【再録】フェアリーテイルの亡骸



  終.


 カーテンを開けて外の様子を伺うと、朝日の中に倒壊しているビル群が見えた。陽光を遮るものは何も無く、俺は暖かな日差しを浴びながら目一杯伸びをする。枕が変わるとよく眠れない質であったが、こればかりは仕方無い。
 部屋に備え付けの端末を起動させると、異能技術によらない未だ生きている旧式のネットワークが、荒廃した横濱の街を写していた。ここ一ヶ月、代わり映えのしない光景だ。変わった点を強いて云うなら、この前遂に駅前のタワーが完全に倒壊したことくらい。アナウンサーは居ないがテロップが流れている処を見ると、未だ感心にも仕事熱心な人間が居るらしい。
 外からは複数の人間の激しい怒号が聞こえる。それと何か異能力が発動したのか、空気を震わせる歪な金属音。カーテンの隙間からそれを聞きながら、チンと電子レンジで温め終わった冷凍のピザを取り出してビールを開ける。残念ながら、この家に備蓄されていた食料もこれで尽きる。また新しく空き家を探しにいかなければならない。途中で荒らされていないコンビニなんかが運良く見付かると善いんだが。
 まあ何とかなるだろう、とソファに腰掛けてピザを頬張った。トマトソースの絡んだチーズが口の中で溶けて、中々に美味い。

     ◆ ◆ ◆

 あの後、結局俺は太宰の死体を使わなかった。
 太宰の云った通り、異能力統括管理システムの電脳の本体には未だ息があった。枝葉を殺され、その異能技術の大半は最早使いものにならない状態ではあったが、本体の機能だけは残っていたようだった。
 何なら、太宰用のカプセルが差し出されさえした。
 然し俺はそれに太宰を繋ぐことをしなかった。
 外は太宰治の目論見通り、異能力者同士の暴走や異能技術の供給の断絶で壊滅の一途を辿っている。そう云えば、異能犯罪対策課は如何なったのだろう。樋口は。坂口は。疑問には思うが敢えて確かめに行く気は起きない。まあ、無事なら何とかやっているだろう。無事でないなら、そのときは運が悪かっただけだ。
 助けて呉れ、と何処か遠くで悲鳴が聞こえる。
 その様子を、窓硝子越しにビールを片手に聞き届ける。

 君の望みは何処にある?
 太宰はそう問うた。俺には判らなかった。もう俺に課されていた枷は無くなってしまっていて、この状況を積極的に変えるほどの大義名分は持ち合わせていなかった。
 俺の望みなど何処にも無い。
 ただずっと、太宰の影を追い続けている。

 外の惨状を繰り返し伝えていた端末のテロップは何時の間にか途切れていた。紙皿と缶を分別して棄て、拠点を移す準備をする。ボストンバッグに詰め込むのは最低限の衣類と金銭。金銭は役に立たなくなって久しいがまあ無いよりはマシだろう。帽子を目深に被る。拳銃は弾を充填し、直ぐに抜けるよう懐に。
 それと忘れてはいけないものがある。
 歩み寄るのは部屋の片隅に置いた黒いスーツケース。俺の半身ほどもあるそれを寝かして開け、中身が変わらず其処に居ることに少し安堵する。
 中に眠るのは太宰の死体だ。
 長身を折り畳むようにして体を横たえる太宰の顔は、静謐な表情を浮かべていた。肌は陶器のように透き通っていて、色を失った唇は何事かを囁くように薄く開いている。けれどその声が発されることは永久に無い。
 その頬をそっと指の背で撫でる。
 何時の間にか、はらりと右目の包帯が解け掛けていた。そのことに気付き、手を伸ばして包帯を巻き直してやる。ちらりと見えた瞼の奥の瞳は、この男に似つかわしくない琥珀色だ。手の平を当て、そっと閉じてやる。
 ――使い終わった後は、私の死体を、如何か土に埋めて呉れないかな……。
 そう約束をした。だから俺には使えなかった。
「……これは復讐、なんだろ」
 その亡骸に、そっと唇を寄せた。

          了
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