【再録】ヤツらの交際事情について




 そのしばらく前。
 ボクはアンドラスさんからあるささやかな相談を受けていた。
「誰にも見つかりたくないものがあるんだけどさ、隠し場所を探すのを手伝ってほしくて」アンドラスさんはボクのことを子ども扱いすることなく、同い年の友だち相手みたいに気さくに話しかけてくる。いやー、面倒が少なくて助かるなあ。子ども扱いも悪くないけど、気を遣われすぎると動きにくいんだよね。コランみたいにうまくできればいいんだけど。
 でもアンドラスさん、目線を合わせようと最大限に腰を屈めてくれるのは、お医者さんとして他の子を診るときの癖なのかな。
「よかったら、セーレの意見を聞かせてくれないか。宝の隠し場所なんかもよく見聞きするだろう? どうやって隠せばいいか、見解を聞きたくてさ」
 そう頼まれれば、冒険家としては断れない。
「任せてよ!」
 そうして辿り着いたのが、この樹海の奥の秘境だった。

 アジトからポータルで一番近い街に出て、更に馬車を乗り継いで地図にも載っていないような村に出て、そこから数時間かけて遠くに見える樹海へと徒歩で向かう。進むにつれ段々と無法地帯のように生い茂っていく蔦と草と木々。それらをかき分けて、ついでに足元に転がる無害な虫や獣たちを退けながら、なだらかな坂を上り続ける。
 アンドラスさんはもう何も言わない。
 そして行き着いたその森は、一歩足を踏み入れるとガラリと磁力の変わる魔境だった。キーンと耳を塞がれたように感覚が狂う。まるでエメラルドの洞窟のように枝葉の天井が広がっていて、光の一筋も差し込んでこない、鬱蒼とした森。
 けれど人の入らない森の空気は透明で静謐だ。
 その奥の、木の幹が壁のように覆っている向こうに、ボクのお気に入りの場所がある。
「来て、アンドラスさん」
 手招きをして案内する。
 一箇所だけ、木と木が複雑に捻り合う隙間があって、そこへ体を滑り込ませた途端、視界がパッと開けた。
 そこにあったのは光の降り注ぐ庭だ。
 ああ、と何度見ても嘆息する。この薄暗く夜のような樹海であって、目の前に広がるこの一点だけが淡く陽光を取り入れ輝いて、チェンジリングのように神秘的だ。どうやってこんな形態になったんだろう。まるで自然の祭壇だ。ヴィータの手は発明を作り出すけど、自然もまた、驚異的な造形美を作り出すのだ。
 そう思いながら背後を振り返る。
「ここなら誰にも見つからないよ! あ、心配しないで……この場所まだ誰にも言ってないんだ。ボクとアンドラスさんとの秘密だね!」
 自信満々に振り返るが、アンドラスさんは「そうだな」と顎に手を当て微笑んで、それから首を横に振った。
「考えてみたけど、隠すのはやっぱりアジト内がいいかな」
「あ、やっぱりだめ? ここなら絶対見つからないと思うけど」
「そうだけど、俺も見つけられなくなりそうだからさ」
「そっかあ……」
 ボクは肩を落とした。やっぱりだめかあ。やっぱり、というのは、道すがら「待って、どこまで行くのかな」「俺はアジトでの隠し方を訊きたかったんだけど……」と散々止められたからだ。それでも無理矢理連れてきたのはボクなので、やっぱりだめと言われれば、やっぱりだめかあと返すしかなかった。
 けど、アンドラスさんも大丈夫なんだろうか。ボクが言うのもなんだけど、「とにかくついてきてよ!」と強引に誘われるがままに途中から文句の一つも言わずについてきて、普通にちょっと心配になる。この調子でどこかでホイホイ悪い人に乗せられて壺買わされたりしてないだろうか。
 そうなったら、絶対助けてあげよう、と思う。
 ここまで来てくれた恩もあるし。
 ちなみにボクはついこの間見つけたばかりのこの景色を誰かと共有したくて堪らなくて、隠し場所を探すという口実でちょうど話していたアンドラスさんを連れ出したのだった。
 ついでに気に入ってくれればいいと思った。
 ……ま、それにしては無茶しちゃったんだけどね!
「でも」
 アンドラスさんが光の庭を見渡す。その瞳が、露に濡れた琥珀のように光る。
「この場所は中々悪くないね。フォトンが豊富だし、その割に肥沃な樹海に囲まれて外敵が入ってこないから生態系が変わってる。さっき見た、兎に似た獣さ……あれ、ああいう発達をした下肢を持った生物は俺も初めて見たよ。すごいね」
「そ……そうでしょう⁉︎ いやー、アンドラスさんは話がわかるなあ! ここに連れてきてよかったよ!」
 アンドラスさんの言葉に思わず破顔してしまう。誰だって、気に入ったものを衒いなく褒められるのは嬉しい。アンドラスさんったら、ボクの扱いうまいなあ。
「でも、俺がまた来るにしても、やっぱり一人だとここまで足を運ぶのは難しそうだな。今回は案内人としてセーレがいてくれたから助かったけど……。ああ、今度来るときは他の人に一緒に来てもらおうと思うんだけど、ここのことはまだ内緒にしておいた方がいい?」
「ううん。ボクはアンドラスさんにこうして見せることができたからもういいや。好きに話してくれていいよ……あ、でも、あんまり人が溢れる事態になると困るかな。生態系はこのまま残しておきたいし」
「そうだな、その意見には俺も賛成だ。じゃあ、呼ぶかは考えるよ……どうせ声を掛けても、こういう鬱蒼とした場所は嫌がりそうだし」
 そうアンドラスさんが話すけど、アジトの誰でもいいけど、という風に喋っているように見せかけて、実は想定されているのは明らかに特定の誰かだ。
 ずっと気になってたことだけど。
「……アンドラスさんはさあ」
 行きは上り坂だった分、帰りの足はスイスイと進んだ。この調子だと日が暮れる前に村に着けるだろう。そこで一泊して、アジトに帰るのは明日になるかな。
 それまでの間の雑談だった。
「うん?」
「フラウロスさんのことが好きなの?」
 少しの静寂が二人の間に落ちた。サクサクと、柔らかく土と木の根を踏み締める音だけがしばらく続く。
 返事がなかったけれど、別に、驚かせようと思ったわけじゃない。さっきだって、一緒に来てもらおうかなって言ってたの、フラウロスさんことだろうし。いつでも追いかけあいっこしているから、嫌いじゃないんだろうというのはわかるし。
 まあフラウロスさんはアンドラスさんに追いかけられるの、嫌がる素振りを見せてるけど。
 隣を見上げるが、結構な距離を歩いてきているはずなのに、アンドラスさんは一向に呼吸を乱さない。
「……そう見える?」
「ありゃ、自覚ない? 結構わかりやすいよ」
「ふふ……そう?」
 そう言ってアンドラスさんは口の端を持ち上げて笑った。不思議な笑い方だった。皮肉を込めたような、でもちょっと嬉しそうな。
「好き、好きか。そうだな……好き、の種類にもよるんじゃないか? 確かに、彼の体にはすごく惹かれる。特にリジェネレイトした後……、俺たちはリジェネレイトという概念を知ってしたから肉体が知識に引っ張られた可能性を捨てきれないけど、彼はそれを本能だけでやってみせただろ? 彼の体でどういう変異が起きたのか……とか、興味が湧くよ、本当にさ」
 そう話すアンドラスさんの口調はちょっと早口で、お説教にイキイキしてるときのフォカロルさんみたいなことになってる。
 わかんないなあ。
「セーレも、冒険してて遺跡からこの間の魔機デカラビアみたいなのが出てきたらテンション上がるだろ? 多分それと一緒」
「そう……そうかな⁉︎ フラウロスさんの体、そんなにびっくりメカみたいになる⁉︎」
 頭の中で、メカフラウロスさんが灼熱の炎を吐いてロケットパンチを繰り出す絵面を思い描いてしまう。
 それはちょっと、楽しいかも。
「じゃ、アンドラスさんはフラウロスさんに恋してるんだ」
「うん? 待って、脈絡が読めない。セーレがデカラビアに恋してるって話?」
「違う違う、ボクが好きなのは冒険の方。でもさ、アムドゥスキアスなんかにはよく言われるんだよね。ボクのその執着を、『恋してる』って言うんだよ。『冒険に恋してるのね』って」
 それって、随分と文学的な表現だよね、と笑う。文学はわからなかったけど、冒険に焦がれる気持ちは端から見たらそう表現できるらしい。
「その理屈でいくと、アンドラスさんはフラウロスさんに恋してることになるよね、と思って」
「へえ。確かにそうかもな。ヴィータの詩的な表現で言えば、俺はフラウロスに恋してる……うん、なるほど」
「ちなみにそれってフラウロスさんを解剖できなくてもそう?」
「うん?」
「あの人の体が解剖できないとしても、その執着を保っていられると思う?」
 ザクザクと、木の根に足を取られないように足元に注意を払いながら進む。途中、獣の遠吠えが響いて、思わず二人で身構えたが、それ以上獣の気配が近づいてくることはなかった。
 アンドラスさんがちょっと考えて言う。
「セーレは恋愛感情に興味があるのか?」
「あ、ズルい。質問に質問で返して、うやむやにしないでね。……けどまあ、興味がないわけじゃないよ。だってメギドだった頃は、ボクたちにそんな感情なかったじゃないか。僕がマーレに……あ、妹なんだけどね。マーレに抱く感情も、メギドだった頃はなかったし……」
 マーレ。今頃家で待っているだろう、小さくてまるっとした未成熟な生き物。最近は、ボクの小さな体では持ち上げるのもやっとになってきた。そしてその小さな生き物を抱いていると、なんだかコルソンの羊にでも包まれたような、不思議な気持ちになってくる。
「最近、何でもしてやりたいなあって思うんだよね。例え将来、マーレがボクのことを嫌いになっても、ボクはマーレにお兄ちゃんとして何でもしてやりたい。フォラスさんの娘さんへの気持ちとか、ちょっとわかるなーって」
 マーレを抱いたときの、柔らかく皮膚の沈む感触。
 それをこうして味わえたのなら、ヴィータに追放されたのも悪くない、なんて思っちゃって。
「こういう見返りの求めなさ、ヴィータ特有なのかなと思って」
 メギドラルでは当然、そんな甘い考えじゃあ生き残れない。
「けど、ヴィータだってそんな繋がりばっかりじゃないでしょ。利害関係で繋がってる方が多いじゃない」
「そうだな。俺もソロモンと一緒にいるのは、医者をやってるより好き勝手に解剖できるからだし」
「あれ、ハルマゲドン止めるのが先でなくていいんだ?」
「それはついで……じゃだめか?」
「フフ。まあボクも、ソロモンさんと一緒にいるのが楽しいってのが正直なところだけど」
 二人で顔を見合わせて笑う。
「だからさ、メギドは利害関係で繋がるのは理解できるんだよ。あと執着とか。逆に、見返りのない関係性の継続って、あんまりなかったじゃない、ボクら」
「ああ」
「ヴィータの言う恋って、見返りがなくとも続くものなのかな」
「……」
「アンドラスさんは、この先解剖できなくてもフラウロスさんのこと好きだと思う? 関係を、続けられると……」
「一つ」アンドラスさんが人差し指を唇に当てて笑う。「キミの問いの立て方には欠陥がある。俺のケースでそれをはかるのは無謀じゃないか? だってその仮定は成り立たない。少なくともフラウロスが死んで、その死体が滅失しないと、解剖できないかどうかは確定しないんだから」
「でも、断られ続けてるんでしょ?」
「人の気持ちなんて変わるものさ。そうじゃないか?」
「うーん」
 どうだろう、と首を捻る。
 あの傲岸不遜な豹のメギドの気持ちが変わることなんてあるのだろうか。よしんば変わったとして、解剖をオーケーする方向にいくとはとてもじゃないけど思えない。
 どっちかというと、借金背負いすぎて捕まってバラされちゃうときのわるい組織に雇われてるお医者さんがアンドラスさんだったりする確率の方が高い。
 まあそう考えると、解剖できる可能性はゼロじゃないのかな……?
「それにね」
 気づいたら、もう樹海の入り口まで来てしまっていた。一歩外に出ると、頭上に広がる空の青さの開放感に包まれる。遠くを見れば、夕日がそろそろ山の際にかかり出す頃だ。
 そちらに向かって、アンドラスさんが眩しそうに手を翳す。
「最近気づいたんだけど、俺は彼から、どうやら解剖以外の見返りももらってるみたいなんだよな……」
 ボクとは視線を合わさずに、平坦な声で言うアンドラスさんを思わず見上げる。
(あれ、それってもう……)
 ああ、じゃあわかんないや、と思う。こうなっちゃうとボクにはまったくお手上げで、父さんとソナンさんが結婚しちゃったのもわからないし、ボクがマーレに見返りなしに何でもしてやりたいのもわからない。ヴィータってほんと、不思議だよね。

「そういえば、隠したいもの、ボクが預かっておこうか?」
 宿で、手の平を上にして差し出した。アンドラスさんは、ボクを見て、それからゆっくりとあくびするくらいの間隔で瞬きをする。ここしばらく行動を共にしてわかったことだけど、アンドラスさんはリアクションに出にくいだけで感情は豊かな方だ。これは驚いたり戸惑ったりしているときの顔。この人面白いな。
 ボクは座ったベッドで尻を跳ねさせながら細かく説明する。
「隠し場所のこと。つまりね、盗られたくないものって、大抵は自分の部屋とか家とか、徒歩圏内、遠くても同じ地域の遺跡とか、とにかく自分の手の届く範囲に隠すんだよ。最初は違う場所に隠してても、すぐに側に動かしたくなる。見えない場所にあると、盗られてないか不安だもんね。でも、きっとフラウロスさんもその線で探すよ。あの人やたら鼻が利くから」
 そう、おやつとかお小遣いとか、ボクら子どもの誰かが倉庫にある分をこっそり自分用に避けて隠していても、それが共用部ならフラウロスさんにはすぐ見つかってしまう。あの獣の嗅覚で、ボクたちがどこに隠せば安心するかなんてお見通しなんだろう。ボクは結構フラウロスさんに対しては勝率高い方なんだけど、アスラフィルとかアバラムとかはその辺あんまり得意じゃないみたい。
 そういう意味では、フラウロスさんはアンドラスさんの隠し場所を明確に嗅ぎ当てるはずだ。
 それもボクらが隠すときよりも正確に。
 だからこそ、ボクが預かるのがいい。
「ボクとアンドラスさんの間に、それを預けるほどの信頼があると——ボクに対してアンドラスさんが心理的に安全を感じると、フラウロスさんは思わないでしょ? あ、悪い意味じゃなくてね……多分、こうして一緒に出かける仲だなんて知らないじゃない。でも、今日一日でボクはアンドラスさんととっても仲良くなれたと思ってるからさ」
 自分で言ってて照れてしまう。それを誤魔化すように笑った。
「ま、信用してもらうしかないんだけどさ……僕には価値のない物だから、悪用の心配もないし。どうかな?」
「そうか。それもいいか。セーレには迷惑をかけるけど……」
「全然平気! 今日付き合ってくれたしね! そのお礼!」
 そう答えると、アンドラスさんはぱちりとゆっくり瞬いた後、鞄からずっと持ってたらしいその『隠し物』を差し出して、存外無防備に笑った。
「じゃ、これは俺とセーレだけの内緒だな……」
 あ。この人、ボクの扱い本当にうまいなあ。

     ◇ ◇ ◇

 ……で、だ。
 アジトに戻ったボクは、その預かり物をしっかり自室に隠したつもりだったんだけど、何故だかそれが見つかっていた。
「フラウロスさんに見つからないならいいかって、置いておいちゃったのが失敗だったな……」
 扉を開けた態勢のまま、あちゃーと額に手を当てた。ボクの部屋の真ん中にはモラクスとアモンが陣取っていて、例の念書を広げている。そうだった、ボクの近くには鼻の利く仲間がまだ他にもいたんだった。
「なーセーレ、これ何? なんか大事なもん?」
「ばっかお前、くしゃくしゃにすんなって! ええと、何書いてあんだ……?」
 二回目のあちゃー。モラクスにはまだ読めない専門用語がありそうだけど、アモンはマルファスさんに習ってるんだもんなあ。全部読めちゃうよ、多分。
 そして多分途中まで黙読しただろうアモンが、やっぱりちょっと引いたような顔で見てきた。
「セーレ、お前……フラウロスにそんなに恨みが……」
「いや、ボクじゃないよ! アンドラスさんのだってばあ!」
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