Light My Fire

(2021/11/10)


「あ」
「お」
 今夜の試合を前にして、当の試合相手とスタジアム前で鉢合わせたのは偶然だった。シュートシティでのチャリティマッチ。夕焼けの空に燃えるように花弁を揺らす薔薇の形をしたスタジアム。いつもは中で受付をすれば控え室への通路が分かれていて、試合まで顔を合わせることはまずない。
 ダンデが目深に被った帽子のつばを僅かに上げる。今日の服装はダボついたジャージの上下にボディバッグ。あのド派手なオーナー服は目立ちすぎるからこのくらいの野暮ったさがちょうどいい。ちょっとウォーミングアップでもしてきたんだろうか、頬がわずかに上気している。
 あるいはそれは、あと三時間後に控える楽しみに興奮を隠し切れないだけなのかもしれない。そうなると、オレさまも同じ顔をしていないとは決して言い切れないわけだ。
 名残惜しげな夕陽がオレさまたちの影を浮かび上がらせる。
「やあキバナ」
「よおダンデ。今日は迷子じゃないんだな?」
「タワーからだぞ? 流石にちょっとしか迷わないぜ」
 いやちょっと迷ったのかよ。
 我が好敵手の行く末にいつもどおり一抹の不安を覚えながら、オレさまは面倒な記者なんかがいないか素早く周囲に目を走らせた。もはや癖のようなものだ。けれど夕食の時間とかぶってでもいるのだろうか、二人を撮ろうとする人間は見当たらない。通りすがりの周囲のヤツらは、オレさまたちが何者かをわかって見て見ぬふりをしてくれているようだった。オレさまの、上向いた気分に更に少し拍車がかかる。オレさまこの街好きだなあ。もちろん一番はナックルだが。
 ローズ委員長はいなくなってしまったが、彼の紳士的な振る舞い、その血脈はこの街に強く根づいている。シュートシティは治安がいい。
 ダンデはあまり気にしないのか、無造作にオレさまの隣へと手を伸ばす。
「ヌメルゴン、元気そうだな」
「! ……ぬめ!」
 オレさまの隣に控えていたヌメルゴンは、すい、と控えめに、しかし優雅さを忘れずにダンデへと頭を差し出した。ダンデの手がヌメルゴンの頭を撫で、首筋にブラッシングでもするみたいに指を滑らせる。ヌメルゴンが心底気持ちよさそうに喉を鳴らす。おっ構ってもらえてよかったなと思う反面、わずかな焦燥がオレさまの意識の端を焼く。
 街で連れ歩けるポケモンは一匹だけで、誰か出していくか?と考えたとき、コイツに今日の湿度に慣れさせてやる必要があるなと考えた。今日の要はコイツで行くつもりだったのだ。なのにしまったな、試合前に手の内を見せることになっちまったか。
 ダンデの方をチラリと見やるが、そのことまで意識しているかは窺い知れない。
 と、その向こう、ダンデの隣に控えたリザードンとバチリと目が合ってしまった。主人が他所のポケモンを構っている間、ジッと身じろぎもせずに待っている。今日は飛んでの移動も少なかったのだろう、肌艶に張りがあってこちらも好調なことが窺える。
 試しにオレさまもオマエを構った方がいいか?と目配せしてみると、リザードンは目を細く開けた後、ぷいとそっぽを向いてしまった。
 どうやらお気遣いなく、ということらしい。
「ぬめ! ぬめめ!」
「はは、調子も良さそうだ。今日の試合、キミの全力を見せてくれ。楽しみにしてる」
「ぬー!」
 そうダンデに告げられたヌメルゴンが、どこか誇らしげに全身を伸ばし、任せろ、とでも言うように顎をくいと持ち上げた。先程までの緊張も取れ、今やすっかりご機嫌だ。元から人懐こい性格ではあるが、こんな街中でオレさま以外のトレーナーにここまで気を許すのは珍しい。さすがはチャンピオンの手並みといったところか。ポケモンをやる気にさせるのがとことんうまい。思わず妬けちまうというものだ。
「おいおい、試合前にあんまり人の手持ちをたらし込むもんじゃねえよ。曲がりなりにもこの後戦う相手だぜ」
「たらし込んでなんかないぜ。本心を伝えたまでだ」
 それを、たらし込むって言うんだ、とオレさまは苦笑した。オマエみたいなのにそのまっすぐな本心をぶつけられてみろ、誰だって平静でなくなって、メロメロになっちまうだろう。
 男も女も老いも若いも。ポケモンも。
(そしてそれに乗せられた男がまさにここに一人)
 キミとのバトルが心底楽しいと、いつだって全身で伝えられて、誰が勝負を下りられようか。結局先に降りたのはコイツで、でも今でも勝負はいくらでもできる。オレさまは幸運と言うべきなんだろう、世の中には望んでも同じコートに立てなくなったヤツらも山ほどいる。その幸運を逃すまいと、やってやると燃え上がる闘争心の熱量のほどを、オマエは知っているのだろうか。伝わっているといいと思う。オマエが一人で寒さを覚えない程度には。
「で。今夜オマエをぶっ倒すオレさまには何かねーのかよ?」
「……キミに?」
 ダンデが首を傾げる。帽子のつばの向こうで、夕闇に浮かび上がる大きな金の瞳が挑戦的に光を放つ。
「ああ。オレさまの全力も見たいだろ?」
 からかい半分に言えば、ダンデもうっすらと口元に笑みを浮かべた。
「キミもオレにたらし込んでほしかったとは知らなかったぜ」
「言い方ぁ」
「キミが先に言い出したんだろ」
 別に、何か期待したわけではなかった。ハグも顎を撫でられるのも興味はない。オレさまはポケモンではないので。それに何もなくても全力は出す。当然だ。オレさまの矜持はそんなに安くはない。
 だが、この人およびポケモンたらしは、オレさまのスイッチをどう押してくれるのかな、とはちょっと興味があった。
 オレさまの導火線を探り当ててみろよ、と。
 そんな挑発も込めてニコ、と笑いかけると、不意にダンデが帽子を深く被り直した。
 オレさまの視線を避けるように。
「まあでも、キミには必要ないだろう」
 その声の、ひやりとした調子がオレさまの背を撫でる。
 ん、と首を傾けて、オレさまはダンデの顔を覗き込んだ。怒……りはしないだろうが。気分を害しただろうか。あるいは勝負に余計な感情を持ち込むなという牽制か?
 いや——違う。
 僅かに顔を上げたダンデの、燃える金の瞳とバチリと鼻先で目が合った。滲むのは抑え切れない高揚。獲物を前にした肉食獣のような甘美な恍惚。
 一瞬、呼吸を忘れる。
 そのオレさまの心臓の上を、ダンデの手のひらが確かめるように触れてゆく。
「だってキミはそんなものなくたって、オレを一番楽しませてくれるだろう?」
 囁きに思わずオレさまの身を震わせたのは、畏怖ではない。
「今夜も酔わせてくれよ、オレのドラゴンストーム」
 興奮だ。血の沸騰する心地だった。触れられた部分から広がって、酒も入れていないのにくらくらとした酩酊感に襲われる。
 オマエみたいなのに、そのまっすぐな本心をぶつけられてみろ。
 誰だって平静でなくなって、メロメロになっちまうだろう。
 もちろんオレさまも例外ではない。
 ……一呼吸の後、パッと二人して距離を取った。それからくすぐったく笑い合う。互いの熱に煽られて、試合前に燃え尽きてしまっては敵わない。
「……そんな余裕ブッこいてると、早々に伸しちまうぜ、元チャンピオンさんよ」
「是非そうしてくれ」
 できるものなら、と不敵に笑ってスタジアムに入っていくその背中が、今日もどうしようもなくオレさまの目を惹きつけて離さないのだ。
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