七夕ごっこ
(2014/07/07)
中原の部屋を訪れた太宰を出迎えたのは、人の一人や二人くらいなら一瞬にして射殺せそうな部屋の主の眼光だった。目の下に非道いクマを作っているにもかかわらず、目だけはぎらぎらと殺気を放っている。そして太宰の姿を見るや否や、書類チェックの手を一瞬止め、ガンッと持っていたマグカップをデスクに叩きつけるように置いた。中身のコーヒーが僅かに溢れる。わぉ、きげんわるい。太宰は肩を竦めた。こういうときの相棒には、なるべく関わらないに限る。
「何の用だ」
「エリス嬢に訊いたら、七夕の笹はここだって」
そう告げると、中原は無言ですいと部屋の隅を示した。そこにはシック調でまとまった洒落た部屋にはまるで似つかわしくない、葉と短冊を青々と茂らせた笹が鎮座していた。部屋の隅に同じく佇む観葉植物と、インテリアとして完全に喧嘩している。エリス嬢は「リンタロウが部屋片付けるまでここに置かせてね!」と云って問答無用で置いて行ったらしいが、何故よりにもよってこの部屋を選んだのか。彼女のセンスにはただただ脱帽するばかりだ。
「おおー。皆結構参加してるんだね」
太宰はぐるっと笹を見渡す。七夕イベントと称して、ポートマフィアの構成員全員に、この日に備えて短冊が配られていた。こどものおままごとと侮る無かれ、参加しないとどんな非道い目に遭わされるかわかったものじゃないから、誰も彼もが皆必死だ。それでも今回は、『願い事を短冊に書いて笹にぶら下げるだけ』なのだから、そのハードルは極めて低いと云ってよかった(少なくとも、この前の成績不振者に罰ゲームの課せられたわんこそば早食い大会よりはずっと)。自由度の高さも相まって、皆思い思いに自分の正直な願望を書き出している。『昇進できますように』『下克上』というようなマフィアらしいものから、『恋人が出来ますように』とか『お金持ちになれますように』とか、ここが犯罪組織であることを一瞬忘れるようなものまである。
「うわ、『世界平和』とかある。誰これ」
「梶井だ」
「ああー……」
如何にも彼らしい文言だった。太宰にはわからなかったが、科学を愛してやまない彼は、その実験場であるこの世界をも等しく愛しているのだ、きっと。マフィアの男が世界平和だなんて、少し笑ってしまうけれど。
「どうせ手前のは、『一緒に心中してくれる美人が見つかりますように』とかだろうが……」
「そうだよ、どうしてわかったの……っと、あ、中也のみっけ」
『太宰の奴は早く死ね、なるべく苦しんでのたうち回って死ね』という物騒な短冊を見つけ、あまりに予想通りな文面に太宰は思わず笑ってしまった。名前を見ずとも筆跡でそうと知れたし、それでなくともその内容を見れば一目瞭然だった。ここまで自分の死を熱烈に願ってくれる人物など、他にいない。
「非道いなあ、何もここまで書かなくてもいいじゃない」太宰は自分の短冊を笹に括りつけながら、背後の中原に文句を云う。「そんなこと云って、もし本当に私と中也が、例えば織姫と彦星みたいに、一年に一回しか逢えなくなったらどうするの」
中原が黙りこむ。てっきりすぐに「そうなったらせいせいする」或いは「気持ちの悪いことをぬかすな」などと返事が返って来るかと思っていた太宰は、意外な反応にちらりと振り返った。寝不足のようだったから、もしかしたら寝てしまっただろうか。
「……安心しろ。お前が組織を裏切ってそうなったら、俺が真っ先に殺してやる」
その抑揚のない言葉に、空気が凍った。いや、凍ったのは太宰の心臓かもしれなかった。「……なに、云ってるの。ちゅうや」と言葉を発そうとする口が渇く。どこかで失敗しただろうか。いいや、そんなはずはない。予想外の不意打ちに、心臓がばくばくとうるさいくらいに耳元で鳴り響く。自分が組織を抜けようと思っていることを、誰にも云っていないはずだった。誰にも悟られているはずもなかった。無論、この男にもだ。
落ち着け、冗談で云っているのであれば、真に受けて返すのは却ってまずい。太宰は動揺を一瞬で打ち消し、にこりといつもの笑みを浮かべた。
「何云ってるの、中也。そんなことしたら、まず首領に切り刻まれちゃうよ」
あは、と首をかしげて笑う。そんな太宰の態度などお構いなしに、中原はずかずかと無言で歩み寄ってきた。まずい。太宰は反射的に退路を確認する。窓・扉までの距離より、中原との距離の方が近い。逃げるには厳しい。次に武器の確認。ポケットに手を入れその中の銃の存在を確かめる。
中原の射程に自身の体が入った、と太宰が認識した瞬間、ぐい、と胸に手を押し付けられた。その手の中にあるものは、先程からずっと中原がチェックしていた書類だ。うっ、と太宰は一瞬固まる。
「ちゅ、中也? これ……」
「あぁ!? 夜通し任務があるっつってんのに手前がうまい具合に昨日俺に押し付けた書類仕事だよ! これとその笹持って疾っとと失せやがれ!」
ばさっ、と束になった書類を投げつけられ、太宰は予想外の攻撃に呆然と立ち尽くした。……ああ、そう云えば昨日、嫌がらせもかねてそんなこともしたんだっけ。
見ると、中原の目の焦点は微妙にズレていて、寝不足のためか意識が朦朧としているようだった。ふらふらとデスクの方に戻る足取りが覚束ない。だとすれば先程の言葉は、何も考えず無意識に飛び出したものだったのだろうか。
「寝る」
中原は着替えもせずにどさっとソファに身を投げ出し、あとはいくら呼びかけても何の返答もなかった。しばらくして、すうすうと寝息が聞こえてくる。太宰は紛らわしい彼の言動に、大げさに溜め息を吐いた。それには幾ばくかの安堵と、何やらよくわからない残念な気持ちが混じったような気がした。
『俺が真っ先に殺してやる』
部屋を後にした太宰はその言葉を反芻し、笹を握りしめる。あれはよかった。不覚にも背筋にぞわりときてしまった。いつも冷静でいられるはずの自分が、あのときばかりは動揺してしまったことを否定しきれない。それは不意をつかれたこともそうだが、何よりあの男に不意をつかれたという事実が、太宰には痛烈だった。
やっぱり相棒は良いものだなあ、なとど嘯きつつ、太宰は持っていた油性ペンで自分の短冊の文面を少し修正し、笹へと結び直した。
『私のことを、ひとおもいに殺してくれる美人が見つかりますように!』
中原の部屋を訪れた太宰を出迎えたのは、人の一人や二人くらいなら一瞬にして射殺せそうな部屋の主の眼光だった。目の下に非道いクマを作っているにもかかわらず、目だけはぎらぎらと殺気を放っている。そして太宰の姿を見るや否や、書類チェックの手を一瞬止め、ガンッと持っていたマグカップをデスクに叩きつけるように置いた。中身のコーヒーが僅かに溢れる。わぉ、きげんわるい。太宰は肩を竦めた。こういうときの相棒には、なるべく関わらないに限る。
「何の用だ」
「エリス嬢に訊いたら、七夕の笹はここだって」
そう告げると、中原は無言ですいと部屋の隅を示した。そこにはシック調でまとまった洒落た部屋にはまるで似つかわしくない、葉と短冊を青々と茂らせた笹が鎮座していた。部屋の隅に同じく佇む観葉植物と、インテリアとして完全に喧嘩している。エリス嬢は「リンタロウが部屋片付けるまでここに置かせてね!」と云って問答無用で置いて行ったらしいが、何故よりにもよってこの部屋を選んだのか。彼女のセンスにはただただ脱帽するばかりだ。
「おおー。皆結構参加してるんだね」
太宰はぐるっと笹を見渡す。七夕イベントと称して、ポートマフィアの構成員全員に、この日に備えて短冊が配られていた。こどものおままごとと侮る無かれ、参加しないとどんな非道い目に遭わされるかわかったものじゃないから、誰も彼もが皆必死だ。それでも今回は、『願い事を短冊に書いて笹にぶら下げるだけ』なのだから、そのハードルは極めて低いと云ってよかった(少なくとも、この前の成績不振者に罰ゲームの課せられたわんこそば早食い大会よりはずっと)。自由度の高さも相まって、皆思い思いに自分の正直な願望を書き出している。『昇進できますように』『下克上』というようなマフィアらしいものから、『恋人が出来ますように』とか『お金持ちになれますように』とか、ここが犯罪組織であることを一瞬忘れるようなものまである。
「うわ、『世界平和』とかある。誰これ」
「梶井だ」
「ああー……」
如何にも彼らしい文言だった。太宰にはわからなかったが、科学を愛してやまない彼は、その実験場であるこの世界をも等しく愛しているのだ、きっと。マフィアの男が世界平和だなんて、少し笑ってしまうけれど。
「どうせ手前のは、『一緒に心中してくれる美人が見つかりますように』とかだろうが……」
「そうだよ、どうしてわかったの……っと、あ、中也のみっけ」
『太宰の奴は早く死ね、なるべく苦しんでのたうち回って死ね』という物騒な短冊を見つけ、あまりに予想通りな文面に太宰は思わず笑ってしまった。名前を見ずとも筆跡でそうと知れたし、それでなくともその内容を見れば一目瞭然だった。ここまで自分の死を熱烈に願ってくれる人物など、他にいない。
「非道いなあ、何もここまで書かなくてもいいじゃない」太宰は自分の短冊を笹に括りつけながら、背後の中原に文句を云う。「そんなこと云って、もし本当に私と中也が、例えば織姫と彦星みたいに、一年に一回しか逢えなくなったらどうするの」
中原が黙りこむ。てっきりすぐに「そうなったらせいせいする」或いは「気持ちの悪いことをぬかすな」などと返事が返って来るかと思っていた太宰は、意外な反応にちらりと振り返った。寝不足のようだったから、もしかしたら寝てしまっただろうか。
「……安心しろ。お前が組織を裏切ってそうなったら、俺が真っ先に殺してやる」
その抑揚のない言葉に、空気が凍った。いや、凍ったのは太宰の心臓かもしれなかった。「……なに、云ってるの。ちゅうや」と言葉を発そうとする口が渇く。どこかで失敗しただろうか。いいや、そんなはずはない。予想外の不意打ちに、心臓がばくばくとうるさいくらいに耳元で鳴り響く。自分が組織を抜けようと思っていることを、誰にも云っていないはずだった。誰にも悟られているはずもなかった。無論、この男にもだ。
落ち着け、冗談で云っているのであれば、真に受けて返すのは却ってまずい。太宰は動揺を一瞬で打ち消し、にこりといつもの笑みを浮かべた。
「何云ってるの、中也。そんなことしたら、まず首領に切り刻まれちゃうよ」
あは、と首をかしげて笑う。そんな太宰の態度などお構いなしに、中原はずかずかと無言で歩み寄ってきた。まずい。太宰は反射的に退路を確認する。窓・扉までの距離より、中原との距離の方が近い。逃げるには厳しい。次に武器の確認。ポケットに手を入れその中の銃の存在を確かめる。
中原の射程に自身の体が入った、と太宰が認識した瞬間、ぐい、と胸に手を押し付けられた。その手の中にあるものは、先程からずっと中原がチェックしていた書類だ。うっ、と太宰は一瞬固まる。
「ちゅ、中也? これ……」
「あぁ!? 夜通し任務があるっつってんのに手前がうまい具合に昨日俺に押し付けた書類仕事だよ! これとその笹持って疾っとと失せやがれ!」
ばさっ、と束になった書類を投げつけられ、太宰は予想外の攻撃に呆然と立ち尽くした。……ああ、そう云えば昨日、嫌がらせもかねてそんなこともしたんだっけ。
見ると、中原の目の焦点は微妙にズレていて、寝不足のためか意識が朦朧としているようだった。ふらふらとデスクの方に戻る足取りが覚束ない。だとすれば先程の言葉は、何も考えず無意識に飛び出したものだったのだろうか。
「寝る」
中原は着替えもせずにどさっとソファに身を投げ出し、あとはいくら呼びかけても何の返答もなかった。しばらくして、すうすうと寝息が聞こえてくる。太宰は紛らわしい彼の言動に、大げさに溜め息を吐いた。それには幾ばくかの安堵と、何やらよくわからない残念な気持ちが混じったような気がした。
『俺が真っ先に殺してやる』
部屋を後にした太宰はその言葉を反芻し、笹を握りしめる。あれはよかった。不覚にも背筋にぞわりときてしまった。いつも冷静でいられるはずの自分が、あのときばかりは動揺してしまったことを否定しきれない。それは不意をつかれたこともそうだが、何よりあの男に不意をつかれたという事実が、太宰には痛烈だった。
やっぱり相棒は良いものだなあ、なとど嘯きつつ、太宰は持っていた油性ペンで自分の短冊の文面を少し修正し、笹へと結び直した。
『私のことを、ひとおもいに殺してくれる美人が見つかりますように!』
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