恋の自覚

(2021/11/29)


 このあと飯行こうぜ、と待ち合わせた場所に姿を現したダンデは随分とくたびれ果てていた。先にスタジアムから出ていたオレさまは、んん?とロトムから視線を外しトボトボと歩いてくる己のライバルに視線をやる。試合の後はいつも元気すぎるほど元気のはずが、肩を疲労に力なく落とし、「待たせた」と声を発するのも精一杯といった様子だ。つい四十五分ほど前までは確かに、「キバナ今日のあのてっていこうせんのタイミング最高だったぜもう一戦しないか!?」と腹立つくらいの気力を全身で振りまいていたはずだが。なのに今は私服のニットもよれ、菫の髪も心なしか萎びている。
 シャワーを浴びて着替えただけではこうはなるまい。
「どした、ダンデよ」
「いや……ちょっと取材に捕まってな」
「あー」
 思わず納得と同情の溜め息がこぼれた。お互いチャンピオンとチャレンジャーの関係になって早七年だ。その言葉だけで、何がこのチャンピオン様を疲労させたのか概ね察しがついてしまう。「お疲れ。ボブより席広いとこのがいいな」「たすかるぜ……」ロトム、ナビ頼む、とひとつ店の名前を告げる。いい感じの飯の場所を探すのは、大体いつもオレさまの役目だ。

「……と言うか、別にオレに恋愛の相手がいるかとか関係なくないか。もっと今回の技構成とか聞いてくれよ!」
 着いて早々、メインの肉の他に量のありそうなピザだの鶏の丸焼きだのサイドメニューを五、六頼み(何せ試合の後は異様に腹が減る)、パブの端の席でダンデは盛大にテーブルに突っ伏した。
 未成年のオレさまたちの乾杯はもちろんサイコソーダだ。オレさまはチビチビと甘い炭酸で舌を湿らせながら、目の前のチャンピオンのつむじに適当に相槌を打つ。
「まー何故かみんなそーいう話は好きよね。誰が惚れただの腫れただの。いるかねその情報……」
 声につい呆れを滲ませてしまうのは致し方のないところだろう。疲労を誘う的外れな取材にはオレさまも身に覚えがあった。いくらオレさまが温厚で通っていようと、試合のインタビューそっちのけで好きな異性のタイプは、こんな女子はどう思うか、もし恋人がこうだったら……と来ればうんざりもするというものだ。それはダンデも同じだろう。
 オレさまたちポケモントレーナーだぜ。関係ないだろう、と思うし。
 例えばもし、オレさまとダンデの試合の結果が、パートナーの支えのお陰ですね!なんて言われた日にはキョダイマックスで神話の災厄よろしく暴れ倒してしまうかもしれない。
 まあ今のところ、ダンデは恋愛パートナーなんて作る気はないだろうからその心配はないけど。
「大体、もしオレが恋愛的な意味で好きと言うならキミだぜキバナ」
 カチャン、と。
 思わずフォークを大きく鳴らしてしまったのは不覚だったあー行儀悪いって先代に怒られちまういや違う待てなんて?
 突然の爆弾発言に思わずダンデの方を見るが当の本人は店員が運んできた追加のプディングをおお、ここのはでかいな……と眺めている。オレさまの方を見向きもしないってどういうことだ。今オマエオレさまに告白しませんでした? 聞き間違いか? ぐるぐると回るオレさまの思考がぴん、と答えを導き出す。その間わずか一秒足らず。
 いやこれは本気じゃないのかよし。
「……わあ情熱的。それぜってえオレさまとバトルしたいの混同してるだけだろ」
 そうほぼノータイムで返せたのは僥倖だった。ダンデなりの冗談だったのだろう、変にまともに受け取って妙な空気を作らなくてよかった。
 だって、オマエはそういうの興味ないだろう。
 オレさまの知るダンデという男は、恋愛なんかに興味はなくて。
 ポケモンバトルが至上の男だ。
 そうへにゃりと相合を崩せば、ダンデもくつくつと喉を鳴らしてローストにかぶりつきながら上機嫌に笑う。
「そうだな」
 そう返されて、正直内心ほっとした。それから話題は今日の技構成に移ったし、次の試合は絶対勝つからなで終わった。
 それ以上は何もなかった。
 そんな些細な会話だった。



 そう、そのはずだったのに。
「あのときからだよオレさまがオマエのこと意識しだしたのはさあ!」
 いつからだった、と聞かれればそうなる。
 ていうかオマエがそれ聞く!?
 と抗議を込めて一戦終えた腕の中の恋人に脚を絡ませてしがみつけば、ダンデはあのときと同じように笑いながらしれっと言った。
「別に、混同してはなかったぜ。オレはキミとバトルしたかったし、同時にこういうエロいこともしたいと思ってた」
「早く言えーっ……」
「だって、あのとき言ってたら振られてたろう、オレ」
 微笑みながら頬を撫でられ、ぐ、とオレさまは言葉に詰まる。
 確かにそれは否定できない。あのとき、ダンデとこんな関係を持ちたいとは思いもしていなかった。そんな状態で突然告白されたって、当然いい反応はできなかっただろう。仮にもし、あの言葉がもっと真剣みを帯びて告げられていたら、若かりし頃のオレさまから出ると考えられる咄嗟の反応としては限りなく「ごめん」に近い「考えさせてくれ」だ。今考えると恐ろしい話だが。
 でもあの頃は、目の前のコイツを倒すのに必死だったし。
 何より。
「だって、オマエがそんなこと考えてたとは思わなかっただろ……」
 すり、と頬をあらわになった鎖骨のあたりに寄せれば、ダンデがくすぐったそうに身をよじる。この男がこうしてオレさまが触れたときにどんな反応を示すのか、この男の唇がどれほど柔らかいのか、この男が恋人にどんな風に愛を囁くのか。オレさまにそれを知ることを許す日が来るとあの頃は夢にも思わなかった。
「オレさま、オマエがバトルに余計な感情を持ち込むのは嫌うとばかり思ってたし」
「ああ、キミはそう思ってるだろうな、とは思ってた」
 なのに、目の前のこの男のことを『そういう目』で見る可能性に気付かされた。
 あの撒き技で無理矢理。
「ステルスロックはじわじわ効くよな」
「戦略の鬼〜っ……」
 あの頃の自分の傷心を思って、ぎゅっと目の前の引き締まった体を抱き締める。その通り、あれから会うたびあの言葉が棘となってオレさまの心臓に刺さったままで、熱を持ち始めたのはいつからだったか。今やすっかりこうしてピロートークも板についてきた有様だ。それが戦略だと言うならば、随分と念の入った仕込みようだった。バトルにおいては絶対に譲るつもりはないが、それでも、勝てない、と思うあの一瞬の感覚を今この場でも味わわされている。
「別に、オレは余計な感情とは思わないんだぜ」
 ネタばらしへのオレさまの反応にくすくすと悪戯っぽく笑いながら、ダンデがオレさまの髪を撫でつける。厚みのある指が黒髪を梳き、オレさまの首筋にゆるゆると触れ、最後にキスをひとつ。手はそのまま背筋をたどって無防備な腰に回り——たった一枚身につけた下着越しに下腹部をゆるりと撫でる。
 じわ、と吐き出しきれなかった熱に火が灯るのを感じる。
「ダンデ」
「そもそも、バトルに対する意欲と性欲——オレの場合は恋愛感情とそれが結びついているから便宜上そう呼ぶが——どちらかを選ばないといけないなんてことはないだろう。オレはキバナと最高のバトルをしたいし、最高のセックスもしたい。どちらもあってもいいし、なんなら一方の感情をもう一方に持ち込んだっていい。恋愛感情でバトルの判断が鈍るなんてことはないだろう?」
 枕に沈めた横顔から覗く金の目が、段々と好戦的な光を再度帯び始める。それを目にし、オレさまは思わず渇いた唇を舌で舐めて湿らせる。元チャンピオンらしい言い草だ。だがそれは一般論ではない。皆が皆、オマエのようにはいられないのだ、と思う。人は恋愛感情で判断が鈍るし、感情を混同してはうまく処理はできない。そういう人間を何人も見てきた。そうしてバトルに支障が出ることは、オレさまの望むところではなかった。
 だからあの頃オレさまは、恋愛と名のつくものを身の回りから排そうとしていたし。
 何故かそれは、当然ダンデも同じなのだと思っていた。
 続きを促され、伸し掛かるように上に乗り上げる。
「なんなら、キミと付き合いだしてからはオレの手の内は全て読まれるものと思っているから、前より緊張感が出て楽しいぜ」
 なのにダンデはそう言って心底楽しげに笑う。うーわ、とオレさまは内心目を細めた。コイツにとって、それは障害でもなんでもなかったのだ。オレさまが今でも注意深く取り扱っているその感情を、随分とあっけらかんと受け入れている。こういうところが腹立つくらいに好きだと思う。
 なんでオレさまは自分とおんなじだと思ってたんだろう。
「みんなのチャンピオンも意外と俗物だったってわけだ?」
「嫌いになったか?」
「まさか、今更……」
 首にかじりつかれ、求められるままにキスをする。胸元で肌が擦れ合って、二人の体の温度が段々上がっていくのを感じる。は、と呼吸の合間に糸を引いた唾液を舐めとるダンデの仕草が、暴力的なまでにオレさまの理性を劣情で染め上げる。
 今更、コイツが恋愛に抵抗がなかったことで幻滅したりはしない。
「……というか、一応言っておくが、キミがダメだったんだぜ。オレじゃなく」
「? 何が……」
「フフ。かわいいオレのドラゴンストーム」不意に熱っぽく耳元で囁かれ、ゾワゾワと背筋を快感が這う。思わず暴発しそうになって腰を引いた。目を瞑ってやり過ごす。時々思うが、コイツ煽りスキルに努力値ぶっぱしてんだよな絶対。何してくれやがる、と歯噛みするオレさまの下で、ダンデは終始ご機嫌だ。「キミはオレが恋愛を嫌うんじゃないかと思っていたようだが、その実、『キミが』嫌だったんだぜ、バトルに恋愛を持ち込まれるのが」
「うん……?」
「キミが、オレに『嫌であってほしかった』んだ」
 ダンデも同じだと思っていた。
 それは何故かって。
「大好きなオレが、それで歪むのが我慢ならなかったから」
 ダンデが何を言わんとしているのか理解した途端、かあっと血が顔に上ってきた。「うそ」掠れた悲鳴が、思わず口を突いて出る。「え、何。オレさま、そんなにオマエのこと大好きオーラ出てた?」
「少なくとも、脈ありと見たからオレは仕掛けたぜ」
「……う、うわー……」
 恥ずかしくて顔を覆いたかった。が、ダンデの両脇に手をついた状態だとできなかったので、代わりに枕に顔を伏せるとダンデの髪とオレさまの髪が絡んで綺麗なストライプを作る。
 オマエはそうだろ、と思っていたのが、実は全部思い込みで、ダンデは別に恋愛もセックスも普通に好きで、そうじゃないと思っていたのはオレさまが「そうであってほしい」と願っていただけで、それが全部見透かされていた、と?
 わあ。
「理想の押し付けがすぎる……オレさまの馬鹿野郎……」
「で、どうだ? 実際付き合ってみて? それが知りたくてこんな話をしてるんだが」
「う……ん」
 よろよろと顔を上げ、ゆるく笑む腕の中の恋人を見る。
 若かりし頃のオレ。
 そんなに心配しなくても、オマエの好きな男は、その程度のことで揺らぐ男ではなかったぜ。
「オマエが、オレとバトルもセックスもしてくれる男でよかった……」
「……そうだな。オレも」
 安堵を込めたキスをすれば、オレさまの視線を避けるように目元を腕で隠して笑いながら、賭けだったんだ、とダンデは呟いた。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。キミがそうじゃない、という保証はどこにもなかったから。
「だからオレも、キミがそうでよかった、と思うぜ」
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