星を探しに
(2021/10/19)
『キバナ。今何してる?』
オレさまの生涯のライバルからそう電話がかかってきたのは、日付もそろそろ変わろうという夜半のことだった。応答すれば音声オンリー。映像は切られている。
そもそも電話なんて珍しい、とオレさまは画面に流していた録画を一時停止して「別に何も」と答えた。観ていたのはバトルタワーの試合の記録だった。普通、手持ちと戦略が丸裸になるため試合記録は非開示にする選手が多いが(手札の“読み合い”まで勝負のうちだ)、しかし選手の中には互いに同意して記録を公開する人間もいる。手札を晒しても強いやつ、手札を晒すことをブラフにしたいやつ。強いやつの戦いは参考になる。
でもダンデにその努力の跡を見せるのは癪だ。
「今風呂入ってもう寝るとこ。どうかしたか?」
『いや……ならよかった。オレも寝るところだから、少し話し相手になってくれないかと思って』
「いーけど……今どこにいんの」
言いながらロトムに目配せして通話音量を上げてもらうと、やはり端末の向こうからざわざわと風に草の擦れる音が聞こえる。シュートの自室ではなさそうだ。パチパチと火の弾けるような音、ホーホーの鳴き声。端末越しに聞くダンデの声は穏やかで、とてもリラックスしているから少なくとも寛げる場所か状況にいる。リザードンもいるんだろう、微かにポケモンの身じろぐ気配がする。
電話の向こうのダンデの悪戯っぽい笑みが見えるようだ。
『フフ。どこだと思う?』
「んーーー……ワイルドエリア?」
『概ねあたりだ』
流石だぜ、とダンデが囁くように笑う。単純なことなのに、相変わらず屈託なく人を褒めるのが上手い。そんなわかりやすいヒントばら撒いて、流石も何もないだろ、と頭ではわかっているのに何だかくすぐったい気持ちにさせられる。
もう寝るだけなのは本当だったから、ベッドに寝転がってスプリングを跳ねさせた。横になって耳を傾ける。端末から流れてくるダンデの話はとりとめがない。本当に雑談がしたかっただけらしい。
『今日は久しぶりにキャンプセットを引っ張り出したんだが、テントってこんなに狭かったか……。思わず外に寝袋を敷いてしまったぜ。あ、あとカレーも作ったな。張り切って手元の実を片っ端から入れたらみんなからブーイングを食らってしまった』
「へえー、いいじゃん。明日仕事ねえの?」
『ああ、……部下に、オレが働き詰めだからと強制的に休みを取らされてな……しばらく休暇だ』
「あっはは、オマエんとこのスタッフも苦労が絶えないねえ」
『オレとしては、チャンピオンを辞めたのだし十分休んでるつもりなんだが』
声音に不服が混ざるが、それはダンデのとこのスタッフが正しい、とオレさまはその苦労を偲んで頷いた。普通、チャンピオンを辞めて数ヶ月でバトルタワーなんてものを開いちまうような働き方を“休んでいる”とは言わない。
『でも忘れてたぜ』
端末の向こうで、ダンデがくすぐったそうに言う。
『ワイルドエリアで見る星が、こんなに綺麗なんだってこと』
カメラが切られているから、オレさまからはその様子はわからない。けれどそれならオレさまだって知っている。目を閉じて瞼の裏に思い描く、子どもの頃の旅の記憶。追われる仕事もなく、背負う責務も下ろして、久しぶりに羽を伸ばして寝転がって見る星の瞬き。ダンデの瞳の中で輝くそれは、鈴の音のような光彩を放っているんだろう。
確かにオレさまも忘れていたかもしれないな、とうとうと微睡みながら思った。シュートの空は、スタジアムの熱狂の渦の中では、明るくて星が見えないから。
ただその星を見るだけで満たされるような心地を忘れていた。
『それであんまりにも星が綺麗だから』物思いに耽っていたからか、ダンデがあまりにもさらりと告げるからか、次の言葉をオレさまは危うく聞き逃すところだった。『キミの声が聞きたくなった。それで電話したんだ。突然すまない』
「…………。えっなに? 告白かなんか? オレさま今愛を囁かれてる?」
思わず枕に伏していた顔を跳ね上げた。オレさまとしたことが、間の抜けた声で返してしまった、と不覚を恥じたが、いやだってしょうがなくないか? ダンデが悪いだろ。オレさまの動揺に反して、端末の向こうでは一瞬の無言の後、あっはっは!とまじウケ気味の笑い声が返ってくる。『愛の告白か。いいな、そう受け取ってもらっても構わないぜ!』とか言う。何なんだもう。飛び起きて自室の窓をガラリと開けるが、星は見えても恐らく今ダンデが目にしている光景と同じではあるまい。
「じゃあ誘えよーオレさまもさあ! 一緒に星見たらよかっただろ!? 見えねえよこっからじゃ!」
『はは、すまない。ジムリーダー業務が忙しいだろうと思って』
「嫌味か!?」
『それで、もしかして返事とかもらえるのか? キミが好きだぜ、キバナ!』
「オレさまそういうことは直接言いたいし聞きたいタイプなの! あーもー、今から行くからな!?」
『そうか? 無理しなくても……』
その言葉を無視して寝巻きから動きやすい服に着替える。そうだ、今から行ってしまえばいいんだ。眠気は疾うに去っていた。ワイルドエリアならどこだってそう遠くはないだろう。いい大人が深夜に何やってんだ、と思わないでもないが、何だか楽しい気持ちになってきたのだから仕方あるまい。そう、コイツに振り回されるのはいつものことだ。チャンピオンも辞めてそれもなくなるかと思ったが杞憂らしい。全く、仕方のない元チャンピオンさま! 行ってバトルでも申し込んでやろう。いや、オレたちはともかく流石にポケモンたちはみんな眠いだろうか。ボールの中のジュラルドンたちの様子を窺う。でも一緒に星を見て、テントで寝て、そうして朝起きてヤツと一戦する。それでもきっと楽しい一日になるはずだ。明日のジムは閉める、とスタッフたちに連絡を入れ、うっすら埃を被ったキャンプセットを引っ張り出す。
そんなオレの袖を引いたのは、当のダンデ本人の声だった。
『どうしても来ると言うなら、そんなキミに警告だが』
「えっなに」
警告?
浮かれた気分に削ぐわない、ぱしゃっと冷や水を浴びせるような不穏な一言。
『先程、キミはホーホーの鳴き声である程度オレの位置を絞り込んだんだと思うが……それはさっきオレが捕まえてそこに放してる子だぜ。野生じゃないし、ここはどうやらホーホーの生息地じゃあなさそうだ。そうだな、樹木が適度に密集していて肌寒く……スコルピの巣穴があるから大体ワイルドエリアの北側だとは思うが、ボクレーと共生してるところを見ると普段行動エリアになってないあたりだな。オレは多分、以前来たことはあるが……キミ、来れるか?』
「は?」
固まる。思い描くのはワイルドエリアの分布図だ。スコルピとボクレーって、そんなとこ、ワイルドエリアにあったか?
ねえよ、とセルフで突っ込まざるを得なかった。オレさま自撮りはしても自分でツッコミはしたくねえんだけど。
「いやほんとオマエどこにいんの」
『? 言わなかったか? ワイルドエリアで概ね正解だと。まあ……うーん……どのあたりか説明するのは難しいぜ』
「迷子じゃんそれ先に言え!? 星が綺麗だとか言い出す前にさあ!」
『幸い食料はあるし、休暇は一週間あるからしばらく戻らなくても大丈夫なんだぜ』
「ダメなやつじゃねえか! 一週間探してもらえねえやつだよ!」
ガアタク、と咄嗟にアプリを起動するが、目的地に飛ぶのではなく目的地自体を捜索するなら自分のポケモンたちに頼んだ方がいいかと思い直す。夜通し飛ぶかもしれないし。慌ててボールからフライゴンを出して、眠そうな顔を撫でて宥めた。よしよし、休んでるとこ悪いな、ちょっと頼まれてくれないか。フリュ、と仕方なさそうな合意を得て、慌ててキャンプセットを抱きかかえる。
『もう暗いから明日でいいぞ。いざとなったらリザードンに飛んでもらうし』
「オレさまにこのまま寝ろってのォ!?」
確かにリザードンがいるなら、ダンデを無事連れ帰ってくれるだろう。ダンデも、別に一人でも大丈夫なのだ。もう大人だし、元チャンピオンだし。
でもそれは、このまま「じゃあ気をつけてキャンプ楽しめよ」とへらりと笑って終話することをオレさまのプライドが許すということではない。
何より楽しみにしちゃったオレさまが可哀想だろ。
「いーか! 絶対見つけ出して、詫びにバトルしてもらうからな!」
フライゴンと夜空に飛び出しながら、もちろんオレさまが勝つ、と勢いこんで付け加えると、端末の向こうで迷子の元チャンピオンはフフ、じゃあ起きておかないとな、と人の気も知らずに無邪気に笑うのだ。
『ならここで、キミが探してくれるのを待ってることにするぜ、キバナ』
『キバナ。今何してる?』
オレさまの生涯のライバルからそう電話がかかってきたのは、日付もそろそろ変わろうという夜半のことだった。応答すれば音声オンリー。映像は切られている。
そもそも電話なんて珍しい、とオレさまは画面に流していた録画を一時停止して「別に何も」と答えた。観ていたのはバトルタワーの試合の記録だった。普通、手持ちと戦略が丸裸になるため試合記録は非開示にする選手が多いが(手札の“読み合い”まで勝負のうちだ)、しかし選手の中には互いに同意して記録を公開する人間もいる。手札を晒しても強いやつ、手札を晒すことをブラフにしたいやつ。強いやつの戦いは参考になる。
でもダンデにその努力の跡を見せるのは癪だ。
「今風呂入ってもう寝るとこ。どうかしたか?」
『いや……ならよかった。オレも寝るところだから、少し話し相手になってくれないかと思って』
「いーけど……今どこにいんの」
言いながらロトムに目配せして通話音量を上げてもらうと、やはり端末の向こうからざわざわと風に草の擦れる音が聞こえる。シュートの自室ではなさそうだ。パチパチと火の弾けるような音、ホーホーの鳴き声。端末越しに聞くダンデの声は穏やかで、とてもリラックスしているから少なくとも寛げる場所か状況にいる。リザードンもいるんだろう、微かにポケモンの身じろぐ気配がする。
電話の向こうのダンデの悪戯っぽい笑みが見えるようだ。
『フフ。どこだと思う?』
「んーーー……ワイルドエリア?」
『概ねあたりだ』
流石だぜ、とダンデが囁くように笑う。単純なことなのに、相変わらず屈託なく人を褒めるのが上手い。そんなわかりやすいヒントばら撒いて、流石も何もないだろ、と頭ではわかっているのに何だかくすぐったい気持ちにさせられる。
もう寝るだけなのは本当だったから、ベッドに寝転がってスプリングを跳ねさせた。横になって耳を傾ける。端末から流れてくるダンデの話はとりとめがない。本当に雑談がしたかっただけらしい。
『今日は久しぶりにキャンプセットを引っ張り出したんだが、テントってこんなに狭かったか……。思わず外に寝袋を敷いてしまったぜ。あ、あとカレーも作ったな。張り切って手元の実を片っ端から入れたらみんなからブーイングを食らってしまった』
「へえー、いいじゃん。明日仕事ねえの?」
『ああ、……部下に、オレが働き詰めだからと強制的に休みを取らされてな……しばらく休暇だ』
「あっはは、オマエんとこのスタッフも苦労が絶えないねえ」
『オレとしては、チャンピオンを辞めたのだし十分休んでるつもりなんだが』
声音に不服が混ざるが、それはダンデのとこのスタッフが正しい、とオレさまはその苦労を偲んで頷いた。普通、チャンピオンを辞めて数ヶ月でバトルタワーなんてものを開いちまうような働き方を“休んでいる”とは言わない。
『でも忘れてたぜ』
端末の向こうで、ダンデがくすぐったそうに言う。
『ワイルドエリアで見る星が、こんなに綺麗なんだってこと』
カメラが切られているから、オレさまからはその様子はわからない。けれどそれならオレさまだって知っている。目を閉じて瞼の裏に思い描く、子どもの頃の旅の記憶。追われる仕事もなく、背負う責務も下ろして、久しぶりに羽を伸ばして寝転がって見る星の瞬き。ダンデの瞳の中で輝くそれは、鈴の音のような光彩を放っているんだろう。
確かにオレさまも忘れていたかもしれないな、とうとうと微睡みながら思った。シュートの空は、スタジアムの熱狂の渦の中では、明るくて星が見えないから。
ただその星を見るだけで満たされるような心地を忘れていた。
『それであんまりにも星が綺麗だから』物思いに耽っていたからか、ダンデがあまりにもさらりと告げるからか、次の言葉をオレさまは危うく聞き逃すところだった。『キミの声が聞きたくなった。それで電話したんだ。突然すまない』
「…………。えっなに? 告白かなんか? オレさま今愛を囁かれてる?」
思わず枕に伏していた顔を跳ね上げた。オレさまとしたことが、間の抜けた声で返してしまった、と不覚を恥じたが、いやだってしょうがなくないか? ダンデが悪いだろ。オレさまの動揺に反して、端末の向こうでは一瞬の無言の後、あっはっは!とまじウケ気味の笑い声が返ってくる。『愛の告白か。いいな、そう受け取ってもらっても構わないぜ!』とか言う。何なんだもう。飛び起きて自室の窓をガラリと開けるが、星は見えても恐らく今ダンデが目にしている光景と同じではあるまい。
「じゃあ誘えよーオレさまもさあ! 一緒に星見たらよかっただろ!? 見えねえよこっからじゃ!」
『はは、すまない。ジムリーダー業務が忙しいだろうと思って』
「嫌味か!?」
『それで、もしかして返事とかもらえるのか? キミが好きだぜ、キバナ!』
「オレさまそういうことは直接言いたいし聞きたいタイプなの! あーもー、今から行くからな!?」
『そうか? 無理しなくても……』
その言葉を無視して寝巻きから動きやすい服に着替える。そうだ、今から行ってしまえばいいんだ。眠気は疾うに去っていた。ワイルドエリアならどこだってそう遠くはないだろう。いい大人が深夜に何やってんだ、と思わないでもないが、何だか楽しい気持ちになってきたのだから仕方あるまい。そう、コイツに振り回されるのはいつものことだ。チャンピオンも辞めてそれもなくなるかと思ったが杞憂らしい。全く、仕方のない元チャンピオンさま! 行ってバトルでも申し込んでやろう。いや、オレたちはともかく流石にポケモンたちはみんな眠いだろうか。ボールの中のジュラルドンたちの様子を窺う。でも一緒に星を見て、テントで寝て、そうして朝起きてヤツと一戦する。それでもきっと楽しい一日になるはずだ。明日のジムは閉める、とスタッフたちに連絡を入れ、うっすら埃を被ったキャンプセットを引っ張り出す。
そんなオレの袖を引いたのは、当のダンデ本人の声だった。
『どうしても来ると言うなら、そんなキミに警告だが』
「えっなに」
警告?
浮かれた気分に削ぐわない、ぱしゃっと冷や水を浴びせるような不穏な一言。
『先程、キミはホーホーの鳴き声である程度オレの位置を絞り込んだんだと思うが……それはさっきオレが捕まえてそこに放してる子だぜ。野生じゃないし、ここはどうやらホーホーの生息地じゃあなさそうだ。そうだな、樹木が適度に密集していて肌寒く……スコルピの巣穴があるから大体ワイルドエリアの北側だとは思うが、ボクレーと共生してるところを見ると普段行動エリアになってないあたりだな。オレは多分、以前来たことはあるが……キミ、来れるか?』
「は?」
固まる。思い描くのはワイルドエリアの分布図だ。スコルピとボクレーって、そんなとこ、ワイルドエリアにあったか?
ねえよ、とセルフで突っ込まざるを得なかった。オレさま自撮りはしても自分でツッコミはしたくねえんだけど。
「いやほんとオマエどこにいんの」
『? 言わなかったか? ワイルドエリアで概ね正解だと。まあ……うーん……どのあたりか説明するのは難しいぜ』
「迷子じゃんそれ先に言え!? 星が綺麗だとか言い出す前にさあ!」
『幸い食料はあるし、休暇は一週間あるからしばらく戻らなくても大丈夫なんだぜ』
「ダメなやつじゃねえか! 一週間探してもらえねえやつだよ!」
ガアタク、と咄嗟にアプリを起動するが、目的地に飛ぶのではなく目的地自体を捜索するなら自分のポケモンたちに頼んだ方がいいかと思い直す。夜通し飛ぶかもしれないし。慌ててボールからフライゴンを出して、眠そうな顔を撫でて宥めた。よしよし、休んでるとこ悪いな、ちょっと頼まれてくれないか。フリュ、と仕方なさそうな合意を得て、慌ててキャンプセットを抱きかかえる。
『もう暗いから明日でいいぞ。いざとなったらリザードンに飛んでもらうし』
「オレさまにこのまま寝ろってのォ!?」
確かにリザードンがいるなら、ダンデを無事連れ帰ってくれるだろう。ダンデも、別に一人でも大丈夫なのだ。もう大人だし、元チャンピオンだし。
でもそれは、このまま「じゃあ気をつけてキャンプ楽しめよ」とへらりと笑って終話することをオレさまのプライドが許すということではない。
何より楽しみにしちゃったオレさまが可哀想だろ。
「いーか! 絶対見つけ出して、詫びにバトルしてもらうからな!」
フライゴンと夜空に飛び出しながら、もちろんオレさまが勝つ、と勢いこんで付け加えると、端末の向こうで迷子の元チャンピオンはフフ、じゃあ起きておかないとな、と人の気も知らずに無邪気に笑うのだ。
『ならここで、キミが探してくれるのを待ってることにするぜ、キバナ』
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