【再録】月酔い


○ one week before


『太宰。今B地点を通過した。標的がそっちに向かってる』
「了解」
 ざ、と聞き取り難い無線機で音を拾いながら、太宰は次の指示を出そうと古い見取り図を広げた。太宰が居るのは地下道の入り口だ。若しくは出口。中也が標的を此処まで誘き寄せ、挟み撃ちにする。そう云う作戦。敵は異能持ちだから、生半可な実力の部下に包囲させれば被害が大きくなるのは目に見えていた。だから態々太宰と中也がやっている。非常に面倒臭いことだけど。
『太宰』
 太宰の思考を遮ったのは、中也の鋭い声だった。焦りは無い、然し緊急性が垣間見える声音。
「なに」
『地図に無かった通路が在る。D地点より少し北だ、北への通路の他に西側にも伸びてやがる』
 詰まり、標的が何方に逃げたかが判らないと云うことか。太宰は唸る。それだけじゃあ情報が足りない。
「もうちょっと」
『西側も最近使われた跡が在るな。苔が剥がれてる。それに灯りも配線も。見た処、通路は真っ直ぐは伸びてない』
 太宰は頭の中にざっと街の地図を描き出す。D地点から西側に伸びる、地下道の出入口に成り得る場所。確か寂れた工場跡が在る筈だ。太宰はぴんと中りを付ける。然しその確証を得るにはあまりにも時間が無さ過ぎる。
「……君、西側行って呉れる。私は北を」太宰は一人で標的を止めるシミュレートを脳内で展開した。いけるか。正直、太宰一人では確率は五分だ。「でも予定通り北側を取ると、逃走経路が西だったときのリスクが大きい」
『……否。確実に西側だ。手前も来い』
 そのまま走り出す気配が聞こえた。「ちょっと」太宰は慌てて端末で部下を呼び出す。コール音。その間に中也に問う。
「根拠は」
『北側より西側の通路の方が造りが新しかった。石の組み方、欠け具合。その地図の古さから云って、西側だけが抜け落ちてるのはおかしい』
 詰まり、偽の地図を掴まされたって訳。
『予め、西側に逃げようって魂胆が透けて見えやがる』
「……あの狸爺」
『本当にな』
 中也は喉を鳴らして笑うが、太宰の心中は穏やかではない。腹立ち紛れにがん、と無線機を蹴った。此処に標的が来ないのであればもう用済みだ。撤収の準備をする。
「中也。私も此処を動く。暫く連絡が取れないけど」
 無線の順番を向こうへ返す。中也からの返答は直ぐに来た。
『問題無え』
「後、君の部下を少し借りる」
『殺す以外なら、好きに使え』
 そのまま通信はぶち、と切れて、後はしんと静かになった。何時の間にか背後に控えていた中也の部下の何人かに素早く指示を出しながら、証拠を消す為に時限式の小さな爆弾を仕掛け、太宰はその場を後にする。

「動かないで」
 ビンゴだ。旧工場跡、何とか間に合ったようだった。のこのこと姿を現した標的と鉢合わせ、太宰は自動拳銃を構える。中也の部下から拝借したものだ。流石に丸腰では挑めない。
「くっそ、マフィアの狗が!」
「そう、狗だよ。だから?」
 標的がアタッシュケースを庇いながら吠える。その内容は至極真っ当な事実だ。何の罵りにもならない。薄く笑う。
「抵抗しないことをお勧めするよ。君達の手引きをしていた男も、もう我々が捕まえたし。全く、偽物の地図を掴ませて呉れるとは恐れ入るよね。……それくらいで、マフィアから逃げ切れると思える脳天気さもさ」
 引き金を引くタイミングを見計らいながら、太宰は標的の様子を窺い見る。追い詰められたにしては表情に余裕が有る。太宰如き、直ぐに突破出来ると思っているのだろうか。だとしたら舐められたものだ。太宰を突破しても中也の部下が取り囲んでいるから逃げられる可能性など無きに等しいのに。然し武器を取る気配も無ければ、此方に向かって来る気配も無い。警戒する様子も。
 何かがおかしい――そう気付いたときには遅かった。ばっと脱ぎ捨てられた標的の外套の下には爆弾が巻き付けられている、異能であれば無効化出来た、然し物理的な爆破は――!
「中也ッ!」
「『汚れつちまつた、悲しみに』――!」
 涼やかな声と共に、潰れた蟾蜍のような声を上げて標的が地面に倒れ伏した。爆弾は爆発せず、太宰は胸を撫で下ろす。
 中也が間に合うかは賭けだった。然し勝ち負け関係無く、咄嗟にその名を呼んでしまっていた。反芻して、自分の切羽詰まった声が思い出され、少し恥ずかしくなる。
「……ありがと。助かった」
「仕事の内だ。……然し手前との仕事はやり易くて助かるね」
 地下道から姿を現した中也は、事も無げに何時もこうだと好いんだが、と云い放った。それは確かに、と太宰も思う。何時もこうだとすごく楽で好いのに。この男とだと、作戦が上手く進むし、太宰の思考に随いて来れる上判断も早いから連携が容易だし、それにこれ以上無く気分が高揚するのだ。
 昂った情動に、立ち去り難さを感じていた太宰の熱っぽい視線に気付いたのか、それを断ち切るようにひらひらと中也は手を振った。
「却説、拷問は俺達の仕事じゃねえ。後はお任せするぜ、太宰幹部候補殿」
「……うん、助かったよ中原さん」
 態々他人行儀に呼び合う、それすら何だか楽しい。

「そうだ、ねえ中也、この後暇? 君お酒強い?」
 思わず呼び止めた声に、中也が立ち去る足を止める。
「あ? ……酒は嫌いじゃねえが」
「じゃあ飲まない?」
「手前とか?」
「そう」
 ずい、と挑発的に顔を覗き込まれる。そうメンチを切られても、微かな香水の匂いが太宰の鼻を心地好く擽るものだからちっとも敵愾心を煽られない。煌めく金の瞳が綺麗だ。
「気持ち良く仕事させて貰えんのは結構なことだが、手前のことは好かねえんだ。馴れ合う積りは無えよ」
「やだなあ、私だって君のこと嫌いだけど、私達もう『相棒』じゃない」最近付けられた、他人からの評価を口にする。「あと、とっておきの大吟醸が有るんだけど」それと餌も。
 ぴく、と中也の眉が動いた。太宰はにやりと笑う。
 釣れた。
「……場所は」
「私の部屋」
「……俺の上がりは十時頃だ。鍵開けて待ってろ」
「やったあ!」
 テンポの良い会話に、自然心が弾む。太宰は今までに無い理解者を得られた気分だったし、中也も恐らくそれは同じだったろう。数度しか任務を共にしたことの無い間柄だが、相性の良さは最早自明の理だ。太宰はこれ以上無く楽しい気分を味わっていた。

 一週間後、その楽しい気分は脆くも崩れ去ることとなる。
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