ。普通通りすがりの奴にため口で手伝わせるか。それが第一印象。
すこぶる身長が高く、顔の整った男だった。長い髪を高く縛りエプロンを着けたそいつは大量の段ボールを前に、どうやら困っているようだった。ぶしつけな態度とは言えそうしている奴は放っておけない。俺もつくづく損な性格だ。

「ちょっとした発注ミスでさ、悪いんだけど中に運んでくれないかい?」
「……いや、こんなに間違うことあるか?」
「俺だってびっくりしたっつの。反省してる」

口を尖らせる男に呆れながら、冷たくて重たい大量の小段ボールと比較的軽い中段ボールを店の裏手から運び込むことにする。
店に入ると透明なビニールののれんがあり、一応キッチンと入り口のスペースが区切られているようだった。土間にどんどん段ボールを運び入れている間、その男はカッターで手際よく段ボールを開け、中身を出していく。冷たい段ボールからはバター、バター、またバター。

「なぁ、サンドイッチとやらはそんなに大量のバターを使うのか?」
「だから、間違えたんだって。とりあえず入るだけ冷凍室に突っ込んで、あとは何とかするさ」
「こっちは何が入ってんだよ」
「調理器具の買い足しと、注文してた袋と…なんだったっけ。そっちは別で届いたんだ」
「ふぅん。お前一人でこの店やってんのか?」
「今のところね。思ったより来て頂けて、そろそろ店番を雇わないと死にそうだ」

そう言って苦笑する男にそう悪い奴でもねぇのか、と思い直した。まぁ喋りがぞんざいなのは俺も同じだし恐らく同年代だろうから話しやすい。流行りに乗って専門店を開いて、破産でもしたら大変なんじゃねぇのとは思ったが他人の商売に口出すのも野暮だよな。
そうこうしているうちに労働は終わった。勝手に立ち去るのもどうかと思いのれんを覗くとその男と目が合った。垂れ目で、右目の下にほくろがある。なんだったか、……泣き黒子か。甘い顔立ちにこれじゃ、女どもが騒ぐわけだ。

「巻き込んじまって悪かったね。助かったよ」
「おう。じゃあな」
「あ、待て。礼の一つもしないんじゃ、俺の気が済まないっての」
「んな大層なことしてねぇけど」
「すぐだからさ。あ、俺は凌統。あんたは?」
「甘寧」
「甘寧、そっち回って、ショーケース前の椅子座っててくれ」

そこまで言われては帰るのも気が引けたので、大人しく指示に従う。今晩は予定もねぇし定時で上がったので暇してたのもある。自分では入ることがないであろう店を見るいい機会だったので、黙ってショーケースを眺めた。既に食品はなく、商品名を書いた手書きの紙だけが並ぶ。

タマゴ、BLT?、ポテトサラダ、ツナマヨ…おっ、照り焼きチキンやローストビーフなんてのもあるのか。それに、イチゴやキウイ、チョコバナナ。想像していた以上に種類が豊富で驚く。きっと開店直後の商品が並んだ光景は、さぞ賑やかだろうと柄にもなく思った。

サンドイッチなんて食った記憶がほとんどないくらい口にしていない。小学校の遠足の弁当に一度親が入れてきて、帰りがけ腹が減って仕方なくて文句を言って以来、弁当はいつも米だった。朝飯の時間がなくてパンを口にすることはあるが、あんパンとか惣菜パンとかコンビニのものばかりだ。あの手の惣菜パンは似たようなもんなのか。

カウンターを見ると小さいチラシが目についた。このサンドイッチ屋の情報を軽く眺める。営業時間は10時半から18時となっており、完売次第終了とある。もうしばらくして人足が落ち着けば、退勤時間でも開いてんのかもしれねぇ。特に用事はねぇけど。
つらつら考えていると、凌統が赤い袋を持って現れた。

「これ、詫びに……って、サンドイッチ貰っても嬉しくないか?」
「いや、ありがたく貰うけどよ。商品じゃねぇのか?」
「余りもんで悪いけど。すぐ食べないなら冷蔵庫いれといて。明日の朝までは食えるから」

凌統が渡してきた袋を覗くと、大きなサンドイッチが三種類入っていた。値札からすると三つで千円ほどで、その相場はよく分からねぇが気を使わない範囲の礼でほっとした。

「配送屋があんな重たい箱中に入れずにボンボン外に置いてくもんだから焦っちまってさ。クール便なのに気を使わなさすぎだよな。そんなわけで、色々失礼してたら謝るよ」
「そりゃ災難だったな。クレーム入れといた方がいいんじゃねぇの?」
「その元気がねぇっつの」

凌統がエナジードリンクを開けて飲む。飲むかと聞かれたが断った。凌統は痩せ細っているというわけではなく、腕や肩を見るにそこそこに筋肉も付いたいわゆる細マッチョで体力はありそうだ。そんな奴がそう言うのだからよほどの忙しさなのだろう。開店当初だけだろ、なんて酷い慰めが口から出そうになって慌てて止めた。
ふと見ると、ショーケースの一番端のライトが付いていない。そこには商品の札もなく、使われていないのか。

「ここは空けてんのか?」
「それがさ、災難続きな話だけどそこだけ冷えなくて。メーカーに直せって連絡してんだけど、まだ日程調整段階なんだ。そこも使えたらあのバターもっとハケられるのに」
「ふぅん。ちっと中入って見ていいか?」
「えっ、いいけど。分かるのかい?」
「ほらよ」

いつも念のため持ち歩いている名刺ケースから、名刺を取り出す。隣の社名に見覚えがあるか知らねぇが、電気工事の文字を見て凌統がおぉ、と感嘆の声を上げた。

凌統の指示に従い靴を履き替え、ポケットに突っ込んでいるゴム手袋をはめながら、ビニールののれんをくぐりキッチンからカウンターの裏手に出て繋がっている配線を確認した。
アース線がぐちゃぐちゃで、どんな適当な奴が繋いだんだと苛立つ。こういうのが漏電事故になったりすんだよな、適当な仕事しやがって腹が立つぜ。

一度全てを外し一つ一つ丁寧に捻って繋ぎ直す。十分に確認をしてからコンセントを入れ再度状態を確認した。確かに端の方だけ全く冷えていない。中に首を突っ込む勢いで覗くと、スイッチがあった。「切」になっている。単純なことだがよくある話だ。大方忙しくて、大きい方のスイッチは押したがまさか隣の方は電源が分かれているとは思わなかったのだろう。

「付いたぜ」
「うわ、本当に恩に着るよ」
「ただのスイッチの入れ忘れ。メーカー呼ばなくて良かったな」
「……本当だ、物凄く馬鹿にされるところだった」
「ま、案外よくある話だ。気にすんな」

立ち上がって手袋を取り、またポケットに突っ込む。持ち帰るつもりはなかったが現場からそのままにしていたものが役に立つとはな。
凌統はその後も何度かどう礼をしたら、とごちゃごちゃ言っていたが、俺としては全く大したことはしていないのでそれ以上は固辞した。

「これ、貰ってっから。もういいだろ、帰るぜ」
「あぁ。甘寧、本当に助かった。縁があったらまた何か頼むよ」
「お前結構図々しいじゃねぇか」

ニヤっと笑う顔を最後に見てから裏口を出て、最寄り駅に向かって歩いた。赤い袋はやけに目立つが、まぁこの人の多い都会で誰が何を持っていようと構わねぇだろう。珍しい重みに不思議と気分が上がった。

帰宅し、まずはいつもシャワーを浴びる。その前に忘れずに赤い袋を冷蔵庫に突っ込む。風呂から上がってすぐ、冷蔵庫のビールを飲もうとして赤い袋の存在を思い出した。今から飯のことを考えるのも面倒だし、こんなことももうねえだろうからサンドイッチを晩酌の当てにするのもいいかもしれない。タダだしな。

ビールと袋を持ってテーブルに置く。テレビを付けて、特に面白くもねぇバラエティーを眺めながらプルタブを開けて喉に流し込み、袋からサンドイッチを取り出す。厚みがあるでかいやつはローストビーフとレタスとパプリカがはみ出していた。薄い方(といってもこれがコンビニの普通サイズくらいだと思うが)のうち一つはクリームとイチゴ、一つは茶色いものと黄色い板のようなものが挟まっている。何だこりゃ。

とりあえず腹が減っていたので、足しになりそうなローストビーフの方に齧りつく。まずは肉の柔らかさに驚いた。もう何時間も経っていて、つい先ほどまで冷蔵庫に入れていたにもかかわらず、ホロホロと柔らかい。よく見ると薄切りの肉が四枚も挟まっていた。これが元々そうなのかサービスなのかは分からない。肉にはニンニクの匂いのする食欲をそそるタレと粒マスタードが塗りたくられていて、めちゃくちゃ美味い。同じく時間が経っているがシャキッとしたレタスに少し甘酸っぱいパプリカが肉と合う。パンはもちもちしており、食べごたえがあった。と言いつつもペロリと食べきる。ビールを飲むと後味との相性が良かった。何だ、腹の足しにならないってだけで食わず嫌いしてたのか?サンドイッチ、美味ぇじゃねぇか。

感動そのままに、次のサンドイッチに手を伸ばす。少し悩んで一旦王道のイチゴの方にした。齧ると瑞々しいイチゴの味と甘すぎることもないクリームの味が広がる。果物なんていつぶりだ?クリームは、普通の生クリームとは違う味だったがその正体はまったく分からない。ただ、美味い。何口か齧って、パンがさっきと違うことに気がついた。ローストビーフの方はもちもちしていたが、これはひたすらふわふわしていて食べやすい。途中ビールを飲んでみて、これはそこまで合わねえなと思った。

一気に食べきり、最後の一つに手を伸ばす。茶色いものの正体はパンをめくってあんこだと分かる。黄色い板は何だろうと思い匂いをかぐとすぐにピンと来た。バターか。急に、小さいいくつもの段ボールからバターが山のように出てきた光景を思い出して、少し吹き出した。あいつ、面白ぇな。

あんことバターの組み合わせ、それもこんな分厚いやつを食べたことがなかったので、恐る恐る口にする。このパンはさっきのよりはふわふわではなく、最初のパンよりもちもちではない気がした。舌の上であんこの甘味とバターの塩気が混ざる。こりゃあ相当美味ぇじゃねぇか。革命か?夢中になって一つを食べきる。ビールを飲むとこってりした口の中がサッパリした。

全てを食べきる頃にビールもなくなったので、もう少し何かをツマミに飲もうかと立ち上がって気がついたが、めちゃくちゃ腹がいっぱいだ。パンだぞ?パンでも、腹が膨れるのか。ビールの影響もあるだろうが、初めてのことが多く少し混乱する。手元のスマホで【あんこ バター】で検索すると、大量のレシピやパン屋、喫茶店の情報が出てきた。有名な組み合わせだったのか。色々な情報に脳が驚かされすぎているが、そう悪い気はしなかった。

あいつに、凌統にまた会いてえ気がしたし、もう一度あのサンドイッチ屋に行くのもいいかもしれない。ただ昼飯時に女共に混ざっていくのは面倒くさい。また帰り道にでも、もし開いている日があれば寄ってみるか。いつになるか分からないが、そのくらいが丁度いいだろう。あんまりがっつくのも格好悪ぃ気がする。
いつになくいい夕飯だったと満足し、俺は日常の夜に戻っていった。


***


そんなことがあってから二週間と数日。出社した俺はやけにざわつくオフィスを不思議に思いながら更衣室へと抜けた。作業着に着替え、デスクに向かう。騒音は女共の声で、どうしようとかラッキーとか格好いいとかそういうのが多く、部長あての来客に対するもののようだった。まだ勤務時間でもねぇのに、早くから珍しいこともあるもんだな。そう思っていたらデスクに着く前に隣の席の同僚が飛んで来る。何だ?俺が何かやらかしたのか?

「甘寧さん、サンドイッチ屋!」
「はぁ?」
「だから、サンドイッチ屋さんが来てるの!お隣の!それで、部長が甘寧さんのこと呼んでる」

えっ、あいつ?凌統が会社に?
疑問だらけのまま部長のいるスペースに向かい、パーティションをノックして挨拶する。ぱっと振り向いたポニーテールの男は確かにあのサンドイッチ屋にいたやつで、俺と目が合うとにこっと笑った。遠巻きに見ていた女性社員の黄色い声が聞こえた気がする。

「甘寧くん。この方、分かるね?お隣でお店やられてる方。君の好意に感謝して、これから週一回うちにサンドイッチを持って来てくれるそうだよ」
「ただとまでは言えなくてすみません。でも、社員さんには格安でやらせてもらいますよ」
「繁盛して忙しいのに悪いねぇ。うちの奥さん、気に入っちゃって結構せがまれるんだ。特にあんバター」
「ありがとうございます。部長のおかげで、御社の方あんバター買っていってくれますよ」
「はっはっはっ、口が上手いねぇ。まぁとにかくうちの社内でどんどん営業しちゃってよ」
「感謝します。社員さんも部長さんもお人柄がいい。いい会社ですね」
「社長も君に会いたがってたんだけど、今日は出張でいないんだ。その内ね」
「はい」

ニコニコと楽しげな二人の会話をボーッと聞くしかなかった俺は、凌統がまた振り向いたことで我に返った。いや、つうか俺、別に呼ばれる必要なくねぇか?聞くに、部長も社員も随分馴染みになっているみてぇだし、何よりたったあんな件だぞ?礼なら既に貰ってるし、わざわざ営業くるもんなのか?

「……何か、悪ぃな。お前忙しいんだろ、大丈夫なのかよ」
「あのあとすぐ一人雇ったから大丈夫。だらけてると体が鈍っちゃうからね」
「タフな奴だな」

喋りながら、そう言えばあんなに美味いものを貰っておいて礼の一つもしてなかったなと思い出した。礼の礼はくどいような気もするが。

「サンドイッチ、ありがとうな。美味かったぜ。誤解してたわ。思ってたより腹に来た」
「うちのはボリューミーだろ」

してやったりと笑うその顔は確かに前より健康的な気がした。やたらつやつやした肌は前より血色がいい。眠れてる証拠か。

「甘寧くん、給湯室前のスペース案内してあげて。あそこでやるといいと思うんだ」
「あぁ、弁当屋くるとこっすね」
「僕さ、張り切って火曜だけ弁当屋さん断っちゃった」
「そりゃ、オバチャンに睨まれますね」
「元々あそこも、凌統くんのところも火曜は定休なんだよ。無理言ってたからいいんだ」

凌統を見ると目を反らされた。言われてみればカウンターの上にあったチラシに火曜と土曜は休みとあった気がする。休み返上して営業してぇもんか?わざわざ格安で出張してまで。

「お前あれか。ワーカホリックってやつか?」
「うるさいっつの。やりたいことやってんだからいいだろ」
「ぶっ倒れんなよ。場所、こっちだから来い。部長、失礼しやす」
「あっ、ありがとうございました。来週からよろしくお願いいたします」
「はい、どうも」

凌統を引き連れて歩くと、明らかにいつもより女性社員が化粧をキメているのが分かった。この短時間でよくもまぁ擬態できるもんだ。凌統がおはようございます、失礼しますと挨拶して進むので、俺も適当に毎週来るってよと声をかけると、女共のガッツポーズが目に入る。せめて見えねぇところでやってくれ。

デスクゾーンを抜けて給湯室に着く。水とか茶とか適当に使っていいぜ、と声をかける。その向かいの小会議室を開けて電気を付けてやると、6畳くらいの小さい部屋が照らされた。テーブルと椅子しかない地味な部屋で、打ち合わせにもめったに使われない。毎朝来ている弁当屋のオバチャンと昼に来るヤク○トレディーに占拠されていると言っても過言ではなく、その証拠に二人の入館証がドアに引っかけてある。普通、入り口の時点で着けてないと入れねぇんじゃねぇの。

「へぇ、ここ、使っていいわけ?」
「おう。社員はほぼ使わねぇから。どういう感じでやりてぇんだ?」
「11時くらいに来て、30分くらい広げておいてお昼前に帰ろうかと」
「いいんじゃねぇ?外勤行ってる奴らも大体11時半には帰ってるし」
「そうか、出てる人も多いよね。じゃあもう少し居座ろうかな」
「分かった。なんか庶務には届出が要った気がすっから、俺が適当に言っとく。12時まで取っときゃ十分ってこったな」
「あぁ。ありがとさん」

単なる狭い部屋なのでさして見るものもないが、凌統はしきりに出入口や部屋の中を見渡している。持ってくるケースのサイズとか、そういうのを気にしているのかもしれない。
凌統は細身の黒いパンツに襟つきシャツ、麻のトートバッグとシンプルな格好だった。今日は挨拶だけなのか、売り物を持って来ている様子はない。休みだったはずだしな。わざわざ休日朝早くに職場の隣の会社まで来て挨拶だけして帰るなんて俺は絶対ごめんだ。そう思ったらもう少しくらい、前の感想をくれてやってもいい気になった。

「前の、マジで美味かったぜ。あんバターだっけ?俺ぁあんな組み合わせは初めて知った」
「結構流行ったと思うけど。あんたが運んでくれてケース直してくれたおかげで、大量に作れて助かってますよ」
「売れてるみてぇじゃねえか。あながち発注ミスでもねぇんじゃねぇの?あと肉のやつも柔らかくて美味かった。パンがもちもちでよ」
「へえ。あんたみたいな奴でも、パンの違いが分かるのか。嬉しいね」

そう言って笑われるが、これも悪い気はしなかった。馬鹿にされているという感じではなかったし、何より自分が一番そう思う。俺みてぇのでも分かるくらい、色々こだわって変えてんだろう。

「イチゴのも、なんかクリームが違うのか?食ったことねぇ味で美味かった」
「なんだ、あんた本当に舌が肥えてるのかい?あれはクリームチーズを混ぜてあるんだ。気付いて褒めてくれるなら、作り手冥利に尽きるね」

クリームチーズとやらはよく知らねぇが、まぁ美味けりゃなんでもいい。別に普段はろくなもん食ってねぇよと言うと独り身ならそんなもんだろ、と返された。左手薬指を見て言ったんだろうが、今時してねぇ既婚者もいるだろうに、失礼なやつだ。別に今、女いねぇけど。

「じゃ、もう二つくらい試してもらおうかな」

凌統がトートバッグから小さな赤い袋を取り出した。ずいと差し出され、思わず受け取る。中を覗くとやけにでかい肉が挟まったものと黄色い分厚いものが挟まったものが所狭しと詰められていた。見た目より重量があり、そのボリュームに思わず生唾を飲み込む。まだ腹も減ってない時間なのに、食欲が湧いた。

「チキンカツと、厚焼きたまご。厚焼きは悩んでてさ、関西みたいなだし巻きにするか、甘めにするか…とりあえず今日は、だし巻き」
「へええ。サンドイッチにか?聞いたことねぇ」
「俺も食べてみて結構驚いたよ。良かったら、感想教えてくれっての」

そう言ってウインクする凌統を見て、イケメンがこういうことするのは腹が立つなと思った。女共が見ていたらぎゃーぎゃーうるさかっただろうから、誰もいなくて救われたところはある。いけ好かないところはあれど、サンドイッチは純粋に嬉しい。こう思うくらい先日のものには衝撃を受けていた。にしても、たったあれだけのことで、随分してもらいすぎな気もする。

「なぁ、礼の礼の礼ってのも変な話だろ。対価払わせてくれや」
「と言われてもねぇ。それ、どっちも試作品だから」
「適当に、言い値でいいだろ」
「仕訳が面倒になるんだっつの。じゃあ……甘寧、角のとこに立ってくれるかい?」
「あ?何だ?角ってここか?」

突然凌統に場所を指定されて何も考えずにその位置に立つ。人の並びでも考えてんのか?それより、何度もタダ飯もらうってのは躊躇われる。そう考えていたら、目の前に凌統が立っていた。近ぇぞ。そう言おうとした口を塞がれる。凌統の口で。

口付けは一瞬で終わった。何の気なしにすいと離れていく垂れ目の顔を見て、白昼夢でも見たのかと思ったくらいだ。

「俺さ、あんたのこと、好きになっちまった。コスい真似して悪いけど、毎週来るからよろしく」
「……は?」
「ははっ、間抜け顔」
「あぁ!?」
「おっと、怖い怖い」

凌統がへらへら笑いながら離れていく。なんだこいつ、変態か、いや俺男でこいつも男なんだが、まじか、と回らない頭で率直な感想が浮かぶ。小綺麗な顔と妙にしっとりしていた唇がいやに様になっていて、恐ろしい。嫌ではなかった自分がだ。

大きな声を出したからか、パタパタと走ってくる音がした。隣の島の女性社員で、先ほど猛烈な熱視線を凌統に向けていた一人だ。俺は好みではねぇが、まぁまぁ可愛い。

「あのっ、大丈夫ですか?あと、その、甘寧さん、ソンゴホームからお電話入ってます」
「……折り返すわ」
「いや、いいって。仕事戻りなよ、俺もう行くからさ」

じゃ、と言って去ろうとする凌統の腕を掴む。睨みながら再度女性社員に折り返すと伝えると、怯んだように足音を立ててデスクに戻っていった。凌統が呆れたように見てくる。いや、言い逃げしようとしたのはお前の方だろ。

「……おい。毎週俺の分選んで取り置きしとけよ。いねぇ時もあっから。で、金曜夜店開けとけ。金払うから」
「……あんた、正気か?」
「俺ぁあんまよく分かってねぇけどよ。お前のサンドイッチには惚れてる」

そう言うと、凌統が顔を赤らめた。出会ってから大して喋ったわけでもねぇが、飄々としているこいつがそれを崩すのは悪くねぇ。
掴んでる腕を離すと、凌統は一言どうもと返事をしたのみで振り返ることもなく部屋を出ていった。すぐに切り替えたのか、失礼しますとオフィスに何度か声を張り、玄関を出たようだった。

そう言えば新たにもらったサンドイッチの取扱いを聞き忘れた。まぁ冷蔵してても美味いのは保証済みだからいいかと思い、小会議室の電気を消しながら向かいの給湯室に入る。冷蔵庫の一番上、大抵のやつは届かない奥の方に赤い袋を押しこんだ。
バタンと音を立てながら冷蔵庫のドアを閉めて振り向くと、女共が群がっていた。

「甘寧さん、彼とお知り合いだったんですねっ!」
「甘寧さんのおかげで毎週彼がオフィスに来てくれるなんて、超嬉しい!」
「あの、皆で遊びに行くとか、飲みに行くとか、どうでしょうか??」

あいつと付き合いたきゃ、てめぇらで何とかしろ。巻き込むんじゃねぇよ。そう言おうとして、凌統の言葉が思い出された。あいつ、俺のこと好きとか言ってなかったか。じゃあもう既に恋愛戦争に巻き込まてんのか。いつの間に最前線に立たされてんだ俺は。これだけ女がいるのに男同士でどうこうなんて不毛だろ。つうかこいつらが不憫すぎねぇか。…いや、スカッとするような気もすんな。

「俺は取り持ったりしねぇぜ。精々毎週アピールしとけ」
「冷たい、甘寧さん」
「そんなんだから、彼女できないんですよ〜」

彼氏は出来るかもしれねぇわ。言ったらウケるのかどうかすら分からない冗談でもないような返しが浮かぶ。なんつう気持ち悪い感情を残していきやがったんだあの垂れ目野郎は。変なことを気付かせやがった代償は必ず払わせてやる。とりあえず暫くは、適当に泳がせとくか。あいつがしびれを切らして手出してくる日まで。



【恋愛最前線】
あなたを真っ先にうちとれる場所

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