純真無垢のなれの果て

 

甘寧は妙な奴だった。人が親の仇討ちをさせろと突っかかれば受けて立ち、窮地に陥れば仲間だとか言って勝手に助けに来る。頭の作りが正反対で、冷静沈着に淡々と過ごすよう育てられた俺からすると全く理解できない。その人情に当てられでもしたのか、周囲の人間までやたらとあいつを褒め出した。非常に気に食わない。こっちが不本意な世継ぎで辛酸なめてるってのに、好き勝手暴れるだけで認められるだなんて許しがたい。例え命の恩人だとしてもだ。

だから俺は、あいつをとことん追究してやろうと思ったんだ。


朝――めちゃくちゃ早い。
陽が昇るかどうかくらいで起きて走りに行くのが日課らしい。いつも煩く主張する鈴の連なりを留守にして、暑い日も寒い日も走っている。さすがに雨の日は屋内にいたが、大概体を動かしているようだ。筋肉馬鹿だな。そりゃ、あの体躯にもなる。戦でも鍛練でも、血沸き肉躍るってのはあいつのことを指すんだなと思うほど生き生きと動いている。太陽を反射し汗が撥ねる肌は、龍だの焔だのが映えていて非常にカッコ良……見応えがある。それくらいは認めてやるっつの。

午前――寝てる。潔く寝てる。
会議だろうがお偉方の前だろうが政務中だろうがよく寝ている。おっかない顔した老将さんや軍師殿に睨まれても飄々としているのはかえってすごい。俺には真似できない所業だ。
政務を抜け出すこともしょっちゅうだ。木の上や根元、泉の畔、江の傍――あいつの昼寝場所はいくつもある。日向ぼっこする猫みたいで可愛い気もする。

昼――それはもう食べる。
がつがつ意地汚く、貪るように食らっているので呆れるような感心するような。まぁ食いっぷりいいのは見てて悪くないが、孫呉の武将の一員になったからには会食の機会もあるだろう。最低限の行儀は必要なんじゃないですかね。そう呂蒙さんに進言したら文字通り匙を投げられた。俺が躾けるにはちょっと、野性味に溢れすぎてやいませんか。

午後――よく動く。
調練、水上訓練、大工の真似事までする。ああ見えて頼りがいがあるようで、誰彼構わずお願いされて、大体全部快諾している。寝ている時以外は動いているのが性に合うらしい。兄貴肌ってやつですか。それはいいが、じゃああいつは誰かに甘えたり頼ったりすることがあんのかな、とどうでもいいことを考えた。

夜――酒はザル。孫呉に馴染む飲みっぷり。
妙な一句が出来てしまった。
一人でも呂蒙さんとでも“野郎共”とでも殿主催のでかい宴会でも、飲むのは好きらしい。調査のために俺もさしで飲んでみたが、まぁそれなりに楽しかった。普段じゃ聞けない生い立ちなんかを面白おかしく語るくらいだ、あいつも多分楽しかっただろう。気分が良くなったから囲碁はあえて負けてやった。次、ぼこぼこにしてやるっつの。

そんな会話をしたとこまで覚えているのに、眠りに付いた瞬間を覚えていない。寝苦しさに目を開けると、目の前に甘寧がいた。こちらも文字通り、目の前だ。至近距離なんてもんじゃない。俺がちょっとでも顎を動かそうもんなら唇が触れてしまいそうな程近くに甘寧がいる。驚きすぎて固まってしまった。状況が理解できない。身動きが出来なくなったので必然的に甘寧を眺める羽目になった。

目を瞑っているとやけに幼く見える。目つきの悪さがないからだろうか。いつもは油で撫でつけて上げている髪が下りているのも新鮮だった。この姿は何度か見たことがあるが、隣で寝ることなんざ初めてなので一層真新しさがあった。思わず髪に触れる。固い。自分のものとも女のものとも違う。

っつうかこいつ、よく俺の隣で眠れるよな。それもこんなべったりくっついて。親仇ってこと忘れたのかね。俺は一秒たりとも忘れてないってのに。けど何度も豪語するように、こいつにとって俺は“仲間”なんだろう。寝首を掻くだとか今更仇討ちするなんて可能性を少しでも感じていれば、同衾なんてしないはずだ。

吸い寄せられるように口付け、すぐに離した。
奴の唇はかさかさでざらざらで、お世辞にも心地いいとは言えなかった。それなのに説明のつかない感覚が上がってくる。血がざわついて鼓動が跳ね上がり、顔から火が出そうだ。

更にはその目が開いて、心臓が口から飛び出すかと思った。甘寧が瞬かせた後大あくびをして頭を掻く。俺はどう弁解すべきか、いや余計なことを言って墓穴を掘るより黙っていた方がいいんじゃないか、などと考えながらまた体を凍り付かせていた。

「寝ぼけてんか?それともまだ酒残ってんのかよ」

早朝のぼんやりとした明かりの中で機嫌よくそう言い放ったかと思うと、唇を弧にしながら俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。驚きと恥と喜びと後はもうよく分からない感情が全てない交ぜになって爆発するかと思った。それを振り払うように乱暴に手を退け、沓を履いて逃げ出した。

心臓が壊れる。あいつに殺されちまうって。誰か助けてくれ!


***


屋敷に走り帰ると、家人が俺の顔を見て目を見開いた。一体どんな顔をしているんだろう。多分、今にも死にそうなんだ。心配して声をかけてくれるのを手を挙げるだけで返す。言葉を発する気力もない。

陽の高さからするにまだ時間がある。寝台で横になろう。慣れたそこにようやく辿り着いて倒れこむ。まだ、顔が熱い。俺はなんでだってあんなことを。あいつだって驚きもせず余裕ぶっこきやがって、なんなんだっつーの。

結局鼓動の音がうるさくて、二度寝なんか全く出来なかった。全部あいつのせいだ。
ようやく顔面が鎮火し、心臓が大人しくなってからも無駄にごろごろと転がって時間を費やした。
窓から差す明かりが随分強くなったのを見て起き上がる。あいつ、酒飲んだ次の日だって構わず走ってんだよな。俺も体を動かそう。走って水浴びでもすりゃちょっとは寝不足も吹き飛ぶだろう。



「おっ、お前さっきの今で元気だな。酔いは醒めたかよ」

甘寧が屈伸しながら言い放ってくる。しまった。体を動かそうとは思ったが、こいつに会う心算は毛頭なかった。それなのについいつもの癖でこいつが走る路に来ちまった。頭が働いていないにも程がある。脳内で自分をぶん殴りながら、努めて冷静さを装う。

「お陰様で。つうか体痛いんだけど。なんであんな状態になってたわけ?」

隣に並んで同じく体を折りたたみ、筋肉を伸ばしていく。立位に戻して何度か跳ねると少しずつ平時の自分を取り戻してきた。

「お前酔っ払うと面倒くせえんだな。覚えてねえのかよ」
「なんだっつの」

含みのある視線に、咎められているのかとやや不快に思う。この年で同世代から受ける説教程ダルいものはない。まあ俺こそこいつにネチネチ色々言ってんだからお互い様かもしれない。柔軟運動と跳躍で体が解れ、頭がすっきりしてきた。走り出すべく足を伸ばす。

「なんか研究?するから一緒に寝ろって煩かったぜ。こっちこそ体痛ぇよ」

踏み出した一歩がやけにふらついて倒れた。な、な、な、何だって?俺が?俺からそんな意味不明なこと言い出して、あんなことになったのか?

「あ、あんたが酔っ払って無理矢理引き込んだわけじゃなく……?」
「俺ぁ、んなダル絡みしねぇよ」

こいつの記憶、全部吹っ飛ばしてやろう。地に両手を付け、甘寧の顔面目掛けて蹴り上げる。腕で受け止められたが予測済みだったので更に腕を突っ張って側転する。身を屈めて肘を鳩尾に入れようとしたが寸でで避けられた。

「避けなさんなよ甘寧っ!」
「照れ隠しかぁ?可愛いとこあんじゃねえか」
「くらいなよ!!」

渾身の踵落としを避けた甘寧が走って逃げたので、全速力で追った。結局いつも通り走ることになったのは気に食わないが、とりあえず話題が立ち消えたのはよしとしよう。

それにしても、並走なんか毎日してるのに、いつもより息苦しい。なんだか隣が気になってそわそわして落ち着かない。ほんの少し目を向けると甘寧がすぐに気が付いて眩しいくらいの笑顔を寄越した。それを合図に速度を上げてくるのでむきになって着いていく。

――楽しい、かもしれない。

親仇にそんな感情を持つことになるとは思わなかった。共に闘う味方に抱く思いとしちゃ悪くないが、よくもまぁ能天気な思いが浮かぶもんだな。自分で自分を皮肉って、速度を上げたり下げたりする甘寧に黙って伴走した。

***
  

「凌統殿の恋バナはもう満腹ですよ」
「それでね軍師殿――なんだって?」
「お惚気は聞き飽きたと申しました」

目をひん剥いた。陸遜がとんでもないことを言ったからだ。
午前の執務をつつがなく終え、竹簡を収めにきた倉庫で若軍師さんと一緒になった。日頃の甘寧のさぼりをチクったり昨日は囲碁に負けてやったりしたことをべらべら喋る。初めは笑いながら聞いてくれた彼が段々と適当な返事になったなと思ったら……ノロケって。

「あんたでもそういう冗談言うんだな。そんなに面白くはないけど」
「あなた方のような関係、何て言うんでしたっけ。相思相愛?何でもいいんですけど、お二人で完結して下さいませんか。巻き込まないでほしいものです」
「何の話だい?」
「ですから、私は甘寧殿に全く興味がないので、諸々ご報告下さっても楽しくも何ともないんですよ」

自然と首を傾げた。サボりは咎めるべきと思って言ったことだし、囲碁の話は雑談に過ぎないが以前は和解の証だと喜んでくれたのに。そんでもって、あんなに目立つ奴に興味云々とかないだろう。気付くと目を奪われてるんだからさ。
そう言うと陸遜は綺麗な顔を歪ませ、ご馳走様ですと言って倉庫を去っていった。優秀で謙虚な人だが、落ち着きのない部分もあるんだな。日頃悠然としているだけに、年相応な反応は好感が持てる。

脇に抱えた簡を所定の位置に収めていく。乾いた音だけの空間で、何故かふと陸遜の言葉が頭の中で反復した。相思相愛――

「えっ、あいつ俺のこと好きなのか」

喧しい音を立てて竹簡を落とした。呆然としてしまい、拾う気になれない。これまでそんなこと、考えも付かなかった。さすがは都督さんの後継だ。大胆な発想に仰天する。

ついでにしっかり自覚もさせられた。俺はまぁ、本当に、軍師殿の仰る通り。あいつに惹かれているんだろう。親仇であることを忘れた日はないが、俺にない動きも考えも性格も魅力的だとは思う。ムカつく気持ちと好ましい気持ちが上手く同居して、気付くといつも頭の中にあいつがいる。そういう感情がなきゃ、目の前にいただけで口付けなんざしない。

それは認めるが、まさかあいつも俺が好きだとは。それも頭脳明晰な陸遜のお墨付きだ。思い返せば甘寧も俺といるときは喜怒哀楽がよりはっきりとしているし、最も遠慮なく密に過ごしているとは思う。以前確か野郎共と楽しそうにしている時に割り込んだら、そそくさと飲み屋に連れ出されたこともある。俺を優先するとは分かってるなと謎の優越感を抱いたもんだが、今考えれば単純に二人きりになれて嬉しかったような気もする。女々しい考えにげんなりはするけど。

それに昨晩から今朝だって、酔っ払いにねだられたからって閨を共にするっつーのも普通ではないだろうし、俺が無意識にしちまった接吻をあれだけ平然と流せるもんかね。考えれば考える程、気持ちが浮ついていく。
相思相愛ってかい。表情筋がゆるゆるだ。滲み出る喜びを一人の空間で隠しもせずに曝け出した。


***



自覚と自信を持ってから、軽く一月は経った。
特に何も変わっていない。天気が良けりゃ朝共に走り、武将として軍人として必要な働きをし、時々碁を打ったり飲みに行ったりする。ただ、それだけだ。

時折酔いに任せて俺の方から手や腕に触れたり抱き着いたりしてみたが、何だよと笑って流された。嫌そうな感じはないが、心底嬉しいという感じもしない。意外と清廉なんだなと思うと普段の激情的な様子との落差にまた心を乱された。

日々楽しいことは楽しいし、言い合ったり喧嘩したりして飽きることもない。
ただ、本能的な欲がもたげることがある。つうか端的に言うと物足りない。刺激が欲しい。

特に二人きりでいるとその欲望に支配されたように、あいつの口唇ばかりが目についた。下世話なことをわざわざ聞いたことはないが、多分女には困っていないだろう。そんな奴が俺なんかに惚れちまったのは可哀想な気もするし喜ばしい気もする。こいつはどんな顔をして女を抱くんだろうか。俺には、どんな顔して――

「おーい、聞いてっか?」
「っうわ!」

意識が現実に引き戻されると、甘寧が目の前にいて俺の顔を覗き込んでいた。思わず椅子ごと下がって距離を取る。一気に血流が早くなって全身が熱くなった。甘寧はひたすら怪訝に俺を見ている。

「お前最近、上の空なこと多いな。頭でも打ったかよ?」
「あのねえ。あんたと違って憂い事が多いわけ」
「ふーん」

俺の適当な返しに、甘寧は本当に興味がないようにすぐ引き下がった。面白くない。そもそも、俺が色々機会を作ってこいつから仕掛けてくるのを待ってやっているというのに、ちっとも動かないのが悪い。仕方ない。こっちから一歩進んでやりますか。

また卓に椅子を寄せ、上体を伸ばして甘寧の顎を掬い、ゆっくりと唇を寄せた。が、触れる寸前に掌で口元を覆われ制止させられた。甘寧の目は大きく見開かれている。そういやこいつが驚く顔ってあんまり見ないな、と思っていたら素っ頓狂な声を出された。

「ど、どうした!?」
「どうしたもこうしたもないっつの。俺はそこまで気長じゃないんですけどね」
「はぁ!?何だ、何の話だ!?」

心底理解していないような混乱一色の声を上げるので、雰囲気をぶち壊された俺は機嫌悪く舌を打つ。顎から手を離し、座り直してから背もたれに体重を預けて足を組んだ。我ながら態度が悪い。

「あんたが俺に惚れてるっていうから待ってやったのに、いつまで経っても手出ししないもんだからさ」
「待て待て待て待て!ど、どういうことだ?誰がそんなこと言った?」
「陸遜」

甘寧がまた抜けた叫び声を出す。その様子に徐々に俺も気が付きだした。まさか、違う、のか?

「んな訳ねえだろ!いや、お前のことはわりと好きだけどよ。俺ぁ妙な気になったことねえぞ!」

衝撃が走った。甘寧は滅多に嘘をつかない。つく時は絶対に分からないようにするだろうし、こんな私事には適用しないはずだ。だから、これは本音だということが分かる。
こいつは俺に、惚れてない。全部俺の、勘違いってかい。

血の気が引くような、かと言って羞恥に顔が染まるような、ごちゃ混ぜの状態になった。動揺が止まず表情を取り繕うこともできないので、どんな顔をしているか分からない。直接的に言うなら絶望した。下手したら泣きそうになるのを、自尊心だけで堪える。

「そ、うかい。そりゃ、悪かったよ」

何とかひり出した言葉はもしかすると震えていたかもしれない。甘寧が俺を凝視している。不自然な反応なんだろう。親しい同僚として笑い飛ばして酒の肴にすべき場面で、一向にそれが出来そうにない。
このままこの場にいると余計なことを口走りそうだ。反射的に立ち上がって戸を目指す。それこそ妙だろうが、とにかく逃げ出したくなった。軽率な勘違いが恥ずかしく、取った行動を思い出すだけで胸が抉れそうだ。

今にも室を脱出できそうな時に、鈴の音が近づいて手首を掴まれた。腕を振って払おうにも馬鹿力で握られていて押し負ける。顔が上げられず、戸を睨み付け続けた。甘寧もどうしていいか分からないらしく、かといって力を緩めてくれることもないまま突っ立っている。

握った拳に自らの爪を立てながら、ゆっくりと口を開いた。衝動的に逃げちまいそうになったが、こういうすれ違いはとっとと潰して忘れるに限る。案外こいつは大人なとこもある。さすがに言いふらしてからかったりしないだろう。

「忘れてくれ」
「凌統」

苦笑いする自分がひどく痛々しい。同僚に妙な気起こされた上に、恋愛感情を持っていると勘違いされたら本来ならば近寄りたくない程気持ち悪いことだろう。それをしてこない時点でこいつは良い奴だと思う。そう分かってはいるのに、つい自分を擁護するためにこいつに嫌味をぶつけたくなってしまう。

「あんたは好きでもない奴と口付け程度、何でもないかもしれねえけど……俺はそうじゃない」

こんなこと言ったって何にもならないのに、自分の中にこれまでの気持ちを収めておけない。ガキだなと内心自虐する。今はただ、情けない自分に耐え切れず、被害者面してこいつにも傷を負わせたいという性格の悪い考えだけで言葉を放つ。

「勘違いしてた俺も陸遜も悪いけど、あんたの言動も反省してほしいもんだ」

甘寧は反応を返さない。まぁ、困ってんだろう。握られた手首が熱くて鬱陶しい。手に刀でも持ってりゃ落としちまいたいくらいだ。

「こうやって、間違って好きになる奴が増える前に」

居たたまれないって言葉はこういう時に使うんだな。大勢の前で父上に怒られた時、宴会での剣舞でこいつを殺そうとした時、窮地を救われた時――人生多くの機会で居心地の悪い思いをしたが、今日を超える日はそうないだろう。場違いにそんなことを考える。

いよいよぶん殴って逃げようかという時に、向こうから手首を解放された。思わず見ると少し赤くなっている。が、それより自分で爪を埋めた皮膚や生傷のない胸の方が痛い。

「あん時は、寝ぼけても酔ってもなかったってことか?」

わざわざ掘り返すかね。声に出すのは憚られてただ頷いた。甘寧が深く嘆息し、突然しゃがみこんだ。予想していた反応と異なっているので、立ち去っていいものか分からずその姿を見下ろす。落ち着きなく頭を掻いてから急に立ち上がるので思わず身を引いた。それを許さないとばかりに再び手首を掴まれ、もう片方の手は腰に回される。突然すぎて抵抗の仕方も忘れた。

「今、妙な気起きた」

そう言って甘寧が口付けてきた。物理的にも精神的にも身動ぎできない俺は、ぼけっとそれを受け入れた。かさついた唇を擦り付けてくる。たったそれだけで肌が粟立ち、顔が熱くなった。無意識に開いた隙間から、湿った感触が侵入してくる。舌と舌が触れると全身の毛穴が開きそうになった。絡められ、口内をなぞられ、舌根ごと吸われるとぞくぞくと寒気のような感覚が上がってくる。

「ふ、う……っ」

こぼれ出る声が自分のものとは思いたくない程とろけている。腰が抜けそうで怖く、俺も甘寧の背に腕を回し、きっちり着ている藍色の衣を破れそうなほど強く掴んだ。
気持ちいいなんてもんじゃない。すぐ近くで感じる香りや感触がたまらず、離れようとした頭を押さえ付けて何度もねだる。

酸欠直前で口唇が離れ、閉じていた目を開くと視界が歪んでいた。格好悪いにも程がある。甘寧は手首から俺の顔に手を移し、頬を撫でながら信じられないものを見るように凝視してくる。

「こういうことか」
「何だい」
「こっちの話」

また大きくため息を吐いた甘寧が、腰の手に力を入れて寝台に誘導してきた。正直な話、物足りないとは思ったがそこまで腹が決まっていた訳ではなかったので、思わず踏ん張り抵抗を示す。だがそれも、耳元で「来い」と一言囁かれただけで陥落した。あまりに意思が弱すぎる。これが惚れた弱みってやつか。

男と致すなんて初めての俺を、甘寧はあっさり取り捌いた。俺は羞恥も忘れてひたすら翻弄された。

***



ぐったり横たわる俺の隣に甘寧が潜り込んできた。さっきまでもっと凄いことしてたってのに、添い寝だけで緊張するんだからイカレている。
だが冷静に考えるとこいつはそうじゃないだろう。お情けか単にちょっと気が向いたか、そんな程度で手を出してきたに違いない。つうか男相手に随分手慣れていたので、経験済みなことまで認識させられた。別に、だからどうってこともないけど。
自然と卑屈になっていく自分がいる。半端にこんなことしちまうと肌で分かる。俺はこいつの特別になりたいが、こいつにとっちゃ数いる相手の一人だ。

「大丈夫か?」

甘寧が存外優しくかけてくれる声がかえって虚しい。悟られないように淡々と問題ない旨を返す。既に本音をぶちまけてしまっているので取り返しは付かないが、これ以上のしかかる訳にはいかない。だからさっさと立ち上がって帰りたいのに、本格的に腰が立たなくて身動きできなかった。

「横んなっとけ。このままいろ」
「嫌じゃないのかい」

反射的に面倒くさいことを言ってしまった。未だ脳の働きが悪いことも含め、自分が思い通りにならず落ち込む。甘寧が眉を寄せてから俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。そういえば髪留めはどこに飛んだんだろう。最中のことは、あまり覚えていない。

「悪かったって。俺たまに言われんだよ、天然とか愚鈍とか唐変木とか」
「あんたに対して随分強気に言う奴がいるもんだね」
「陸遜に決まってんだろ」

ああ、なるほど。即座に納得した。あの綺麗な顔から出る毒舌は切れ味が鋭く、直後に打撃を与えた上で後からもじわじわ苦しめてくる。

「お前和解してから近ぇなーって思う時あったんだけどよ、普通に嬉しくて分かんなかったぜ」
「改めて言葉にすんなっつの……」

聞くに堪えない。自分の頭の能天気さと花畑感に具合が悪くなってきた。

「野郎共がよ」
「ん?」
「時々お前の噂してて」

何の話か見当がつかず、横にいる顔を見つめる。きっちり性欲発散してもらって頭はすっきりしている筈なのに、俺の方の妙な気は治まらないようだ。やけに顔が良く見える。

「凌将軍がきれいだの腰がそそるだの上気した頬が色っぺえだの言うから、あんまりお前近くに寄らせねえようにしてたんだぜ」
「はっ?」

予想外の内容に固まる。何だって?こいつの部下からそういう目で見られてたってことか?そんで、守ってくれようとして、あんな風にそそくさ連れ出してたのか?
想定外の言動につい喜んでしまいそうになるところを、必死に抑えて返す。

「そりゃ、どうも、ご迷惑を……頼んでないけど」
「おお。俺が勝手にやったことだぜ。で、俺んとこのも随分溜まってんだなーって、あいつらでも行けるような妓楼とか紹介してよ。それでもお前のこと言うから、何となく面白くねえな、とは思ってた」

普段がさつな声のこいつがゆっくり穏やかに話してくると、その心地よさに聞き惚れた。内容度外視で浮かれる自分が浅ましい。

頭の上に置かれたままの手が熱い。男は馬鹿だから性欲と愛情をすぐ勘違いする。自分に都合よく考えるな、これ以上期待すんな、と脳内で声をかけるが、甘寧の目が真っ直ぐこちらを捉えるので緊張が続く。

「お前といて嫌なわけねえよ。お前の告白、すっげえキたぜ」

告白と言われると眩暈がする。咄嗟に好きとかいう直接的な言葉を使ってしまった自分への嫌悪感が拭えない。だがどうやら嫌われたわけでも疎ましく思われたわけでもないらしいので、そこはよかった。こいつの柔軟さと懐の深さには感謝しておこう。

「で、野郎共の言うこともすんげえ良く分かった。お前、恐ろしく色っぺえわ」
「それは褒められてんのかい?」
「俺なりに」

甘寧が頭に置いていた手を滑らせて、髪を一束取って口付けた。がさつな男がそんな行動をしてくるとは思わず、表情ひとつ動かせなくなった。余程面白い顔をしているのか、くつくつ笑いながら視線を合わせ、ゆっくり接吻を寄越してきた。また固まっちまって、茫然と受け入れてしまった。

「責任取んねえとなーって」

仕方なく、とか否応なしに、という意味の言葉を使っているだろうに、その表情が柔らかく嬉しそうなので、思考が麻痺している今の俺では妙な気しか起きなくなってしまう。

「勘違いが続きそうなんだけど」
「いいぜ」
「いいぜって……あ、」

性欲との混同だろうが責任感だろうが、なんだっていい。こいつに触れられることを喜びと捉える脳を、今すぐ取り換えられるわけがない。はっきりと欲を示して内腿を滑る手を振り払う理由もない。

「あんたは仇だ。俺がつきっきりで監視してやるっつの。ん、」
「そういうのも悪くねえな。んじゃ、ずっと見とけ。目反らすんじゃねえぞ」
「あんたこそ、逃げんなよ」

この許容を愛情と呼ぶ程図々しくはないが、陸遜の判断が誤りではなかったと言ってやれるように、差し出せるものは全てこいつにやろうと思う。

未だちりちりと痛む胸を無視して、何度目か分からない口付けを交わした。


【純真無垢のなれの果て】
正しい在り方はわからないままで

  
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