恋多き彼

(2022/01/11)
※キバナ×モブがあります 他のみんなも交際経験匂わせあり


「……彼氏にフラれた」
 おっキバナ、どうしたんですそんなシケたツラしやがって、というネズの問いに返ってきた第一声がそれだったため、会場は沸きに沸いた。
 とは言っても下町のダイナーの一角だ。夕食と飲みの客でごった返す店内で、丸テーブルを囲んだ四人がそれぞれ少しずつ横へずれて、背中にゴーストでも背負っているかようなドラゴンストームのための席を空けた。テーブルに並んだ料理からキバナの分を少しずつ取り分けながら「大丈夫なんですか」と心配したのはマクワだけで、「ちょっと、詳しく」「酒が進みそうですね」などと興味津々に身を乗り出すルリナとネズは慣れたものだ。何しろキバナの恋愛遍歴といったら、あまりに短いスパンで交際と破局が繰り返されるためもはや娯楽と化している。ダンデに至っては興味があるのかないのか、背後を忙しなく通りがかった店員に「すみません、エール二つとチップスとオニオンリング追加で」などと注文を通している。
「と、とりあえず座りましょうキバナさん、いやでも場所そっちしかないけど大丈夫かな」
「何言ってるんだマクワ、オレとネズの間なんて特等席だろ。ほらキバナ、こっちだ」
「あなたたち絶対いじり倒すじゃないですか!」
「まあまあ、飲んで忘れちゃうのが一番ですよ。何飲みます? ビール?」
「さっきダンデがエール頼んでたわよ」
「にしてもキミ、付き合いだして二……三ヶ月くらいじゃなかったか? 今度はどうしたんだ? また愛が重すぎるって言われちゃったか?」
「また体格差が苦だって言われたのかも」
「エスコートが完璧すぎて気後れする、とかもありましたかね」
「オマエらもうちょっと同情を見せてくれる!? 人の失恋をウキウキしながらエンターテイメントに昇華しないで」
「昇華されたくなかったら惚気をもう少し控えなさいよ」
 つい一ヶ月前、今日と同じように集まった際にキバナに付き合い始めた新しい恋人がいかに可愛いかを滔々と語って聞かされた面々が、ルリナに黙って同意する。初めに交際をエンターテイメントとして提供したのは間違いなくキバナだ。なら破局まで見守る権利があるというものだろう。「ほら、エール来ましたよ。吐いちまえ」「今度は何が原因で振られたのよ」と促され、料理いっぱいのテーブルを前に項垂れながら、キバナは渋々語り始めた。


 ただ、キバナにも心の整理がついていないのだ。
 切り出されたのは今朝のことだった。
「合鍵。そこに置いとく。返すよ」
 うん?とキバナはその言葉の意味するところをすぐには図り切れなかった。恋人が示したベッドサイドのチェストの上に合鍵を見つけ、そこでようやく動きが止まった。それは致命的な隙だった。バトルで見せたなら、間違いなくダンデにはコテンパンにされて酷評を貰っただろう隙。
 呆然と寝室の入り口に立ち尽くすキバナに、続く「これっきりにしたい」という言葉が追い討ちをかける。
 ベッドに飛んでいって寄り添おうにも、両手に持ったコーヒーのマグカップが邪魔だ。
「……ごめん、オレさまなんか気に障ることした? それなら謝りてえんだけど」
「いいや。キバナくんは悪くないよ。本当に優しいし」
 あ、だめだ。
 キバナは直感した。この言葉が出てくると、ここからどれだけ足掻いても挽回できない。別れ話の常套句だ。
 キバナくんは本当に優しいね。
「ごめん、俺の問題なんだよ。俺さあ」その彼が、シーツをぎゅっと抱えるように握る。「……キバナくんの一番になりたいみたい。いや、自分でもこんなに独占欲強いと思わなかった。笑っちゃうよな」
「……一番だろ。恋人だし」
「本気で言ってる?」
 その、くしゃっと歪められた笑顔が泣きそうに崩れていて、キバナは何も言えなかった。手の中で、二つのマグカップの中身が冷めていくのがわかる。ああ、ちなみにポケモンたちの順位まで抜かしたいってことじゃないから。キバナくんのポケモンたちの世話見るの、俺好きだったよ。そう告げられる言葉は過去形だった。キバナは恋人——今まさに元恋人となろうとしている——の言葉をどこか遠くに聞きながら、どこで間違えたのだろう、とぼんやりと考えていた。どこかで判断を誤ったのだろう。けど、それがどこだかわからない。
「でも、勝手かもしれないけど、キバナくんのことこれからも応援はしてるから」
 すっかり服を着た彼は、すいと髪を手櫛で整えて言う。
「試合も……チケット取れたら見にいくし」
「……オレさまから送るよ」
「いいよ」
 キバナが精一杯搾り出した言葉は、明るい拒絶で跳ね返された。
 玄関で彼が振り返る。
 キバナが好きだった笑顔で。
「キバナくん、元彼全員に優しくしてたら追いつかないだろ!」


「ってえ! 言われてさあ!」
 ドン、とジョッキの底がテーブルを叩く。涙声で語るキバナにおお、よしよしとネズが背中をさすってやり、マクワが追加のアルコールを注いだ。ルリナが「ペースが速いちゃんと胃にもの入れて水飲んではい」と酒のグラスと一緒に水のグラスとマッシュポテトとソーセージの皿を差し出す。酒だけがみるみるうちに消えていく。
 ダンデがキョトンとして言った。
「いや、別に嫌われたんじゃないなら気にしなくてよくないか? 恋人から友達になるだけだろ」
 首を振ったのはマクワだ。
「いやなれないでしょ、ダンデさん一回付き合った人と普通に友達やれます?」
「? オレはいけるぜ? ネズも気にしないタイプだろ」
「おれは大抵相手がかなり引きずっちまうんでなんとも」
「ああ……ルリナさんは?」
「あら、誰もが他人と恋愛したり付き合ったりするわけじゃないんだから、その聞き方は不用意じゃない? 前提を確認した方がいいわよ」
「そりゃあ……そうだ。失礼、ついぼく基準で話を振ってしまいましたね」
 そんなやりとりを聞きながら、突っ伏したままのキバナが「そもそも恋人と友達じゃ全然違うだろお!」と吠える。「そうかあ?」「そうだよ! 友達に毎週花贈ったり髪整えてやったり身の回りの世話したりしねえじゃん!」「人によるんじゃない? する友達もいるかもよ」「まあ世間一般の基準に照らせばあまりしないんじゃないですか……なんだったら恋人でも人によってはちょっと引きます」「引くなよ! いや引かねえやつと付き合いたいんだよオレさまは!」
 べそべそと嘆くキバナの肩をネズがポンと叩く。
「まあもうそれは仕方ないんじゃないですか。大体、いつも言ってますがオマエのスペックと嗜好が恋愛に向いてなさすぎる」
「だあってオレさま尽くしたいんだもん……」
 キバナがチップスをつまむために顔を上げ、行儀悪く頬を突くが、その腕もずるずると崩れていく。普段の彼ではとてもしない作法だったが、こんな大衆ダイナーで咎める人間は誰もいない。
 キバナが恋人を切らさないのは、その愛情深さ故のことだ、とはこの場にいる誰もが理解していた。曰く、ポケモンたちへの世話だけでは愛情を発散しきれないらしい。手持ちを増やせばいいだろう、とも思うが、本人はポケモンたちに向ける愛情と人に向ける愛情はまたちょっと違うから、代替できねえんだよと言う。
 だが彼が人に向ける愛情がうまく続いた試しはない。
「まあ、キバナさんに尽くされてダメにならない人っていませんからね」
「ダメにならないような主体性のある人間は逆に尽くされすぎて怖……ってなっちゃうのよ。耐えられないのよ愛が重すぎて。いやでも今回の子は結構アリと思ったんだけどな」
「新しいパターンですねえ。……コイツの一番になりたい、か」
 噛み締めるように放たれたネズの言葉に、はあ、と三人の間で重い溜め息が出た。
 無理難題だ。その彼が、キバナと生活を共にして事あるごとに“一番”の存在を感じていたことは、三人には容易に想像がついた。キバナがポケモンたちを優先しすぎることに難色を示す別れ話もあったが、キバナにその慣習を変えさせることは、それと同等か、それ以上に難しい。
 キバナはテーブルに再度突っ伏す。
「だーってめちゃくちゃ優しくしたいじゃん彼氏には。なのにみんな『優しいよね』って振るんだよ。そりゃそうだよ、オレさま優しくしてんだもん。なのになんでだよお……はぁどっかにいないのかよオレさまに優しくさせてくれる人……」
「はいはいそうねどこかにいないかしらねあなたの愛を受け止めてくれるポケモン馬鹿に理解があってバトルがマジすぎても引かなくてあなたの一番になれる人」
「そうですねオマエの一番の人」
「一番の人、ですか……」
 じっ、と三人の視線が自分に注がれるのを、キバナは後頭部で感じ取った。顔を上げる。三人が何を言いたげにしているのか、キバナはいまいち理解できていなかった。とろんと酔いに蕩けた目で、表情いっぱいに疑問符を浮かべる。
「えぇ? だってオレさまの一番てポケモンたちだし……あとは」
 ふ、とキバナが顔を横にやって、しばらく発言をしていなかった隣の男と目が合った。ダンデはキバナの目の焦点が自分に合ったことに気づき、パチ、と瞬いてからモグモグと頬張っていたローストをごくんと飲み下す。
 最後にぺろりと唇についたソースを舐め、ダンデは無造作に首を傾げた。
「お? オレにしておくか? オレも今ちょうどフリーだぜ」
「ダンデェ?」
 呂律の回らないキバナの声に、ダンデはそうだぜ、と冗談めかしてグラスを揺らす。
「オレならまあ、キミの一番になれないから別れるとは言わないな。人間でキミの一番はオレだし」
「確かに……」
 キバナが素直に頷いたので、ここで頷いちゃうのがもうダメなんじゃないか?と三人は天を仰いだ。
 流石に別れた彼に同情する。
「ダンデかあ……」などと思われていることもつゆ知らず、キバナはマジマジとダンデを見た。手を取って、ふにふにと指の形を確かめる。皮が硬くて、ボールを投げる人間の手だ。爪が少し伸びている。菫の髪は全体的にふわふわしているがもう少し瑞々しさがあってもいい。瞳がダイナーの照明の下で、きらきらと星を湛えていてきれいだ。
「……いけるかもしんない。いやむしろいける気しかしないな?」
「お眼鏡にかなったか? 光栄だな」
「でもオレさま、愛が重いらしいんだよね」
「知ってるぜ」
「ポケモン優先でも引かない……?」
「引くわけないが?」
「あとオレさま有名人だからパパラッチされちゃうの大変かも……」
「誰に向かって言ってるんだ」
 これまで振られた理由を指折り数えてあげるキバナに、ダンデが神速で打ち返す。確かに、ダンデにはキバナを振る要素がない、ようにキバナには思えた。
 一番重要な要素以外は。
「いや待って? ダンデはオレさまのこと好きなの。一番大事なのそこだろ」
 その問いに、んー、とダンデは唇に指を当てて思案する。
 それからニコッと笑って言った。
「まあまあだな」
「『まあまあ』!? 言うに事欠いてまあまあって言いやがったよ! そこは愛してくれよオレさまをよぉ!」
 キバナの渾身の叫びに、ネズが耐え切れずにゲラゲラ笑う。ルリナですら少し吹き出してしまった。
「そこは嘘でも好きって言っときなさいよ」
「いやまあ正直は美徳ですよ、付き合わないんだし……付き合わないんですよね?」
 マクワの問いに、ダンデは無言でマクワを見つめ返すだけだった。え、何ですその沈黙は、とマクワが戸惑いを見せた辺りでダンデが肩を竦めて話を戻す。
「まあそこは問題ないぜ」
「何が!? 問題ありまくりだよオレさまは愛のないお付き合いはしたくねえよ」
「だってキミの頑固さは筋金入りだぜ。付き合うとなれば、オレを本気で惚れさせてくれるだろ?」
 あ、まずい、とその瞬間、酒を煽っていたルリナとネズは顔を見合わせた。
 そういえばそうだった、とその事実を思い出す。
 ガラルリーグの元チャンピオンは、トップジムリーダーを煽らせるとガラル一うまい。
 キバナの酔った目が、スッと夜風に覚めていく。
「……オーケイ、その勝負、乗ったぜダンデ」
「キミはこれを勝負というんだな? なら先に相手を惚れさせた方が勝ちだぜ」
 そう言い放ち、キバナとダンデは無言で見つめあってバチバチと火花を散らしあったかと思うと、不意にどちらともなくガシッ、とテーブルの上で謎の握手を交わしあった。「じゃあこれからダンデんち行っていい?」「ダメだぜ!」「ダメなのかよ!」「段階を踏むべきだろう。デートからだぜ」「いつも行ってんじゃん! ……まあいいやじゃあこれからダンデんちでおうちデートしようぜ」「……それならいいぜ」「いいのかよ!」……「あなたたち交際をバトルと勘違いしてんじゃないでしょうね」というルリナのツッコミはどうやら聞こえていないらしい。
「……まあ、うまくまとまったならいいのかしら。一応ソニアに報告しとこ」
「おれもジムリグループに流しときますかね……カブさんとかびっくりしちまうだろうし……」
 ぽちぽちとスマホロトムをいじるのを二人に任せ、マクワはこっそり隣のダンデの顔を盗み見た。
 なんだか話が都合よく進みすぎている、気がする。
 キバナがトイレに席を立つタイミングで、マクワはダンデに耳打ちしてみた。
「……もしかして狙ってました?」
「まさか! キバナを唆したのはキミたちだろ?」
 なのに嫌がる素振りも見せず、ニヤ、と笑うダンデに、やっぱり相変わらず食えない人なんだよなという言葉をマクワはそっと心の中にしまった。
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