夢も希望も、
(2015/07/15)
其処ではなんだか良く判らない無数の小人が隊列を組んでパレェドを組んでいた。右にずらっと一列ずらっと左にずらっと一列、それが果てまで続いてずんちゃっちゃずんちゃっちゃと愉快なリズムに合わせてゆらりゆらりと左右に揺れる。空気の色は極彩色の色で噎せ返るような花の匂い。きゃらきゃらきゃらきゃらと甲高い笑い声が耳に障って、中也は思わず口元を抑えた。この空間は、息をするのには向いてない。
横浜の街の透き通っていた空は何処までもくすんだ桃色赤色橙色その他諸々のパレットを引っ繰り返したような大騒ぎで、なら空の反対側は落ち着いているのかと云うと足をつけている地面と思わしき部分にはこれまた黒色白色黒色の鑞絵具でぐしゃぐしゃと塗り潰されたかのような横浜の街が広がっていた。ころ、と足元に何かが落ちたなと思って見遣るとそれは人形の目玉だったので中也が手を伸ばして拾い上げる間も無くぱきんと割れたそれからうねうねと人形の成る木が生えてきて、ぐるりと人形の生首が成って丸っこい胴体が成ってぐちゃりと赤ん坊のように生み出されたそれがぽろぽろと目玉を取り落として割れてそれからうねうねとまた木が成る。眼窩の開いた人形がどんどん生えてくる悪夢のような繰り返しの中に人形の目玉の無いのがたくさん。それが。
くすくすくすくす。
きゃらきゃらきゃらきゃら。
悪意を含んだ笑い声にくすんだ空を見上げればぐるぐると目が回り、目を閉じればぐるぐると耳の奥に刺さる悪意を含んだ笑い声が聞こえる。
そんな中、ぐるん、ぐるん、と一つの人形が近付いて来た。
お可愛らしい仏蘭西人形。かたかたと寄って来たかと思えばまるで人間地味てにこりと笑って。
ぐるんと目玉が一回転して。
ぐにょ、と首が伸びて。
かぱぁ、と中也の頭を丸呑みにするかのように開けられた口に見えた無数の鋭い牙に、中也は。
「……失せろよ化け物」
ばしゅん、と魔女の頭を撃ち抜いた。
ぱっと血の代わりの紅い花が散る。かつん、軽快な音を立てて落ちたグリーフシードをすかさず拾い、中也はもう一体、近寄る人形を今度はマスケットの銃身で殴り倒す。今度も紅い血の花が散った。
「ち、数だけの雑魚が。面倒臭えな」
弾を撃ち尽くしたマスケットを放り出し、じ、と頭の中で念じる。必要なのは、全てを捩じ伏せる重力。それと、銃をたくさん。
途端、空に鮮烈な光が走った。ぎゃあ、とその光が目に刺さった人形の悲鳴を聞きながら、中也は出現したマスケットを両手に取る。人形を撃ち殺す。銃を捨てる。その繰り返し。ちまちまと出すのが面倒になって、中也はさっとイメージを持って空間を薙いだ。無数のマスケットを空に並べる。
「……手前等全員、黙って死んどけ」
撃って殺して捨てて、撃って殺して捨てて。目的地まで走る。
念じればこの程度の武器は、幾らでも出現させることが出来た。
この程度の魔女は、幾らでも撃ち殺すことが出来た。
そう、中也に残された魔力の分だけは。
ごぽ、と心臓の辺りから水泡の音が聞こえた気がした。
あまり、時間は残されていない。
「……太宰」
人形を撃ち殺し尽くして辿り着いた広場には、激戦の跡が見て取れた。元は赤レンガの倉庫街だったろうか。今は見る影も無い。爆心地みたいに、周囲の建物も訳の判らないオブジェも気持ちの悪い人形も跡形も無く灰になっていて、そうしてその中心には、横たわる太宰が居た。中也は急いで駆け寄る。
「……ああ、中也」
太宰がぼんやりと、焦点の合わない目を此方に向けた。半分だけ。左目だけ。右目部分は包帯に覆われている。
太宰の体は随分とぼろぼろのようだった。何しろ下半身が丸ごと全部、噛み千切られたように失くなっている。血は出ていない。自分たちの体は、そんなようには出来ていないからだ。体は飽くまで、器に過ぎない。幾ら壊れたって、魔力が有れば修復は可能だ。
どっちが人形だか判りゃしない。自嘲しながら、中也は動かない太宰の器を抱き起こし、そっと頭部の包帯に手を掛けた。
「太宰。……許せよ」
太宰が諦めたように目を閉じた。此奴は誰にもこの包帯の奥を見せたことが無い。少なくとも、中也と出会ってからは一回も。けれど中也は、その奥に何が在るのかは知っていた。
太宰の右目部分を覆っていた包帯を、ゆっくりと解く。
布の奥からそのうつくしい姿を現したのは、眼窩に嵌められたまあるいソウルジェムだった。
太宰の生きた左目が、そわそわと左右に忙しなく動く。乾燥に瞬く。然し右目に嵌められたソウルジェムは、ぴくりとも動かない。じっと中也を見詰めている。その様子は、まるで透明なガラス玉のようだった。
――中に穢れが溜まっていなければ、の話だったが。
太宰の右目となったソウルジェムの奥にはぐるぐると穢れが渦巻いていた。何時魔女化したっておかしくない。それを予感させるような濃い暗闇を内包していた。現に太宰が時折右目を抑え苦しげに呻くのは、穢れに犯され発作を起こしているからに他ならなかった。此奴も大概、限界だった。
此奴には世界が一体どんな風に見えているんだろう。中也は初めて目にする太宰の両目を見ながら、ぼんやりと考える。人間の憎しみ、だとか。恨みだとか。そんな感情を目にいっぱい溜め込んだ此奴は、その目を通して一体何を世界に見ているんだろう。
考えながら、ガラス玉のようなその目に、グリーフシードを中てた。す、と幾らかの穢れがグリーフシードに移った。しかし依然、太宰の右目はぐるぐると真っ黒いままだ。グリーフシードは、真っ黒に染まって割れた。次だ。
グリーフシードを中てる。穢れを吸い出す。棄てる。中てる。吸い出す。棄てる。その繰り返し。中てる、吸い出す、棄てる。けれど太宰の右目はちっともその輝きを取り戻さない。中てる、吸い出す、棄てる。まあこれで足りなくても、もっと魔女を狩ればいけんだろ。もっとグリーフシードを集めれば。中てる、吸い出す、棄てる。太宰の目は黒いままだ。中てる、吸い出す、棄てる。その為にはこんな雑魚の魔女じゃなく、もっと大物を狩る必要が在る……。
「中也」
何度目かで、手を掴まれた。見れば、太宰が無表情に此方を見上げていた。
「……もういい。自分に使って」
莫迦じゃねえのか、と中也は思った。失くなった下半身の修復なんて、膨大な魔力が必要な筈だ。この濁り具合では、修復は難しいに決まっている。だから、少しでも穢れを外に出さなきゃなんねえのに。
「グリーフシードが必要なら幾らでも狩ってきてやる。だから」
「君の顔を見てたら判るよ、自分が手遅れなことくらい」
顔をくしゃりと歪めて太宰が笑う。
太宰が何を云っているのか、中也にはさっぱり判らなかった。
「中也、善い案が在る。魔女になった私を、君が殺すんだ。それで、そのグリーフシードを遣って、君の穢れを癒やすと良い」
腕の中の太宰は、笑ってするりと中也のタイを解いた。中也は黙ってその動作を眺めていた。太宰の手が、中也の襟を緩め、胸元にするりと滑り込んでくる。そのままそっと、中也の胸元を撫でる太宰の手。中央より少し左寄り。其処は、中也のソウルジェムが埋まっている場所だ。
「君の糧になれるなら、私は喜んで魔女にだってなるよ」
「太宰」
「その代わり、私が魔女になったら直ぐに殺してね。私が呪いを振り撒かない内に、君の手できっと殺してね。……それで、この街を守ってね。頼むよ……」
「太宰!」
そんなことが、中也に出来る筈も無かった。だって、今までだってこれくらいの危機は乗り越えてきたのだ。二人一緒に。街を守ってきた。自分達が一緒に居れば、何だって出来た。
その筈だったのに。
太宰が急に、右目を押さえた。覗き込むと、しゅうしゅうと瘴気のようにソウルジェムから黒い霧が漏れ出ていた。痛い、痛い、と太宰が呻く。
「ああ、結局こうなるんだ。嫌だなあ。魔女になるのは、嫌だなあ。莫迦みたいに、呪いと絶望を振り撒くのは、嫌だ……」
太宰は茫洋と視線を彷徨わせる。最早その顔は、中也の方を向いていなかった。何処か遠く、空の彼方へと意識が薄れている。其処には極彩色に染まった息の詰まる空しか無いと云うのに。
「おださく……わたしは、ひとを救う側に……なれた、かな……」
じわ、と流れる筈の無い涙が滲んで、太宰の右目からぽろりと零れ落ちた。
「……太宰」
がしゃ、と。一丁のマスケットを太宰の右目に向けると、太宰が微かに目を見開いた。
「手前は魔女にはならねえ。手前は、手前として、人のまま死ぬんだ。……俺がこの手で、魔女になる前に殺してやる。呪いと絶望を振り撒く存在になる前に」
「莫迦!」
太宰は痛みに顔を顰めながら怒鳴った。ぐるりと、瞳の奥の穢れが蠢く。
「君は如何するの。こんなに私にグリーフシード遣って、自分の分が無いでしょう!」
「は」
中也は笑った。何だか莫迦莫迦しくて仕方無かった。
「魔女化した手前を殺したって、俺の堕ちる先は一緒だよ」
その言葉に、太宰は一瞬痛みを忘れたかのようになんとも云えない顔をして、それから心底、しんどそうに笑った。
「……そう。貧乏くじを引かせて御免ね、中也」
「……俺こそ、街を守ってやれなくて悪かったよ」
「いや、良いよ。私はこの手で、この街を壊さなかったことだけ、良かったと思うことにする……」
「そうかよ」
太宰が目を閉じた。中也は躊躇わなかった。
「じゃあな。太宰」
躊躇わず、ぱん、と右目を撃ち抜いた。ぱりんとソウルジェムが砕け散る。
がくんと太宰の体から力が抜けて、後にはただ、魂の無い人形だけが残った。
その後。
ごぼごぼと胸元から聞こえる水泡の音がいよいよ激しくなって。
どす黒く肺を塗り潰す痛みに呼吸が苦しくなって。
でも、これで良かったんだなんて微かな満足と。
死にたくないなんてらしくない恐怖と。
何で俺がこんな目になんて憎しみと。
理不尽な痛みへの呪いの言葉と。
段々と薄れゆく意識が。
混ざって。
其処ではなんだか良く判らない無数の小人が隊列を組んでパレェドを組んでいた。右にずらっと一列ずらっと左にずらっと一列、それが果てまで続いてずんちゃっちゃずんちゃっちゃと愉快なリズムに合わせてゆらりゆらりと左右に揺れる。空気の色は極彩色の色で噎せ返るような花の匂い。きゃらきゃらきゃらきゃらと甲高い笑い声が耳に障って、中也は思わず口元を抑えた。この空間は、息をするのには向いてない。
横浜の街の透き通っていた空は何処までもくすんだ桃色赤色橙色その他諸々のパレットを引っ繰り返したような大騒ぎで、なら空の反対側は落ち着いているのかと云うと足をつけている地面と思わしき部分にはこれまた黒色白色黒色の鑞絵具でぐしゃぐしゃと塗り潰されたかのような横浜の街が広がっていた。ころ、と足元に何かが落ちたなと思って見遣るとそれは人形の目玉だったので中也が手を伸ばして拾い上げる間も無くぱきんと割れたそれからうねうねと人形の成る木が生えてきて、ぐるりと人形の生首が成って丸っこい胴体が成ってぐちゃりと赤ん坊のように生み出されたそれがぽろぽろと目玉を取り落として割れてそれからうねうねとまた木が成る。眼窩の開いた人形がどんどん生えてくる悪夢のような繰り返しの中に人形の目玉の無いのがたくさん。それが。
くすくすくすくす。
きゃらきゃらきゃらきゃら。
悪意を含んだ笑い声にくすんだ空を見上げればぐるぐると目が回り、目を閉じればぐるぐると耳の奥に刺さる悪意を含んだ笑い声が聞こえる。
そんな中、ぐるん、ぐるん、と一つの人形が近付いて来た。
お可愛らしい仏蘭西人形。かたかたと寄って来たかと思えばまるで人間地味てにこりと笑って。
ぐるんと目玉が一回転して。
ぐにょ、と首が伸びて。
かぱぁ、と中也の頭を丸呑みにするかのように開けられた口に見えた無数の鋭い牙に、中也は。
「……失せろよ化け物」
ばしゅん、と魔女の頭を撃ち抜いた。
ぱっと血の代わりの紅い花が散る。かつん、軽快な音を立てて落ちたグリーフシードをすかさず拾い、中也はもう一体、近寄る人形を今度はマスケットの銃身で殴り倒す。今度も紅い血の花が散った。
「ち、数だけの雑魚が。面倒臭えな」
弾を撃ち尽くしたマスケットを放り出し、じ、と頭の中で念じる。必要なのは、全てを捩じ伏せる重力。それと、銃をたくさん。
途端、空に鮮烈な光が走った。ぎゃあ、とその光が目に刺さった人形の悲鳴を聞きながら、中也は出現したマスケットを両手に取る。人形を撃ち殺す。銃を捨てる。その繰り返し。ちまちまと出すのが面倒になって、中也はさっとイメージを持って空間を薙いだ。無数のマスケットを空に並べる。
「……手前等全員、黙って死んどけ」
撃って殺して捨てて、撃って殺して捨てて。目的地まで走る。
念じればこの程度の武器は、幾らでも出現させることが出来た。
この程度の魔女は、幾らでも撃ち殺すことが出来た。
そう、中也に残された魔力の分だけは。
ごぽ、と心臓の辺りから水泡の音が聞こえた気がした。
あまり、時間は残されていない。
「……太宰」
人形を撃ち殺し尽くして辿り着いた広場には、激戦の跡が見て取れた。元は赤レンガの倉庫街だったろうか。今は見る影も無い。爆心地みたいに、周囲の建物も訳の判らないオブジェも気持ちの悪い人形も跡形も無く灰になっていて、そうしてその中心には、横たわる太宰が居た。中也は急いで駆け寄る。
「……ああ、中也」
太宰がぼんやりと、焦点の合わない目を此方に向けた。半分だけ。左目だけ。右目部分は包帯に覆われている。
太宰の体は随分とぼろぼろのようだった。何しろ下半身が丸ごと全部、噛み千切られたように失くなっている。血は出ていない。自分たちの体は、そんなようには出来ていないからだ。体は飽くまで、器に過ぎない。幾ら壊れたって、魔力が有れば修復は可能だ。
どっちが人形だか判りゃしない。自嘲しながら、中也は動かない太宰の器を抱き起こし、そっと頭部の包帯に手を掛けた。
「太宰。……許せよ」
太宰が諦めたように目を閉じた。此奴は誰にもこの包帯の奥を見せたことが無い。少なくとも、中也と出会ってからは一回も。けれど中也は、その奥に何が在るのかは知っていた。
太宰の右目部分を覆っていた包帯を、ゆっくりと解く。
布の奥からそのうつくしい姿を現したのは、眼窩に嵌められたまあるいソウルジェムだった。
太宰の生きた左目が、そわそわと左右に忙しなく動く。乾燥に瞬く。然し右目に嵌められたソウルジェムは、ぴくりとも動かない。じっと中也を見詰めている。その様子は、まるで透明なガラス玉のようだった。
――中に穢れが溜まっていなければ、の話だったが。
太宰の右目となったソウルジェムの奥にはぐるぐると穢れが渦巻いていた。何時魔女化したっておかしくない。それを予感させるような濃い暗闇を内包していた。現に太宰が時折右目を抑え苦しげに呻くのは、穢れに犯され発作を起こしているからに他ならなかった。此奴も大概、限界だった。
此奴には世界が一体どんな風に見えているんだろう。中也は初めて目にする太宰の両目を見ながら、ぼんやりと考える。人間の憎しみ、だとか。恨みだとか。そんな感情を目にいっぱい溜め込んだ此奴は、その目を通して一体何を世界に見ているんだろう。
考えながら、ガラス玉のようなその目に、グリーフシードを中てた。す、と幾らかの穢れがグリーフシードに移った。しかし依然、太宰の右目はぐるぐると真っ黒いままだ。グリーフシードは、真っ黒に染まって割れた。次だ。
グリーフシードを中てる。穢れを吸い出す。棄てる。中てる。吸い出す。棄てる。その繰り返し。中てる、吸い出す、棄てる。けれど太宰の右目はちっともその輝きを取り戻さない。中てる、吸い出す、棄てる。まあこれで足りなくても、もっと魔女を狩ればいけんだろ。もっとグリーフシードを集めれば。中てる、吸い出す、棄てる。太宰の目は黒いままだ。中てる、吸い出す、棄てる。その為にはこんな雑魚の魔女じゃなく、もっと大物を狩る必要が在る……。
「中也」
何度目かで、手を掴まれた。見れば、太宰が無表情に此方を見上げていた。
「……もういい。自分に使って」
莫迦じゃねえのか、と中也は思った。失くなった下半身の修復なんて、膨大な魔力が必要な筈だ。この濁り具合では、修復は難しいに決まっている。だから、少しでも穢れを外に出さなきゃなんねえのに。
「グリーフシードが必要なら幾らでも狩ってきてやる。だから」
「君の顔を見てたら判るよ、自分が手遅れなことくらい」
顔をくしゃりと歪めて太宰が笑う。
太宰が何を云っているのか、中也にはさっぱり判らなかった。
「中也、善い案が在る。魔女になった私を、君が殺すんだ。それで、そのグリーフシードを遣って、君の穢れを癒やすと良い」
腕の中の太宰は、笑ってするりと中也のタイを解いた。中也は黙ってその動作を眺めていた。太宰の手が、中也の襟を緩め、胸元にするりと滑り込んでくる。そのままそっと、中也の胸元を撫でる太宰の手。中央より少し左寄り。其処は、中也のソウルジェムが埋まっている場所だ。
「君の糧になれるなら、私は喜んで魔女にだってなるよ」
「太宰」
「その代わり、私が魔女になったら直ぐに殺してね。私が呪いを振り撒かない内に、君の手できっと殺してね。……それで、この街を守ってね。頼むよ……」
「太宰!」
そんなことが、中也に出来る筈も無かった。だって、今までだってこれくらいの危機は乗り越えてきたのだ。二人一緒に。街を守ってきた。自分達が一緒に居れば、何だって出来た。
その筈だったのに。
太宰が急に、右目を押さえた。覗き込むと、しゅうしゅうと瘴気のようにソウルジェムから黒い霧が漏れ出ていた。痛い、痛い、と太宰が呻く。
「ああ、結局こうなるんだ。嫌だなあ。魔女になるのは、嫌だなあ。莫迦みたいに、呪いと絶望を振り撒くのは、嫌だ……」
太宰は茫洋と視線を彷徨わせる。最早その顔は、中也の方を向いていなかった。何処か遠く、空の彼方へと意識が薄れている。其処には極彩色に染まった息の詰まる空しか無いと云うのに。
「おださく……わたしは、ひとを救う側に……なれた、かな……」
じわ、と流れる筈の無い涙が滲んで、太宰の右目からぽろりと零れ落ちた。
「……太宰」
がしゃ、と。一丁のマスケットを太宰の右目に向けると、太宰が微かに目を見開いた。
「手前は魔女にはならねえ。手前は、手前として、人のまま死ぬんだ。……俺がこの手で、魔女になる前に殺してやる。呪いと絶望を振り撒く存在になる前に」
「莫迦!」
太宰は痛みに顔を顰めながら怒鳴った。ぐるりと、瞳の奥の穢れが蠢く。
「君は如何するの。こんなに私にグリーフシード遣って、自分の分が無いでしょう!」
「は」
中也は笑った。何だか莫迦莫迦しくて仕方無かった。
「魔女化した手前を殺したって、俺の堕ちる先は一緒だよ」
その言葉に、太宰は一瞬痛みを忘れたかのようになんとも云えない顔をして、それから心底、しんどそうに笑った。
「……そう。貧乏くじを引かせて御免ね、中也」
「……俺こそ、街を守ってやれなくて悪かったよ」
「いや、良いよ。私はこの手で、この街を壊さなかったことだけ、良かったと思うことにする……」
「そうかよ」
太宰が目を閉じた。中也は躊躇わなかった。
「じゃあな。太宰」
躊躇わず、ぱん、と右目を撃ち抜いた。ぱりんとソウルジェムが砕け散る。
がくんと太宰の体から力が抜けて、後にはただ、魂の無い人形だけが残った。
その後。
ごぼごぼと胸元から聞こえる水泡の音がいよいよ激しくなって。
どす黒く肺を塗り潰す痛みに呼吸が苦しくなって。
でも、これで良かったんだなんて微かな満足と。
死にたくないなんてらしくない恐怖と。
何で俺がこんな目になんて憎しみと。
理不尽な痛みへの呪いの言葉と。
段々と薄れゆく意識が。
混ざって。
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