その毒は甘く、囁くように
「毒ったってなぁ、勝手に持ち出すと隊長からどやされるんだ
ちゃんとあんたのとこの隊長通して申請書出してくれねぇと…」
そう困ったように阿近さんは頭を掻く。
技術開発局へは業務で幾度か訪れたこともあるし、彼とも面識はあった。
尤も面識といっても、廊下ですれ違う際に挨拶を交わす程度だけれど。
そんな顔見知り程度の隊士から「毒をくれ」なんて、困って当然だ。
見たところ研究室には彼一人しかいないようで、私としてはこの状況は好都合だった。
気狂いが押し掛けてきたと騒動になれば、色んなところに迷惑が掛かる。
…いや、それでも
もう、私の事を心配してくれる人なんて…
「おい、大丈夫か?」
阿近さんから声を掛けられるまで
私は自分が泣いている事に気が付かなかった。
『っ…失礼しました』
「ちょっと待て!…取り敢えずこっちへ来い」
慌てて死覇装の袖で顔を隠して立ち去ろうとすれば、阿近さんから肩を掴まれ
そのまま研究室の中にある別室へと案内された。
そこは薬品棚と簡易的なベッドしかない薄暗い個室。
私としてはこの汚い泣き顔を見られたくなかったけどだからと言って拒む理由も特に無く、
ベッドを椅子代わりに腰掛けるよう促されて素直にそれに従う。
一体何なのだろうと様子を伺っていると、
阿近さんは申し訳なさそうに厚めの綿ガーゼを差し出してきた。
「すまないが、今はこれしか無くてな」
『えっ、はい…』
思わず受け取ってしまったが、恐らくこれで涙を拭けということらしい。
彼なりの優しさなのだろう、目元に押し付ければガーゼに涙が染みていく。
「擦ったりするなよ?落ち着くまでここにいてくれていい」
阿近さんの言葉の端々から私への気遣いを感じる。
申し訳ないと思いながらも、普段とは違う柔らかで優しい口調と表情に安心して
ポロポロと涙が溢れ出てくる。
研究だって途中だろうに、こんな私に寄り添ってくれて
背中を擦ってくれる大きな手の温もりが、嬉しい。
だからこそ、これ以上迷惑は掛けられない。
『突然押し掛けて、すみませんでした…先程の事は忘れてください』
彼が提供した毒で死んで、迷惑を掛けてはいけない。
命を絶つなら誰の迷惑にもならない知らない場所へ行こう。
森の奥深くなら独り、ひっそり逝けるだろう、と
何とか涙を堪えて視線を上げれば
阿近さんは眉間に皺を深く寄せてこちらを見ていた。
怒らせてしまっただろうか?
こんな気狂いの相手をさせといてもう用はないなんて、虫が良すぎる。
大変失礼な事をしてしまっていると気付き、慌てて謝ろうと頭を下げれば
顎を軽く持ち上げられ、上を向かされた。
「毒は、何に使おうとしたんだ」
阿近さんの真剣な眼差しに、目を逸らせない。
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