儚い薔薇の歌
三月三十日。
マユリにとってはさしていつもと変わらぬ日であるが、
隊首室内の壁に貼られた七曜表が視界に入る度に僅かに眉間に皺を寄せては目を逸らす。
そんなことを繰り返していた。
「マユリさん」
今日が何の日なのかと、意識をするのと同時に
ある男の顔と声が記憶の彼方から呼び起される。
前十二番隊隊長及び技術開発局初代局長 浦原喜助
嘗てはマユリの上席であり、情人でもあった。
他の者には悟られぬよう、ひっそりと静かに愛を語り合う仲であった。
その男から一輪の赤い薔薇と共に贈られていた言葉が、
今まさにこの場にいるかのように、マユリの耳元で囁かれる。
「マユリさん、お誕生日おめでとうございます」
幻聴だと、錯覚だと解っていても動きを止めてしまう。
背後から自分を抱き寄せる腕の温もりを、甘く繊細な薔薇の香りを
最近の事のように思い出せてしまう。
滑稽な程に溺れてしまったその男から隠し事をされ、置いて行かれたというのに。
それを許せぬと怒り嘆いたというのに。
浦原と過ごした甘いひと時を記憶から消すことは出来なかった。
「これから先もずっと、ずっと、
僕から愛を贈らせてください」
居場所など当の昔に分かっていた。
それでも会いに行くことは出来なかった。
許されないからではない。
無意識のうちにきっと、待ち望んでいたのだ。
何事も無かったかのように、気の抜けた笑みを浮かべながら
あの男が目の前に現れることを…。
不意に隊首室の扉が開かれ、
マユリは反射的にそちらへと振り返った。
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