幻燈夜に
(2016/10/31)
その日、ポートマフィア本部の惨状を目にして――坂口安吾は己の肺活量の許す限りの悲鳴を上げた。
「何ですかこれは!」
「何って安吾、知らないのォ? 遅れてるぅ~」
その問いに軽薄な調子で答えたのは、浮かれた格好をポートマフィアの歴代最年少幹部だ。見上げたホールの踊り場で、すい、と彼が動く度に、その――尻に生えた何か茶色い――ふさふさとした――尻尾、のようなものがゆらゆらと左右に揺れている。頭には、まるで獣の――耳、のようなものまで生えていて、そしてそれを大して意に介した様子も無く、坂口安吾の友人はフンフンと鼻歌を鳴らして窓枠に飾り付けをしていた。手にしているのはチャチな折り紙の輪飾りだ。
然し周囲の異様さがチャチかと云えば決してそうではない。つい昨日、安吾が退勤するまでは健在だったあのたっぷりとしたドレープのカーテン、毛足の長い絨毯で覆われていたホールの落ち着いた内装は、何故だか一夜の内に弾けた橙色に染まってしまっていた。安吾は今直ぐにでも回れ右と踵を返し、速やかに家に帰って寝床で一眠りしたかった。これはきっと夢だ。自分が勤めているポートマフィアは泣く子も黙る犯罪組織だ、内装だってこんな遊園地でまじかるランドを名乗っていそうな色ではなかった筈だ。
そして何より安吾の頭を痛めたのは――階段下に敷き詰められた、赤く血糊を塗られた十字架、固く口を閉じた古錆びた棺桶、不気味な顔を掘られたカボチャの群れ。
「ハロウィンだよ!」
「ハロウィンは本来古代ケルトのお祭りで死者が帰ってくる時期に湧いて出る悪霊や魔女から身を守る為の礼装が仮装として現代に広まったものでありこのように若者がウェイウェイとコスプレをしながら泥酔して渋谷を練り歩くものではないんですよ!!!」
「わあすごい流石歩くウィ○ペディア」
はいこれ安吾の分、と渡されたのは何処か古めかしいとんびコートとシルクハットだ。これは何だ、と助けを求めようにも、見渡す限り人気は無い。受付も無人だ。疑問の声を振り絞る。
「いや何で僕がこれ着ると思ったんですか!? これから仕事なんですけど!?」
「えっでも織田作は着たよ……あっ織田作起こして。其処で寝てるから」
其処? 振り返って太宰が指し示す先を見ても、其処には棺桶しか無い。
ギギ……と蓋が開いて、中から友人が顔を出す棺桶しか。
「ああ……安吾」織田作之助は、眠たげな目を擦りながら安吾を認識したようだった。「お早う」
「織田作さん! 織田作さんお願いですから太宰くんのされるがままにならないで下さい! ちょっとは疑問とか持って!」
「……ん? んん……なあ太宰。俺は吸血鬼だと云うが」ふあ、と欠伸をする織田は全くもって彼らしくなかった。まさか徹夜で準備などを手伝わされたりしたのか、と思うほどに。「血は飲んでも然程美味しくないから好きじゃない……」
駄目だ。安吾は頭を抱えた。自分が何とかするしか無い。使命感が湧き上がる。ポートマフィア存続の危機だ。
自分が何とか、世界を正常に戻さねば。
「えーっ織田作も狼男が善かった? でも織田作が狼って私的にちょっと洒落にならないから……」などと唇を尖らせている太宰に、先ずは常識を説こうと試みる。
「こんな……本部をこんなにして……色々……片付けとか……如何するんですか……」
「えっ部下にやらせるけど」
でしょうね。直球の正論に、安吾は深く頷く。
……いやいやいや。
「安吾ったら何が不満なの? 因みに首領に許可は貰っているよ?」
続く太宰の言葉は、然し到底信じられるものではない。友人相手に向ける視線が胡乱げになるのも、至極仕方のないことなのだ。
「……本当に?」
「うん!」
「本ッ当に!?」
「うん! ……まあ部屋には居なかったからハロウィンしますって書き置き残してきただけだけど」
「駄目じゃないですかそれ!!!」
後でどんな目に遭わされるか判ったものじゃない。ねえ安吾くん、この経費支出は何かな? 実は先月末、業務中に不適切な仮装をして遊んでいる子達が居たと複数目撃情報があってねえ。あと今月の廃棄物の処理費が異様に多いのは? 問い詰められる未来の自分の姿に、安吾の胃がきりきりと痛む。如何せ太宰はその場に居ないのだ。上手く逃げ果せているに違いない。それとも太宰のポケットマネーと幹部様の力で凡て隠蔽を、……いや、あり得ない。
ホール内の壮大な飾り付けを見る。
ホールに溢れる什器とカボチャ。壁紙の張替え。始業時間が近付いているからか、ざわざわとホールの外が騒がしい。
なんか、もう。
無理じゃないですか、如何にかするとか。
放心していると、目覚めて時間の経った織田の頭が漸く回ってきたのか、唐突にがしりと太宰の尻尾を掴み始める。
「これ如何なってるんだ?」
「きゃ~~~っ、織田作の、え、っ、ち♡」
「帰って善いですか!?」
「あれっ安吾未だ着替えてないの? 私が君を身ぐるみ剥がして辱めない内に着替えた方が懸命だよ」
「破廉恥なのはどちらですか!」
然し最年少幹部の目は本気だ。黒鳶の目がぎらりと光る。――服をずたずたにされて裸で歩き回る羽目になる前に此処で着替えた方が懸命ではないのか。嫌な予感に背筋が冷え、安吾は渋々服を脱いだ。「うんうん、安吾はいい子だねえ」そう云いながら狼の手の形をした手袋を嵌める太宰を見遣る視線が恨めしくなる。
「いやでも、何日前から用意してたんだ? とても一日では無理だったろう」
「そうですね……特にその」未だ尻尾を触り足りなさそうな織田の気配を察知し、安吾は自分の分の着替えを手早く済ませる。「肉球とか傑作じゃないですか? ドンキじゃないですよね」
そしてちら、と織田と目を合わせた。
今だ。
ええ。
友人特有の阿吽の呼吸で、太宰を両側からがしりと捕まえる。
「えっ、あっ?」
そしてその柔らかい肉球を。
揉んだ。
「ちょっ、ちょっと……!」
もみもみもみもみ。
もみもみもみもみ。
「あー……善いな……」
「太宰くん、気持ちいいですよこれ、まさか本物の猫から剥いできたんじゃないでしょうね」
「失礼だな……う……」
最初は口を尖らせていた太宰が、段々と俯きがちになっていく。きっと手の平をゴム越しに触られて妙な気分になっているのだろう。安吾はそう分かったが、織田は恐らく気にしていない。ただ一心に肉球の触り心地を確かめている。その一心不乱と云っても過言ではない真剣な顔で肉球を揉み倒されて。
遂に太宰が両手を振り払って。
叫んだ。
「に゛ゃーーー!!!」
「狼男じゃないのか?」
「わ゛ん゛!」
「それは犬ですね」
「もー! 二人共細かい!」
頬を膨らましてするりと拘束から抜け出す様は、何方かと云えば猫だった。そのまま何処からともなく取り出したカメラを構え、ふふ、と笑む。最悪と恐れられる幹部様の表情は、存外くるくると万華鏡のように変わる。
「ね、写真取ろう、二人共!」
「えっ嫌ですよ」
「まあまあそう云わずに」
肩を抱かれて引き寄せられる。まったく、最年少幹部様は他人の云うことなど聞きやしない。この強引さには、自分も織田作さんも敵わないのだ。友人でしょうと、自分達を引き寄せる彼には。せめてもの抵抗に、顰め面を作る。織田を見ると、僅かに困惑した表情をしている。
そして太宰は満面の笑みで。
「はいっ、チーズ!」
ぱちりと。
目が覚めた。直ぐに感じたのは煙草の匂いだ。コンピュータの何台も稼働する音。ボロボロの天井。異能特務課の一室だ。
背に当たる硬いソファの感触に、顔を顰めながら体を起こす。
――何処か懐かしい夢を見ていた気がする。
「先輩? 大丈夫っすか」
ひょこ、と自分を覗き込んだのは声から察するに部下だ。表情がぼやけて善く見えない。視界がひどく不鮮明だ。眼鏡を探して掛けると、何故だかハンカチを差し出されていた。
「? ……済みません、少し仮眠をしていました。直ぐに仕事に戻ります」
「いや、いっすよ。アタシ片付けときますし」
「何ですか、貴方が気遣いなんて変ですね……心配なら不要ですよ」
「……じゃあ顔洗ってきてからにして下さい」彼女が何時もの茶化す調子でなく、神妙にそう呟いたのも妙だった。「アンタ今、ヒデェ顔してるから」
バタン、と締まる扉を見、安吾は首を傾げながらもそっと自分の頬を指先で撫でる。
涙の跡が、微かに乾いて引き攣れた。
その日、ポートマフィア本部の惨状を目にして――坂口安吾は己の肺活量の許す限りの悲鳴を上げた。
「何ですかこれは!」
「何って安吾、知らないのォ? 遅れてるぅ~」
その問いに軽薄な調子で答えたのは、浮かれた格好をポートマフィアの歴代最年少幹部だ。見上げたホールの踊り場で、すい、と彼が動く度に、その――尻に生えた何か茶色い――ふさふさとした――尻尾、のようなものがゆらゆらと左右に揺れている。頭には、まるで獣の――耳、のようなものまで生えていて、そしてそれを大して意に介した様子も無く、坂口安吾の友人はフンフンと鼻歌を鳴らして窓枠に飾り付けをしていた。手にしているのはチャチな折り紙の輪飾りだ。
然し周囲の異様さがチャチかと云えば決してそうではない。つい昨日、安吾が退勤するまでは健在だったあのたっぷりとしたドレープのカーテン、毛足の長い絨毯で覆われていたホールの落ち着いた内装は、何故だか一夜の内に弾けた橙色に染まってしまっていた。安吾は今直ぐにでも回れ右と踵を返し、速やかに家に帰って寝床で一眠りしたかった。これはきっと夢だ。自分が勤めているポートマフィアは泣く子も黙る犯罪組織だ、内装だってこんな遊園地でまじかるランドを名乗っていそうな色ではなかった筈だ。
そして何より安吾の頭を痛めたのは――階段下に敷き詰められた、赤く血糊を塗られた十字架、固く口を閉じた古錆びた棺桶、不気味な顔を掘られたカボチャの群れ。
「ハロウィンだよ!」
「ハロウィンは本来古代ケルトのお祭りで死者が帰ってくる時期に湧いて出る悪霊や魔女から身を守る為の礼装が仮装として現代に広まったものでありこのように若者がウェイウェイとコスプレをしながら泥酔して渋谷を練り歩くものではないんですよ!!!」
「わあすごい流石歩くウィ○ペディア」
はいこれ安吾の分、と渡されたのは何処か古めかしいとんびコートとシルクハットだ。これは何だ、と助けを求めようにも、見渡す限り人気は無い。受付も無人だ。疑問の声を振り絞る。
「いや何で僕がこれ着ると思ったんですか!? これから仕事なんですけど!?」
「えっでも織田作は着たよ……あっ織田作起こして。其処で寝てるから」
其処? 振り返って太宰が指し示す先を見ても、其処には棺桶しか無い。
ギギ……と蓋が開いて、中から友人が顔を出す棺桶しか。
「ああ……安吾」織田作之助は、眠たげな目を擦りながら安吾を認識したようだった。「お早う」
「織田作さん! 織田作さんお願いですから太宰くんのされるがままにならないで下さい! ちょっとは疑問とか持って!」
「……ん? んん……なあ太宰。俺は吸血鬼だと云うが」ふあ、と欠伸をする織田は全くもって彼らしくなかった。まさか徹夜で準備などを手伝わされたりしたのか、と思うほどに。「血は飲んでも然程美味しくないから好きじゃない……」
駄目だ。安吾は頭を抱えた。自分が何とかするしか無い。使命感が湧き上がる。ポートマフィア存続の危機だ。
自分が何とか、世界を正常に戻さねば。
「えーっ織田作も狼男が善かった? でも織田作が狼って私的にちょっと洒落にならないから……」などと唇を尖らせている太宰に、先ずは常識を説こうと試みる。
「こんな……本部をこんなにして……色々……片付けとか……如何するんですか……」
「えっ部下にやらせるけど」
でしょうね。直球の正論に、安吾は深く頷く。
……いやいやいや。
「安吾ったら何が不満なの? 因みに首領に許可は貰っているよ?」
続く太宰の言葉は、然し到底信じられるものではない。友人相手に向ける視線が胡乱げになるのも、至極仕方のないことなのだ。
「……本当に?」
「うん!」
「本ッ当に!?」
「うん! ……まあ部屋には居なかったからハロウィンしますって書き置き残してきただけだけど」
「駄目じゃないですかそれ!!!」
後でどんな目に遭わされるか判ったものじゃない。ねえ安吾くん、この経費支出は何かな? 実は先月末、業務中に不適切な仮装をして遊んでいる子達が居たと複数目撃情報があってねえ。あと今月の廃棄物の処理費が異様に多いのは? 問い詰められる未来の自分の姿に、安吾の胃がきりきりと痛む。如何せ太宰はその場に居ないのだ。上手く逃げ果せているに違いない。それとも太宰のポケットマネーと幹部様の力で凡て隠蔽を、……いや、あり得ない。
ホール内の壮大な飾り付けを見る。
ホールに溢れる什器とカボチャ。壁紙の張替え。始業時間が近付いているからか、ざわざわとホールの外が騒がしい。
なんか、もう。
無理じゃないですか、如何にかするとか。
放心していると、目覚めて時間の経った織田の頭が漸く回ってきたのか、唐突にがしりと太宰の尻尾を掴み始める。
「これ如何なってるんだ?」
「きゃ~~~っ、織田作の、え、っ、ち♡」
「帰って善いですか!?」
「あれっ安吾未だ着替えてないの? 私が君を身ぐるみ剥がして辱めない内に着替えた方が懸命だよ」
「破廉恥なのはどちらですか!」
然し最年少幹部の目は本気だ。黒鳶の目がぎらりと光る。――服をずたずたにされて裸で歩き回る羽目になる前に此処で着替えた方が懸命ではないのか。嫌な予感に背筋が冷え、安吾は渋々服を脱いだ。「うんうん、安吾はいい子だねえ」そう云いながら狼の手の形をした手袋を嵌める太宰を見遣る視線が恨めしくなる。
「いやでも、何日前から用意してたんだ? とても一日では無理だったろう」
「そうですね……特にその」未だ尻尾を触り足りなさそうな織田の気配を察知し、安吾は自分の分の着替えを手早く済ませる。「肉球とか傑作じゃないですか? ドンキじゃないですよね」
そしてちら、と織田と目を合わせた。
今だ。
ええ。
友人特有の阿吽の呼吸で、太宰を両側からがしりと捕まえる。
「えっ、あっ?」
そしてその柔らかい肉球を。
揉んだ。
「ちょっ、ちょっと……!」
もみもみもみもみ。
もみもみもみもみ。
「あー……善いな……」
「太宰くん、気持ちいいですよこれ、まさか本物の猫から剥いできたんじゃないでしょうね」
「失礼だな……う……」
最初は口を尖らせていた太宰が、段々と俯きがちになっていく。きっと手の平をゴム越しに触られて妙な気分になっているのだろう。安吾はそう分かったが、織田は恐らく気にしていない。ただ一心に肉球の触り心地を確かめている。その一心不乱と云っても過言ではない真剣な顔で肉球を揉み倒されて。
遂に太宰が両手を振り払って。
叫んだ。
「に゛ゃーーー!!!」
「狼男じゃないのか?」
「わ゛ん゛!」
「それは犬ですね」
「もー! 二人共細かい!」
頬を膨らましてするりと拘束から抜け出す様は、何方かと云えば猫だった。そのまま何処からともなく取り出したカメラを構え、ふふ、と笑む。最悪と恐れられる幹部様の表情は、存外くるくると万華鏡のように変わる。
「ね、写真取ろう、二人共!」
「えっ嫌ですよ」
「まあまあそう云わずに」
肩を抱かれて引き寄せられる。まったく、最年少幹部様は他人の云うことなど聞きやしない。この強引さには、自分も織田作さんも敵わないのだ。友人でしょうと、自分達を引き寄せる彼には。せめてもの抵抗に、顰め面を作る。織田を見ると、僅かに困惑した表情をしている。
そして太宰は満面の笑みで。
「はいっ、チーズ!」
ぱちりと。
目が覚めた。直ぐに感じたのは煙草の匂いだ。コンピュータの何台も稼働する音。ボロボロの天井。異能特務課の一室だ。
背に当たる硬いソファの感触に、顔を顰めながら体を起こす。
――何処か懐かしい夢を見ていた気がする。
「先輩? 大丈夫っすか」
ひょこ、と自分を覗き込んだのは声から察するに部下だ。表情がぼやけて善く見えない。視界がひどく不鮮明だ。眼鏡を探して掛けると、何故だかハンカチを差し出されていた。
「? ……済みません、少し仮眠をしていました。直ぐに仕事に戻ります」
「いや、いっすよ。アタシ片付けときますし」
「何ですか、貴方が気遣いなんて変ですね……心配なら不要ですよ」
「……じゃあ顔洗ってきてからにして下さい」彼女が何時もの茶化す調子でなく、神妙にそう呟いたのも妙だった。「アンタ今、ヒデェ顔してるから」
バタン、と締まる扉を見、安吾は首を傾げながらもそっと自分の頬を指先で撫でる。
涙の跡が、微かに乾いて引き攣れた。
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