【再録】水底のモノクロオム




 苦しいのがいいなら首でも絞めててやろうかと訊いた。
 厭だな中也と太宰は笑った。私、ずっと苦しいのが続くのは厭だよ、そんなことになったら、きっと自殺しちゃう。



四.


「今回は助かったよ。ありがと、安吾」
 煙草を口から外し、太宰は電話口に歌うように語り掛けた。寝台の淵に腰掛けて、サイドテーブルの灰皿で灰を落とす。ぎしりとスプリングを軋ませると、背後でシーツの擦れる微かな身動ぎの音と、う、と密やかな呻き声が聞こえて、太宰は笑って声を潜めた。寝台の中に眠る己の相棒の、亜麻色の髪を軽く撫でる。起こさないよう、慎重に。
 相棒の容態はここ数日でだいぶ良くなっていた。まだまだ無理は禁物だが、日常生活には支障の無い程度。
 端末からは、ただ荒い息とざっざっと忙しない異音が断続的に聞こえるのみだ。何かの任務中だっただろうか。太宰は構わず続ける。
「本当に感謝してるんだよ。私が『ポートマフィアに反逆したがってる』なんて餌、君でなきゃあんなに上手く撒けなかったろうから」
 御蔭で大漁だった。そうくつくつと喉を鳴らして笑って漸く、端末から反応らしい反応が返って来る。太宰の耳を突き刺すのは、怒り心頭と云った友人の怒鳴り声だ。
『真逆太宰君、君、それを云う為だけに電話してきたんですか! こンのクッソ忙しいときに!』
「口が悪いよ、安吾」
 笑って返すも応えは無く、代わりのように何発かの乾いた破裂音が機械じみて響く。それから『その程度ならメールで済ませて下さいよ!』と恨み言のような呻き。どうやら無事みたいだ。頭脳労働が専門のくせに、今日の任務は荒事なんだろうか。
「否、もう一つ御礼を云っておこうと思ってさあ。……中也に情報を渡して呉れたの、君の判断でしょう? あれで随分助かったから」
『……何のことだか判りませんね』
 指摘した瞬間、安吾が微かに息を詰めたのが判った。それから煩わしげに否定する。きっと通信の向こうでは、空惚けて首を横に振っていることだろう。序に向こうの相手も面倒臭くなってきたのか、『ああ、もう!』と苛立たしげな舌打ちと共に小さく唱えられる異能名。堕落論、と。安吾がその言葉を口にした瞬間、劈くような絶叫が幾重にも響いた。人間の、痛みと、恐怖と、本能の叫びだ。太宰は思わず耳から端末を離した。あーあー、大惨事だ。安吾を敵に回すなんて可哀想に。
『僕はただ、最もポートマフィアの利益になると思われる行動を取るだけです。……そろそろ切りますよ、太宰君』息を一つも乱すこと無く敵を殲滅しただろう情報員の男が、太宰には呆れたように嘆息する。『もう君の自殺嗜癖の尻拭いは真っ平御免だ』
 その言葉に、太宰は一つ首を傾げる。今回の件、精々煩わせたのは中也の手くらいだ。安吾には任務の範囲以上のことは頼んでない筈。尻拭いなんてさせてないでしょう。その疑問が空気越しに伝わったのか、やれやれと重い溜め息を吐かれる。
『太宰君。相棒なんて己の半身を刺して、その喪失感に浸る行為なんてのは、緩やかな自殺に他ならないんですよ』少し不機嫌そうで――けれどその奥底に愉快さを滲ませた安吾の声が太宰の耳を打つ。『君のことだから、きっと自覚は無いのでしょうがね』
 一瞬、安吾が宇宙人にでもなったような感覚に陥る。安吾、君、何時の間に宇宙語を習得してきたのだい。するりと耳に入った音が、電波の集合音にしか聞こえない。
 ゆるやかな。自殺?
 脳を通してその意味を咀嚼する。数秒後、やっとのことでそれが人の言葉であることを理解し――けれど云い募る前に、通話はぶちりと切られてしまっていた。つー、つーと響く無機質な不通音。
「……何って?」
 呆然とする。
 緩やかな自殺。
 即ち中原中也の死を己の死のように感じていたと?
 そんな訳無いでしょう。太宰は笑おうとして――上手く口角が持ち上がらなかった。大体、太宰と中也は同じ生き物ではない。相棒、相棒なんだ。相棒と云うのは別々の生き物で、一つじゃあない。だから同じ死を共有する道理は無いし、太宰治はそれを混同するほど莫迦じゃない。愚かでも。震える手で煙草を口から外す。それを上手く灰皿に躙れずにいると、突然手首を掴まれた。
 大きさの割に、がっしりとした手だ。
 暴力を振るい慣れてる形の手。
 靭やかな動作で、檸檬色のカクテルを入れていた。
「ちょっと、止めてよ……」
 訴えるも聞き届けられない。ぎりぎりと、握力だけで手首を握られ締め付けられる。骨が軋んで顔を顰めた。何時だってそうだ。この男は、太宰の言葉には耳を貸さない。
 言葉にしないことは、無断で勝手に読み取るくせに。
 君がそんなだから、私が距離を見誤るんだ。
 振り返る。
「……痛いってば、中也」
 凶暴な光を湛えた金の目と、ばちりと視線がかち合った。

 寝起きだと云うのにその眉根は不快げに寄せられていて、普段色彩鮮やかな瞳は怒りできゅうと瞳孔が開いている。その所為で、何時もよりその双眸に宿る光は暗い。
 なのにそれが太宰の意識に残すのは、鮮烈な金無垢の残滓だ。瞼の裏に、焼き付いたみたいに離れない。
 忘れようとしても忘れられなくて。
 何時だって意識に纏わり付くその色が。
 鬱陶しくって仕方が無い。
 けれど失えばきっと物足りなくなるのだろう。世界に色が失せてしまう。そう、まるで――己の半身を失ったように? 太宰の思考に、中也の声が重なる。
「こうでもしねえとまたどっか行くだろうが、手前は……」
 普段より掠れた声。警戒が顕になっているのに、何処か無防備な声だ。己の名を呼ぶそれが、鮮明に耳を打つ。
 太宰は瞑目し、軽く吐いた息ひとつの後、笑みを貼り付けて応えた。少しばかり強張ってしまったのはご愛嬌だ。
「行かないよ。それより気分は如何? 快調?」
「ああ……最悪だ、手前の臭いがする……」
「それは重畳。でも此処君の部屋だよ」
 序に云えば、今この部屋に在る太宰の持ち物と云えば己の体と纏う着衣、椅子の背に掛けた外套だけだ。中也は中也の服を着ているし、着替えさせもしなかったから彼の汗でしっとりと湿っている。先刻まで喫んでいた煙草は中也だって同じものを吸っているし、却説、一体何を嗅ぎ取ったんだろう。
「他は? 痛い処とか無い?」
「……それを手前が訊くのかよ」
 腹を刺したのは他でもねえ手前のくせに。揶揄するような物云いに曖昧な笑みを浮かべる。残念ながら記憶障害は起こっていないようだ。「御免御免」と適当に謝って、緩んだ相棒の手を自分の手首から引き剥がす。
 掴まれた部分は見事に真っ赤になっていた。莫迦力。それを擦って、太宰は寝台から立ち上がる。
「上脱いで」
「あ?」
「汗掻いたでしょ。包帯、巻き直さないと蒸れるよ」
 経験上、と付け足すと、中也は少し迷いを見せた後、渋々纏っていたシャツを脱いだ。若し相棒がまた妙な動きをした処で、力尽くで組み伏せられると判断したんだろう。その判断は正しい。太宰の策略に嵌って油断さえしなければ、背後から刺されるなんて醜態を晒すことにはならない。
 然し善くもまあ、また背中を晒す気になるものだと呆れながら趣味の良い棚を漁る。中也の私室なんて勝手知ったる人の部屋だったから、ええと救急箱は何処だったかなんて迷うことも無い。開くと必要な物は揃っている。ガーゼ、消毒液、包帯。何時もは太宰の体に使用する物だ。
「寝てる君を無理矢理脱がすなんて無体は働かなかったんだから感謝してよね」
 笑って云うと、脹脛を思い切り蹴られた。
 痛いし。
 また痣が増える。

「悪かったと思ってるよ」
 「よいしょ」と寝台に腰掛けて、中也の纏う包帯を外す。小柄な背中だ。けれどそれをひ弱だと云う人間は、片手ひとつで縊り殺されるんだろう。筋肉が目立ちこそしないものの、薄い皮膚の向こう側で引き締まっているのが判る。つつ、と背骨をなぞると、ぶわっと中也の肌が粟立つの判った。
「太宰」
 早くしろ、と無言の催促に肩を竦めてガーゼを替える。「替えるだけだから、医者には後で行きなね」何なら治さずそのまま死んで呉れても善いけど、と云う言葉は飲み込む。そうだ、暫くは死んで貰ったら困るんだった。塞がりつつある傷を、そっと触ってから包帯で覆う。
 自分が損なってもこの相棒が未だしぶとく生き続けている事実が、太宰の気分をなんだかとても好くさせた。ふふ、と鼻歌さえ歌いたい気分だ。だったら矢っ張り自殺なんかじゃあないんだ。太宰治は死にたいけれど、中原中也が死んでも嬉しくないから、その死の価値は同一ではない。
 ――あれ? 私は中也が死んでも嬉しくない、で良いんだっけ。居ない方がせいせいする、じゃなくて良いんだっけ?
 中也の程良く色付いた肌に、白い包帯を巻き直していく。敵のアジトで、独りで、或いは体を重ねた男達に手伝わせて包帯を巻き直していたときとは何もかもが違う。空気の匂いも、景色の見え方も。
 上機嫌な雰囲気が伝わって、そしてそれが気味悪かったのか、中也が座りが悪そうに身動いだ。ぎしりとスプリングが微かに軋む。別にクイーンサイズだから狭くはないけれど、動かれると少し困る。「あ」「んだよ」「ズレた」「下手くそ」他愛も無い遣り取り。何方かが口火を切るのを待っている。
「……でも、ああするしか無かったでしょう?」仕方が無いから口を開いた。きゅ、と包帯に結び目を作る。「幾ら内通者が居たとは云え、私と君とで中々潰せなかったんだ。なら内側から潰すのが一番手っ取り早い。そうでしょう?」
 己の言葉の説得力の無さがおかしくて、語尾の端が震えてしまった。そんな訳は無かった。中也を傷付けずに解決する方法なんて幾らでも有ったんだから。これで丸め込まれるのは、余程の愚か者か三歩歩けば忘れる鳥類くらいのものだ。
「本音は」
「私に刺された瞬間の中也の顔最高だった」
「ぶっ殺すぞ」
 それで思い出したのか、中也が急に振り返って、「そう云えば一発でチャラの約束だったな」と予備動作無しに腹を殴られたものだから一瞬ぐっと息が詰まる。傾ぐ視界に、中也の満足気な顔が映った。そのまま仰向けに寝台へと倒れ込む。あー痛い。この様子だとまた内出血してるんだろう。
「それで?」
「うん?」
 痛みから回復して目を開けると、真上に中也の顔が見えた。横に突かれる手。ぎしりと軋む寝台。部屋の照明が中也の表情に影を作っている。押し倒されたのだ、と気付くのに数秒。
「外は愉しかったかよ」何時もの怒鳴るときの問いとは違う。純粋に疑問に思う声が、太宰の耳朶に淑やかに落ちてくる。「俺を刺してマフィアを抜けて、阿呆な野郎共に抱かれて、乱して。其奴等が意のままに動く様は痛快だったか……」
 痛快? その言葉に、敵の屋敷に居たときのことをぼんやりと思い出そうとする。けれど浮かぶのは靄の掛かったような、鈍く褪せた記憶だけだ。既に如何でも善い記憶として、太宰の脳では処理されているようだった。だから細部が上手く思い出せない。あの屋敷の、カーテンの色は何色だったっけ。シーツの色は。段々記憶の反復も億劫になってくる。
 大体、そんなのより目の前に落ちる亜麻色の方が、ずっと鮮烈に記憶に残るって云うのに。
「……何でそんなこと訊くの? 嫉妬?」
「そうかもな」
 曖昧な笑みを浮かべると、は、と心底莫迦にしたように鼻で笑われた。返ってくるのはぞんざいな答え。嫉妬なんてそんな訳無かった。太宰が何をしようとも、中也は意にも介さない筈だ。
 私と違って、君は私が如何だって善いんだろうから。
「君に付けられた痕がさあ、くすんで見えたかな……」
「あ?」
 薄く開いた唇から、落とされるのは胡乱げな声。
「モノクロオムに見えるの。ほら、肘蹴られたでしょう、後お腹も殴られてた。なのにちっとも赤くも青くもなくて」鏡の向こうの自分の体は、驚くほど色が無くて。「痛みが思い出せなくて、目か脳が死んだのかなと思った……」
 中也は黙って聞いている。だから太宰も目を閉じた。
「君が居なくなっても消えないくらい、もっと鮮やかな痕を付けてよ……」
 独りで生きて、独りで死んでいけるくらい。
 君が居なくなっても善いように。
「……被虐趣味のド変態」
「素敵な褒め言葉をどうも」
 吐き捨てられた悪態に、乾いた笑いが出た。自分でも流石にちょっと無いかなと思った。だから心底気持ち悪そうな顔をして、そのまま部屋を出て行って欲しかった。中也に太宰の望みを叶える義理は無いから。
 けれど予想に反して太宰に掛かる重さは減らず、寧ろ増すばかりだ。中也の動きに合わせて、ぎし、と寝台が軋む。太宰の体がシーツの中に沈んで、噎せ返るような中也の匂いに包まれる。
「ちょっと、中也、なに……」
「だったらもう離れんなよ」切っ先のように鋭い声が太宰の喉元にひたりと中った。「俺の傍に居ればいいだろ」
 らしくない物云いだ。そう思ってじっと中也を見上げる。正気だろうか。理性で以って静かに揺蕩う瞳の奥に、激情が潜んでいるのが見える。私相手にそんな表情。中也らしくもない。
「中也。君、今、冷静でないよ。判ってる?」
 一応、確認。
「ああ」
 相棒が頷く。その弾みにさら、と色素の薄い髪が首筋から流れて、太宰の肌に更に影を落とした。
「冷静でなくて結構だ。手前が傍に居ねえと、手前が何考えてんのかちっとも判んねえ。苛々し通し。気が狂いそうだ。勝手をやるなら、俺の目の届く範囲でやりやがれ」
 糸の切れっ放しはもう懲り懲りなんだよ、と呻くような呟きを太宰の耳が捉える。糸? 何のことだろう。太宰は首を傾げる。
「私が君の傍に居たくないって云ったら? 私、君の暴行に耐えられなくてまた君のことを刺してしまうかも」
「手前が俺を刺したのは、そんな理由じゃあねえんだろう? それに俺の顔も三度までだ……」
「何それじゃあ二回までは中也のお腹刺していいの?」
「いいぜ」
 てっきり太宰の鼻っ柱をへし折るかと思ったのに、中也は何故かそれをしない。
「いいぜ。手前如きに殺されてはやる積りは無えから」
 何故だかその余裕の有る云い草に、頭にカッと血が上る。中也は判ってないんだ。私が本当に君を殺してしまうかも知れないこと。本気に一発殴っただけでチャラにする気なんだろうか。中也は全然判ってない。
「君さあ、莫迦じゃないの、もっと危機感持ちなよ、死なれたら困るって云ってるの」安吾の言葉が蘇る。相棒なんて己の半身を刺して、その喪失感に浸る行為なんてのは、緩やかな自殺に他ならないんですよ。冗談じゃない。「君を刺して自傷行為に耽ってるなんて思われるのは、冗談じゃないんだ」
 怒りに任せて罵倒を叩き付けると、中也が一瞬黙りこくる。当然だ、怒らせる心算で云ったんだから。なのに中也は額に青筋の一つも立てず、次には口元を愉快そうに歪めるだけだ。
「……へえ?」
「……ちょっと、何?」
 想定外の反応に、眉を顰める。
 中也は少し考える素振りを見せ、それからゆっくり口を開いた。
「死なれたら困る?」
 瞬間、自分の失言を理解した。はっと口を抑えようとするも、手首を縫い付けられていて叶わない。にやにやと、厭らしく口元を歪める中也から全力で顔を逸らす。自分が今如何云う表情をしているのかさっぱりだ。知りたくもない。
「俺を刺して自傷してんの?」
「違う」
「失言大将」
「違うって云ってるでしょ!」
 好戦的に笑って伸し掛かってくる中也の体を退けようと暴れる。けれど当然ながら力では敵わないのだ。逆にぐいと寝台に押し付けられる。その上かちゃかちゃと軽い金属音が聞こえたかと思ったら、ベルトをするりと抜き去られてスラックスをずり下げられた。信じられない。この男。足蹴にしようとするも、膝で難無く抑えられる。
「やめて、そう云う意味じゃない!」
「『そう云う意味じゃない』?」
 耳元でせせら笑う気配。掛かる息にかあっと顔が熱くなる。今度は怒りでなくて、羞恥とか、興奮とかのそれだ。けれど断じて認める訳にはいかない。
「傍に居たくないって云ってる!」
 中也のことを毀損したくない、けれど毀損したくないと思っていると思われるのも癪だ。思考がぐちゃぐちゃになっている。だから今は兎に角逃げ出したかった。一旦呼吸をさせて欲しい。
 なのに中也は太宰を逃がす心算は無いらしい。
「手前が云ったんだろうが」
「何を!」
「顔が好きだよ」中也の手が、ゆっくりと薄いシャツ越しに背骨を辿って行く。その仕草の艶かしさに、思わず震えて息を逃した。与えられる擽ったさと、それ以上の熱さに体が強張る。「匂いも好みだ。触ってやりてえ。……一晩、如何だよ?」
「っ、ねえ、待って……っ」
 この男、本気で私を抱く気なんだ。
 そう自覚した瞬間、頚椎にじわりと甘い痺れを覚える。こんなときだけ太宰の知らない声で囁くのがずるい。男相手なら、少なくとも中也より経験の有る自信は有った。けれど相棒のこんな甘い声音は聞いたことが無かった。相棒は女をこんな風に抱くんだと、強制的に知らされて目を瞑る。
 押し倒されて額に、頬に口付けられて、反射的にシーツを握り締める。ともすれば力の抜けそうになる体を必死に支え、然し中也に縋ることは躊躇われた。思い出されるのは先日抱かれた相手の男だ。太宰の足の下で潰れて死んだ男。その血の赤はもう覚えていなくて、そんな風に相棒とのことも風化してしまう可能性だってゼロじゃなかった。そんな風に何処かへやっていた思考も、「他の男のこと考えてんなよ」と云われて引き摺り戻されて、もう中也しか見えなくなる。奪うように深く口付けられて、息が出来なくなる。くらくらと、眩暈を覚えてしまう。
 こんなに息苦しいのに、けれど世界は未だ鮮明だ。
「冗談……」
「そう思うならそう思ってろ」
 もう善い、と会話は強制的に終了させられた。包帯を剥がれ、白い肌を照明の下に晒される。傷と、痣と。中也に殴られた痕が目に入った。毒々しい内出血の痕。
 何時だってそうだ。
 この男は太宰の言葉には耳を貸さない。
 言葉にしないことばかり読み取って。
 包帯を解かれ無防備に空気に晒された肌を、中也の指が滑っていく。その度に、背筋にぞわぞわと怖気が走る。寒気よりも寧ろ、熱を持って。それが中也の熱なのか自分の熱なのか、もう太宰には区別が付かなかった。「正気じゃない」「それで何か問題が有るか?」は、と漏らした吐息は果たして何方のものだったのか。相棒の金色に輝く瞳は、既に捕食者のそれだ。
「こうすりゃ手前を逃さなくて済むんなら、吝かじゃねえよ」
 そのまま肩口を無理矢理に押さえ付けられる。痛い。それ以上に体を痺れさせるのは抑え切れない情欲だ。自身の黒鳶の髪に、彼の亜麻色の髪が絡まって、乱暴に首筋に口付けられる。
「や、中也っ……」
 太宰の体を掻き抱いた相棒が、ふ、と微かに笑う気配がした。怯えと、それ以上の何かに全身を震わせた太宰の体を、ゆっくりと手の平で辿って行く。目を閉じても触れられた部分の熱が、色鮮やかに太宰にその生を実感させる。
「暫くは、消えねえ痕を付けてやる」
 もう一度、今度は思考さえ奪うように口付けられて、意識の散る感覚にぎゅうと目を瞑る。瞼の裏の暗闇の奥で、彼の黄金色がちかちかと熱を持って光っていた。

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