【再録】真空アクアリウム
二.
「手前がそんな奴だとは思わなかった」
吐き捨てるように彼が云う。わたしは云い返せない。どころか、動くことすら出来ないのだ。ただ呆然と、彼が見下ろすのを見ている。周りの景色が歪んで、ぼんやりと彼の姿も霞んでいく。澱んだ世界の中で、其処だけか清涼だと思っていた彼の周囲が濁って溶けていく。
届かないと判っていながら、わたしは力無く手を伸ばす。
「おれはもう、手前には従わねえ」
彼はわたしの方を見向きもしなかった。指先を掠めることすらせず、踵を返してわたしの元を去っていく。
「中也」
彼の名前を呼ぶ。なんで。行かないでよ。もう一度叫ぶ為に息を吸おうとして、肺が圧迫されているのを感じる。彼の背中が遠い。
苦しい。
「中也!」
びく、と体を揺らして飛び起きた。
思わず呟く。
「……なに、今の」
声が掠れた。見回しても彼の姿は無い。ただ夜の静けさに沈む寝室の光景だけが広がっていて、そこで漸く自分が睡眠から目覚めたことに気が付いた。
手の平を眺めて開閉する。段々と、体に感覚が戻ってくる。何故だか少し汗ばんでいた。背中に意識をやると、寝間着が汗でぐしょりと張り付いていてその不快感に顔を顰める。
夢。嫌な夢だ。
……嫌?
わたしはその感覚に首を傾げる。あまり覚えの無い感情だ。正確には、もう慣れ切ってしまって、態々正気を揺らすほどでもない感情。だって、生きていて嫌じゃないことの方が少ない。愚鈍な人間と言葉を交わすのが億劫で嫌、この組織ですることと云えば代わり映えの無い人殺しで、大抵血で汚れるから臭くて汚いから嫌。判り切った未来の結果を辿るだけの作業が退屈なのが嫌。生きると云うことは、呼吸すらし難くままならない。
それでも、彼と居れば、最近はましだったのだ。
なのに。
「……嫌な感じ」
形を確かめるように呟く。小さな声が、夜の中に溶ける。
わたしは、彼がわたしの元から居なくなるのが嫌なのだろうか。
◇ ◇ ◇
「きみは誰にでもそうな訳」
「あ?」
夜が明けて開口一番、投げ付けたのはその言葉だ。半ば八つ当たりなのは自分でも判っていた。それでも隠し切れない棘が声に滲む。
執務室に入ってきた彼は、わたしのいきなりの詰る調子に思い切り眉根に皺を寄せた。それでも文句は何も云わない。ただ涼し気な目元が台無しになる。
今日は本部とは違う建物だった。少し離れた郊外の屋敷だ。だから人が少ない。早朝ともなると、廊下を行き交う人の気配より外で囀る鳥の気配の方が多いくらい。でも彼は来ると思っていた。律儀なんだ。彼には本部隊とは別の単独行動を取って貰うことも多いから、何時の間にか事前に二人で打ち合わせるのが暗黙の了解になっていた。今日もその筈だっただろう。わたしが噛み付くように云わなければ。
彼がソファに身を投げ出して此方を見た。足が床に付かずに、ぱたぱたと遊ぶように揺れる。
「で。『そう』って何だよ」
「首領が善しと云えば誰にでもそうやって尻尾を振る訳」
だから、そんな風に云いたいことを飲み込んで、仕方無くわたしの云うことに従ってた訳。
その、続きの言葉は云えなかった。云おうとしたら喉が引き攣れて、出て来る手前でつっかえてしまった。あれ。おかしいな。調子の悪い喉を押さえる。
誰にでもそうだ。わたしだけが特別な訳じゃない。
そう云って呉れれば未だ諦めが付いた。彼と組むと気分が好い、彼となら何だって出来る。そんな幻想地味たこの感情が、錯覚であることを飲み込めた。このぐちゃぐちゃになって整理の付かない感情に、引導を渡すことが出来た。首領に兵を変えてくれと云って、彼を手放すことが――切り捨てることが出来た。
他にも代わりは居るのだと。
ひょい、とわたしの小柄な体には似つかわしくない革張りの椅子から飛び降りて、彼の元へと歩み寄る。彼はわたしの言葉に無防備に疑問符を浮かべ、すっくと立ち上がっていた。その彼の手首を捕らえる。そうしてみると、身長は同じくらいだから吐息が掛かるくらいに彼の顔が近くなるのだ。相変わらず、彼の吐く息は無色透明に透き通っている。何だかそれが、とても恋しい。
息が。息が、し辛いんだ。
「尻尾ォ?」如何やら不思議そうな顔をしていたのはわたしのその発言にだったようで、わたしが手首を掴んだのにも構わず、振り返るようにして自分のお尻の辺りを眺める。莫迦。ほんものの尻尾のことじゃない。「そんなもん振ってね――」
そう言いながら向き直った彼の唇を、強引に唇で塞いだ。
「……、……」
ちゅう、と微かに表面を吸う音を立てる。舌でぺろりと舐めてみると、彼の唇は存外柔らかい。ん、ん……と何回か、重ねるだけのキスをする。彼は抵抗しない。掴んだ手首すらだらしなくぶらんと下げて、わたしにされるがままの口づけを享受している。
そうしてたっぷり一分とちょっと、彼の熱を味わってからゆっくり唇を離すと、じっと此方を静かに見詰める碧い瞳と目が合った。
「……。急に何だ」
訝しげに訊かれて言葉に詰まる。激高されればへらへらと笑って躱してやろうと思ったのに、彼はそれすらしないのだ。わたしのへらりとした笑みも、自然下手くそなものになる。
何。何、か。
別に大したことじゃあなかった。ただぱくぱくと、彼の口から吐き出される空気がひどく清涼に思えただけだ。
それを食べれば、少しは楽になれるかのような。
「……別に。きみがどんな顔するかと思って」
「ふぅん」
彼はそう、興味無さそうに頷いた。受容でも拒絶でもない。無関心。それがまた、わたしの胸を掻き乱す。
矢っ張り特別だと感じていたのは、わたしだけだったんだろうか。特別じゃないと云う言葉を自分から求めておきながら、いざそう云う態度を取られると臓腑がぐちゃぐちゃになりそうだった。息苦しくて、けれど上手く呼吸が出来なくて、ただ唇を噛み締める。
彼が欲しいと思った。わたしが彼を求めるように、彼にも求められたいと。
「……別に、おれは首領が誰を推そうが興味無えよ」
気付けば軽く手を振り払われていた。わたしの手から彼の手が離れていく。そうして彼が、何事も無かったかのように背を向ける。
「それより、手前今日の任務の準備出来てんだろうな。何時もより規模が大きいが、本当に手前が前線に出て大丈夫か。首領にも失敗すんなって云われてんだろ」
その背中に、夢でしたように手を伸ばそうとして――この距離だと届く訳無いか、と思い直して引っ込める。
首領、首領って。
「……ねえ、きみ」
わたしを見なよ。
その一声が、云えない。
◇ ◇ ◇
『太宰さん、通信室を制圧しました!』
「そう。引き続き手筈通りに」
『はっ!』
今日の任務はマフィアの管轄から爆発物を横領していた弱小組織の殲滅と少し大掛かり。それでも上手く行っていた。別働隊に情報の流れを制圧させて、混乱に乗じて十数人ほどの本部隊で正面から叩く。多少力技でも問題無い。隠れ潜む敵は「始末して、」とその一言だけで片が付く。侵入した屋敷、そのわたし達の通った廊下には、何時の間にか死体が山と積み上がり、血生臭い匂いをさせている。
このまま組織の頭を潰せば善い。簡単な仕事。
そう――あまりに上手く行き過ぎていた。
「……おかしくねえか」
最奥の部屋の扉に手を掛けたわたしに、彼が制止の声を掛ける。ああ、とわたしは瞑目した。ああ、多分彼もわたしとおんなじことを考えている。
「首領が手前に殲滅を命じるほどの相手の筈だろ? にしては手応えが無え……。罠じゃねえのか」
目の前の分厚い扉の向こうの気配は感じ取れない。人が居るのか居ないのかも。勿論此処に来るまでに、逃げられないよう手は幾つか打ってある。それでも掻い潜られる恐れはあった。逃げられていて、そうしてこの奥に仕掛られていたのが罠だとすれば部隊の壊滅は免れない。
けれど態と誘い込むにしては、随分と被害を出すものじゃあないか? 来た道に積まれた死体を振り返る。きっと頭だけ生き延びても、組織としては再起不能だろう人員の損失。わたしならこんな被害は出さない。だから罠でない可能性もある。
却説、何方か。この場面。あのひとならきっと――。
そこまで考えてはたと止まる。
首領なら?
「……太宰?」
呼ぶ声が聞こえない。そう、わたしに戦術戦略の何たるかを叩き込んだあのひとなら、きっと此処は兵を退かせて長期戦に持ち込むだろう。慎重に事を進める筈だ。或いは組織でも一番の武闘派である黒蜥蜴を投入する。こんな、高が借り受けただけの一個小隊では突入しない。だってこの中で一番強いのが彼で、後は何の能力も持たない一般構成員なのだ。これではどんな罠があっても対応可能とは云い切れない。
「……けど、わたしはあの人じゃない」
じわりと手の平が汗ばむ。ちら、と横で思案げな顔をする彼をこっそり見遣る。
そうだ。七光で何もかもを手に入れたい訳じゃない。あの人に云われた言葉を思い出す。次期幹部候補と云う肩書だけでは人は随いて来ない。中身が伴ってから考えようね。
あの人なら如何するか、じゃない。信頼は自分で勝ち取らなければならない。
自分の実力で。
その為には、あの人の真似事ばかりでは駄目なんだ。
「開ける」
「おい、太宰」
彼がわたしに、その手を重ねていた。
「……善いんだな」
「逃げられてるなら、それはそれで早く確かめなきゃいけないでしょ。この人数だと退いたって万全の準備が出来るとは限らないし……それに」振り切るように云う。「それに、仮令罠でも――きみの力で捻じ伏せれば善いだけだ」
そう云って、扉を開けた。
罠だと云うのは、半分中たりで半分外れだった。
其処は執務室と云うよりは、広い広間のような部屋だった。一つ段差があって、その奥に自分達の目当ての男が居る。
あの男を殺せば、任務は完了だ。
「中也!」
「――ああ!」
彼が疾走する。ナイフを構え、一足飛びに男に迫る。そうして彼がわたしの元から駆け出してから気付く。
――なんだ?
追い詰められていると云うのに、男は口を歪めて笑っていた。伏兵の気配は無い。代わりに漂う火薬の匂い。成る程。通信室は押さえていたからわたし達の侵入を感知してから仕掛ける時間は無かった筈だけれど、最初からその心算だったのなら話は別だ。横領した爆発物を売らずにこんな処に使っているとは読めなかった。何故ならそれは合理的最適解じゃない。こんな莫迦げた自爆行為。防げないな、とぼんやりと思う。
何が間違っていたんだろう。いいや、作戦立案は何も間違っちゃいない。これが一番手っ取り早かった。これで彼が敵の首を掻き切れば、任務は無事完了だ。仮令どれだけの犠牲を出そうとも。
仮令その犠牲の中に自分が含まれていようとも。
彼も気付いたのかその足が鈍る。まずい。
「きみはそのまま行け!」
らしくなく怒鳴る。
そうだ、わたしは死んだって善いんだ。
こんな世界から逃げ出せるんなら。
一瞬飛んだ意識を呼び戻したのは、「太宰さん!」「爆発するぞ、太宰さんをお守りしろ!」と云う構成員達の声だった。我に返る間も無く、何故だか全員に覆い被さられる。ぐっと抱き締められるように黒服達に包まれる。
「ちょっ……何!? 離せ!」
「中原、此方は大丈夫だ! 善いから任務を果たせ!」
ピ、と何処かで電子音が無情に響く。
次の瞬間、爆音が耳を劈いた。ガン、と頭と全身を殴られたような衝撃に包まれる。次いで皮膚を焼くような熱、肉の焦げる匂い。絶叫、悲鳴、激痛。けれど視界は黒服で覆い尽くされていて何も見えない。ただ頬にびしゃりと生温い液体が掛かって、焼ける空気に息が出来なくなる。意識が保てず、何も判らないまま痛みにそのまま意識を手放す。
苦しい。
次に目を覚ましたのは、「太宰、太宰!」と必死にわたしの名を呼ぶ声でだった。つん、と意識を取り戻した瞬間に焦げた臭いが鼻につく。けほ、と咳き込むと全身が痛む。ぼんやりと、体を投げ出して屋敷の天井を見る。侵入したときより随分と遠く見える。きっと何フロアか落ちてるんだろう。
聞こえるのは彼の声だけだった。他には何も。精々瓦礫のぱらりと崩れるような音だけ。
間違いではなかったけれど、失敗だとは思った。被害が想定以上に大きかったから。そうして死にに行ったのは自分だ。死んでも善いと思ったのも。
「……何やってるんだろう、わたし」
「そうだよ何やってんだ手前は!」
彼がらしくなく動揺した顔を晒して、わたしを覗き込んでいた。その着衣はぼろぼろで、多分、必死に瓦礫の中からわたしを掘り出したんだろう。本当、らしくない。その頬に手を伸ばして金の髪を掻き上げ、肌に付いた汚れを払ってやる。
「何だろう。自殺かな」
「は」
彼の瞳が困惑に染まった。
それも一瞬だ。わたしの逃げようとしたのが判ったのか、乱暴に胸倉を掴まれる。
「……んだと?」
「云ってなかったっけ。わたし、自殺が趣味なの……」
それを聞いた彼の目が、怒りからかさっと変わる。青から鮮やかな金に。そうしてわたしの体を揺さぶる。
「巫ッ山戯んな手前! 彼奴等が、おれが、どれだけ手前を信頼して……ッ!」
「煩い。頭に、響く……」
がくりと頭を落としたわたしに、彼はそれでも何か云いたげだったが、怒鳴るだけ無駄だと悟ったのか一つ舌を打ってわたしを乱暴に担ぎ上げた。妙な浮遊感に若干の酔いを覚える。「敵は」「殺した」「生存確認」「……おれ達以外は、全員死んでる」「そう」。それだけ聞いて、ああ、このままだともう一つ死体が増えちゃうかも知れない、と意識を彷徨わせる。
そう、わたしは死んでも善かったのに。
こんなに必死になって、一体何をやっているんだろう。
◇ ◇ ◇
結果として任務は完遂。その代わり、部隊が半分壊滅。残りの半分は別働隊で無事だった人間だ。結果だけ見ればまあまあの戦果だと思うけれど、それでも首領の私物を想定外に毀損してしまったのは戦績として結構痛い。全員死んだ、と告げたときの、生き残った奴等の突き刺すような視線を思い出す。でも、だって、助けて呉れなんて云ってないもの。それでも、恨まれるのは仕方無いんだろう。殺したのは紛れも無くわたしだ。
そんなことを、地下室の石組みを力無く眺めながら思う。
報告書を提出する暇も無く、支部に帰ったわたしが押し込められたのは牢屋みたいな部屋だった。本部じゃなく、朝集まっていた方の屋敷の地下。全部が石造りで、鉄の格子戸には鍵が掛けられている。何処かで下水の流れる音がして、衛生的にはあんまり宜しくないなと思う。臭いも何処か湿っている。
わたしを此処に押し込めた構成員達は、首領が来るまでわたしを閉じ込めておけと命じられているんだろう。多分処罰があるから。何処か現実感を失ってふわふわとした感覚の中、それだけが少しだけ憂鬱になる。
でも此処は人が少ないから、少しだけ落ち着いて呼吸が出来ていた。
何時もの濁った空気が無くて、息苦しいってことがない。
特に、あの爆発のときみたいな息苦しさは。
――手前なら、もっと犠牲を少なく出来たんじゃねえのか。
別にわたしは、人が大勢死のうが関係無かった。それが手っ取り早く任務を達成出来る方法なら、何回やり直したってわたしはそれを選んだ。
なのに、如何してきみはそう云うことを云うの。
――けど、それでもおれは……。
あのとき、彼は何を云おうとしたんだろう。判らない。判らない。一つだけ判ることは、もう彼がわたしを見ることは無いだろうと云うことだけだ。首領に云われて仲良くするようにしていた。その信頼を勝ち取りたかった。首領から彼を奪い取りたかった。彼の存在が欲しかった。
なのにこんな醜態を晒した後では、その機会はきっともう永遠に失われてしまったのだろう。
その事実に、如何しようも無く胸を締め付けられた。息苦しさを思い出して、なのに息が出来ているから脳が混乱して気持ち悪くなる。吐きそうになったから、自分の手で首を絞めると少しだけ気持ちが安らいだ。きゅっと首に指を這わせ、気道を圧迫して呼吸を止める。
「……う、あ……」
目の前がちかちかと点滅する。苦しさと気持ち良さが明滅する。
このまま意識を手放してしまえれば、どんなにか善いことだろう。
そのとき、ばき、と格子戸の鍵が壊される音が響いた。振り返る間も無く背中を蹴り飛ばされ、首が手から外れる。ごほりと咳き込めば、胸倉を掴まれた。
毛を逆立てて怒りを身に纏い、般若の如く立っていたのは正しく今わたしが思い描いていた少年だ。
「何してんだ」
「……そっ、ち、こそ……何……笑いに来たの……」
力無く笑って見上げる。牢の中に入ってきた彼は意外にも無表情だった。ただ、その目だけがぎらぎらとした金の光を湛えていて、この場所への似つかわしくなさに思わず笑みが零れ出る。
「これでさあ、判ったでしょ……わたしは首領とは違うってこと……」
そう、彼が心酔する首領ならこんなヘマはしなかったのだ。首領が善しとする者に、誰にでも尻尾を振るからこう云うことになる。目が曇る。寄せた信頼を裏切られる。
「ねえ、きみ」
言葉を発しないままの彼に歩み寄り、囁くように彼の手を取った。そうしてみると、身長は同じくらいだから吐息が掛かるくらいに彼の顔が近くなる。
「わたしを見ろよ……」
首領じゃなく、わたしを。
その言葉は、音に変えずに彼の唇に押し付けた。彼の熱を奪って舐め取る。彼は何時かのように抵抗しない。ただ力無くされるがままになっている。
何時かと違う点は、息苦しさが解消されないことだ。
彼からきれいな空気を貰おうと、この苦しさを紛らわせようと必死に唇を重ねるのにどんどん苦しくなる。おかしい。僅かに喘ぐと、とん、と肩を押されて離された。
「気は済んだか」
「待って、ねえ……」
追い縋るわたしに向ける彼の目は、氷のように冷たい。
「おれは手前の策なら何だって出来ると思ってた」吐き捨てるように彼が云う。「今だって出来ると思ってる。なのに何が自殺だよ。手前がそんなクソ野郎だとは思わなかった。……何にも背負う積りの無え野郎だとは」
「中也」
「触んな」
ぱん、と手を振り払われる。
それは明確な拒絶だ。首領から指示を受けている筈の彼からの、初めての拒絶。心臓が軋んで悲鳴を上げる。
「手前が嫌いだ」
そうして彼は、泣き出す寸前のような声でそう云うのだ。
泣きたいのは此方の方だって云うのに。
「おれは、手前が嫌い……」
「わたしだって」
ぽつりと零す。胸が苦しい。
彼の言葉から身を守るように、膝を抱えて蹲る。
「わたしだって、きみのことなんか好きじゃない……」