四月莫迦

(2015/04/01)


「中也のことが好き……中也のことが……めちゃくちゃ好き……」



「って何故か物凄い形相で呟きながら歩いてる太宰さんを見かけましたよ」
 怯えた様子で執務室に入ってきた部下を、中也は書類確認の手を止め、一瞬間だけぎろりと睨む。
「俺の前で彼奴の名前出すな。死にてえのか手前」
「否、だってめちゃくちゃ嫌な予感がしたんですもん! 報告ですよ報告! 些細な事でもホウレンソウ大事だって中原さん何時も云ってるじゃないですかあ!」
「……まあ」
 そうだ。そして多分その予感は中っている。太宰がぶつぶつと碌でもないことを呟いているときは、大抵碌でもないことを企んでいるときだ。序に云えば黙っているときでも碌でもないことを企んでいる。彼奴の存在自体が碌でもない。さっさと死ねばいいのに。
 そうして今度は何を考えているのかと警戒し、今日が月の変わった最初の日であることを思い出し――そう云えば、と部下に水を向けた。
「そう云えば、昨日の出張の経費精算書類、今日中に出せよ。締め日過ぎたら承認しねえぞ」
「あっはい出します出します、額が大きいので振り込まれないと困ります~生活が~」
「そう云って先月はぎりぎりだったな? 午前中に出せ。もう昼飯は奢んねえぞ」
「はい……」
 厳しい正論に肩を落とす部下の傍らで、こんこん、と控えめな叩敲の音が聞こえた。顔を出したのは経理の人間だ。あれ珍しい、と中也の部下は内心思う。先月の書類の催促には未だ少し早い気がするし、それにそれくらいならメールか内線で事足りる。他に直接、訊かれるようなことって何か有っただろうか。
 部下が目線を少し下げ、視界に入った経理の人間のその手には、一枚の書類が握られている。
「中原さん、ちょっと宜しいですか……」
「ああ、うん、なに?」
「先週ご提出頂いた、この宿泊費の精算の件なんですけど」
「……宿泊費?」
 あれ、と中也に合わせて部下も首を傾げた。先週と云っても、中原さんは先月は、何処にも出張に行っていない筈だけど。例え行っていたとしても日帰りだ。ちら、と中也より先に見せて貰えば、書かれているのは確かに中也の手書きのサインで。けれど貼り付けられた領収書の内容は、安い、時間制の――云ってしまえば如何わしいげなホテルのものだ。料金は二人分。これは流石に、精算の対象にはならないだろう。て云うか、中原さんがこんなもの、提出する筈も無い。多分上司は「中原君が出したものなら」とほいほい承認したのだろうけど、本人は寧ろ目にした瞬間にブチ切れそうだ。
 この部屋脱出した方がいいかな、などと部下がはらはらする中で、中也が片手を此方に向ける。
「俺、そんなの提出したっけ。ちょっと見せて貰える……」

 数分後、経理の人間の退室の後で、がん!と灰皿が宙を舞って何時もの箇所に激突した。ただの壁だが其処だけ凹んで黒ずんでいる。中也が苛立ったときに、灰皿を素手で投げるなり異能で投げるなりして八つ当たりする箇所だ。そしてそう云うときは、多分、大抵、五大幹部、太宰治が関わっている。
 部下は直感しながら、席を立った中也に敢えて訊いた。
「中原さん? 何処に……」
「便所」
 吐き捨てられた言葉に、部下は思った。
 青筋を立てて、人を殺せそうに目をぎらつかせながら行く便所って何だ。大の方か。
「……お疲れ様です」
 中也の手の中で、先刻の書類がぐしゃりと潰れた。

     ◇ ◇ ◇

「あ、中也! 丁度良かった、実は君に云いたいことが……」
 廊下で出会い頭にぱ、と顔を輝かせた太宰の体を先手を打って抱き締めた。逃がさないように。
「太宰。俺も手前に云いたいことが有る」
 柔らかく――出来るだけ穏やかな口調で云うと、え、あ、と太宰の体が腕の中で硬直する。悪魔的に口の回る此奴にしては珍しいことに、口籠ってしどろもどろになる。序に通りすがりの衆目の視線も存分に浴びているが、知ったことじゃあない。多分、太宰が先に喋った処で、大声で『君のことが好き』だの何だの叫ぶ積りだったのだろうから結果は大して変わらない。
 だから代わりに囁いた。
「好きだよ、太宰」
 ぐ、と腕の中で太宰の体温が上がったのが判った。見上げれば、包帯塗れの白い顔が珍しく真っ赤になっている。緩む頬、泳ぐ視線。
 うわ何此奴、面白え。
「あ……え……うん、わ、わたしも……?」
 どもる太宰ににこ、と笑い。そのまま胸倉を引っ掴み。
「俺が、そんな訳」
 背負投げの要領で。
「ねェだろうがあ!!!」
 油断した太宰を、思い切り床に叩き付けた。
「痛ったあ! 何!? 何なの! 暴力反対!」
 喚く太宰に経理の人間から受け取った書類を突き付ける。
「んだこれは! 俺の名前で勝手に出してんじゃねえぞご丁寧にサインまで似せやがって! しかも寝たの業務外だろうがあの小汚えSM趣味のおっさんだろこの日はよォ!」
 書類を一瞥し、ああ、と太宰は床に寝そべったまま得心のいった顔をした。普段の横柄さを取り戻したその顔に中也は確信する。
 矢っ張り此奴か。
 その内心を見透かしてか、太宰は厭らしく笑う。
「嫌だなあ、私が君の名前を騙って出したって証拠は有る訳?」
「証拠ォ?」
 その開き直りを、は、と盛大に鼻で笑う。
「如何しても証拠が必要なら手前の万年筆の洋墨でも何でも照合してやるが証拠が無きゃ手前をボコれねえ訳じゃねえ」ぱきぼきぱきと拳を鳴らしながら笑う。段々愉しくなってきていた。「そうだろ? 俺が手前を殴りてえと思うから殴るんだよ」
「やだ理由も無く殴るとか! 野蛮! 最低! 筋肉ゴリラ!」
「うるっせえええァ!!!」
 サッカーボールの要領で太宰の体を蹴り飛ばそうとしたその足を、今度はさっと避けられる。すばしっこい奴。逃げ足だけは早い。
「逃げんなコラァ!」
「如何考えても君の方が煩いでしょ! 大体、提出したの先週なのになんで今頃……」
 舌打ちをした中也を尻目にそうぼやき、それからはっと、今日が月の初めの一日で、先月の経費が精算されている頃なのだろうと思い至り――今日の日付と本来の目的を思い出したようだった。
「そう、今日は四月一日なんだよ! 中也、ねえ、私、君のことがす……す……」
 中也の拳が太宰の腹に決まる。「うっ」と云う呻き声と、内蔵にみしりとダメージの行く音。崩れ落ちる太宰。歪む唇。
「や……矢っ張り君なんて大ッ嫌いだ――――!!!」
「はいはい知ってる知ってる、いい子だから俺の部屋でゆっくり話そうな……」
 ずるずると中也に首根っこを引き摺られ、「毎回殴られるのになんで懲りもせずに続けてるんだろうあの嫌がらせ……」と云う周囲の生温い視線を浴びながら、「やーだーーー」と云う太宰の悲鳴は中也の執務室へと消えて行った。
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