【再録】ヤツらの交際事情について
「悪かったっつってんだろ‼︎」
「悪いで済んだら戦争はいらないんだよなぁ!」
そう言って、キューの先をものすごい勢いで二つの影が駆け去っていった。カツンとビリヤードボールを撞くと同時に舌打ちしたが、俺様の手球は狙い違わず的球をきれいに撥ねてポケットに入れた後、勢いを殺して次の球を押し出し、コーナー付近へと寄せて、落とした。おおー、と感嘆の声が湧き上がる。フン、こんなもん、俺様にとっちゃ造作もないが褒められて悪い気はしねえ。
素直に称賛を目に浮かべるのがラウム。今のショットは自分でもできるだろうか……と思案げにキューの先をじっと見るのがレラジェとロノウェとフェニックスだ。遊戯室にふらりと寄ると、ガキどもが揃ってビリヤード道具を持ち出してるから何してやがると声をかければ「やり方を教えてくれ」と来たもんだ。俺様も偶々暇を持て余してたもんだからこうして教えてやってる。
レラジェはさすがに筋がいい。ルールとコツを教えるとすぐに飲み込んで連続でのポケットに挑戦していた。他三人は力が入りすぎだ。俺様のありがたい手本を見て学びやがれ。
「ベリトテメェ……スゲェじゃねーか!」
「たりめーだ。俺様を誰だと思っていやがる」
「その集中力は見習わねばなりませんね」
「伊達に金持ちやってないんだな!」
「レーラージェ……」
「怒るなよ。感心してるんだ」
悪びれずに肩を竦めやがるし、頭の上に乗った爬虫類も同じポーズを取っていて、後で素揚げにするよう執事にでも言いつけてやるかと思う。可食部は少ないがいけるはずだ。
と、一つ影が戻ってきて遊戯室に飛び込んでくる。
「オメェらちょっと匿えッ」
焦った様子でビリヤード台にぶつかってきたのはフラウロスだった。的球が乱れるのも構わず回り込んで台の後ろに隠れる。面倒の気配がするが、俺様が口を出す前に、ガキどもがわらわらとしゃがみ込んだフラウロスを取り囲む。
全員一様に呆れ顔だ。
つまり日常茶飯事のよくあること。
「匿えって……先ほどあなたを追いかけていたのはアンドラスでしょう。また何をやったのですか、フラウロス」
「いや俺がやったって決めつけてんじゃねーよ処刑人! 冤罪だろ、冤罪!」
「オマエ、胸に手を当てて今まで自分のやってきたことよーく思い返してみろ? その言葉信用される要素あるか?」
「しかもあのアンドラスだいぶトサカに来てただろうが……!」
「状況的に、フェニックスも含めて俺たちがキミが何かしたんだって判断するのは妥当だと思うが」
「口だけはよく回る人ですね」
その様子を眺めながら、何となく感ぜられる距離の近さに、そういやコイツら歳近かったんだったか、と思う。このソロモンの軍団は奇妙なもので、いろんな性質と背景の人間がごった煮のように在籍していて(普通、軍団なんてのは性質の似たようなヤツで集まるもんだ)、雑多に絡まり合っているのだが、そういう中にあっては珍しい、気安さ……のようなもの、が四人の間で交換されているようだった。コイツら前からそんなだったか? あとなんか一人か二人同い年がいたような気もしたが。
そしてそれに囲まれたフラウロスは、見下ろされるのが我慢ならなかったのか勢いよくガバッと立ち上がり、しかし先ほどより声の調子を抑え目に弱めの勢いで「ちょっと薬飲ませただけだろーが⁉︎」と喚く。
おお、と俺様はソファにどかりと座りながらちょっと感動した。開き直りっぷりがいっそ清々しいクズさだ。
「いやそれ駄目だろ。なあフェニックス先生」
「あなたそれでよくさっき決めつけるななんて大口叩けましたね? どこをどう見てもそれは犯罪ですが」
「まあでも……緊急回避的な措置なら仕方ないんじゃないか? 解剖される身の危険を感じて睡眠薬を使ったとか……」
ロノウェが助け舟を出す。いや、その助け舟いるか? そのクズならそんなことになったら殴ってでも抜け出してるだろ。
だが、そういや解剖するされると言ってる割にはフラウロスがアンドラスの小僧を殴っているのは見たことがない。
案外嫌じゃねーんじゃねーの。
思いながら手を伸ばし、片端からワゴンを開けていると、運よくそのうちの一つにブランデーが隠すように入れられているのが見つかった。おお、誰だか知らねーが準備がいいな。グラスを二つ並べて注ぐ。質もいい。このチョイスはメフィストよりは多分カスピエルだろう。後で誉めてやるか。口を濡らして高みの見物に移行する。どのみちもう球撞く気分でもねえだろう。
フェニックスが鎮痛な面持ちで応える。
「そうですね、ロノウェ……そういうケースもあるにはあります。どうなのですか、フラウロス」
「はァ⁉︎ ……ああ、まあ大体そんなとこだよ」
明らかな嘘の気配に、フェニックスとレラジェの目が剣呑に細まった。
だがロノウェはその可能性を考慮するつもりはないらしい。
「許してくれるよう、俺が一緒に頼もうか」
「おい、ロノウェ! オマエ、お人好しも大概にしろよ」
「でもこれはアンドラスのためでもあるよ」そう言って、ロノウェはこの前オークションにかかってやがった女神像のような慈悲の笑みを浮かべる。「彼だって、許したいのに言い出すタイミングを見失っているだけかもしれない。こういうのは、意外と第三者が取り持つことで平和的解決がはかれるものじゃないか?」
それはねえと俺様思う。
レラジェも同意見なのか呆れ顔だ。
と、扉のない遊戯室の外で、うろうろと誰かを探している風のオレンジ頭を見つけた。ガキどももフラウロスも気づいていない。俺様はちょいちょいと手招きし、部屋の中を指差してやる。
アンドラスは少し首を傾げて俺様の指先を追った後、視線を戻してニコリと口元だけで「ありがとう」と呟いた。
いい心がけだ。貸しにしておいてやろう。
アンドラスがガキどもの背後にぬるっと忍び寄るのを眺める。
ガキどもはまだ気づいていない。
その姿を真正面に捉えたフラウロスだけが、ゲッと顔を歪ませる。
「……いや、アンドラスがフラウロスを許す理由がないだろ。むしろ解剖チャンスじゃないか、アンドラスが逃すと思うか? あんな怒らせて、何やったんだよ、フラウロス」
「自白剤だよ」
途端、レラジェが己の背後を取った敵に振り返りざまキューを突くように振るった。武器にされたそれを、アンドラスが受ける前にラウムとロノウェが横から弾く。その隙に、フェニックスのキューが敵の首を捉えた。
一瞬の攻防。それぞれ反射だっただろう。お互い、今自分が誰を攻撃しようとし、誰を庇ったのか把握してポカンとする。
中心にいるのはいつの間にか現れた同輩だ。
「……アンドラス!」
「オマエ、気配消して寄るなっていつも言ってるだろ……!」
「ああ、ごめんごめん。そんなこと言っても、レラジェはいつも気づいてくれるからさ」
当のアンドラスは怒鳴られてもどこ吹く風だ。今まさに殴られかかったばかりだというのに、その面はいつも通り飄々としているように見える。
が、ガキどもによれば相当怒っているらしい。わかんねーな。首を捻る。表情も声のトーンも、普段とそう変わらなくねえか。
つーかコイツら躊躇いなくビリヤード道具武器にしてんじゃねーよ。痛むだろーが。
「で、何だっけ。そう、彼はね、なんと俺に自白剤を盛ったんだよ。それもデカラビア製のヤツを大量にね。お陰で流石の俺も、次から次へと彼への気持ちを吐き出す羽目になってね……ひどいと思わないか? だから俺も仕返ししようかなと……ああ、ロノウェ」
はた、と気づいたようにアンドラスがロノウェに手を差し出す。いきなり何だ、とロノウェは思わず身を固くするが、何のことはない、フラウロスがロノウェを盾にしてその後ろに隠れているだけだった。
「捕まえておいてくれたんだな? ありがとう、キミたちほんと最高の友人だよ」
「あ、ああ……」
そう迫られたロノウェが、ジトリ……と汗を流して後退る。背後のフラウロスが小声で「おいバカ、譲ってんじゃねーよ!」と抗議するが、健闘の甲斐なくアンドラスの手でロノウェの服から引き剥がされていく。
「説得するんじゃないのか。押し負けてたぞ」
「いいのですかロノウェ」
「いや……そうだな……俺は無力だな…………」
何も言えずにロノウェが諦める一方で、クズは往生際悪く「いやオメェに捕まって堪るかよ‼︎」とアンドラスを振り払ってラウムに捕まえられている。
「もういいだろー、フラウロス。ちょっとした仕返しくらい付き合ってやれば? 元はと言えばオマエがしかけたんだからさ。で、仕返しって何したいんだ、アンドラス?」
レラジェの問いに、待ってましたとばかりにニコ、とアンドラスが笑った。へーえ。意外だ。頬杖を突きながら眺める。医者の野郎、同年代の前ならこんな顔でも笑いやがんのな。
それかいい検体を前にしてるからか?
ご機嫌に注射器をチラつかせる。
「これをね、打った実験に同意してほしいんだよ」
「へえー。何の薬?」
「一定時間なんでも俺の言うことを聞かせられる薬」
「そ、それ大丈夫なのか。色々」
「そういえばデカラビアの野郎が新作作ったって言ってやがったな……」
「フェニックス先生的にはどうだよ?」
「くっ……しかし、目には目をと言いますし……」
「よし、セーフ判定出たぞアンドラス」
「クソッ、ガキども、俺を売るつもりかよ⁉︎」
「元からテメェを保護する理由はこっちにはねえんだぞコラァ」
「オメェ、覚えてろよラウム……ッ」
「ベリトは?」
視線が一斉にこちらに向く。
お、ここにきてようやく俺様の存在を思い出したのか。
気怠く視線だけを向けて「何だよ」と答えてやる。
「今、当事者を除いて二対二だ。フラウロスの引き渡しに、私とラウムが賛成、フェニックスとロノウェが慎重姿勢。決に参加するか? オマエに選んでもらえると、私たちは争わなくて済むんだけどな」
俺様は別に、どっちでも、と思う。
だが乗りかかった船だ。仕方ねーな、とソファからゆるりと体を起こす。
「おい、アンドラス」
うん、と琥珀色をした瞳がゆっくりとこちらを向く。
「結局、テメーはその薬でフラウロスに何させたいんだよ。それによっちゃ、いくらクズでも断る権利もあんだろーが。流石に同じ軍団の仲間だし……ソロモンの顔もあるしな」
ああ、とアンドラスは頷く。
「そうだね。安心してくれ、ひどいことはしないよ。解剖も……ちょっとしかしない。やっぱり、彼の意思による同意が重要だからね」
「ふぅん。じゃ、俺様は賛成ー。あとはテメェら好きにしとけ」
それさえわかれば十分だろ。
あとはクズの自業自得だし。
「ベリトオメェ、それ信じんの馬鹿かよ⁉︎ コイツちょっとって言いやがったぞ⁉︎ くそ、離せこのヤロ……っ!」
「絶対離すなよガキども」
クックッと喉を鳴らす。好きにされるクズ、中々の見ものだ。
そう思っていたのに。
「フラウロス。本当に、解剖はしない」
平坦だが、誠実さを感じさせる声だった。近づいて、拘束されるフラウロスの素肌に触れたアンドラスが、葉からすべりおちる朝露を思わせる仕草で瞼を震わせて静かに告げる。
「キミの答えが欲しいだけだ」
「…………………………………………………………………」
沈黙が落ちた。
だが察した。
『自白剤』の成果を。
——次から次へと彼への気持ちを吐き出す羽目になってね。
この場にいる部外者全員、それはいつもの解剖願望なのだと思っていた。いや、きっと解剖したいとも告げたのだろう。それから、色々な感情を、もっと欲望を込めて。
ガキどもが一斉にフラウロスの方をバッと見た。さすがの俺様もクズを凝視した。
フラウロスが、バツの悪そうな顔で冷や汗をダラダラと流している。
「いや……オッメェが勝ッッッ手にベラッベラ喋ったんだろうが⁉︎ つーか元はと言えばオメェが念書なんか……んだよ⁉︎ 俺が悪いって言うのかよ⁉︎」
「あーあ……」
「フラウロス、あなたどこまで……」
「はっなっせっコラ‼︎ つーかテメェらもわかったろ、これは俺とアンドラスの問題だろうが! 他人の色恋に首突っ込んでんじゃねーよっ‼︎」
それで押し通せるとわかった途端の開き直りも清々しい。しかし振り払おうとして、拘束する手が二本から六本に増えた。悪態を吐くクズの両脇を固めたフェニックスとレラジェが、ニコニコと顔を見合わせて笑う。
「いやあ、私たち最高の友人なので」
「そうそう、な、ロノウェ」
ロノウェがまだ渋い顔をしているが、多数決はこれで決まったようだった。
ダメ押しのように、両側を押さえつけられ抵抗するフラウロスの肩をラウムが正面からガシッと掴んだ。フラウロスがうお、とバランスを崩して後ろに倒れそうになるが、ラウムが気にする様子はない。
「おま、待て、頭打つ……!」
「おい、フラウロス。アンドラスは勇気出して告白ったんだろーが?」
アンドラスがすかさず「まあ正確には薬で自白させられたんだけどね」と補足する。
ラウムには聞こえてねえみてえだが。
「なのに逃げ回ってんじゃねーよ! 告白には正々堂々応えやがれコラァ……‼︎」
「そうだそうだー」
「う……流石に擁護できない……」
体を乱暴に強請られ、その上若くてガキ臭え恋愛理論を押しつけられて目を白黒させながら憤死しそうなフラウロス。ざまあなくて腹を抱えて笑ってしまう。どう見ても自業自得だ。
まあ、あえてこういう状況で一つアドバイスをするなら、だ。
「フラウロス」
「んだよっ」
「諦めろ。詰んでる」
「ハァッ⁉︎」
ああ、随分と愉快なモンを見れて気が済んだ。開けたボトルとグラス二つをそのままに、俺様は伸びをしてソファから立ち上がる。そろそろ昼寝の時間だった。後は誰かが片付けんだろ。
俺様は忙しいからな、とひらひらと手を振って、遊戯室を後にした。
最後に一言、合図を残して。
「ガキども、やっちまえ」
「あ⁉︎ 待てテメェら、離せっ、離……アンドラスっ、オメェ覚えてろよーーーッ‼︎」