Ready to Bother

(2017/04/07)


 「構え」と合図を出し、背に軽い安全装置の解除音を聞きながら「撃て」と命じるその一瞬。一呼吸挟む間も無い場合もあれば、深呼吸を数回要する場合もある。
 乱れた呼吸を整えるのに数度息を深く吸った後、中也は苦々しく吐き捨てた。
「……なんで手前がそっちに居やがる」
 手を上げて構えの号令を出したまま、然し中也はその手を振り下ろせなかった。弾丸は未だ排出されない。中也が撃てと命じないからだ。背後から覗く数え切れないほどの銃口が、ただ静止してじっと標的を見据えている。
 それが、一斉に狙う先に居る男。
 中也にとっては嫌と云うほど見知った顔だ。
「太宰」
「あれ、中也」
 敵の男の側に寄り添うようにして、その男は悠然と立っていた。包帯だらけの陰気な笑みを浮かべ、ボス格の男の腰に手を回している。その立ち方は――そのねっとりとした体の絡め方は、敵の男の部下や補佐官としてのそれではなく、もっとこう――直接的に肉体関係を匂わせるものだ。
 太宰のほっそりとした指が、敵の頭目の頬骨をそっとなぞる。
 中也だって、其処に居るのが選りにも選って己の相棒でなかったならば、単なる愛人か何かと思って切り捨てただろう。そんな男を選んだのが運の尽きだったなと。余分な感情を押し殺し、リアクションらしいリアクションは何とか片眉を上げるだけに留めたが、正直な処内心は如何しようも無い吐き気に侵食されていて、それがくらくらと目眩さえ引き起こす。
 そんな中也を、暗がりから太宰がじいと見据える気配がある。
 凶暴な笑みを湛える、黒曜の双眸。
「うーん……中也かァ……」
 ま、いっか。何かを妥協するように続けられたその呟きに、訳も判らずカチンと来る。なんだその、俺で我慢しておこうみてえな。

 中也はこの相棒のことが時々読めない。
 組織の利益に基づいて動いているときは善い。太宰の行動は判り易い。ポートマフィアにとって如何云った行動を取るのが一番得かの理想形を考えれば、大凡その通りの行動を太宰は取っている。然しそれ以外の、この男の個人的な行動原理は中也にはさっぱり理解が出来ない。理解したくもない。自殺嗜癖も中也が理解の出来ないもののひとつだ。例えばポートマフィアに目を付けられ、今日明日にでも強襲を受ける明らかに虫の息の敵組織の側に付いてみたりだとか。多分これもその一環なのだろう。とんだ茶番だ。良からぬことを企んでいるのだろうと云うことだけは、嫌と云うほど善く判る。
 大体、ポートマフィア内の動向を最も知り尽くしているのは太宰だ。中也の部隊が今夜この場所を襲撃することを、この男が知らない訳も無い。だからこの男が、こんな危険地帯に居る筈が無いのだ。
 この男自身が望んだのでなければ。
「おいおい、ポートマフィアが何の用だ?」
 間の抜けた声で沈黙を破ったのは敵の頭目だ。ああ、そう云えばこの男も居たのだった。中也は僅かにそちらへも意識を割く。此方は此方で理解が出来ない。大勢のポートマフィアに乗り込まれて、なんで未だ莫迦みてえに余裕ぶった面を貼り付けていられるんだ? その吹けば飛ぶような頼りない自信の根拠は直ぐに知れた。建物の外側に大勢の敵の気配がある。此方の手勢を上回る数で囲まれている。
 然しこれでポートマフィアを鏖殺出来ると思っているのなら、随分と舐められたものだった。此方は中也自らが寄りすぐった精鋭部隊だ。今の時点で殺気も隠せない雑兵等では話にならない。太宰を側に侍らせておきながら、とんだ無能と云う訳だ。
 或いは無能だから、見目だけで太宰を判断する。
「と云うか、お前マフィアだったのかよ」
 云いながら男が太宰の尻を撫で回す。「えー、知らなぁい」と太宰は太宰で完全に面白がっている口調で男に媚を売るような声を出す。その、ゲロよりも臭え口で「ねえ中也ァ」といけしゃあしゃあと此方に話し掛けてくる思考が遂に中也の理解の限界を超えた。視界が一瞬真っ白になる。その中に、するりと甘ったれた声が入り込む。
「善いよぉ、別に。君は君で任務を全うして呉れてさ。私は私で動くし」
「あァ? 動くも何も今から其奴は死ぬし此処に来て身分隠す意味も其奴を庇う意味も無えだろポートマフィアの五大幹部さんよォ」その言葉に、漸く太宰の正体に勘付いたのか、中也達を取り囲む周囲の敵組織の人間が気色ばんだが、中也の方はそれどころではなかった。奥歯を食い縛っておかなければ、頭の血管が破裂しそうだ。「其奴は今から俺が殺す」
「そうだね。そして私は彼を庇うよ」
「何でだよ」
「理由? そうだなあ……」
 云いつつ、見せつけるように敵の男に撓垂れ掛かる太宰。流した視線が、中也に絡み付くようにしてその身を捉える。
 薄っすらと笑みを刻んだその薄い唇に、一瞬目を奪われる。
「彼が昨晩優しく抱いて呉れたから、じゃダメ?」
「構え」
 切れた。と思った。血管だか堪忍袋だかその辺りの何かがぶちっと。付き合ってらんねえ。男諸共蜂の巣だ。汚物は消毒の必要がある。
 然し背後の部下の動く気配が無い。
「如何した、構えろ」
「は、否、然し……太宰さんは幹部で……」
「幹部」
 は、と引き攣れた声が出た。笑う処か? 手近に居た部下の胸倉をグイと乱暴に掴んで引き寄せる。
 部下の目に映った自分の瞳はひどく虚ろだ。
「善く見ろ、アレが手前の崇拝する幹部か? アレが誇り高き五大幹部か?」そして俺を従えるべき、幹部? 冗談じゃない。流れ弾でさっさと死んで呉れれば万々歳だ。「気狂いの情婦の方が未だマシな類だろうよ。……構えろ」
 口を突いて出た語調は、自分でも驚くほど温度が無い。
 太宰は異能を持っていない。敵にも異能持ちの居る情報は無い。例え居た処で中也が凡て殺す。敵も、敵の頭目も、太宰もだ。
 目の前の敵の男が手を上げて、周囲から散弾が中也に向かって降り注ぐ。バラバラバラバラ、煩えな。鬱陶しく手を払って、それを雨粒みたいに全弾漏れ無く叩き落とす。重力操作。汚れっちまった悲しみに。そこで初めて、敵の頭目の男が驚愕に目を見開いた。太宰はその隣で気味の悪い笑みを浮かべたままだ。
 もう遅えよ。
「撃て」
 中也の合図に合わせて、一斉に銃口が火を噴いた。

     ◇ ◇ ◇

「……如何したの、中也。殺して呉れるんじゃあなかったの?」
 目論見通り、蜂の巣だった。太宰以外は、全員。ただ一人その場に立ち、うっそりと笑う男に向かって中也は黙って歩を進める。ばしゃ、と床で血が跳ねる。
「煩え」
 床が滑って気持ちが悪かった。敵方の男は全身に銃弾を受けて倒れていた。頭部等は弾け飛んでいて最早跡形も無い。
 一方で太宰は無傷だ。銃弾も、跳弾も、何もかもがこの男を傷つけていない。
 それは中也が許さなかった。
「帰るぞ」
「はぁい」
 掴んだ腕からは血の匂いに混じって他所の雄の臭いがべっとりと纏わり付いているようで、中也は反射的に眉を顰める。不快だ。理解出来ない。こうやって死にたがる太宰も、死にたがっている振りをしながら中也を推し量るような真似をする太宰も、何もかも。

 何より、今この男の額に銃を突きつけて一発ぶち込めば全部すっきりするだろうに、それを出来ない自分のことが、一番理解出来なかった。
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