【再録】ヤツらの交際事情について
突き抜けるような青空、春の風に爽やかに波打つ草原の海、照りつける太陽の下で額に汗して労働する若者たち。
嗚呼、なんと気持ちのよい光景か!
「ハーハハハハッ! 見よ、この我を祝福せんとする景色! 絶好の世界征服日和ではないかー!」
モー、と牛が一鳴きした。
「村長ー、積荷あと半分くらいですー!」
「うむ、気を抜くなよ! 慣れぬこととは思うが、この事業が成功すれば我が村は更に発展することとなろう!」
牧歌的な村の片隅で、キャラバンの若衆がせっせと商品を客の荷馬車に積み変えていた。ガラスの擦れる音を立てる木箱いっぱいの薬瓶、革に包まれた幻獣の素材——我の今日の役割は、あくまでキャラバンと顔見知りの客との仲介だ。
くるりと杖を回して振り返る。
「すまんな、アンドラス。しばし待て」
「いや、頼んだ量が多かったからね。しかし助かるよバフォメット。王宮付きのキャラバンが頻繁に来てくれるとは言え、中々揃わない品もあってさ……、キミの村のキャラバンに仲介してもらえると、細かい要望も聞いてもらえるし。こうしてアジト外まで足を運ぶ甲斐もあるってものさ」
にこ、と好青年らしい笑みを浮かべるのは同じソロモン王の軍団に所属する医師だ。取引に至ったのはつい最近、アレ手に入らないかなあとボヤいていたこの者の言葉を我が聞き咎めたためだ。それなら我の村で手配できるぞ、と。
実際、村は現在物流の要所ともなっていて、物と情報が溢れんばかりだ。そこで、需要と供給を引き合わせて仲介料を取る、というのが新たに試行しているビジネスだった。
「フフン、そうであろうそうであろう。我が村のキャラバンは今後品揃えと対応力で売っていこうと思っておるからな。その調子でアジトでのクチコミも広めるがいいぞ!」
自分でも驚くほどに上機嫌だった。何せ結構な大口の取引な上、アジトにはソロモン王の人望ゆえか、王族や貴族も集まっている。この取引を取っ掛かりにしてそちらの要望も引き入れられれば、一気に取引量と人脈を増やせるというもの。
野望にまた一歩近づいてしまうではないか!
「ハーハハハッ! 我の完璧な計画が着実に進んでおる……!」
「いいねえ。俺もキミのところの販路が拡大してラインナップが増えると嬉しいし、まあ何人かに話は回しておくよ」誰がいいかなあ、とりあえずアイムとかアリトンとかかなあ……と呟きながら、アンドラスは辺りを見回す。「でも売り込むなら、この辺りまで出てこないといけないのは少しネックかもね。持って帰れる荷物の量にも限度があるし」
「ふむ……確かにアジトに直接乗りつけた方が早いが……我らのキャラバンではちと難しいからな」
今回はアジトへの荷運びに特別に我が手ずから馬車を出したが(支配者たるもの、馬車の一つや二つ、扱うのは造作もないことだ)、しかし当然ながら毎回我が取引に立ち会うわけにもいかぬのだ。理想を言えば、我がいなくても取引がつつがなく行われるのが好ましかった。
だが、ただのヴィータでは例え協力的な人間であれ、アジトへの来訪は許されない。
「俺も馬車は扱えないし……お願いするにしてもアジトの誰かだけど、そう毎回都合よく捕まるとも思えないしなあ。王宮付きみたいにアジトの出入りの許可を取ってくれれば、もっと勧めやすいんだけど」
「王宮付きか……」
脳内の算盤が目まぐるしく弾かれる。キャラバンが王宮付きになるには厳しい審査が必要と聞く。その上、なった後の方が大変だ。権限に付随して与えられる任務や仕事は生半可なものではない。しかしそれ相応の情報も得られよう。情報を制する者が状況を制するのは、何もメギドラルだけの掟ではない。
「……あいわかった、検討しよう。すぐには難しいやも知れぬが……何、我が村にもメリットのある方策だ。時間をかける価値は十分にあろう」
「助かるよ。アジトまできてくれたらチップ弾むからさ」
そのとき、荷物を運び入れていた若者の一人が慌ててこちらの方に走り寄ってきた。あれはジョンだ。火急というわけではないだろうが、その顔は戸惑いに溢れている。
「アンドラスさーん! あの、荷台の中で人が寝てるんですけどっ……、あれ埋もれさせといて大丈夫ですかね……!」
「人だと?」
思わず片眉が跳ね上がった。そんなものを積み込んだ覚えはない。荷台の中身は馬車を手配した段階で確認している。そのときは無人だったはずだ——目を離した隙にいつの間にか入り込んだのだ。まさか積荷泥棒ではあるまいな。
しかしアンドラスは動じることなく手を振る。
「ああ、彼はそのままでいいよ」
「彼……?」
まるで誰がいるのかもわかりきっているような返答だった。怪訝に思い、ジョンの後について荷馬車の入り口に垂らした布をかき分ける。
むせ返るような藁と木の匂い。
張られた布地越しに注ぐ、柔らかな日差しの籠った荷台。積まれた木箱の陰になったその奥に、確かに人の足が見える。爪先を捉え、胴体に向かって視線で辿って覗き込む。
そこにいたのは酒瓶を抱えてだらしなく寝ている豹耳の男だ。
知らない顔ではなかったが、この男がここまでついてきていた事実に驚く。
「いやフラウロスではないか。起こさなくていいのか?」
「ああ」後から来て、背中越しに覗き込んだアンドラスは心なしかどこか嬉しそうだ。「さっき拾ったから、彼はそのまま荷物と一緒に部屋に持って帰ろうと思って」
「持って帰る」
まるで荷物のような扱いだ。それでよいのか。まじまじと、野生動物の観察をするような心持ちで再度持って帰られる予定の男を見下ろす。上半身にほぼ何もまとっていない故、皮膚の下で健やかな呼吸が繰り返されているのがよく見える。ただし微かに酒の匂いが漂っていて、健康的とはとても言い難い。酒瓶を後生大事そうに抱えて、時折むずがるように眉根を寄せている。ロケーション的に寝心地はいいはずだが、何か良くない夢でも見ているのだろうか。
「バフォメット」
起こしてやろうか——と伸ばした手首を強く掴まれた。振り返ると、アンドラスが唇に人差し指を当てて首を横に振っていた。その目は笑ってはいるがどこかジトリと湿気を含む。
「起こしたくないから」
アンドラスはそう言って荷台を降りる。促され、渋々我も荷台を後にしようとするが、いや持って帰ってどうするのだ。あの男の悪評は普段アジトにいない我の元にも十分すぎるほどに届いている。曰く新人から金品を巻き上げようとするから要注意だとか、貴重品は抜かれにくいよう服の内側に身につけておけとか。商品と一緒にさせておいて大丈夫なのか、と仲介人としての不安が尽きない。
そもそも、アンドラスも先日あの男と少し揉めたとアジトの誰かが言っておったではないか——いや待て、アレは確かフラウロスの方がやめろと申し立てていたと聞いた気がするな?
何だったか、と仕入れた記憶を引っ張り出す。
確か、いつものようにソロモンに、解剖をさせてくれ、と頼んで。
フラウロスならいいだろ、とか言って。
「ああ、なんだ。遂に解剖か……⁉︎」
合点がいって、クハッと思わず笑いが漏れてしまう。我は人の野望が好きだった——とりわけ他人に共有され得ない、巨大で、邪悪な野望がだ。
その点で、アンドラスには親近感を抱いている。
「手を出すのなら手を貸すぞ。何が必要だ? 解剖室……はもうあるのであったか……何だ? 防音にしてやろうか?」
ふわりとスカートの裾を膨らませて地面に降り立つ我の手を、アンドラスが軽く引いて支える。
「フフ。それもいいかもね。でも彼の同意は残念ながら得られないだろうからなあ……観察だけにしておくつもりだよ。賭けに勝ったのは俺なのに、つれないよね」
「無理矢理取り立ててしまえ。文句も言われまい」
「うーん、そうしたいのはやまやまなんだけど……それは俺のポリシーに反するからね」
「なんだ、随分と潔癖ではないか。死体は切り刻むのに」
「だからこそだよ」
態とぶつけた失礼な物言いにもアンドラスの声は揺らがない。
「一応、ヴィータ社会に馴染むための俺なりの礼儀なのさ」
「わからんでもないが……それをこの男相手に律儀に守る必要があるのか」ハ、と笑う。気分はさながら善良な村人を悪の道へと唆す魔王のそれだ。「此奴も貴様も根っからのメギドだというのに、ヴァイガルドの流儀を通す必要があるのか?」
「……俺はヴィータだよ、バフォメット」
「しかしメギドラルに行って敵のメギドと会敵し、仕留め遂せた暁にはその解剖には同意は得まい? そんな線引きに何の意味がある?」
「彼を無理矢理解剖しても、俺のヴィータ性は損なわれないだろう、と?」
「損なわれるのか?」
アンドラスがこちらを見た。感情を樹液に秘めた琥珀のような瞳が、じっと我の瞳を捉える。「……いいや」薄ら笑いが妙に酷薄な印象を与える男だ、と思う。「損なわれるようなヴィータ性は元よりないね。別に一人や二人、無断で捌いたところで、本当は構いやしないのかも知れない……」そう呟く。
目を伏せて。
「でも、俺は彼のことを……」
そのとき、「村長ー! アンドラスさーん!」とジョンが再度こちらに駆け寄ってきた。今度は晴れやかな顔だ。アンドラスと我は、お互い突き合わせていた視線を離してパッと距離を取った。それで、我はアンドラスの言葉の続きを終ぞ聞き損ねてしまった。
別に構わなかった。ただの雑談だ。
「どうした、ジョン」
「商品、積み終わりましたー!」
「おお、よし! 上出来ではないか! ではアンドラスよ、納品書にサインを……」
「あっヤべ納品書どっかやった」
「何ィーっ⁉︎」
叫んだ勢いで帽子が何センチか浮いてしまった。慌ててジョンの方を振り返るが、ひっくり返されたポケットからは糸くず一つしか出てこない。
アンドラスがのんびりと笑う。
「俺の方は別に、次来てくれたときにサインするのでもいいよ。お金はここで払うし」
その声音に、先ほどひやりと感じた空気はない。
どころか立派すぎる気遣いだ。うむ、やはり良客……取引相手として我の目に狂いはなかった……と言いたいところだったが、こちらがその言葉に甘えるわけにはいかなかった。カンッと杖を地面に打ちつける。
「ならん! 商売の基本は信頼! 信頼は正確性のうえに成り立つ……そのための書類だ! 全ての記録を書類に残さねば、その信頼はどうやって担保するというのだ⁉︎」
「ううっ、でも今から村に取りには……」
「ええい、そこの民家で紙とペンを借りてくるがよい、我が作る! なんだったら木の板にナイフで刻んでやってもよいぞ!」
言えば慌ててジョンが駆けていく。まったく、先が思いやられる。
だがそれを除けば、今回の取引は上々だった。
「アハハ、厳しいね、村長」
「フン、当然だ。口約束ではどうしても齟齬が出よう。それではこちらに非がなくともそのことを証明できぬ。悪評が立つのは避けたいからな、記録を我が村では徹底させておる」
全ては村を発展させ、世界征服を進めるためだ。人を従えるための臨機応変さは事前の準備にこそ肝がある。
「そうかあ……確かにそうかもね」
アンドラスがぼんやりと呟く。何だ、と目をやると、照れたように目を逸らされた。
「いや、さっきの話さ。無理矢理解剖はしないんだけど、念書くらいはもらってもいいかなと思って」
だってこのまま立ち消えになったら、寂しいじゃないか、と言う。寂しい? 首を捻るが、それよりもアンドラスがやる気になっているのが肝要だ。
「よいではないか! シラを切られたときが面倒だが……」
「多分大丈夫かな。認識した上で踏み倒すって言ってるし」
「なら早めに取っておくがよいぞ。記憶にないと言い出す前にな」
どことなく荷馬車に視線を送りながら、ヴィータの青年は笑って「そうするよ」と頷いた。