2017.10.08 CCS12無配

 セックスの前にキスをしておくと色々手っ取り早いな、と気付いたのは最近のことだ。例えば相手が乗り気でないときでもキス一つで気分を塗り替えられたりするし、体もそう云うことをするんだと認識して血の巡りと脈拍をそれに合わせてくる。それまでは前戯の知識として知ってはいたけど実感が無かったと云うところだ。元相棒と以外だと逆効果だったことも気付くのに時間の掛かった要因の一つ。
 でも中也とはキス一つで了解を取るのに問題は無かった。
 だから今日だってそれで善いと思ったのだ。
 無言で拒まれるまでは。
 ソファに寛いだ元相棒の膝の上に乗り上げ、睦言めいた内容を口にしながらその腿を擦り、満更でもない様子なのを見て取って唇に顔を寄せようとして――むぐ、と中也の手に阻まれた。何。中也を見れば目を逸して視線を合わせようとしない。空振った唇をんぐんぐと動かすと中也の掌の中で息が篭もる。中也の体温は太宰のそれより少しばかり熱い。
 湿った掌が頬を覆ってぴたりと張り付く。
「……今日は、キスは無しだ。悪ィが」
「……は? なん、で」
 掌を引き剥がすと、奥歯に物の挟まったような調子でまるで生娘みたいなことを云う。断られることを想定していなかったから声に自然と険が篭って、呼応するように鋭くじろりと睨まれる。
「善いだろ別に」
「いや……じゃあしないの」
「する」
 即答だ。
「ならキスしようよ。しなきゃ盛り上げられないでしょう君」
「ヤるだけなら手前のケツにナニ突っ込めば足りるだろうが」
「そんなガサツなやり方で私に勃たないでしょって云ってんだけど」
「いやいける……筈……」
「えやだよ途中で中折れするの。キスしよってば」
 これじゃあまるで自分だけが物凄くキスがしたいみたいじゃあないかと思う。不本意だ。けれどしないと如何も盛り上がりに欠けるのも事実。いや、別に、中也の云う通り、盛り上がらなくても挿れて出すだけなら何とか出来る。恋人同士のような交わりはお呼びじゃないし。でもしないよりする方が容易に事が運ぶ筈だ。合理的だし無駄が無い。
 なのに中也は一向に太宰の方を向こうとしない。
 挙句云う。
「ちょっと、今日は……面倒臭え異能に掛かってるから出来ねえ……」
 太宰はつい先日、酒場で酔わせて引っ掛けてホテルに連れ込んだ女性に、ちょっと今日は、女の子の日だから出来ない、と振られたことを思い出した。
 大丈夫私そう云うの気にしないからと無理矢理押し倒そうとすれば頬に一発きついビンタを食らったものだからこれは慎重な対応が必要なんだろう。
 一応訊く。
「異能ォ? なんの」
「――…………スした……を……ろにする異能だよ……」
 最早絞られた声量は蚊の鳴く声に等しかった。はっきりとしない態度に段々苛々してきて、ソファの背に中也の体を押し付けるようにキスを迫るも躱されるから面白くない。「なんて?」促して、ぐいと押し返す掌を柔く噛み、顔を寄せて前髪を触れ合わせる。何度かの無言の攻防の末、遂に中也が折れて「あークソ!」と髪をがしがしと掻き毟った。
 と、ぐるりと太宰の視界が反転した。体を引っ繰り返されたのだと天井と目が合って気付く。
「何って」何時になく乱暴にベストを剥ぎ取られ、抜き取られ放り投げられたループタイが床を何度か跳ねる。「キスした相手をめろめろにする異能だよ! これで善いか!」
「め……」
 何だそれ、と云う表情が露骨に顔に出たのか、「クソ、だから云いたくなかった」と中也が呻く。もう善いだろ、と太宰のシャツを脱がそうとする手を咄嗟に掴んだのは好奇心からだ。
「えっ何面白そうな異能に掛かってるの」声がつい上擦る。「て云うかめろめろって死語じゃない?」
「系列組織のヤツが」もう中也も自棄になったのか、堰を切ったように続ける。「『俺遂に異能力に目覚めたみたいなんですよ、この異能に掛かれば片思いのあの子もスタイルのいいあの子もめろめろです』だか何だかで盛り上がって、皆にもお裾分けですっつって、それで巻き添え食らって」
 この男が職場で部下に勝手な異能力の発動なんて許す訳は無いから、それをしたのは本当に管轄外の人間なんだろう。五大幹部に異能を向けるなんて殺されても文句は云えない筈だけど、本人も周りもそんな内容の異能であれば何の悪影響も無いと気を緩めたと。
 大体本人の自己申告だ。そんな異能に本当に目覚めたのかも怪しいし。
「でもそれ受けたヤツが気の無え相手に無理矢理キスした途端交際を迫られたって云うし」
「何それ最低じゃない」
 呆れるように云えば一瞬、手前が云えた義理か? とじとりとした視線が太宰に刺さる。
「俺んとこの部下は飼ってるハムスターに毎日指齧られて指先血だらけ絆創膏塗れで出勤してきてたのに、この前其奴にキスしたら全く齧ってこなくなったどころか発情して体を擦り寄せてくるようになったって」
「え、ええー……それ本当に異能の効果……効果か……?」
 然し如何やら中也がその莫迦げた異能を信じるに足る経験談は集まっているらしい。
「で? 君がキスしたら私がめろめろになると?」
「可能性は否定出来ねえだろ」
「まあ君のこと齧らなくはなるかもね」
 そう微笑んで首に手を回し、自然な流れで口づけようとした。中也も太宰の後頭部を抱き寄せるように手を回し、顔を寄せ――直前ではっと躱される。チッと一つ舌打ち。大体普段は気遣いもしないくせに頑なに今日だけ避けるのは如何云う風の吹き回しなんだろう。物云いたげな視線を感じ取ってか、中也が渋々と口を開く。「いや手前の意思じゃねえとこでめろめろにして如何すんだよ……何も面白くねえだろ……」うわあ。潔癖だ。黙ってキスして、さっさとセックスに持ち込めて便利くらいに思っておけば善いのに。「それにこれ以上手前に面倒臭くなられると困る」あっ違うこっちが本音だ。
 兎に角、太宰をその異能に巻き込みたくないのは判った。けれど一番重要な疑問が残っている。
「でも異能なら私関係無いんじゃない?」そう、だって太宰の異能力は異能無効化だ。中也は変な異能に勝手に掛かっていれば善いけれど、そんなものは太宰には関係が無い。頬に手をやる。肌の手触りが滑らかだ。「こうして触れていれば無効化されるでしょ。されなくても私本人には効かないし」
「無効化出来るかは判んねえだろ……それにキスに異能が乗ってんじゃなくて唾液に本人以外に効く興奮剤の成分が含まれるようになる異能とかだったら如何すんだ手前にだって効くだろうが」
「それはまァ。確かに」
 それだと効いてしまうねと頷く。その手の薬にはある程度耐性があると自負しているが、こと異能力絡みとなれば太宰にも未知数な部分が多い。無効化にしてもそうだ。媒介を用いて対象者に効果を移すような異能であれば、異能力者かその媒介に直接触れないと無効化出来る可能性は低い。
 でもなんかそれって。
「AVみたい……」
「煩えな! 此方はそんな訳の判らねえ体にされてるかも知れねえんだぞちょっとは労れよ!」
「えっ面白い。ウケる」
「手前なぁ!」
 云う声がちょっと涙声だ。確かに太宰をめろめろにするとかしないとかより、自分の体がそんな風に作り変えられてるかも知れないことの方が余程重大事だしキスする気にもなれないだろう。可哀想すぎる。「じゃさっさとその部下に解いて貰いなよ……」くすくすと笑いながら、中也のタイをするりと抜き、ベストを脱がせながら囁くように云う。「何ならその異能者の男を此処に引き摺ってくれば」愉快な状況だけれど、そんな理由でセックスがスムーズに出来ないのは一応太宰としても不便だ。
 なのに中也は呻く。
「出来ればもうやってる……今其奴居ねえんだよ……一週間ほどハネムーンだっつって……この前その異能でキスしてめろめろにした女と電撃結婚してハワイに行ってくるって」
「は」
 それは、と思う。それは若しかして、元々想い合っていた男女が偶々キスでお互いの気持ちを確認出来て結ばれただけなんじゃないのか。それで、目が薄いと思っていた男が自分が巫山戯た異能力に目覚めたと誤認しただけなんじゃ。
 ハムスターのことは知らないが。
「まあ、帰ってきたら検査に掛けさせるから、あと一週間はキス無しでやんぞ……っておい、ッ」
 不意を打って中也の手と隙を掻い潜ってその唇に口づけた。かさりと乾いた表面を湿らせるように舌を這わせる。何だっけ。唾液が媚薬のようになってるかも知れないんだっけ。お望み通り、舌を無理矢理捩じ込んで唾液を掻き混ぜるように絡ませる。腰の引けた中也の襟口を引けば、ソファに縺れ合うように二人倒れ込む。背に響くスプリングの音がぎしぎしと軽い。
「んっ……う……」
 呻くような低い声に、ひどく興奮して喉を鳴らした。
 唇を離せば、ぎろりと睨む燃えるような金の瞳。
「手っ前いきなり」
「ほら大丈夫じゃない?」
 殺気すら篭った視線を流して、その口を伝う、飲み込みきれなかった唾液を掬ってぺろりと舐める。味は何時もと一緒だ。試しに匂いも嗅いで見るけど変わらない。と、中也が若干身を起こして体を離す仕草を見せた。「……」「ちょっと! 引かないでよ! 君の所為でしょう!」君が気にしてたから、私が体を張って確かめてあげたんじゃあないか、と憤慨する。唾液を舐めたって引かれる謂れは無い。
「で」じ、と中也が覗き込むように見下ろしてくる。目に宿る警戒に不純に混じるのが何かと思えば期待の色で笑ってしまう。矢っ張りちょっと気になるんじゃあないか。「めろめろにはなんねえの」
「まあ。特に」手元の包帯をぐっと捲って手首に指を当てる。何時もよりは少し早い。「脈拍が何時もの行為時より上がった感じはしないし、君にプロポーズしたくもならないね、まァ、仮にそんなことになったら今直ぐ其処の窓から飛び降りるけど。仮に異能だとしても、大丈夫なんじゃない?」
「……ふぅん」
 中也は少し首を傾けて、それからあっさりと云った。
「じゃ善いか」
 少し強く体を押し倒すように唇を重ねてくる。影響が無いと判った途端に現金だ。手っ取り早くて善いけど。薄い皮膚越しに熱を交わしながら、委ねるように目を瞑る。そう、キスは手っ取り早くて善い。キス一つで気分を塗り替えられるし。体もそう云うことをするんだと認識して血の巡りと脈拍をそれに合わせてくる。誘われるままに水音を立てて舌を交わらせていると、段々呼吸が浅くなっていって、それに比例するように鼓動が早くなっていく。髪に指を差し入れられ、掻き混ぜるように頭を抱かれると、途端ぐずぐずと腹の奥が溶けるように熱く疼く。体温が上がったように感じるのは気の所為じゃない。
 思考が散り散りになって、気持ちよさに追い詰められて、あと少しでてっぺんまで上り詰められると云う処で不意に唇を離された。空振った舌がぷは、と酸素を取り戻して喘ぐ。
「は、っあ……何……」
「……いっつもキスだけでこんなになんだっけ手前……?」
 目の動きだけで視線をやれば、熱で浮ついた金の瞳が、じっと考え込むようにソファの上に乱れる様を見下ろしてきていて、太宰は思わず顔を歪めた。云わんとすることは判る、詰まり、異能の影響は本当に無いのかと云う点が引っ掛かっているのだろう。心配――ではないだろうから純粋な疑問。けれど質問の投げ方が劇的に下手。なるともならないとも返事を出来ずに歯噛みする。この男のこう云う処、本当に嫌いだ。
 僅かに身を離そうとしたその首筋に齧り付く。
「如何見たら私がめろめろになったように見える訳、目、腐ってんじゃないの……」
 腹の底から怨嗟の限りの声を出せば、「あっそ」ともう一度口づけられて溺れるように息を逃がす。
 何時もより気持ちよかったのは多分、焦らされた所為だった。断じて異能の所為なんかじゃない。でも媚薬のよう、と云われればそうかも知れない。中也の唾液は媚薬のよう。それくらいには甘美で毒々しくて麻薬的。
 夢中で吸っていると、不意に舌で上顎の弱い部分をなぞると同時に指で耳の裏に撫でられた。
「んっ……」
 途端、せり上がってくる感覚にびくりと体が硬直した。頭の中が真っ白になる。然し口が塞がっているものだから、止めろとも云えず、さりとて肩に拳を叩き付ける力も入らずに、ただ口内の愛撫をひたすらに甘受するに留まって体だけが小刻みに跳ねる。一瞬、視界が霞む。
「……? おい?」
 太宰の体が鈍い反応しか返さなくなったことに気付いたのか、中也が唇を離して太宰を見た。
 その唇の上を、つーっと糸が引いていく。口をだらしなく開け、くたりとソファに身を沈めた太宰に向けた訝しげな視線が、段々と「……めろめろなんじゃねえか」と嘲るような笑いに変わる。
 うるさい。断じて異能の所為なんかじゃないのは確かだ。けれどそれを認める訳にもいかない。
 異能じゃなく純粋に君のキスでこうなった、だなんて。
 暫く無言が落ちる。
「……」
「……」
「…………なんか云いなよ」
 徐ろに中也は私のスラックスの前を人差し指で引っ掛けて覗き込み、パンツの中身を確認してから厳かに云った。
「……ハネムーン行くか」
「行かない!」

1/1ページ
    スキ