【再録】ヤツらの交際事情について
「あ? 珍しい顔だな……」
ガタガタと椅子を引く。仕事終わりに一杯、と顔を出した王都の酒場で知った顔を見かけたからだ。知らないふりすんのもな……と思って「相席いいか」と声をかけると、知った顔——アンドラスはゆるく顔を上げてふにゃりと笑った。
「おや、アンドレアルフス」
どうぞ、と促すその手には大振りのゴブレット。中々口のつけられないそれを覗き込むと、白い中身の表面が器の半分くらいの高さで波打っている。「酒いいんだっけか?」と訊けば「ミルクだよ」と返ってきた。それにしては酔っているように見えるが。雰囲気酔いかもしれない。こんな日暮れの酒場だと酔っ払いは多いし酒の匂いは強い。
フフ、とそのグローブをした指がつつ……とゴブレットの口の淵をなぞる。
そのアンドラスの背中に、店内の騒がしさの合間を縫ってちらちらと不躾な視線が送られているのは近くに座る前からわかっていた。舌打ちをしてジロリと睨むと、柄の悪そうな男たち数人が慌てて目を逸らすがカウンター席から中々立ち去る気配もない。俺みたいな男が隣に座れば散っていくかと思ったが、厄介なもん引き連れてんな。
いつもだったら知り合いなんざ見かけても知らぬふりをするのに、放っておけなかった理由でもある。
オーダーを取りに来た店員に「ビールで」と告げて、俺はアンドラスを諭しに入った。
「……お前さんなあ……一人でこういうところに来るの、ちと早いんじゃないのか。危ないだろ……」
「ああ、後ろの人たちのこと?」わかってんのかよ、という言葉は辛うじて飲み込んだ。愛想良く笑ってはいるが、ふらふらと頭が左右に揺れているのが危なっかしい。「どう思う? 例えば俺が、色仕掛けで迫ったら彼ら解剖させてくれるかな……?」
「いや、色仕掛けはやめとけ……」絶対酔ってんだろコイツ。一応大人の責任として止める。どう言えば納得すっかな。ガキが自分を安売りするんじゃねえよ、みてえなのは若い奴は聞きやしねえんだよなあ。考えた末に、「……あんまソロモンに心配かけるような真似すんじゃねえよ」と絞り出す。
「そうだね。そうする」アンドラスは案外素直に頷いた。「フラウロスにもからかわれそうだし」
それを聞いてそこでどうしてアイツの名前が出てくる、と思わず鼻に皺を寄せた。何だか、ものすごく、面倒ごとの匂いがしたが、しかし強引に話を打ち切ってしまうのもなんか不自然だ。適当に話聞いて終わらせよう、うん。
運ばれてきたビールをぐいっと一杯。
腹を括る。
「あー、何だ。そういや、フラウロスと揉めてんのはどうなってんだ。紙がどうとか。解決したのか」
「まだだよ。彼、俺から念書を取り戻したいみたいなんだけど、中々探し出せないみたいで苦労してる。……俺から聞き出そうとあの手この手を使われるんだけど、それはもう大変でさ」
言葉とは裏腹に、その口調は言うほど大変でもなさそうだった。俺はチラリとアンドラスの横顔を伺う。普段治療に当たっているときの近寄りがたさは鳴りを潜めて、残っているのは果実の内側に触れるような柔らかい感触の表情だ。そりゃあ変な虫もついちまうか、と思う。
「……ま、ほどほどにしとけよ。いくら仲良くなっても、目的があって集まった軍団だ、ハルマゲドン阻止が終わったらいつ解散しちまうかわからねえ。そのとき入れ込んでると厄介だろ」
「ああ、だからアンドレアルフスは時々わざと突き放すような態度を取るのかい。根の辺りで面倒見はいいのにね」
「うるせえよ」
「照れてる?」
「ここ奢ってやんねーぞ」
「へえ。奢ってくれる大人、新鮮だな」
いや、普通それくらいはしてやるだろ。コイツは十八とは言え、感覚的にはまだ子どもだし、俺は一応大人だし。
と思うが普通ではない例外にいくつか思い至って口を噤む。
フラウロスとか。
「なんだろうな。念書を隠し通して、フラウロスを解剖したい気持ちと、この関係がこのまま続けばいいって感情で、ブレーキが壊れたみたいに理性が逸ってね」
酒場の薄暗い騒がしさの中に、アンドラスの悩ましげな横顔がひどく端正に浮かび上がる。視線はテーブルの上で揺れるランプを通り越し、どこか遠くを見つめている。手が、ふらふらと胸の前で彷徨う。
「こう……心臓の辺りが、しっちゃかめっちゃかになりそうなんだよ」
理知的な言葉を並び立てて言われても、とてもそうは見えないが、この男が言うならそうなんだろう。自己分析が得意なコイツが言うんだから、それはもうものすごく内心やばいんだろう。
若えなあ、と思う。
つーか何で俺こんな話聞いてんだろうとも。
グッとジョッキのビールを飲み干す。アンドラスのゴブレットは中々空かない。
「俺、フラウロスのこと、ずっと解剖したいんだと思ってたんだけど」
はあ……と溜め息が熱を持つ。
「最近、剥製にして、ずっと飾っておくのもいいなって……」
「…………お前、それさ……」
何つったらいいのかわかんねえ。俺はガシガシと頭をかいた。ジョッキは既に空で、もうちょっとキツいやつ頼もうかなと言う気持ちでいっぱいだった。
自分で気づいているのか知らないが、コイツが見せるそれは、完全にその。アレだ。アレしかねえじゃねえか。
自分で気づいてるかは知らないし、気づいていなかったとしても俺が口を出す問題じゃねえけど。
そう思うのに、気づけば口を開いていた。
「……例えばよ。いや、俺はこういうの専門じゃあないんだが」
悪い大人だ、と思う。悪です、と俺の中の相棒がシューターをぶっ放すような音もする。でも面倒なことは案外、乱暴にガッとやっちまえば解決することもあるもんだ。
散々クズクズ呼ばれてる男とはいえ、仲間をバラしちまえばとはやっぱ言えねえし。
こじれることも多々あるが。
「……解剖代わりに、もう抱いちまえば」
俺のその提案を聞いた途端、アンドラスが弾かれたように笑った。アッハッハ! と体を逸らせ、椅子をガッタンと傾けるもんだから慌てて背もたれを持って支えてやる。それでも笑いは止まず、腹を抱え、フフ……と目尻に浮いた涙まで拭う。
その勢いに、ニヤニヤと背後から視線を送っていた男たちでさえ変な顔をして立ち去る始末だ。
「んなにウケなくてもいーじゃねーか」
「いや、悪い悪い、その手があったかと思ってね。そうか……俺が彼を……フフ」
アンドラスは一通り笑い倒し、静かになったかと思えばフフと俺に言われた言葉をガムかなんかみたいに味がしなくなるまで噛み締めた後で、俺に耳を貸してくれとちょいちょいと指で合図してきた。
何だよ。
「一つ訂正しておきたいんだけど」
そうして内緒話をするみたいに、こっそりと楽しそうに耳打ちされる。
「俺が抱かれてる」
うわっ聞かなきゃよかった、と思った。