【再録】あの日とそのあと


そのあと


 スタジアムを揺るがすほど埋め尽くす、熱狂的な歓声。
「チャンピオンタイムイズオーバーだ!」
 そして敗北。

 それからの時間は目まぐるしく過ぎていった。表彰式、インタビュー、新チャンピオンへの祝辞、リーグ委員長代理としての業務、取材、優勝パーティ、取材。
 ダンデがやっと一息ついたのは、深夜も回って帰路に就こうと自宅への道を一人歩いているときだった。夜の闇に紛れて、長身の男がふらりと街灯の下にその影を映す。
「よお」
「……キバナ」
 つい声に喜色を滲ませそうになり、慌てて頰を引き締めた。あんな風にして振り切って病院を出てきてしまったばかりだ。それからキバナは一度もダンデの前に姿を現さなかった。表彰式やその後のパーティにもいたはずだが、視界にその姿を捉えた次の瞬間には鮮やかに消えてしまっていた。
 当然、怒っているだろう。
「満足したか」
 けれどキバナのその声に嫌味はなかった。
 拍子抜けをしながら頷く。
「……ああ」
「そりゃあ、よかった」
 キバナの声には不思議な力がある、とダンデは常々思っていた。人を落ち着いた気持ちにさせる力だ。キバナと話していると、初々しいジムチャレンジャーでさえ緊張が段々と解れ、強張った顔に笑みが戻るのをよく目にする。元来根が優しい彼は、特にここ数年意識的に柔らかい話し方を心がけている。
 気を遣わせている、と思った。
 オレはキバナに言わなければならないことがある。
「あのな、キバナ……」
「謝るなよ」言いかけたダンデの唇を、しかしキバナはピタリと人差し指で唇を制し、魔法のように止めてしまった。「謝らないと言ったのはオマエだぜ、元チャンピオンさんよ」
「……そうだな。そうだった」
 気まずくて目を逸らす。流石にばつが悪かった。
 どうしても、ムゲンダイナとバトルをしたかったのだ。バトルをしなければオレは先に進めないとすら思った。
 だから結果がどうであれ満足している。
 だが損失を惜しむ気持ちはまた別だ。
「困った。いや、絶交されても仕方がないとは思っているんだが——」
 抑え切れない本心が、口をついて出てくる。
「オレはまたキミともバトルをしたい」
 誇張ではなかった。あれだけキバナの気遣いを踏み躙っておきながら、まだそんなことを願ってしまう自分の身勝手さを、恥じるべきだろうか、とダンデは少し思い悩む。
 けれど思ってしまうものは仕方がない。
「駄目だろうか」
「ダンデよ」
 キバナが静かに口を開いた。とん、と彼のスニーカーが微かな音を立ててダンデとの距離を詰める。彼の瞳は夜のシュートの明かりのどれよりも深く聡明な輝きを見せる。
「オマエ、何か勘違いしてやしないか」
「勘違い……?」
「オレさまはオマエと仲良しごっこは御免だと、言ったはずだぜダンデ」
 突然突きつけられた拒絶の言葉に、ダンデは眉尻を下げ苦笑した。随分と古い話を持ち出す。いつの話だ、それ。
「オレたちは、ライバル、兼、友達——だったな」
「そうそう。だから友達とちょっとばかし喧嘩しちまっても、オレさまがオマエのライバルであることに変わりはないのよ」
 キバナがダンデの前に立つ。
 見下ろされ、する、と首に手を這わされる。
「……そしてオレさまは絶対にオマエを諦めない。いくら引き離されたって、食らいついてやるから覚悟しろよ」
「ああ——」
 獰猛に笑う彼の、口元にチラリと見えた犬歯の鋭さに、ダンデはごくりと喉を鳴らす。
 キミはいつだって、オレの一番ほしい言葉をくれるのだ。
「——いつかキミに骨の髄まで食われる日が楽しみだな」


          おわり
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