【再録】ダブルキャストにはなれない


四.



 全治二ヶ月。
 それを病室の寝台の上で聞いたとき、ああ、運が良かったなと思った。最悪、全身が動かなくなる想定まではしていたから。幸い後遺症が無いだろうことも後から聞いた。なら代償としては安いものだ。そう、寝台の上の動かない体を見て笑った。顔の火傷が酷かったから、口角を上げるのに皮膚が引き攣れて少し苦労したことを覚えている。
 危うく死ぬ処だったんだぞと、組織の知り合いからは尽く説教された。二次爆発の危険の中、部下が助け出して呉れなければ死んでいたんだぞと。俺としては耳に胼胝が出来るんじゃねえかと云うことの方が心配だった。広津のジイさんも紅葉の姐さんも、口煩くって仕方無えんだ。唯一、首領だけが何も云わずに、ただ一言、困ったものだねえと眉尻を下げて笑っていた。俺も、そうですね、誰が俺の車に爆弾なんぞ仕掛けやがったんでしょうねと、素知らぬ顔で頷いた。
 他にも部下やら同僚やら、二ヶ月の間に見舞客の満員御礼で暇はしなかった。見舞い品の中には花やら果物やら、中には俺の好物ばかりをこれ見よがしに詰め込んだ贈物なんかも在って俺の機嫌は随分と良くなった。記名も無しに『これでチャラだよ』と書かれたカードは破って捨てた。
 仕事も部下の優秀さに助けられ、寝台の上から指示するのみで事は足りた。
 然し、俺が不在となったことで滞る業務も当然在った。
 俺が爆発に巻き込まれたことに因って太宰治の捜索は難航し――俺が退院する頃には、既に捜索は打ち切られていた。

     ◇ ◇ ◇

 其処まで書いた処で、俺はカリ、と万年筆を動かす手を止めた。不意に太宰の顔が脳裏に蘇ったからだ。この次に俺が太宰の顔を見るのは、本部の地下牢でだった。ついこの間のことだ。
 あれから四年も経ったと云うのに、相も変わらずムカつく面をしていて、然しその手腕が鈍ったかと思えばそうでもなく。俺は彼奴に嵌められてお嬢様口調で――いや。この話は止そう。じわ、と力の入れ過ぎで、万年筆の先に黒い洋墨の染みが出来る。
 きっと次に会うときも敵同士だ。それは別に良い。彼奴が立っているのが何方側かなど、実に些細な問題だった。寧ろ敵側で居て呉れた方が、沸騰する血を止めなくて済む分幾らか楽だ。責める積りは無かった。
 俺達の相棒関係とは、詰まりはそう云うものだった。
 俺達は、云わば行く先を同じくしただけの道連れのようなものだった。並び立てば比類無き強さを得られたが、俺には俺の、彼奴には彼奴の、進むべき道が在った。その道が一時交錯し、偶然の一致を見たから相棒関係を結んでいただけだ。それがズレれば、解消されるのが道理だった。
 だから、何でも良かった。
 彼奴が俺の元相棒の名を汚すような生き様をしていないのなら、何でも。
 ぱたんと手帳を閉じる。何時の間にか、時計の短針が朝と昼の境を指し示そうとしていた。顔を上げ、窓から差し込む陽光に目を眇める。
 こんなに天気がいいのだ。偶には私用で出掛けるのも悪くない。

     ◇ ◇ ◇

 道中で花束を一つ購って、或る丘へと向かった。
 脳裏に赤毛を思い浮かべながら選んだ白い花だ。真っ直ぐで、あの男に良く合いそうな。その匂いを纏いながら、足を小さな墓地群へと向ける。
 港からの風に包まれた、緑の色の濃い山中だった。其処には数多くの白い墓標が、物云わずにひっそりと佇んでいた。静かだ。此処では誰も、その眠りを妨げられることは無い。俺の知り合いも両手の指では足りないくらい眠っていることだろう。
 その墓標の一つに、そっと花を添える。俺が手を離したその脇には、同じようにあの男に手向けられた花束が風に花弁を揺らしていた。それに寄り添うように置かれた、煙草と、酒と、そして何故か平皿に載せられた豆腐のようなもの。
 ――先客が来ていた。

     ◇ ◇ ◇

 本部へ戻る途中、街で太宰を見掛けた。
 太宰は此方に気付いていないようだった。否、或いは気付いていて気付かない振りをしていたのか。相変わらず似合わない砂色の外套を身に纏い、心中が如何のこうのと騒ぎながら探偵社の面々と連れ立って歩いていた。何となく、それをじっと目で追う。
 砂色は似合わないが、陽の中に馴染むにはいい色だった。
 眼鏡の男が額に青筋を浮かべながら、先に立って太宰を引き摺っていた。其処は嘗て、相棒であった自分が居た場所だ。
 サスペンダーの少年が眉尻を下げ、太宰の後を慌てたように追っていた。其処は嘗て、太宰の後輩であった芥川が居た場所だ。そして。
 太宰の隣は、未だ空いている。

『ダブルキャストにはなれない』
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