委員長のお気に入り

(2021/10/26)
※DLC未読


 ダンデくんはかしこい子だった。
 天賦の才、とはまさしくこういうもののことを言うのだろうと、不惑を過ぎて幾分もないわたくしは思い知らされたものだった。偶然目にした子ども同士の野良バトル、そこで繰り出されたアオガラスの猛攻を視線も逸らさず受け切った彼の読みの正確さと、その一瞬の後にきっちりと相手を倒し切ったヒトカゲの動きの無駄のなさ。彼はわずか齢十歳で、ポケモンたちの特性、取るべき戦略、そして何をどのように選択すれば勝利を得られるかについて、既に熟知しているようだった。元チャンピオンカップ準優勝のわたくしをして、天啓を感じさせるほどに。思わずその場で推薦状を書いて必ずジムチャレンジに出なさいと押し付けてしまったのも無理のないことだろう。そして彼はなるべくしてチャンピオンになった。バトル以外には少しばかり興味の薄いところと、何故だか迷うはずもないような道で忽然と姿を消してしまうようなところはあったが、そんなもの、彼の強さの前では欠点にもならない。
 その上、自分の役割に対しての責任感もあった。
「ローズさん」
「なんでしょう、ダンデくん」
 あの頃、まだ幼いダンデくんに対して、膝を折って屈まなければ目線が合わなかったことを覚えている。それでも少しわたくしのことを上目遣いに見上げる形になるダンデくんの目は、少年特有の輝きを宿していて、そしてそれは少し不安に曇っていた。
「オレは……どうすればいいですか」
「どうも、質問の趣旨が曖昧ですね。好きなことをすればいいのですよ」
 そう答えたのは、彼がチャンピオンになった直後の、マクロコスモス社のわたくしの執務室でのことだった。僅か十歳の新チャンピオンに対して、メディアからの興味と好奇心で研いだミサイル針のようなインタビューの勢いは凄まじく、疲れ切った彼をとりあえずエレベーターに乗せて最上階まで避難させたのだ。信用できるスタッフを男女何人か呼んで同席させ、廊下に面した扉は開け放しておく。スタッフの行き来は見えるが、流石にどのメディアも地方一の大企業に乗り込んでこようという気概はない。というかセキュリティシステムで門前払いできますし。不法侵入で訴訟沙汰になるリスクはどこの社も負いたくはないでしょう。しかしまさかジムチャレンジ参加者からチャンピオンが出るとは思っていなかったから、認識が甘かった、未成年が優勝した場合には大人と同じような質問攻めにしないよう、プライバシーを守るように何か主催側で規制を考えておいた方がいいかもしれない。
 ダンデくんは最初、入ったこともないような広さの部屋にソワソワと落ち着かないようだった。来客用のソファに座らせると、思った以上に体が沈み込むことに戸惑ったのか変な顔をしてみせ、何故だかしばらく居心地が悪そうに傍に立っていた。その姿に先程優勝を決めた新チャンピオンの威厳はまるでなくて、微笑ましいからそのままでもよかったものの、オリーヴくんにお菓子を出してもらって私も食べてたいから一緒に座ってほしいなと伝えるとようやく渋々と腰掛けた。
 さて、と向かいに座ってお茶請けに手を伸ばす。
 今日のは若カマスかあ。あんこが美味しいんだよね。
「いいんですよ、きみは子どもなんですから、チャンピオンの立場なんて考えず思い切り今を楽しめば! 来年のチャンピオンカップには出てもらわないとですけどね、その間はもらったお金でお好きなものを食べたり、お好きなものを買ったり、おうちに帰って仲の良いご家族やご友人と遊んだり、新しいポケモンを捕まえたりバトルの練習をしたり……」
 それはわたくしの古い記憶を呼び起こす話題でもあった。当時チャンピオンカップに参加し、決勝まで上り詰めたものの惜しくも敗れたときのことが、あざやかに思い出される。準優勝ではあったが、あのお祭り騒ぎはわたくしを一躍有名人にしたものだった。昔の同僚は祝ってくれた。スポンサーもついた。その立場と名声を利用して、事業を大きくした。準優勝者の地位を、考えうる限りの方法で濫用した。
 けれどそれはあくまで大人であったわたくしの場合だ。
 子どもの時分では、スポンサーの意向に沿おうなどと思わなくていいし、そもそもチャンピオンとは単なる一大会の優勝者であるだけで、それ以外には何らの義務も伴わない。だから年頃の少年らしく、ダンデくんは彼の遊びや勉学を優先すればよかった。急に手に入った地位への戸惑いは大いに理解するが、チャンピオンになったから何かをしなければ、なんてことはないのだ。
 けれどわたくしの言葉を聞いても、幼い天才はじっと考え込むだけだった。
「……オレは」
 やがて意を決したように、ダンデくんは口を開いた。
「強くなりたいんです、……」
 言いながらはたと言葉を止め、「ちがうな……質問があいまいでしたね」と照れたように笑った。わたくしはにこりと釣られて笑みを作った。彼の聡明さが、わたくしにはひどく眩しく映った。
 このとき、もう既にわたくしはこの少年に魅入られていたのだろうと思う。
「ええと……オレはもっと、すごいバトルをしたい、そのためには、オレとバトルするひとには強くいてもらわなきゃだし、強いやつは多いほどいいんだぜ……」
 うん、と頷いて、思考の整理が終わったのか今度こそわたくしの方に挑戦的に向き直る。
 その瞳に宿るフレアのような闘志が、わたくしの視線を掴んで離さなかった。
「だから、オレは強い人を増やしたいんです、ローズさん。来年、オレを負かすような人にたくさん来てほしい。今年よりもすごいバトルをたくさんしたいし、そんなバトルを全部勝ちたい。そのために、オレにはできることがあると思う」
 その言葉を聞いて、彼をただの少年だと侮っていた自分を恥じた。
 彼の質問は、自分の行く先への漠然とした不安からくるものではない。
「折角チャンピオンになったんだから、この立場を利用したいんだ」
 その方法を、彼は聞いたのだ。
 他でもない、その道を熟知しているわたくしに。
「オレはどうすればいいですか、ローズさん」
「……フフ」
 わたくしは思わず破顔してしまっていた。目の前の少年の目は、今手にした勝利ではなく、確実に未来を向いている。彼に推薦状を書いた過去の自分へスタンディングオベーションを送るべきだろう。この逸材を見出した慧眼に。
 少年の願いを、わたくしは真摯に受け止めた。多少、企業利益のことが頭をよぎったことは否めないが、そのときの感情は誓ってそれだけではなかった。
「そうですねえ……ではとっておきの方法を教えてあげましょう」
 唇に人差し指を当てて、内緒話のように告げた。内心、この少年の力になれることにワクワクして仕方がなかった。
「きみがみんなの憧れになればいいんですよ、ダンデくん」
 聞いた瞬間の彼は、確か……ポカン、と口を開けていたように思う。
「憧れ……」
「そう、『チャンピオン・ダンデみたいになりたい』、と……そうたくさんの人に思わせることができれば、ポケモンバトルをする人はもっとずっと増えます」
「そうしたら、すごいバトルをできることも増える……?」
「きっとね! そう、まずはきみの存在を利用して、ジムチャレンジとチャンピオンカップの認知度を上げ、バトル人口を増やしましょう。哀しいかな、ジムチャレンジは年々参加者が増えてきていますがそれでも全地方の三、四割に留まっています。それを増やすのです。今のきみの価値は『幼くしてチャンピオンになった』ことだ。これは同年代やそれより小さいお子さんたち、それにその親御さんたちにとても訴求力がありますよ。それに加えて、きみのファンを増やすのです。少し長い目で見た計画になりますが——母数を増やし、市場が盛んになれば、自然と強い人も増えますし、戦術戦略も熟成されてくる。そうなれば我が社も業績を伸ばせますからね、わたくしも全面的に支援しちゃいましょう! ただ……」
 夢のある話だった。
 だからこそ、教えないとフェアではないと思った。
「楽な道ではないと思いますよ」
 そう告げたわたくしの内心には、心底、労りの気持ちがあった。
「わたくしの会社の力で全面的にバックアップすれば、何の問題もなくきみを最年少チャンピオンとして売り出すことができます。でもそれは、きみの公私の、『私』の部分を多大に犠牲にしてしまうことと同義です。きみはいつでも、みんなの望むチャンピオンを演じなければならない。もしかしたら、これまでどおりの生活はできないかもしれないし、どこでも人の目が付き纏うことは想像以上にきみを追い詰めるかもしれない。自分のバトルスタイルですら変えなければならないかもしれない。『みんなのチャンピオン』というのは、きみが思うよりずっと大変ですよ」
 最後の方は半ば脅し文句のようになっていた。未来ある若者を潰したくはなかったからだ。
 けれどダンデくんはためらわなかった。
「それでもっとすごいバトルを楽しめるなら」彼は言い切った。「やります」
 執務室を去る彼の顔は、優勝カップを受け取ったときよりも活き活きとしていた。目標に対して自分にできることがあることが嬉しくてたまらないようだった。
「ローズさん。オレ、すごいチャンピオンになりたいなぁ。みんなにバトルを楽しんでもらって、そうしてオレのところまで上がってきてもらうんだぜ」……
 わたくしはかしこい子は大好きだったので、『ローズさんとも週五くらいでバトルできないだろうか』以外の彼の望みはほぼなんでも叶えてあげた(或いは子どもの自主性を重んじるという建前の下に、大人らしい静止をしない罪滅ぼしだったのかもしれないが)。エキシビジョンマッチを開催したいと言われれば効果的な開催の仕方を教えて後援もしたし、チャンピオンらしいインタビューの答え方をしたいと言われれば指南もし、社交的な振る舞いを覚えたいと言われれば教師をつけた後実践に連れて行ったりもした。彼は根が水を吸い蕾が花開くように全てにおいて無類の才を発揮した。すべては理想のチャンピオンを作るために。そんなことばかりしていたから、彼が同年代の少年少女たちより少しばかり早く大人びた振る舞いを覚えてしまったことが、少しばかり後ろめたくなかったわけではない。彼自身は意にも介していないようだったが。例え振る舞いに多大な制限がつきまとおうと、子どもらしい遊びができなかろうと、素晴らしいバトルができる未来のためならば苦でもないらしい。随分とストイックなものだった。だからこそ、結果が着実についてきたのだろうとも思う。ジムチャレンジの参加者は今や全地方の子どもたちの八割を超える。
 そのうち本当に、己がチャンピオンだと言う自覚が、ダンデくんを『皆のチャンピオン』たらしめるようなっていた。彼に影響を受けポケモンバトルを始める人間は後を絶たない。どこまで気づいているかわからないが、彼はガラルの太陽になろうとしていた。万人を等しく照らす、恒久の光だ。ただの少年には過ぎた役割だ、と当初思っていたわたくしは、ここでも彼を侮っていたことになる。彼はそれを十年間、ずっと成し遂げるくらいには、強靭な精神をその身に宿していた。
 彼の能力を見誤っていたわたくしは、気づいていなかった。
 わたくしも、その重力に引き寄せられ身を焼かれる一人となってしまっていたことに。
「ムゲンダイナ……」
 理論上、わたくしの元に呼ぶことになるこのエネルギーの塊のようなポケモンを、捕獲するのはきっと多大な危険を伴うだろう。
 けれどわたくしは実行を迷わなかった。
 即断できる根拠があった。
「いえ、でもダンデくんがいるから大丈夫ですね。きっと制御できますとも、ねえオリーヴくん」
「そうですね」
 隣でオリーヴくんも頷く。我々は、何の疑問もなく確信していた。
 彼と一緒になら、一千年先の未来も掴み取れると。

「それは……どうでしょうか」
 異を唱えたのは当のダンデくんだ。
 その言葉を聞いた瞬間のわたくしの胸中は、まるでダイオウドウの三、四体がガラスの床の上でステップを踏んだかのような惨状だった。ダンデくんが受け入れないはずがないと、わたくしは過信していたのだ、とそのとき自分の詰めの甘さを悟った。まったく、彼にはいつも驚かされてばかりだった。わたくしの知る彼は、誰よりも未来のことが考えられる人間で、チャンピオンとしての責務を果たす人間で、正しい選択を選べる人間だ。
 であるなら、この未来のための計画に協力しないはずがない。
 それがまさか、甘かったとでも言うのかい。
「いえ……何も、協力しないと言うんじゃないんです。確かに、ガラルの発展は大事だ。それに、強いポケモンであれば見てみたいし、戦ってみたいのも事実です。けれど千年の発展のために、というのは……」ダンデくんが首を横に振る。「オレには、それが今無理にすべきことなのかわかりません」
「ダンデくん、あのね……」
「ローズさん」
 じっと、夕日の差し込む執務室内で、金色をした瞳が光った。
 それはあのとき、自分に何ができるかをはかっていたダンデ少年と同じ目だった。
「この十年、あなたに支えてもらってわかったことがあります。人は誰でも……無理に何かをさせようとすれば、却って反発してしまうものです。あなたが教えてくれて、だからオレは誰彼構わず片っ端からバトルに引き摺り出すような真似はせずに済んで、ただひたすら皆を導くチャンピオンであり続けられた。ガラルの太陽であり続けた……それと同じじゃあないですか。そのポケモンを、ねがいぼしの力で無理矢理覚醒させようとすれば、何か歪みが生まれはしませんか。でもそうではなく、その子を照らして導けるような……そういう方法なら、オレは是非とも手伝いたいんだ」
 今思えば、彼は真摯にわたくしに向き合おうとしていたのだ。
 けれどそのときのわたくしの手の中では、彼に踏み潰され粉々になったねがいぼしの欠片が、砂のように零れ落ちていた。
 だから、ブラックナイトをあの日に起こしたのだ。わたくしの言う方法が正しかったのだと、彼もきっとわかってくれるだろうという祈りを込めて。

   ◇ ◇  ◇

「ローズさん」
 ふ、と意識が思考の淵から浮上した。見れば独房の看守が、扉の覗き窓からためらいがちに室内の様子を窺っているのが見えた。どうやら看守の呼びかけにも気づかないくらい、思い出に耽ってしまっていたようだった。聞こえていなかった素振りは見せず、寝台に腰掛けたまま僅かに面を上げて対応する。背後の小窓から差し込む陽光は、まだ朝の匂いを少し残している。
「どうかしたのかな? 食事の時間はまだだったと思いますが」
「あなたに面会希望者が来ています」
「……うん?」
 途端、わたくしは息の詰まったように瞬きしてしまった。まさか、彼がこんなところに来るはずはない。咄嗟に浮かんだ可能性を否定する。彼にはその必要がないからだ。あの夜、結果的にわたくしのしたことは間違っていて、彼はその窮地からガラルを救った。あんな大事件を起こした男との縁は、もう一人でチャンピオンとして立てる少年には必要ないはずだった。
 わたくしの思ったとおり、看守の告げた名前は彼ではなかった。
「ええと、いつもどおりオリーヴさんが来られてますが……どうされますか? 体調が良くないようでしたらお帰りいただきますか……ローズさん?」
「ああ……。そっか、そうだよね。今日は来ると言っていたものね」
 じゃあ五分後に行こう、と告げるとまた来ます、と看守が去っていく。
 よかった、と少し疲れたように息を吐いてしまった。
 多分、彼に会ったらわたくしは謝ってしまうのだ。これまでずっと、ガラルのヒーローとしての重荷を背負わせてしまっていたこと。何より、共犯者であるわたくし自身が彼にそのような期待を抱いてしまっていたこと。
 そうして彼は、「謝ることなんて何もないでしょう」とわたくしを許すのだろう。
 それこそ、わたくしの期待する通りに。
「……このまま、彼には来ないでほしいよねえ」
 それがいい、と思った。
 輝かしい未来を背負うガラルの太陽は、道を誤った男のことなど気にかけるものじゃない。



 そのわたくしの願いすら、数週間後に台無しにされてしまうのは、また別の話だ。

   ◇  ◇ ◇

「ローズさん! 元気そうで何よりだ。ここの居心地はどうですか?」
「……きみねえ。わたくしが折角センチメンタリズムに浸っていたのに、元気に登場しないでよ。謝っちゃうでしょ」
「? 謝ることなんて何もないでしょう。それより、楽しいニュースを持ってきましたよ。あなたのローズタワーをオレがどんな風にしちゃったか、是非とも聞いてほしいんだぜ……」
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