私の知るきみのいくつかのこと

(2014/07/24)


 小さくて粗野で暴力的、と云うのが彼に対する一般的な第一印象だろう。若しかしたら小さくて無口で紳士的なひと、と云う印象を初めに抱いた人間も居るのかも知れないが、其れは非常に珍しい事に彼が任務中でそういった態度を強いられていた時に出会ったのか、若しくは小便でも我慢していた時に出会ったのに違いない。そうして数刻後には、印象が一転するのだ。
 何と云ってもマフィアの幹部であるから、前述の印象はあまりにも正しい。加えて、彼は組織きっての武闘派だ。出会い頭に殴られる人間は後を絶たないと云う。
「ンだテメェこら、青鯖が空に浮かんだ様な顔しやがって!!!」
 かく云う私もいきなり殴り倒された。十数年間生きてきて、顔が気に入らないと云う理由で殴られたのは初めてだった。ナメクジだってもう一寸考えて動くだろう、そう思わせる程の単細胞っぷりだった。あの躊躇いの無さは正直驚嘆に値する。中原中也と書いて直球莫迦と読ませたい。元来戦闘向きではない私の体は容易に吹っ飛ばされ、骨折を強いられる事になった。
 然し、彼が唯の暴力莫迦ではない、と云う事を、ひと目で見抜ける人間は少ない。長くマフィアに籍を置いている人間でさえ、「あれは力が強いだけの唯のチビ」と彼の事を揶揄する事がある(最も、彼の事をそう蔑む人間が、組織内で少しでもマシな地位に着けているのを、私は見た事が無い)。任務で戦闘に中っている時(詰まり、彼が趣味で吹っ掛けた喧嘩ではない時)の彼は、驚く程静かだ。そして狡猾に、或いは貪欲に、勝利への道筋を見据える。此方の戦力、相手の状況、弱点、潰し方。そういったものを冷静に図っている時の彼は、水を湛える様な目でじっと空を捉える。其の蛇の様な鋭いまなこから、逃れられるものはそうは居ない。
 其れが彼を、マフィアの幹部たらしめている実力の一部だった。
「おら立て新入りィ!!! テメェ好きな花はなんだコラ!!!」
 喧嘩となれば、とてもそうは思えない程の単細胞っぷりだったが。



 そして彼は善く呑む。それはもう、酒を湯水の様に浴びて呑む。何だったら食費を削ってまで酒代に注ぎ込む為、一時期なんかは首領からきつくドクターストップが掛かったと云う話が有るとか無いとか。
 彼の住処から遠い処で呑めば馬鹿騒ぎをして家まで押し掛けようとするので、「美女しか泊めないって云ってるだろ!」「俺が泊まってやるって云ってんだよなんか文句あんのか!」と殴り合いの大喧嘩になる事も一度や二度ではなかった。其の度に翌日は二人で頬を腫らして出勤したものだから、周囲の善い誂いの的だった。最も、彼がキレて机などを片端から投げて回ると誰にも手が付けられなくなり、いつも程なく終息するのだが。
 そして時々、彼にしては珍しく、本当に稀な事に、ちらりと弱みを見せる事がある。泣き上戸……と云う程では無い。そもそも彼は酒を呑めば喧嘩を吹っ掛けるので、ダウンではなくハイの方になる傾向がある。そんな彼でも、二人きりで呑んでいればセンチメンタリズムの扉が開くらしかった。私が初めて其れを垣間見たのは、相棒と云われる様になって一年と数ヶ月程した頃だ。
「手前よお……なんでここにいンだよ」
「は?」
 其の日は任務帰りに強制的に彼に捕まり、其の侭飲み屋に直行したのだ。其の言い草は無いだろう。あのね、中也、君、酔ってるから覚えてないかも知れないけどさあ……と懇々と之迄の経緯を嫌味ったらしく説明して遣ろうと思ったら、「そうじゃなくて」と遮られた。
「手前はなんでマフィアなんかにいんだよ」
「それは……首領に拾われたからだよ」今更何を云うのか、と私は首を傾げた。「君もそうでしょ」
「そうじゃなくてぇ……」
 大分眠いらしく、舌っ足らずな答えが返ってくる。瞳は熱で潤んでいるし、「暑い」と先ほど開けた襟元が妙に艶めかしい。冗談で「据え膳かな?」と口にすると「潰すぞ」と一瞬据わった目で云われたから、その日の夜は諦めたのだ。
「手前はこんな事しなくとも、生きていけるだろ」
 こんな、マフィアみたいなさぁ、と続く言葉に、私は静かに手元のグラスを揺らした。ああ、ああ、彼は善く思っていないのだ、此のポート・マフィアと云う稼業を。其れは長く彼の側に居た私にさえも意外な事実だった。嬉々として暴力を振るい、マフィアの幹部として君臨する、彼の姿に疑問を抱いた事など之迄一度も無かったからである。当然、彼もそんな自分を誇りに思っているのだと、そう信じ込んでいた。
「……ねえ中也。一緒にマフィアを抜けようか」
 其の呟きが聞こえていたのかいないのか、伏せた頭からはすうすうと呑気な寝息が聞こえてきた。あーあ、こんなになるまで酔い潰れちゃって、と呆れた記憶が有る。私がもし、君の事を害そうとしていたり、或いは恥辱を味合わせる様な目に遭わせて遣ろうとしていたりしたら如何するの。そうして摘んだ彼の髪は女の其れより驚くほどすべやかで、其の時私は初めて、彼に明確な劣情を覚えた。私の目の前で警戒もせずに眠りこける彼からの信頼がくすぐったかったし、お望みどおりに殺してあげようか、とも思った。美人と心中。悪くない。けれど結局は、仕方ないな、と彼の軽い体をおぶった。勿論、会計は彼にツケた。
 普段は下らない事まで覚えているくせに、そう云う時に限って彼は翌日に記憶を綺麗さっぱり失っているもので、突っついても覚えていない様だったから、「何云ってんだ気持ちわりい」と一蹴されただけで終わってしまった。ツケの件がバレてまた殴られたけど、如何考えたって彼が呑んだ量の方が多いのだから、運んでやった恩義も合わせると私の方に道理が在る筈だった。



 夕日を背に負って私に馬乗りになる彼などは、何処までも真っ直ぐに伸びる白樺の様に美しく、私は其の眩しさに思わず目を眇めた事を覚えている。二人、川に洗われながら浅瀬で視線を交わしていた。其の日見た彼の目は、沈み行く陽を映す水面の様に、きらきらと光を帯びていた。
「正直此の角度で見下されるのは、その、興奮するね……」
「いっぺん死ね!!!」
 容赦無く川の中に沈められる。浅い場所に押し倒される格好で二人びしょ濡れになっていたものだから、川底へと逃げる事も出来なかった。首も締められているから上手く呼吸ができなくて、ごぼごぼごぼと大量の水泡が口の中から逃げ出す。水面の向こうにゆらゆらと揺れる彼の顔は、目と口が見えなくてのっぺらぼうの様に見えた。
「手前一体何の真似だ之は」
 襟元を引っ張って心地の好い水の中から引き摺り出される。げほっごほっ、と気道に入った異物を吐き出す。喉も草が引っ掛かった様に痛い、鼻の奥も刺す様に痛い、ああ、ああ、入水するならもっと楽な方法で死にたい。例えばもっと深い場所に、重石を付けて沈むように。先刻試した様に。そう思いを馳せて足首を擦ると、金属の枷が冷やりと中って、自分の体にまだ体温の在る事が知れた。壊された鎖の先は、何処にも繋がっていない。
「俺は手前の相棒はやってやるが、お守りは真っ平御免だ」
 彼は如何して私の自殺を阻止するのだろう。そんな事をしたって何の得にもならないし、ほら、危うく君まで死ぬ処だったじゃないか。
「おい、聞いてンのか」
「中也と心中なら、其れも悪くないよね」
 へらりと頬の力を緩めてそう告げると、途端乱暴に唇を塞がれた。川の水が二人の口内を濡らした。
 ゆっくりと唇を離した後、随分情熱的だねと云えば、手前に注ぐ情熱が在るなら其の辺の鯉にでも注いだ方がマシだ、と吐き捨てられたから、何故だか少し面白くなかった。



「行くのか」
「あれ? 如何して此処が判ったの」
 驚いたのは事実だ。私が居なくても、恙なく任務は完了する。そして、誰も幹部一人が逃げ出した事に気付かない。其の筈だった。仮に私の居場所は判っても、私の行動が読めていなければ、今、こんな処には来ない筈だった。
 同時に、妙に納得もした。ああ、最後まで私の前に立ち塞がるのは此の男なのだ。
「其れはな、俺が手前の相棒だからだ」
 苦々しく吐き捨てられる。其の言葉は、最後まで私達二人を縛っていた。私は彼の相棒で、彼は私の相棒。其れ以上でも其れ以下でもなく、其れ故に私達は身動きが取れなくなってしまっていた。或いはそんなもの、さっさと打ち破ってしまったら善かったのかも知れない。然し其れをするには、私達はあまりにも長い間お互いの身を寄せ過ぎていた。
「退いてよ」
「云われなくても、退くさ」
 私の行く先に立ち塞がる様にしていた彼が、其の半身をずらす。彼にしては、気味の悪い程に静かだった。異能は飛んで来なくとも、少なくとも鉛弾の一つや二つ、其れと拳が十発程飛んで来そうなものなのに。
「ねぇ、私を見逃すつもり? マフィアの忠実な狗である君が? 本当に悪い茸でも食べたんじゃあないの……」
「俺は」

「俺は、手前と心中する積りはねぇんだよ」
 私は其の中に、彼の悲痛な叫びを見た気がした。其れと同時に、私も突然に叫びたい衝動に駆られる。ああ、ああ、最後まで私達は相棒でしかいられないのだ。一人で去ることの、なんと淋しいことか。
 私は薄笑いを浮かべて、彼の横を通り過ぎる。彼は何も言わなかった。彼は微動だにしなかった。ただ、じっと目を閉じ、眉間に皺を寄せていた。まるで何かの痛みに耐えるかの様に。
「今まで楽しかったよ、中也」
 だから君が嫌いなんだ。
「ありがと。ばいばい」
1/1ページ
    スキ